第48話 エペトの介護施設
エペトは共同井戸を中心に放射状に広がった村で、開拓された山の一部は階段のようだった。
周囲に多く生えている木は幹が白く、そのせいか景色が全体的に明るい。
そんな景色に彩りを与えているのが、家々の出入り口に吊るされたカラフルな刺繍が施された布だ。
暖簾のような布の向こうにはドアがある。しかしただの飾りにしてはすべての家屋に設置されていて不思議な光景だった。
「エペト特有の魔除けらしいよ。昔この周辺で大暴れした悪魔は派手で美しいものを嫌っていて、刺繍を施した布を飾ったら逃げていったって言い伝えがあるんだって」
「へえ、そういう話ってこっちにもあるのね」
「ヘルガの住んでるところにはどんな話があるんだい?」
思わず日本を思い返しながら言っちゃったけれど、私が転生者だと知らないレネは別の解釈をしてくれたようだ。うっかり誤魔化しの効かないことを言わなくて良かったわ。
うちの領地では結婚記念日になると花と愛の女神の加護を受けるために花を贈り合う風習や、白い蝶が横切ったら目を瞑って願いごとを三回唱えて、目を開けた時に白い蝶が消えていたら願いが叶う言い伝えなんかがあった。
……レネの情報収集能力ならとうの昔に知っているはずだけれど、説明すると随分と楽しそうに聞いていた。
意外とこの手の話が好きなのかしら?
今度新しい話を仕入れたら教えてあげよう。そう思いながら歩いているとレネが護衛に気づかれないよう声をひそめて言った。
「斜め前に白い壁をした家が見えるね? あれが介護施設だ」
「……! 思っていたより小さいのね」
「あくまでエペト出身の身寄りが無かったり家族が面倒見れない老人を住まわせる施設だからさ、アルトフットにもあるけどもっと大きいし数も多いよ」
なんでも介護施設の設置は領地の幸福度を上げるために行なわれた計画によるものらしい。ただ、基本的に土地の持ち主は領主だ。その土地を老いた老人からスムーズに返却してもらい、若い住民に分配するためという面が強いそうだ。
個人個人が土地を有している地域にも介護施設の設置をし始めたのは現領主、つまりラスティ卿だとレネは言う。
「今は少し落ち着いたけど、領地民の高齢化が問題になっていた頃があってね。その時に取った対策のひとつらしい」
「なるほど、どこの領地も大変ね……」
うちはスラムの問題が一番優先されている。
領地民の年齢は三十代が一番多いから介護問題はまだ表面化していないけれど、いつかは個人運営じゃない介護施設を導入しないといけないかも。
「……他の領から学ぶことは多いわね。大先輩だわ」
「そっちとは根本のシステムが違ってるけど参考になるかなぁ……」
「そういえばアルバボロス領は土地の貸し出しとか個人所有とかちょっとややこしいことになってるのね。何か理由があるの?」
単純な理由だよ、とレネは肩を竦めた。
「かなり昔、アルバボロスが領主になる前の領主が借金をしててね。そこで重税を課したら反乱が起きて、でも金はどうにか作らなきゃならないから一部の土地の売買を可能にしたんだ」
「それって領主が国から貰ったものを勝手に売ったことになるんじゃ……」
大問題でかなり荒れたらしいとレネは苦笑する。
けれどそれは相当昔のことで、国もまだ安定していなかったので何とか落としどころを見つけたのだそうだ。そして土地を買ったのも有力者が多く、そのため土地の代理管理者という名目で所有を続けているらしい。
その人たちが力を付けすぎたら争いの火種になりそうだけれど、幸いアルバボロスが治めるようになってからは安定しており、有力者たちとも協力関係にあるのだという。
色んな場所に色んな歴史があるのね……。
あと協力関係にある有力者たちの力でアルバボロスの情報網が更に広がっている気がするわ。なんとなくだけれど。
レネは意識的に介護施設から視線を外すと大通りで開かれているマーケットを指した。
「アルンバルト・エーデルトールは目と鼻の先だ。けれど今は『観光客』らしく振る舞おう」
「ええ、計画遂行のためにも満喫していると傍目からもわかるようにしないといけないわね。リ、リボンも気になるし、刺繍も実物を見たらとても綺麗だったし、演技するのも楽そうだわ」
「ヘルガは演技なんて不要じゃないかな」
刺繍された品々の並ぶマーケットが気になってそわそわしすぎた。
レネの言葉が図星すぎて口籠っていると、そこへ少し高い位置から笑い声が降ってくる。
「まあ、君と一緒に回れるなら僕も演技なんて不要だけれどね」
***
しばらくマーケットを見て回った後、手筈通り護衛に「少し早く休みたいの」と頼んで宿屋へと案内してもらった。
そこで少し眠るので起こさないでほしい旨を伝える。
護衛は監視ではないので、荒れているわけでもない村の室内でずっと廊下に立っているなんてことはなく、隣の部屋で待機してくれるそうだ。
何かあればいつでも呼んでください、と頭を下げた護衛に心の中で謝りつつ、しばし室内で待機する。
少しして別室のレネがそうっとドアを開いて手招きした。
女性の部屋にノックせずに入るのは不躾とされているけれど、これは予め決めておいたことだ。
……それにしても初めて会った時も思ったけど、レネってばやっぱり気配を消すのが上手いわね。見習わないといけないわ。
お互い目配せして宿の外へと出る。
事前に目立ちにくい服に着替えておいたので宿の従業員に見咎められることもなかった。
宿は貸し切りではなく他にも客がいるから、その一員だと思ってもらえたみたいね。
無事に外へ出てから緊張していた体の力を抜いて胸を撫で下ろす。
「なんとか第一関門突破ね」
「あはは、そんなに緊張しなくてもよかったんだよ、優秀ではないけれど命令に忠実な男を護衛に推したから」
護衛としての察しが悪いが言ったことは守る真面目なタイプ、ということだ。
そ、そんな根回ししてたなら先に言っておいてほしかったわね。けど憂いが一つ減ってよかったわ、バレずに戻る時もきっと緊張していただろうから。
気を取り直して足を進め、先ほど目にした白い壁を目指す。
もう少しで過去のお祖父様について話を聞けるかもしれない。
そう思うとさっきまでとは異なる緊張と不安が湧いてきたけれど――私より一歩前を歩くレネの背中を見ていると、いつの間にか落ち着いていた。
介護施設にも魔除けの暖簾が吊るされており、それをくぐって中へと入る。
そしてアルンバルトの親戚を名乗って個室に通してもらった。
特に怪しまれた様子がないのはアルンバルトがエペト出身でも父方の親戚が他の地域にいたおかげね。ずっとエペト内で完結した家系だったら危なかったかもしれないわ。
(これを調べてくれたのもレネなのよね。本当に凄いわ)
ここまで来れたのもレネが道を繋いでくれたからだ。
それを最大限まで活かしたい。そう見つめた『道』の先には、ベッドの上で上半身を起こしたアルンバルト・エーデルトール――イベイタスお祖父様の学友がいた。
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