第19話 別にそうでもないはずのあなたのネコになる

 抱きついた。


 ゆかさんに。


 座って本を読むゆかさんに、こう、後ろからぎゅうっと。


 いつぞやの反省も兼ねて、露骨な下心では接しない。


 優しく、労りをもって。愛情はどうせ過積載なほど込めてある。


 柔らかな肩を抱いて、肩に顎を乗せる。少しだけ髪に頬を寄せる。


 「んー、どうしたの、まい」


 ゆかさんは少しくすぐったそうに私の頭を撫でる。


 セクハラポイントが付きそうな様子はない。うん、これくらいなら大丈夫みたいだ。


 「いえ、ちょっと。触れ合いたくなったので」


 「はいはい、しかたないなあ」


 ゆかさんは優しく笑ってる。本当は、ゆかさんの誕生日に贈るものが決まらなくて、悩んだ頭をリフレッシュしたかったのだけれど。


 まあ、そこまで言うのは野暮ってものだね。


 「んー……、どうしよっかなあ」


 「なにがー?」


 「いえー、なんでもー」


 「何それ、思わせぶりー」


 クスクスと私の顔の隣でゆかさんの喉が揺れる。ちょっとなんとなく気になって肩を抱いていた手をその喉に伸ばした。


 「んー?」


 ネコをなでるみたいに、喉を撫でてみる。ゆかさんの喉は柔らかく、細く。心地いい。


 この人の命のとても大事な場所。


 それに触れている。


 「ネコじゃないぞー」


 「ごろごろ言ったりしません?」


 「……ごろ」


 言ってくれた。ふふと笑って、撫で続ける。


 「……ごろごろ……ごろ」


 しかもなり続けてる。でも、どことなく不満げだ。ネコって喉を撫でられたら喜ぶんじゃなかったっけ?


 「ゆかさんネコはご機嫌ななめですねえ」


 「おや……ゆかさんネコの様子が……?」


 てれてれとゆかさんが口で効果音を発した。てってってってと進化するみたいなBGMを口ずさんでいる。それから眼を閉じて、じっと内側に力を溜めるみたいにする。何、このかわいい生き物。


 「おめでとう! ゆかさんネコは人間ゆかさんに進化した!!」


 「えー……」


 人間になっちゃった……。


 「まいは人間の私だと不満だとでもいうのかー?!」


 「ゆかさんネコかわいかったのに……、もう少し愛でたかった……」


 「うわーん!! まいが私の人権を否定してくるー!!」


 ゆかさんが拗ねた。いや、全然笑ってるけど。ぷんぷん怒っていらっしゃる。なんなら口でぷんぷん言っている。


 「いや、やっぱ人間ゆかさんもかわいいですね」


 「今更遅い!! もう、ゆかさんの心は傷つきました!! ネコ扱いされたあげく、ネコの方がいいと言われヒトしてのプライドがもう大暴落!! これはゆかさんポイントが10たまるまで許しません!!」


 「……マッサージをご所望で?」


 ポイントを経由する意味とは。ゆかさんポイント大体、10ずつしかたまらないよね。


 「んー、よく考えたら、まいポイントがなんでもお願いできるのに、ゆかさんポイントがマッサージ限定ってバランス悪いと思うの」


 「ほお……」


 「というわけで、制度変更!! ゆかさんポイントもなんでもお願いできるようにします!!」


 むふーと鼻を鳴らして、ゆかさんが高らかに宣言する。私は肩を抱いたままどうにか笑いを堪えた。本当になんだろ、この可愛い生き物。最近、ゆかさん時々、精神がすごく幼くなる時がある気がする。滅茶苦茶可愛いんだけど。


 肩が揺れかけて、笑い声が漏れるのをどうにか抑えながら。私は問いかける。


 「はいはい、ではなにをお聞きしましょうか、お嬢さん」


 「まいのネコ化をよーぼーします」


 ゆかさんは何もない虚空をびしっと指さすと、胸を張って宣言した。大きなお胸がちょっと強調して前に張られる。しかし、ネコ化とな。


 「ふむ……ゆかさん、それは私的に羞恥心がもたないと言いますか」


 「まい、人を殺すやつは殺されても文句が言えないんだよ?」


 「急に殺伐としたこといいだすじゃん」


 「つまり、人をネコ扱いしたまいは、いくらネコ扱いされても文句が言えないんだよ。挙句、ヒト型ゆかさんをネコと比べた罪は重いのです!!」


 「おおう……」


 当惑する私をよそに、ゆかさんはこちらをグリンと振り向くと、抱きしめていた私の腕からぴょんと抜け出す。


 それから、ベッドに軽く腰を乗せると座っているこちらを見下ろしてくる。なんか、ノリノリだなあ。


 あくどい笑みを浮かべて、ニヤニヤとこちらに視線を向けている。なんか、新しい扉開きかけてそう。


 「ほら、まいはもうネコちゃんなんだから」


 そう言って怪しげに笑う。どことなく、その台詞が色っぽく感じてしまうのは私がおかしいのか。いや、なんか絶対ゆかさん、ふざけて色っぽくしてるよね。


 「えー……」


 「にゃあ、か、ごろごろ以外の発言は認めません」


 え……本当にやるのか。ゆかさんにやっといてなんだが、こう、羞恥心がえげつない。私みたいなたっぱのある女子がこんなことしても、全く可愛くないと思うのだけれど……。こういうのはゆかさんとか、小さい人がやるのがかわいいのであって……。


 そう思って、ゆかさんを見たけれど、ノリノリゆかさんにそんな理屈が通用するとはとても思えなくて。


 仕方ないので、ため息をついて喉を振り絞った。


 はあ、ネコってなにを言えばいいのやら。


 「……に……あ」


 なんか途中で、恥ずかしくなって、半端な形になった。どことなく気まずくて眼をそらす。今、私、すごいイタイ奴な気がする……。


 恐る恐る、ゆかさんを見た。ところが、ゆかさんの眼はらんらんと輝いて私を見ていて、あれ、なんかやな予感するなあ……これ。


 「かわ……いい……まい」


 「に……あ」


 赤くなる頬をどうにか誤魔化そうと俯いて、返事をする。うーん、ダメだ、これ。恥ずかしいってやっぱり。頭が熱くて、沸騰しそうになる。ダメ、ぜーったい似合ってない。やばい。


 「ほら……まい」


 ゆかさんがとても期待に満ちた表情で、俯く私の喉に指を伸ばした。小さく丸い指が私の喉に優しく触れる。それからさわさわと喉を撫でていく。喉を撫でられるたび、背筋のあたりがざわっとして、妙なむずかゆさが全身に広がる。恥ずかしさも相まって、身体がずーっと熱いまんまだ。背筋の方が少し汗ばんでちょっと冷たい感覚がある。


 「ご……ごろ」


 「もっと」


 「ごろ……ごろごろ」


 棒読み甚だしいネコ語である。ネコなりきり選手権とかあったら、貫禄の予選落ちだきっと。でも、ゆかさんはなんだか感動したような、嬉しそうな表情をしながら、どこか震えたような面持ちで……。あれ、ゆかさんなんか本当に新しい扉開きかけてない……?


 「知らなかった……ネコまい……こんな、こんな、新しい……すごい……」


 「ゆ、ゆかさーん……ちょっと、こわ……」


 「ほらーよしよし、いい子ですねー」


 私が発した人語は鮮やかになかったことにされた。ゆかさんは少し前のめりになると、本当にネコにやるみたいに私の頭を撫でまわし、喉をさする。うう……、これは本当に、なんかヒトとしての尊厳がやばい。


 「ほらほら、鳴いてごらん」


 「に、……にゃあ」


 「いいよ、可愛いよ。ほんと可愛いよ、ネコまい。ほらほら、もっと鳴いて?」


 「に、にゃあ、にやあ、ご、ごろ」


 「もっともっと、可愛い所見せて? ね? ね?」


 「にやあ! ごろごろ! にんゃああ!!」


 顔の熱と頭の熱にやられそうになったので、やけくそ気味に声を上げる。正直、全然ネコっぽくないはずなのに、ゆかさんのテンションは上がっていくばかり。なぜ、ぐうぅぅぅ。


 「にやあ!! んごろろにゃあ!」


 「ああ!! まい!! かわいい! ほんと、かわいいよまい!!」


 ……ダメだ、本当に、これ。私の人間としての精神が耐えられそうにない。


 どうにか、逃れるすべはないかと、熱に染まった頭で考える。普通に言葉を発しても聞いてもらえない。多分、無理矢理、逃げても捕まるし。うー、うー……うー……。恥ずかしさで半べそをかきかけてている自分に、余計、恥ずかしさを覚える。これは、どうにか、なんとか、ゆかさんのテンションを切らないと。そのための術は……。



 あ……。



 思考の前に、とっさに行動を起こした。


 具体的に言うと、私の喉を撫でていたゆかさんの指に嚙みついた。


 噛みついたって言っても、歯は立ててない。唇だけであまがみみたいに噛みつく。


 怒られるかもしれないけれど、セクハラポイントつけられるかもしれないけれど、今のテンションが切れるなら何でもよかった。


 お願い、これで、なんとかなって。


 なんで、こんなごっこ遊びでこんなに切実になってるんだ、私は。なんて思考は落ち着いた頃に湧いてくるわけで。


 まあ、それはそれとして、先ほどまで騒いでいたゆかさんの声はすとんと落ち着いた。


 テンション……収まったかな?


 恐る恐る見上げると、ゆかさんは驚いたような、顔を、真っ赤にして。


 じっと私を見て停止していた。顔は紅潮させたまんま。


 ……?


 なんだか、テンションの落差が激しいな、我に返ってくれたかな。


 私は今更だけど、くわえているゆかさんの指の感触を確かめる。


 ゆかさんの柔らかい指、私の物より少し小さくて丸い指。


 その人差し指に当たる部分を私は唇で咥えている。ちょっと震えた指先が時折、私の舌に触れている。


 ゆかさんの指はちょっとしょっぱく、不思議な味がする。


 うーん、今更だけど。指をくわえるってなんか、エロいね。


 私は軽くあまがみをして、唇で指の感覚を味わう。


 一応、ネコってていなのでにゃあとか言ってみる。完全に付け足しだけれど。


 それから、唇を触れさせながら、指を引き抜いた。


 思ったより大きな水音がして、私の口内から指が引き抜かれる。


 その間、ゆかさんは顔を真っ赤にして固まったまんま。


 ありゃ、刺激が強かっただろうか。


 私はちょっと反省しながらも、テンションが切れてくれたのでとりあえず、ほっとする。


 ゆかさんは顔を真っ赤にさせたまま、しばらく自分の指を見ていた。私のよだれが電灯の光を受けて、なんかエロイな、なんてぼんやり考えてみる。


 んー、でもセクハラポイントかな、さすがに。これは。


 私がそんな思考をしていると、ゆかさんは顔真っ赤にさせたまま、何故だかちょっと涙目になりながら私の肩に手を置いた。私は思わず、ちょっとたじろぐ。なんだろ、この切実な雰囲気。


 「ゆか……さん?」


 「まい……、こんなの外でやっちゃダメだからね?」


 「やりませんよ……」


 「ほんと……? ネコになるのもダメだよ? さらわれちゃうからね?」


 「いや、やりませんて……」


 ちょっと呆れ気味の私をよそにゆかさんは、必死に私の肩を揺らして心配していた。


 まあ、こんなのゆかさんだからギリギリできているわけで、他でやったら確実に社会的に死ぬし、精神潰れて引きこもりになる自信がある。


 というか、ゆかさん、私をどこでもエロいことする痴女か何かと勘違いしてないか? 私の普段の素行のせいか、そうか。仕方ないな。


 「まい、ネコってえっちな意味があるんだよ? それもダメだよ? 絶対だよ?」


 「はいはい、大丈夫ですってー」


 「どうしよう、心配。まい。GPSつけていい?」


 「ゆかさん、過保護なお母さんみたいになってるよ」


 「携帯の家族見守り機能とか、今からでも入れるかな?」


 「ゆかさーん、かむばーっく」


 「だって、だって、あんなのえっちだよ!? 心配だよ!? まいが知らないおじさんとかに無理矢理されちゃったりしたら!? 私心配で心配で!!」


 ゆかさんは顔を真っ赤にしたまま、涙目で私の肩を揺らしていた。対して、私の頭は冷静そのもの、なんかスイッチ入っちゃったなーって感じだ。


 「だーいじょーぶですって、ゆかさんげんてーですから」


 「まいはもうちょっと、自分の妖艶さ? みたいなのに気付くべきだよ!! やばいよ!! そこら辺の人誘惑しちゃうよ?!」


 「はーい、わたし、よーえん、すごーい」


 「ほんとだからね!!! ほんとなんだからね!!??」


 というわけで、またまた、ぼーそーするゆかさんなのでした。いやあ、私の色気とか、どこに需要があるのか。ゆかさん相手にですら、需要がないこの機能に一体、いかほどの意味があるのか。……言ってて悲しくなってきたな。


 ま、このテンションもしばらくしたら落ち着くでしょ。


 私はネコ談議が終わったのに安堵しながら、ゆかさんをなだめるのでした。


 ところで、ゆかさん。ネコがエロい言葉って知ってるんですね。うん、滾るね。なんか。
























 後日、本当にGPSつけられた。携帯の家族見守り機能も本当につけられた。マジか。





 あと、時々、ネコ化を所望されるようになった。マジかあ……。











 今日の ーーーーポイント:0


 累計の ーーーーポイント:69



 今日のゆかさんの母性(?)ポイント:30


 累計のゆかさんの母性(?)ポイント:50

(100に到達すると、ゆかさんにペットとして一生養われる)

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