第73話 お姉様、吹っ飛んだと錯覚するほど驚愕する

 お姉様は私が生まれたことでお父様の一番じゃなくなったことが許せなかった。

 屋敷で唯一のお姫様じゃなくなったことも許せなかった。


 けれどお父様たちに直接その気持ちをぶつけたことがなかったのは、きっと心のどこかでそう思うのは悪いことだと感じていたのかもしれない。

 ただ、お姉様は私のように元から精神が成熟していたわけではない。大人びていても普通の子供だった。

 だからこそ暗く淀んだ気持ちを抑えきれず、ついには「大きくなったら凄い暗殺者に依頼して妹を殺してもらう」という考えを持ってしまったのね。


 困ったのは平民ならいざ知らず、貴族の子女であるお姉様にはそれを可能にできる道がたしかにあったということ。


 お姉様本人はそんなこと考慮していなかったけれど、お祖父様はその道に進むよう背を押した。

 ある日イライラが頂点に達した時、お姉様は思わず廊下に飾ってあった花瓶に八つ当たりをしたという。割れた音で我に返った時、廊下の先にはお祖父様がいたそうだ。


「――お祖父様は私に訊ねたわ。なにか辛いことがあったのか、って」

「その時に考えていることをすべて話したんですか?」

「ええ、なんでも言っていいって。……ここで聞いたことは胸の内にしまっておくからって言われたら我慢できなかったの」


 その時に思っていることをすべて吐露したお姉様は妹の殺害計画のことも口にした。

 さすがにその瞬間はハッとして「怒られるかも」と思ったそうだけれど、驚いたことにお祖父様はお姉様を褒めたらしい。


「その年でそんな計画を思いつくなんて賢いって頭を撫でられたわ。いつもの笑顔で、その時は安心したけど今は……」


 お姉様は小さく肩を震わせる。


 お祖父様は十歳の子供による殺害計画を褒め、そして「やってみなさい」と背中を押したらしい。しかもその時に必要なら資金援助まですると言ったそうだ。

 黙っていたからには背中を押したも同然だと考えていたけれど、想像以上に直接手助けしていたみたいね。


「たまに、あれは私の願望が見せた夢だったんじゃないかと思うことがあったの。でなきゃお祖父様の考えてることがわからなさすぎる。けど……」


 お姉様の表情は苦しそうだった。

 夢のせいにして罪から目を背けたくないらしい。

 私は許したけれど、だからといって残された事実そのものを見ないようにして忘れたくはないというように。


 ……お姉様の計画に気がついていたことは、お姉様が事件後に私の部屋を訪れた際にボカしていた。

 当時はまだ方針がはっきりしていなかったし、なによりまだ小さかったお姉様に「妹は元から知っていた」なんて負荷をかけたくなかったからだ。

 でも今はこうして深いところまで自分から触れてくれたし、苦しんでいる。


 私は青空をもう一度見上げてから口を開いた。


「夢じゃないですよ、お姉様」

「え……?」

「あの時のお姉様とお祖父様のやりとり、じつは一部だけ物陰で聞いてたんです」


 聞き終えるなりお姉様はオレンジ色の目を見開き、そして数度ぱちぱちと瞬かせる。

 最高潮に驚いているお姉様は実年齢より少し幼く見えるのよね。可愛いわ。――などと思っていると、前の席から吹っ飛んできたのかと錯覚する勢いで前のめりに肩を掴まれた。もちろん両肩よ。


「どっ、どういうこと!? 元から知ってたの!? し……知ってたのにあんなに懐いて、しかも私を許したわけ……!?」

「お、お姉様落ち着いて。動いてる馬車の中で立つと危ないですよ」


 必死に宥めながら座ってもらい、一息ついたところでお姉様は「変な子だとは思ってたけど本当に変な子ね……!」と驚きを通り越して呆れた様子で言った。

 どうしよう、否定する言葉がまったく浮かんでこないわ。


「でもあなたっていつも本気だものね、疑う意味がないからこれ以上は詮索しないわ」

「えへへ、ありがとうございます」

「お礼を言うのも変な子に磨きをかけてるわよ。……あなたと違ってお祖父様は何を考えてるのかわからないわ。でも良い感情はないみたい」


 沈んだ顔をしたお姉様はしばらく外の景色に目をやった後、ほんの少し迷う様子を見せながらこちらに問い掛ける。


「ヘルガ、あなたは私を許した。――お祖父様のことも許したいの?」


 お姉様の立場からこれを訊ねるのは勇気が必要だっただろう。

 下手をすれば「私は子供だったから許してもらえたけど」と思っていると勘違いされかねない。それにお姉様は私がお父様にも命を狙われていて、そして和解して許したことを知らないのだから。

 でもお姉様は罪に年齢は関係ないと思っていて、今も心から悔いていると私は知っている。

 だから、この問いには誠実に答えたかった。


「はい。どんな理由があっても、お祖父様は家族なので」

「……本っ当に変な子」


 お姉様は自分の膝の上で指を組むと眉を下げる。


「本気で危ないことになったら逃げるのよ、もしくは私に言いなさい」

「お姉様が助けてくれるんですか?」

「そこまで自分を過信してないわよ。あなたじゃ言いづらいだろうから私からお父様に助けを求めてあげるわ、お父様は剣技でも王族から褒めて頂いたことがあるしきっと助けてくれるわよ」


 それは……うん、きっとお姉様の言う通りだわ。

 言いづらいっていうのもお姉様が理由を知らなくても当たっていた。


 お父様はきっと助けてくれるし、お姉様も助けてくれる。――私はそうわかった上で助けられるような事態にならないことを心から祈った。

 私はこの家族とこれからも生きていきたい。

 お父様やお母様やお姉様につらい想いをさせず、お祖父様と和解しよう。


 そう決意していても……やっぱりお姉様がああ言ってくれたのが嬉しくて、今度はこちらから飛び掛かるようにして抱きつくと「危ないでしょ!」とさっきの出来事を棚に上げたお叱りが飛んできたのだった。

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