魔女の声

麦野 夕陽

第1話 新月の夜

 新月の夜。車通りはまばら。歩く人もほとんどいない、駅から自宅までの道を春子は歩いていた。

沸々と沸き上がる怒りを抑えることができない。

「豊原め……あんのクソジジイ……いつか毒でも盛ってやる…………」

 不穏な言葉が口からもれる。

上司である豊原のミスを私に擦り付けられたのだ。こんなひとり言を呟いたって無理もないだろう。

 パンプスのヒールの音がガツガツと大きく響く。

「そこのお方」

 怒り心頭で周りが見えなくなっていた春子は我に帰る。今誰かに呼び掛けられた。

 キョロキョロと辺りを見回す。右手には公園がある。そこから話しかけられたのかと見てみるが人っ子一人いない。

 夜の公園は不気味だな、と思っていると再び

「そこのお方や」

 今度こそ呼び掛ける声の方向に顔を向ける。

今通り過ぎようとしていた後方からだった。

 振り返ると、黒い絨毯に人が座っている。

赤いチリチリ髪、しわしわの鼻に、人を喰ったような赤い口、それに燃えるような真っ赤な目をしている。

 これぞ、おとぎ話に出てくる魔女!と言わんばかりである。

 ほうきと黒猫でもいたら完璧だな、とのんきなことを考えていると

「おひとついかがかな?」

 老婆が話しかける。老婆の前にはなにやら皿にのった得体のしれない物がある。どうやら食べ物のようだ。アニメでよくある、料理が下手過ぎる人が作ったもののような。濁っていたり鮮やかだったり、様々な色の何かがくっつけられていびつな形の商品がいくつか並べられていた。何故かどれも半分に切られた片割れだ。

 しかし、老婆の声が見た目から想像するものとは違って驚いた。

 老婆の声が女性の声ではないのだ。むしろ老爺のような、低いしゃがれた男の声だ。

 珍しくもないか、LGBTってやつかもしれないし、と自己解決して商品に目を戻す。

にしても、この食べ物を食べる気には到底なれないな、と思い

「いや~…ちょっと…へへ…」

 と頭をポリポリかき、誤魔化し笑いをしつつ退散しようとすると

「匂いだけでも嗅いでみんさい」

 老婆が皿を差し出してくる。

 匂いを嗅ぐだけならいいか、むしろどんな匂いなのかとても気になる、とシートの前にしゃがみ皿を受けとる。

 恐る恐る嗅いでみると

 禍々しい匂いでもするのかと思ったがそんな匂いはしない。昔懐かしいような匂いだ。

 こうなるとどんな味かまで気になってくる。怖いもの見たさならぬ、怖いもの食べたさだ。

「これ、おいくらですか?」

「お金はいらないよ」

 え?無料?サンプリングだろうか、この商品の見た目で?と失礼なことを考えてしまう。

「持っていきな」

 老婆が商品を袋に入れて無理矢理持たせる。

「え、でも…」

 戸惑う春子に老婆はもう返事をしなかった。

本当にただでいいのだろうかと思いながら、春子は立ちあがり歩きだした。

「引き換えにするものは後で取りに行くからね…」

 老婆はそう呟いたが春子にその声は届かなかった。

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