第1章 僕は、空気になりたい。4
『――さあ、一日の始まりを告げるゴングならぬ、スマホのアラームがなり響きました! まずは手探りで、その冷たい電子音を探り当てる構えでありましょうか? ベッドの中で悶ているのは現役高校一年生、乙幡剛であります! 仮にこれが美少女JKでありましたら、その悶えも可愛らしいものでありましょうが、何分、乙幡は汗臭い男子高校生。かつ、質量もありそうな恵まれた、あるいは恵まれすぎた体型。そのためか、乙幡が動く度、ベッドもキシキシと切ない悲鳴をあげているわけでありまして、可愛らしいと言うよりはむしろ、ベッドが痛々し
い、そんな状況であります!』
ん?
……テレビ?
どこからかはわからないが、何かの実況の声が聞こえた。
漠然とした意識のまま、なんとかスマホのアラームを止める。
そして、その時間を確かめた。
――AM 07:00
毎朝7時に設定してあるアラームが、いつも通り作動したようだった。
ただし、昨日、いつどうやって寝たのかという記憶がなかった。だから、僕は若干混乱した。
ここは……うん、自分の部屋だ。
見上げた天井に、見慣れたシミがあった。
しかし、昨晩はいつ寝落ちしたんだろうか……?
『おっとー⁉ これは逆行性健忘! いわゆる記憶喪失の症状でありましょうか⁉ 乙幡剛、そのおおらかそうな見た目とは裏腹に、朝から退屈させないミステリーを感じさせる男であります!』
また実況の声が聞こえた。
ひょっとして、リビングのテレビがつけっぱなしなのかもしれない。
でも、なんか僕の名前も叫んでいたような……。
半分寝ぼけたような状態で、僕はなんとかベッドを抜け出す。
おぼつかない足取りで、なんとかリビングの扉を開けた。
しかし、テレビは黒い画面のまま。電源は入っていなかった。
代わりに、キッチンの方から「ジュ――ッ」という何かが焼ける音といい匂いが漂っていた。
まさか……叔母さん?
確か先週の時点では、アルゼンチンでタンゴを習っているという謎のエアメールが届いていたはずだけど……。
まあ、この扉を開ければわかるか。
僕はリビングの隣のダイニングキッチンの扉を開けた。
「――うわっ!」
地味に自ずと声が出てしまった。
そこに金髪モヒカンの巨漢男がいたからだ……しかも、エプロン姿でフライパンを握って。
普通なら気絶ものの男の風貌だが、僕はこの人物をよく知っていた。
だからその驚きは一瞬で収まったのだが、
『おっと――! いきなりヤベえ男の登場であります! 国籍は不明でありますが、明らかに欧米人とわかる顔つき。身長は優に190センチは超えているか? 鋭く重力に逆らう金髪のモヒカンに、パンプアップされた上半身にはピチピチの迷彩タンクトップ! 誤解を恐れず形容いたしますと、漫画『北斗の拳』の敵キャラ実写版といったところであります‼』
さっきから、なんなんだ? この実況?
テレビじゃなきゃ……ラジオ? いやいや、実況の話はとりあえず今はいいや。
それよりまず、目の前の彼に昨日の話を聞いておきたい。
と、逆に向こうから話しかけられた。
「オキタカ? アサメシ、チョトマテ!」
フライパンを振る金髪モヒカンの巨漢男は、名前をチャックさんと言った。
国籍不明の謎の外人さんなのだが、叔母さんの古くからの友人のひとりだった。叔母さんが日本にいない間、ごくたまに僕の様子を見にきてくれたり、どうしても保護者が必要なイベントには助っ人として駆けつけてくれる。そんな存在だった。かつて、叔母の代わりに三者面談に来てくれたこともあった。まあ、この風貌で片言の日本語しか話せないので、担任も混乱するばかりだったけれど……。そもそも、肉親でもないし。
なんでも、叔母さんにはチャックさんへの大きな貸しがあるらしい。だから、こうして時々、僕にも世話を焼いてくれる。いずれにしろ、チャックさんとは長い付きあいなので、最初こそこの風貌にドン引きしていた僕だったけれど、今ではすっかり慣れ、僕がどもらずに話せる数少ない人間のひとりになっていた。
改めて、チャックさんに昨日の僕のことを聞いてみた。
「チャックさん、変なこと聞くけどさ……昨日、僕に何かあった?」
チャックさんは、フライパンを巧みに操りながら平然と答える。
「ゴウ。キノウ、タオレタ。オレ、ヒロッタ」
『おっと、限りなく片言だ――! しかも、「ヒロッタ」とはいったいどういう意味だ――!?』
やはり、絶妙に実況の声が今の僕の状況に即している気も……。
いや、それより今、チャックさんがなにかスゴいキーワードを言ったぞ。
たしか、倒れたって……。
その瞬間、僕の中でおそらく昨日の記憶が、断片的にフラッシュバックした。放課後、新垣さんの手伝いをしている最中、僕は盛大にプリントを廊下にぶちまけ――
――☓☓を見た。
寒くもないのに、僕はその場で身震いした。
確かにそうだった。僕はあの時、誰かを見て……気を失ったんだ。
――でも……誰だっけ?
仮にその場で意識を失ったのなら、どうやって家に帰ったんだ?
チャックさんが迎えに来てくれたのか? じゃあ、その時、新垣さんは?
さまざまな疑問が浮かんでは消え、心が焦りで満ちていく。
僕は昨日、誓いを破るどころか、むしろひどく目立つ事件を引き起こしてしまったようだ。
しかも、新垣さんまで巻き込んで――
『――おっとー! たった今、乙幡の頭の中には様々なモノローグが渦巻いております! その渦は、さながらゴールデンウイークの某夢の国のような混乱の様相を呈しております‼』
また実況だ! うっとおしい‼
たまらず、チャックさんに文句をもらした。
「ねえ、チャックさん! ラジオ切ってくれない? さっきから、実況の声がうるさいよ!」
「……ラジオ? チャック、キイテナイ。ソラミミアワー?」
チャックさんは、フライパンから目玉焼きを上手に皿にもりつけつつ、眉間に皺を寄せてそう答えた。
『なんと? この外国人は、毎度おなじみ流浪の番組「タモリ俱楽部」の存在を知っているようであります!』
「だから、空耳じゃないって! 現にこうして……」
……ん?
今、チャックさんの言葉を受けて実況がしゃべったような……ソラミミアワーとか……。
『おっと? ようやく、乙幡剛が私の実況に気づいたようであります! この鈍感さ、さながらラノベ主人公レベルであります! ぶっちゃけますと、私のこの実況が聞こえるのは、じつは世界でただひとり、乙幡剛のみなのであります!』
……えっ?
今、確かに僕の名前をフルネームで……いやいや、まさか‼ どうやらまだ夢の中――
『――夢のような本当の話なのであります! ガチで、マジで、アントニオ猪木が燃える闘魂なら、私は祟る霊魂なのであります‼』
「祟る……霊魂?」
つい、僕は声をもらした。
チャックさんが怪訝そうな顔つきで聞き返す?
「モエル、トウコン?」
『まさかの聞き間違いで、先祖返りだ――!』
うん……やっぱり、間違いない。
――この声の主は……僕を実況している!!
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