雨夜はご主人様が大好きです。

SaltyL(ee)

第1話 大、が付くほど好き

 

 ――寒い――お腹すいたな……――


 住む場所も食べる物も無く、ただ死を待つだけだった。先程から降り止まない雨が私に一層気持ちを沈ませるのだ。


 目の前を通り過ぎて行く人達は、一瞬哀れみの視線を向けてくるだけ。それはまだ良い。1番厄介なのは同情してくる奴らだ。そいつらは私の目の前まで来ては「可哀想な子」、「誰も助けないなんて酷いよね」、「ご飯あげるね?」と決まってその様な事を言い、私を下に見て承認欲求を満たしていくのだ。本当に助ける気も無いくせに。


 ――ことん。


「少ないけど、食べな?」


 また来た……私はそう思った。


 例に漏れず飽きない奴らだ。その場凌ぎの食料を得たところでどうなるだろうか。考えてみて欲しい、極限に空腹の状態で食料を口にしたらどうなるのかを。今は満たされるかも知れない。だが、その代償は大きい。次の日、また次の日と、1度蜜を味わった胃袋が激しさを増して空腹を訴えてくるのだから。しかし、私も生き物である以上は欲に逆らう事などできない。


 ――他者に翻弄される日々。まるで生き地獄だ。


 私は我慢の限界だった。消えかかった篝火に、悪戯に息を吹きかけては火を強くする。何度も何度も燃えた私の篝火は燃料が尽きかけていた。いつ終わるのか分からない生き地獄で精神が摩耗していたのか、私はつい魔が差してしまったのだ。


 目の前に近付いてきた男に手が出てしまった。手の甲に痛々しい傷がつき、赤い雫が滴り落ちている。――やってしまった! 殺される――そう思って私は咄嗟に体を縮こませた。自分がどんなに惨めで価値が無かろうとも″死″という恐怖には身体が反応してしまうのだ。周りには犯行を止める人は誰もおらず、仮に誰かいたとしても私を助ける人など皆無だろう。


 ところが、いつまで経っても襲ってくるはずの痛みは訪れない。代わりにやって来たのは、頭部から背中にかけて流れるように感じる温かさと、「大丈夫。怖くないよ……」と言う心地良い声音だった。


「怒らせるつもりは無かったんだ。今はこれしかないけど、家に帰れば沢山あげるからね?」

 その男の人はそう言うと私をこの地獄から連れ出してくれたのだ。


 ――ああ、神様。人の温もりとはこんなにも温かなものだったでしょうか。違う――きっとこれはこの人の心の温かさなんだ。




 これが今から1年前の事。私と――私の大好きな人との出会いだった。




雨夜あまよ。朝ご飯だよー」


 宵月雨夜――それが私の名前。そして私の名前を呼ぶのは、私の大好きな人……宵月貴仁様。あの日以来、私はご主人様とこの家で暮らしている。


 ――最後に空腹を感じたのはいつだろう。


 あれから毎日ご飯を食べさせてくれている。


 それだけで私は幸せなのに、ご主人様は時間があれば私と一緒に遊んでくれた。楽しいという気持ちを初めて知った。


 ――ご主人様は私にとって神様だ。


 この家にくるまで私には何も無かったのに全てを与えてくれた神様だ。


 ――ご主人様。今日もご飯が美味しいです。


 ご主人様は朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってくるのだ。最初の頃はそれが寂しくて、着いて行こうとしたら、ご主人様を困らせてしまった。寂しいけど、ご主人様を困らせるのは私も嫌なので我慢する事にしたのだ。


 ――それでも寂しいものは寂しい。


 だから、私は精一杯のわがままで、ご主人様が出かける前に頭を撫でて貰ってから、その姿を見送る事にした。これは今でも私とご主人様の決まり事になっている。


「それじゃあ、行ってくるから。今日も良い子にしてるんだよ?」


 ――行ってらっしゃいご主人様。今日も雨夜は幸せです。


 ご主人様が出かけてしまった後は、家で大人しく過ごそうと決めている。まえに家の中を探索している時に、ご主人様の宝物を壊してしまった事があるのだが、その時のご主人様を忘れる事は無いだろう。顔は笑っているのに「雨夜? こっちにおいで?」そう私を優しく呼ぶ声には、心臓を直接撫でられている様な恐ろしさを感じた。


 ――あの時の顔は今でも思い出せるくらいだ……。


 だから私はご主人様を怒らせないように良い子に留守番をするのだ。


 そういうわけなので、今日も今日とてお昼寝をしようと思う。日中は窓際で寝っ転がるのが最高だ。日差しが入り込んで、ぽかぽかして気持ちよく寝れるのだ。


 ――楽しい夢が……見れる……と……いいなぁ…………。




 ――ガチャリ。



 んん……扉の音が聞こえた。かなりの時間寝ちゃったみたいだ。部屋の中も真っ暗になってる。


「はぁ……疲れた。毎日終電までは辛いよなぁ」


 ――ご主人様が帰ってきた! お出迎えしないと!


「あぁ。ただいま雨夜」


 ――お帰りなさい、ご主人様。


 ご主人様はふらふらとした足取りで帰ってきた。最近はずっとこの調子だ。このままだと、いつ倒れてもおかしくないと思う。私に出来る事があるならしてあげたいと思うけれど、貰ってばかりの私に何が出来るのだろうか。


「雨夜いつもご飯遅くなってごめん。今用意するからなー」


 ――私の事より自分を大事にしてください。ご主人様……私はご主人様が辛そうにしているのを見るのは苦しいです……。


 初めて会った日もそうだったのだ。ご主人様は自分の事よりも他者を優先してしまう。そのせいで自分が傷付いたとしても、「大丈夫」って我慢してしまう。いつかその「大丈夫」が壊れてしまうんじゃないかと思うと私は心配なのだ。


 私を救ってくれたご主人様……その恩返しをしてあげたい……。だけど、私に出来る事なんてほとんどない。それでも私がやれる事をしているつもりだ。


 あの時、私はご主人様が側にいてくれるだけで救われた。だから私もご主人様が辛い時は、側に寄り添ってあげるのだ。それで少しでも私の幸せを分けられればいいなと思う。


「雨夜……………いつも僕に元気をくれてありがとうな……」


 ――……ご主人様?


 ご主人様が泣いてしまった。どうしてしまったんだろう。私は何かしてしまったんだろうか。


「あの日雨夜がこの家にくるまで、ずっと1人だった。朝から夜遅くまで仕事で休みもほとんど無い。なんで生きているかさえ自分でも分からない状態だったんだ。正直、何度も死のうと思った」


 ――うぅ。死んじゃダメだよご主人様! 雨夜を置いてかないで!


「そんな声出さなくても、今は死のうなんて思ってないよ。……雨夜がいるおかげだよ。帰るといつも出迎えてくれる。家に帰ると雨夜がいると思うと辛くても頑張れるんだ。雨夜は僕の大切な家族だよ……」


 私にとってそれは当たり前の事なのだ。私が貰った幸せは今も溢れて止まらない。この幸せを同じだけ、ご主人様にも感じて欲しいと思っている。ご主人様は、私の神様で、大切な家族で、私の1番大好きな人なのだから。


「少し疲れたから、寝るよ……。今日は一緒に寝ようか雨夜。こっちにおいで」


 ――喜んで行きますご主人様! 


「はは。くすぐったいよ。本当に雨夜はふさふさしてて気持ちいいなー。それじゃあ、おやすみ雨夜」


 呼ばれて私は寝床に飛び乗った。喜びの余り尻尾をぶんぶん振ってしまったので、ご主人様の顔に当たってしまったが、自分の意思では止められないのでしょうがない。

 ご主人様の腕の中に丸まって、今日も幸せの温もりを感じるのだ。


 ――雨夜は今日も幸せです。

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