第25話 ヘルガの目覚めた場所

 仕事をしているメイドたちの声や風の音、そして鳥の声。

 普段の私の目覚めはそんな音に囲まれている。


 けれどそのどれもが耳に届かず、周囲がシンと静まり返っているおかげで、私は目覚めるなりいつもとは違う状況に置かれていると理解できた。


「ここは……」


 どうやらベッドに寝かされていたらしい。

 我が家のようにふかふかのベッドではなく、少し固くて使い込まれたものだ。

 そのせいか体が少し痛かったけれど、倒れた時にできたと思しき傷はなかった。


(そうだ、お父様が受け止めてくれたんだわ)


 けれど眠らせたのもお父様だった。

 もしなんらかの理由で計画を早めようと考えたなら、今ここで生きているのはおかしい。それともしっかり捕まえておいて明日になったら家族の前に連れて行って公開処刑をするつもりなのかしら。


「……! 待って、今って何時?」

 

 眠っていた間にどれだけ時間が経ったのかわからない。

 さっき考えた通りの理由だったとして、日付が変わっているならいつ殺されてもおかしくないわけだ。


 私は慌てて部屋の中を見回した。


 ワンルームほどの大きさの部屋で、窓はない。封鎖されているのではなく初めから存在していなかった。外の様子で時間を推測することは出来なさそうだ。

 ドアは木製で覗き穴はないものの、上部に細長い穴が空いていた。

 監視用にしては高い位置にあるから換気用かしら。


(音も驚くほど聞こえないし、もしかして地下とか……?)


 だとすれば地上でさえ難しいのに逃げることが更に難しくなりそうだ。

 ……やっぱりなにもかも甘すぎたのかしら。

 波風立てずに殺しを止めるなんて無謀だったのかもしれない。


(こうしてすんなり捕まったおかげで、レネを危険に晒さなくて済んだのは良かったけれど)


 多分、それをレネは喜ばない。

 少しでも希望があれば縋れるし、それを灯火代わりに頑張れるけれど、今はわからないことが多すぎてそんな気分になれない――のはなんで!?

 さては私、お腹が空いてるわね!?


(わからないことが多いってことは諦めるのもまだ早いってことだわ! ああもう、メンタルが腹具合で左右されるなんて情けない!)


 ぱんっと頬を叩き、私はドアの上の穴を見上げる。


 ヘラでは……通れないか。いくら元は影でも生き物の形にした時点で物理的干渉は私たちと同じように受けるから。

 なら小さな虫や爬虫類の影を外に出して、それを操って助けを求めるっていうのは有りかも。

 そう考えていると誰かの足音が聞こえて心臓が跳ね上がった。

 ついお父様が刃物を握って近づいてくる様子を想像してしまう。


「とりあえずまだ寝てるフリをして――ぁわっ!?」


 思わず一歩下がったところで、床の出っ張りに踵が当たって見事な尻もちをついた。

 よく見れば床板がぼろぼろだ。

 所々へこんだり浮いてる部分もあった。そこに引っかかったわけだ。


 相当大きな音だったのか、外の通路にあった気配が慌てて移動する。

 そして開かれたドアの向こうに見えたのはお父様の心配げな顔だった。


「ヘルガ、大丈夫かい!? ごめんよ、起きたらこんな場所で驚いたろう」

「え、あ……」

「さあ手に掴まって」


 差し出された手はいつも通りだった。

 それを掴むかどうか逡巡したものの、反対側の手にトレイにのっている料理を見つけてゆっくりと差し出された手を握った。


(ひとまず今はまだ殺すつもりじゃない……ってことなのかしら……)


 いったいどういうつもりなの?


 そう直接問いたかったけれど、お父様はまだ私が計画に気づいていると知らない。

 ここで問えばそれが明るみに出て、なら隠して油断させる意味もないなとさっさと殺されるかもしれないわ。慎重にいかないと。


 今はなにも知らないフリをして探りを入れましょう。

 ひとまず目標をそう定め、私はお父様に勧められるままイスの代わりにベッドへと腰を下ろした。

 お父様は小さなテーブルを引っ張ってきてその上にトレイを置く。


「さあ、色々と気になるだろうが……まずはこれをお食べ。お腹空いてるだろう?」

「は、はい、もうぺこぺこです。あんなにお腹いっぱいだったのに……いったい今は何時なんですか?」


 さり気なく質問するタイミングを後回しにされそうだったので、私は無理やり会話を繋げる形で別の質問をした。

 お父様は優しげな表情のまま「朝だよ」とだけ言う。

 あまりにもわざとだと感じるほどぼんやりとした返答だわ。


「っ……あ、あの、お父様、心配すぎて食事が喉を通りません。せめてここがどこかだけでも――」

「ヘルガが聞いてもわからない場所だ。けどしばらくここにいてもらうことになる」

「地下……とかですか?」


 カマをかけようとそう問うとお父様は目を丸くし、聡い子だと私の頭を撫でた。

 撫でる手はいつものように優しいけれど、状態が安心することを許してくれない。


「そうだよ、だから簡単には出られない。さっきみたいに転んでしまっては危ないから、大人しく待ってなさい」

「どうしてですか、このままじゃお母様やお姉様が心配します」


 私のその言葉にお父様は眉根を寄せる。

 たったそれだけで普段の柔和な雰囲気が消え、とても恐ろしい顔に見えて私は思わず小さな声を出した。

 はっとしたお父様は笑みを浮かべて「ごめんごめん」と謝る。


「早くお食べ。お父様は外でやらなきゃならないことがあってね、ここには長くいられないんだ」

「……」


 食べるのを見届けたいってことは料理になにか入ってる?

 そう訝しみつつもお父様の圧に負け、ビーフシチューをスプーンですくってぱくりと食べる。途端に口の中に苦みを感じて私はゾッとした。


(やっぱり毒――って、あ、あれ?)


 苦い。

 とにかく苦い。……が、それは肉や野菜に紛れて自分も具材ですよという顔をしている焦げの塊のせいだった。なにこれ凄く大きい。

 私の様子にぎょっとしたお父様は「あれ!? ごめんよ、もしかして不味かったかい!?」と素で慌てた。


「ええと……これとこれとこれ、焦げの塊です」

「うわあ! 焦げの化け物じゃないか、僕は娘になんてものを!」

「こ、これ、もしかしてお父様の手作りなんですか?」


 意気消沈したお父様はこくりと頷いた。

 外で買うと足がつくから自作した……のかしら?


 とりあえず焦げの化け物は入っていたけれど、毒は入っていないらしい。

 私は焦げをどければ大丈夫ですよとお父様の前でぱくぱくと食べてみせる。じつは焦げの苦みが全体に行き渡っていて大変なことになっていたけれど、飲み下すことはできたわ。

 完食する頃にはお父様もやっと安堵したのか、今度は上手く作ってみせるよと言った。


「そうだ、ヘルガ。ヘラを借りていいかい?」

「ヘラを?」

「そう。なにかあったらヘラ経由で知らせておくれ」


 ……と言いつつ外との連絡手段を断つためかもしれない。

 お父様は私が二体目を作り出せるってまだ知らないから。


 でも、これは油断を誘えるかも。

 私が呼び出したヘラを連れ、お父様は食器を回収してお手洗いの位置だけ教えて出ていった。

 その背を見送り、鍵の閉まる音を聞きながら私は目を閉じる。


(お父様、もしかして食べ終わった食器をすぐ回収しに来れないから、そのまま食べ終わるのを待ってたの? ええぇ……)


 そんなまさか、と思ったものの、私の知っているお父様ならやりかねない。

 ただでさえ埃っぽくて不衛生な場所に食器を放置しておけば虫もくるだろうし、娘の周りは少しでも綺麗にしておきたいからとかそういう感じで。


「……」


 そう、不衛生。

 仕切りのカーテンに隠れていてわからなかったけれど、お手洗いは同じ部屋の中にあった。カーテンだけ綺麗なので急いで後から付けたようだ。


「ここってもしかして独房なの……?」


 いったい私はどこに囚われているんだろうか。

 それを調べるためにも――まずは先ほど計画した通り通風口から影の動物を出して周囲を調べながら助けを求めることにした。

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