このお話と相反してしまうかもしれないのですが、最近ボクは「加害者になる勇気」も必要なのかもしれない、と思うようになりました。
と言っても作中でおっしゃられている通り、パワハラ上司のように生かさず殺さずイジメ抜く様な加害者ではなく、聖竜の介さんがターさんに行ったような”相手と距離を取るための行動”に限った事です。
加害と言うよりは”自衛”ですかね。
距離が取れれば相手に対して”過度に求める”事もありませんし、自分を”怒り”から遠ざける事にもなります。
”相手の事を知ろうとしない愚かさ”は残るかもしれませんが( 一一)
僕がそう考えたのも奇しくも仏教系の本を読んでいる時でした(あくまでも付け焼刃な自己解釈です。修羅道に落ちてるかもしれません(笑) 間違っていたらご指摘を下さい)。
本当であれば角を立てないようにシレっと距離が取れればベストですが、そうもいかない時も多いのが現実。
時には(嫌だけど)毅然とした態度を取らないといけない時もあるのかもしれません。
作者からの返信
この頃はまだ若く、守るものもなく、なおかつ悪いことが重なって軽い人間不信気味でして。
とは言え、そうで無くとも他に方法があったかは……ちょっとわからなかったですね。
ここで反撃しなかった末路が、A社だったと思いますし。
(まあ、立場と戦力比から、ターさんの場合は断固無視でも良かったのかも知れませんが)
無視したとしても、しつこく噛み付かれてはどうにもなりませんしね。
もしもターさんにもっと味方が居たなら、私はこんな対応はしなかったと思います。
そうやって相手が弱いと見て、態度の強弱を変えた。
正直、こう言う状況に卑怯も何もありませんが、あくまでも自衛と言う目的を忘れてしまっては、自分がいじめっ子になってしまう。
そこは自身重く受け止めねばならないとは思いますね。
全ての人を理解する余裕は、人間にはないですからね。ある程度、諦めるのも必要だと思います。
(私にとって、ターさんと、昔から付き合いのある友人とでは、同じ衝突するにしても等価にはなりませんから。
友人としっかり向き合うためにも、ターさんで消耗するわけにはいかない)
私は無宗教(“神”に相当するなにものかの存在は信じている理神論)なのですが、
仏教の教えそのものは、今にして思えば良い事を言っていると思います。
こうして色々と解明してくれた先人が居るから、私達は人間らしく考える事が出来ていると思います。
嘱託ということは、退職した方なんですかね
その状態で、何故会社がそこまで気を遣うのか謎ですね
契約切っちまえば済むことなのに
それもしないということは
何かあるんでしょうね
謎と言えば、本人の振る舞いもよくわからない
自己愛性PDではなさそうだし
器質的な疾患レベルだと思うんですが
何か弱点を探して
陰湿に責めるしかないですかね
作者からの返信
あっ。
エッセイのカテゴリ分けをしているうちに、二社目そのものの話と、この嘱託社員の話が前後してしまったようですね。しまった。
A社の前に勤めていた二社目はコンプライアンスも序列も有耶無耶なカオスそのものだったので、こんな方々が大きい顔を出来ていたのだと思います。
まして、この所長のような、中途半端に昭和の流儀を重んじる方が管理なさっていたので……。
実のところ、最近、私はこの人も自己愛性PDではないかと疑っていました。
自分の筋書き通りになるまで決して折れないしつこさと言い、サボり組と連帯感を持ちたがるあたりと言い、身の丈に合わない尊大さと言い。
しかし、A社の個体や、私の知人と比べても異質な感はありましたね、確かに。
本文でも軽く触れましたが、仮にこの人が私の居た部署に入ってきたら、
当時の私は彼を「正論」で詰めて追い込んでいたことでしょう。
部署での知識はこちらに圧倒的なアドバンテージがありましたし。
それで「勘弁してくれ」と言われたり、休職されたりしてもやり続ける事は無いとは思いますが……。
正論の名の下、誰しも加害者になる可能性があると思います。