傍観と言う名の共犯

 前回、とても剣呑な物言いによる予告で締め括りましたが、例えどんな精神の人にも人権はあって然るべきと思います。

 しかし、彼女らの精神の安定が、我々のような被害者の精神を壊すものだとしたら。

 カルネアデスの板と言う例え話があります。

 誰かと一緒に海に放り出され、掴まる板が一人分しか無かったとして。

 もう一人を蹴落として自分が助かる事は、緊急避難にあたり、正当であると言う考えです。

 勿論、可能な限りは二人ともが助かる道を模索するべきかも知れません。

 しかし義姉が私達にやっている事は、わざわざ自分の過失で海へ道連れにした挙げ句「私を見捨てるのか!」と情義につけこんで板を奪うようなものです。

 義父やA社係長のような人達には、今一度そこを考えて欲しいものです。

 

 確かに、心の弱い義姉を守らなければならないのはわかりますし、所詮私は他人で義姉は実子です。

 A社にしても、会社の維持の為にタケさんと事を荒立てるのは能率が悪かったのかも知れない。

 

 けれど、ここまで考察してきたように、彼女らが活性化するのは「有力者や多数派が味方になる」状況に限られ、その味方には、義父や係長のような無関心層も含まれます。

 とりわけ中立・中庸・中道とは平等で公正な正義だとされがちですが、何かを選ばないと言うことは、義姉やタケさんのような人の抑止を放棄する事です。

 究極、殺人を黙認する事です。


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