使い魔になった俺と主の魔族

ZE☆

第1章『プロローグ』

プロローグⅠ

 その日の朝。俺は普通に布団から起きて、歯を磨いて、顔を洗って家を出た。

 朝食をとる時間がなかった以外は特に平常運転である。


 二ヶ月も通い続ければ流石に慣れ、最近では飽き始めて来てすらいる通学路も代わり映えはない。

 少し違うとすれば家から出てすぐのところに見える木の色合いくらいだろう。


 今日も代わり映えのしない、平穏で無難な男子高校生としての一日が始まった――そう思っていた。



  ◇◆◇◆



 一年A組の教室に入るや否や、何やら騒がしい。


「どうかしたのか?」


 教室後方の黒板前に群がるクラスメイトたちのやや高揚した様を眺めながら、手近にいた他のクラスメイトに声をかける。


「殺人事件だってさ」

「殺人?」


 朝から穏やかでない単語を耳にして、俺の気分も視界の先に映る人だかりと同じく昂ぶってきた。

 しかし、そんな気分を一蹴する怒号が背後から聞こえてくる。


「バカなこと言わないでよっ!」


 聞き覚えのある声だ。が、誰だったか。

 気になって振り返ると、そこには老朽化が進む廊下以外に誰もいない。もしやと思い教室から顔だけ出して左右を見やる。

 するとすぐに目当ての人物が見付かる。隣の教室からだったようだ。


「お前、殺人現場から走って出てきただろう?」

「だから違うってば!」


 教室を出ようとする女子生徒を掴む男子生徒。

 女子の方は確かたちばなとかいったな。それなりに男友達との会話で話題に上がる人気者だ。

 男の方は――いや知らない。


「お前が犯人なんだろっ?」

「違うわよ!」


 こんだけの騒ぎだ。俺のクラスどころか、他のクラスからも数人の野次馬が名乗りを上げ始めてきた。

 それに引き換え。すっかり二人の世界に入ってしまっている様子の当事者たちは、一向に進展する気配もない同じような押し問答を繰り返している。


「何してるんだっ」


 やはり、というよりはようやく現れた体育教師が慌てて駆けてくる。


「こいつが――」

「だからっ!」

「いいから二人とも、学年室まで来いっ」


 有無も言わさずに即連行。

 事情は知らないがもし、橘の主張が正しいのであれば彼女に同情してしまう状況だ。


「かわいそ……」


 どこからか聞こえてくる同情の声。すると、そこかしこから次々と同じような声が湧き出す。

 声援――いや、俺には部外者の上げる身勝手な糾弾の声に聞こえるそれらに見送られながら、二人は教師に連れられて廊下の奥へと消えて行った。



 昼休みになる頃まで盛り上がっていた今朝の出来事は、いつしか事件そのものの話題へと転じていた。


「殺されたのがウチの生徒だったのか?」

「そうなんだよ。しかも、隣のB組の奴らしくてよ」


 それでか。未だそうと決まったわけでもないが、これでおおよその合点がいった。


「そんで、あいつはキレてたわけだ」

「ぽいな……けどさ、橘ちゃんが殺人とか有り得ないだろ?」


 圭介けいすけには悪いが、例え相手が橘でないとしてもその可能性は有り得ないだろう。


「お前な……その言い分じゃ誰だろうと――」

「何のハナシー?」


 俺の机の上に腰を掛ける圭介の陰からふいに現れたのは、俺や圭介と同じクラスの森咲もりさきだった。

 森咲が手にした栗の里――チョコレート菓子の箱を差し出してくると、圭介は栗の形を模したクッキー生地の上からチョコがコーティングされたお菓子を一つ取り出して続ける。


「あれだよ、あれ」


 そう言うと、後ろの黒板に張り出されている一枚のプリントを指差して栗の里を口に頬張る。


「うえぇ……あゆむたちまでそのハナシ?」

「仕方ないよ。全くどころか、こんな身近なところでの話なんだからさ。ニュースで見聞きしたのとは違うよ」

「けどさー」


 栗の里を食べ終えた圭介は、とうとう俺の机の上に置かれた箱からもう一つ取り出して頬張る。

 遠慮のない奴だ。


「なんだよ森咲。こういうの好きそうじゃん?」

「好きくないよー。わたしが好きなのはお菓子とネズミーの話題だけ」


 ネズミー?

 ああ。白いネズミがメインキャラクターを務めるテーマパークのことか。いや、黒だったか……。


「森咲もさ、もう少し橘ちゃんみたいに女としての商品価値を上げた方がいいんじゃないの? あと十五年も後くらいに価値が低くて売れ残ってちゃ、悲惨だぜ?」

「そーゆーの、セクシーハラスモントっていうんだよ」

「森咲、違う」


 セクシャルハラスメント。セクハラだ。


「ん……おい、あれっ」


 その時、窓の方を見た圭介が急に焦った声を漏らす。

 促されるままその視線を追ってみるとそこには。


「パトカーだ」


 そして、中庭に鎮座するパトカーに向かう人影が三つ。

 二つは制服姿の警官。彼らに挟まれるようにして歩き進めるのは。


「あれって、今朝の奴じゃん?!」


 圭介の言う通り。その後ろ姿は今朝、学年室に連れて行かれた男子生徒の物だ。

 本当に連行されるなんて。何が起こっているんだ?


「今朝のセクハラがいけなかったんだよ、きっと」

「森咲、たぶん違う」

「いや、合ってるだろ?」

「名称じゃない」

「ああ。そっちか」


 何かが変だ。もちろん、何も分からない俺が思慮したところでどうにかなる問題でもない。

 しかし、背筋を伝う嫌な冷たさが訴えてくる。


「おい、どこ行くんだよ?」


 いても立ってもいられなくなった俺は席を立って歩き出す。

 背後から圭介の声が聞こえたが、それどころではない。あいつに――橘に会わなくてはいけない。




 放課後。俺は屋上へ通じる扉の前にいた。

 目の前で腕組みして仁王立ちする赤髪の女子生徒――橘は不機嫌そうに整っていた顔を僅かに歪めながら向けてくる。


「机の中にあった手紙。あれはどういう意味?」


 お前の秘密を知っている。公表されたくなければ放課後屋上前に来い。

 あの後。B組に行った俺に告げられたのは、橘が今朝から教室に戻って来ていない、という事実だった。しかし、机の脇に下げられていた紺の学生カバンを確認した俺は先の内容の手紙を机に忍ばせて退散した。

 賭けではあったのだがこの状況に至った今、俺はその賭けに勝ったのだ。


「文字通りの意味だよ」

「私の秘密、ね。そんなのはないわよ」


 その言葉が何よりも怪しい。


「普通は秘密のない人間なんていやしない。ましてや、あんな脅迫まがいな内容の手紙を見たんだ。先ずは相手が握っている秘密が何なのかを聞くはずだろ?」

「じゃあなに? 君が握ってる秘密ってのを教えてくれる?」

「殺人事件。橘はそれに関わってるんだろ?」


 殺人事件。その単語を聞いた瞬間、橘の目付きが変わる。明らかな嫌悪――見やった相手を敵対者として捉えた目だ。


「根拠は? 証拠は?」

「今朝のやり取りだよ。橘は仕切りに“違う”と連呼していた。普通は“知らない”というはず――」


 瞬間。いや、それよりも早く。

 気付いた時には既に、僕の首は見えない紐にでも括られているかのように締め上げられた。


「ぐっ……」

「もういいわよ。推理漫画の主人公みたいな喋り方、聞いててイライラするの。でも安心して?」


 こんなになる前。可愛いとすら思えていた顔が醜く崩れていく。


「たっぷりと苦しませてから逝かせてあげる」


 色白な皮膚が卵の殻のように小さな欠片となって落ちていくと、中から淡い青色の皮膚が覗けてくる。青白いすら通り越す、一目で人間の体色でないことの分かる真っ青な肌だ。

 死を間際にしたというのに、俺の意識は迫り来る死よりも目の前の人外の姿へと集中する。


「ば……け、も……の」

「心外ね」


 そう言うと、橘だったモノの姿は瞬く間に変貌を始める。

 ブラウスのボタンが弾け飛ぶ程に胸元は膨らみ、赤い髪は根元から順に真っ白に、茶色系の瞳は真っ赤に染まる。そして僕の首元から続く黒い紐のように見える物は人外の背後へと回っている。


「これでも私、淫魔の二つ名を持ってるのよ?」


 ふふ。血色は悪いが異様に艶やかな唇に指を当てがって微笑むと、一段と首の締め付けが強まる。


「う、ぐっ……」

「いい表情よ? ゾクゾクしちゃう」


 意識が遠退く中、舌舐めずりしながら近づいて来る淫魔の姿が目に入ってくる。

 腰をくねらせ、歩を進める度に柔らかそうに弾む胸元。


「は、ははっ……」


 こんな状況だというのに、思わず笑ってしまいそうな程に興奮を覚えてしまった。もう、ダメかもしれない。


「死ぬ前にいいことをしてあげよっか?」


 細っそりとした指が唇に触れてくる。


「お願いします、って言ってごらん?」


 そうすれば、助けてくれるのか?


「お、おね、がい――」


 しかし、次いで聞こえたのは俺自身の声ではなく、骨が砕ける音だった。

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