第43話 ここってどこかわかる?

 昼と夕方の間に流れる穏やかな時間。

 まだ明るいものの正午よりは穏やかな陽光を背中に感じつつ、私は薔薇園の間を縫うように進んでいた。

 後ろにはレネがついて来ている。


 内緒話には私の部屋を使うのが一番良かったのだけれど……。

 お姉様がレネをやたらと警戒していたため、二人きりになるのは何とかなっても『自室で二人きり』はちょっとマズいかも、ということで散歩と称してひと気のない場所を探していたのだ。

 この薔薇園はお祖父様のものだけれど、最近は離れにいるためほとんど見にこない。

 手入れはされているものの、これは外部から雇った職人の手によるものだ。


 今日は手入れの日じゃないから身を潜ませるのにうってつけだわ。

 花の世話に使用する器具が収められた小さな小屋――というよりも物置きの影に隠れ、ヘラに意識を移して周囲を確認してから胸を撫で下ろす。


「安心して。周りに人はいないわ」


 そう口にした言葉は想定していたよりも硬くなってしまった。

 お茶会中はお母様たちも居たから気にならなかったけど、二人きりだとどうにも上手くいかないわね……。

 レネは申し訳なさそうな顔をする。

 今までうんと大人びていたけれど、まるで母親に怒られた子供みたいだ。


「話を始める前に――改めてごめんよ、ヘルガ。軽率だった」

「どっちのこと?」

「撫でたのも身長の件も両方」


 お姉様には次は訊ねてからやるって言ってたけれど、レネ本人も一応問題だとは思っていたのね。


「可愛らしかったから撫でたっていうのは、うん、身長のことも含めてだったけれど『君だから』っていうのが一番の理由なんだ」

「……ヘラの時でも撫でてたのはそれが理由?」

「そう。でもペットやぬいぐるみとかに対する愛玩とは違うよ」


 レネは自分の手を見下ろして言葉を続ける。


「君だから触れたいし、衝動的に撫でたくなった」

「んぐっ……」

「でもこれは僕の欲を不躾にぶつける悪い行為だったね。嫌な思いをさせてごめ……ヘルガ? ちょっと咳き込みすぎじゃないかな? 大丈夫?」


 レネはどストレートな言葉にむせ込んだ私の背中を撫でようとしたが、舌の根も乾かないうちに触れるのはいけないと感じたのか両手を宙に彷徨わせた。

 律義というか真面目ね。

 落ち着いた私は咳を笑いに変えてから深呼吸する。


「こっちこそ大人げなかったわ、ごめんね。それにそんなに嫌でもなかったから」

「本当?」

「見知らぬ人からだったら嫌だけれど、レネのことは信用しているもの」


 下心的なものがあったとしても相手がレネなら恐ろしい結果にはならないはず。

 それに私が嫌がればこうしてやめてくれるし、謝ってくれる。それなら特に禁止するつもりはない。

 ただ家族の前では恥ずかしいから遠慮してほしいかも、と言うとレネは「わかったよ」と頷いた。


「……アロウズ卿に斬り伏せられる可能性もあるからね」

「あ、あはは」


 お父様の罪がこれ以上増えるのは遠慮したいところだわ。

 そう思っているとレネが「それじゃあ」と切り出した。いよいよ情報交換ね。

 こっちはあまり目新しいことはなかったけれど、何度か見かけたお祖父様は健康そうだった。念のためそれも伝えよう。――と口を開きかけたところで、レネが懇願するような目をした。


「撫でてもいいかな?」

「……」

「……」

「……は……話が終わってからなら」


 やった、とレネは拳を握って拳を握って喜ぶ。

 改めて確認を取られると変に意識して困るわね……でも今更駄目と言うのもこっちの信用がなくなるわ。

 とりあえず重い話の後に緊張を緩める手法のひとつ、ってことにしておきましょう。

 そこで物置きの壁に背中を預けたレネが言う。


「昔話した『ツテ』から連絡があってね」

「……!」

「イベイタス卿と同年代、もしくはそれより少し上の世代を中心に聞き取り調査や日誌などの確認をしてもらったんだ。おかげで随分と時間がかかったけれど糸口が見えた」

「糸口?」


 レネはポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出した。

 どこかの住所が書いてある。その下にアルンバルト・エーデルトールという名前が記されていた。

「イベイタス卿の学友だった男性だよ。今はもう大分呆けてしまったそうだけれど――その影響か、今まで口にしたことのなかったことを話すようになったんだ」

「ずっと口を閉ざしていた秘密を呆けて話してしまったってこと?」

「ただの妄言の可能性もあるけれどね。だからといって今の僕らが適当に切り捨てて良い情報じゃないと思ったんだ」

 レネはメモを見下ろしたまま言う。


「若いイベイタス卿は『忌み子』を嫌悪していた……というよりも、怯えていたらしい」

「怯えていた……」

「その理由を聞き出すために、ヘルガ」


 薄紫色の目が私の方へ向く。

 そしてレネは住所を指して言った。


「一緒にここへ行ってみないかい」

「そのアルンバルトって人に直接訊くの? けど貴族の家に突然訪ねて行って通してくれるかしら」


 イベイタスお祖父様の孫としてなら可能かもしれないけど、名前を出すとお祖父様に感づかれる可能性がある。口が軽くなった老人なら口止めしてても今後私たちのことを話すかもしれないわ。

 そんな心配をしているとレネが「学校には推薦枠がある」と話し始めた。


「その制度は当時からあった。この国は勉学を重要視してるからね。そしてアルンバルト・エーデルトールは推薦枠で、平民だ」

「……!」

「現役時代は王女の家庭教師もしていたらしいよ。ただ足を悪くしてからは引退して故郷に帰っていた。そして今住んでいるのは平民の介護施設だね」


 この世界にも介護施設ってあるんだ、と心の中で考えているとレネが「この施設なら比較的面会するのも楽だと思う」と微笑んだ。

 こちらの身分を隠す必要はあるけれど、私たちにとってもそっちの方が都合が良い。


「……わかったわ、行きましょう。レネ、次の休暇はいつに――」

「今回の休み中にしよう。善は急げだ、それにここってどこかわかる?」


 レネに言われてもう一度メモを見る。

 省略された地名だ。どこの領かしら、と思っているとレネは「これ、提供者に貰ったのをそのまま持ってきたからわかりにくかったよね」と肩を竦めた。


「アルンバルト・エーデルトールの故郷はアルバボロス領にある」


 たしかにレネの字じゃないわ、と思っていた時だ。レネの言葉に私は目を瞬かせた。

 地名は授業である程度覚えたけれど、他の領の細かな地域名までは記憶できていない。どうやらアルンバルトという人物の故郷はアルバボロス領の田舎にあるようだ。


 アルバボロス領はレネや夫人がよく遊びに来ていたことからもわかる通り、馬車を使えば半日か一日で辿り着けるほど近い。

 ヘーゼロッテの屋敷から見ると海から遠ざかる方角にあり、山もなく平地が続いていて悪路が少ないことも大きいかもしれないわね。

 そこなら私でも十分行けそう。


「……よし! 私からそっちに行ったことはないし、久しぶりにレネが戻ってきたから観光案内してもらう形で遊びに行きたいってお母様たちに言ってみるわ!」


 観光旅行作戦よ!

 そう力強く言うと、少し場違いな響きだったのかレネは肩を揺らして笑った。

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