第5章 僕は、チカラになりたい。17

 湾岸の警察署を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。スマホを見ると、時刻は18時をすでに回っていた。


 視線を上げると、警察署を出たすぐ近くのベンチにがいた。思わず、ドキッとする。どうやら先に取り調べを終え、僕を待っていてくれたようだ。


 鼓動を押さえ、声をかけた。

 

「……新垣さん、待っててくれたの」


 小さくうなずくと、彼女は言った。


「……一緒に帰らない?」


 警察署から最寄り駅までの道のりは、街灯も少なく少し寂しい道だった。


 僕らは互いに話す言葉を見つけられず、最初はただ黙ってと歩いていた。


『暗い夜道――ふたりきり――絶好のチャンス――乙幡剛!』


 伊達さんの実況は断続的に聞こえたが、あんなことがあった後なので、どう話しかけていいのか僕にはわからなかった。と、その沈黙を破り、新垣さんが小さくこぼした。


「どうして……助けに来てくれたのかな? なんで私がピンチだって……乙幡くんは、わかったの?」


 その表情は、暗がりであまり見えない。僕は正直にその経緯を話すことにした。もう赤坂を思う新垣さんの気持ちに気兼ねする必要もないと思ったから、正直に、ありのままに。


「偶然……なんだけどさ。夏休みの初日に僕が殴られたあのアロハの男たちを街で見かけたんだ……で、そいつらが話してるのを聞いたんだ」


「……その話って」


「今日……赤坂が自分の先輩に新垣さんを襲わせようとしているっていう……話」


「そう……だったんだ」


 まだ暗く表情は見えなかったけれど、彼女の声のトーンは明らかに沈んでいた。


「あの人たちも赤坂先輩の仲間、だったんだね……。最初から、あの夏休みの初日から、先輩は……嘘ついてたんだね……」


 返す言葉が見つからなかった。


「私、本当に人を見る目、ないな……」


『今こそ――押す――剛!』


 やはり伊達さんの叫びが断続的に聞こえたが、僕は無視した。代わりに僕は、僕と赤坂の過去について、すべて彼女に打ち明けようと考えていた。


 もし僕があらかじめ赤坂について、をしていたら。もしかすると今日のこの事態も避けられたかもしれないと思ったからだ。


 それに、今さらだけど、このことを話さないのは、新垣さんになんだか不誠実だとも感じたのだ。たとえそのために、新垣さんに僕の知られたくない過去を知られてしまったとしても……。


「――じつはさ……赤坂がああいうヤツだって、僕はずっと前から……知ってたんだ」


「……そう、なの?」


『なぜ――そんな――言わな――いいだろ!』


 鋭い批判の声が頭に響いたが、僕はそのまま続ける。


「でも、言い出せなかった。新垣さんの気持ちに水をさしたくないというのもあったけど、そのことを話せば、僕の過去のも新垣さんに話さなければならないから。僕はそれが……嫌だったんだと思う」


「ある、こと?」


 僕はひとつ深呼吸すると、告げた。


「じつはね……小学校の頃、僕、赤坂にひどく虐められてたんだ」


 それから僕は、すべて打ち明けた。


 赤坂に虐められていたこと。それがトラウマだったこと。夏休みの初日、赤坂から自分のことを思い出したと耳打ちをされたこと。また、虐められるのではと恐れを抱いたこと。それに打ち勝とうと、斬日の道場にこの夏、通ったこと。そうした一連の話をするのが、自分の恥をさらすようで、新垣さんに赤坂の本当の話を伝えることができなかったこと。それを今さら、後悔していること。そんな気持ちまで、包み隠さず。彼女には、彼女だけには、誠実でありたくて。

 

 新垣さんは、ずっと黙って聞いてくれた。


 話し終えると、彼女に何と言われるか気が気ではなかった。だけど、彼女の言葉は予想外のものだった。


「そんなに怖かった相手がいたのに……乙幡くんは、私を助けに来てくれたんだね……」


「……えっ?」


「思い出すのも嫌な先輩のこと、私の相談に何度も何度ものってくれてたんだね……。乙幡くん、いつも親身になって答えてくれるから……私うれしくなっちゃって……調子にのって……本当に本当に無神経だったね……ごめんなさい」


 相変わらずその表情は見えなかったけど、その声は微かに震えていた。


「そんな、謝るのは僕の方で……。本当のこと今まで黙ってて、ごめん」


「乙幡くん……やさしいな。なんで、そんなにやさしくしてくれるのかな」


「それは……」


 僕は答えに窮してしまった。


「あぁ、私、本当に人を見る目ないな……。先輩じゃなくて……乙幡くんのこと……好きになってればよかったのにね」


 その言葉に、思わず心臓が早鐘を打った。

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