真実のノート

紫 李鳥

第1話

 


 当時、テレビや週刊誌は、矢口雅子やぐちまさこに〈鬼母〉のレッテルを貼って、毎日のように面白おかしく取り上げていた。


「――ミナちゃんの死は、鬼のような母親の虐待によるもので、小さな体に残された無数のアザが、その痛ましさを物語っています」


 インタビュアー「ミナちゃんはどんな子だった?」


 女子生徒A「……目立たない子だった」


 インタビュアー「友だちはいた?」


 女子生徒A「……いなかったと思うけど。ね?」


 女子生徒B「うん。あまり話さなかったから」


 インタビュアー「勉強はできた?」


 女子生徒B「……ふつうかな。ね?」


 女子生徒A「うん。真ん中ぐらいだった」


 インタビュアー「今回の事件を知ってどう思った?」


 女子生徒A「……ひどいお母さんだと思った」


 女子生徒B「かわいそうだと思った」




 傷害致死で逮捕された雅子は、自らの罪を認めていた。


「若い男ができて、子供が邪魔になったか」


 辣腕らつわんで知られる伊東いとうが冷酷無比な物の言い方をした。


「そうだって、さっきから言ってるじゃない」


 黒ゴムで束ねたボサボサの髪で、雅子は開き直ったように吐き捨てた。


「腹を痛めて産んだ子より、男のほうが大事か」


「そのとおり。だから、早く死刑にしてよ」


 伊東を睨み付けた。


「……」


 釈然としなかった伊東は腕組みをすると、大きな鼻息を立てた。


 取調室を出ると、週刊誌Mの社会面を担当している野上のがみが顔を据えていた。五つ六つ下の野上とは長年の腐れ縁で、情報交換及び飲み友達といった形態だった。


「やっぱり、自分がったって?」


 野上が毛虫のような眉を尺取り虫にした。


「ああ。かたくなだ。覆しそうもない」


 半分諦めたように肩を落とした。


「……何か証拠を見付けますよ。今夜、いつもの店で九時に待ってますから」


「ああ。少し遅れるかも」


 軽く右手を上げると背を向けた。


 今回の事件に関しては、二人とも同意見だった。つまり、雅子はシロだと言うことだ。誰のために罪を被るのかは言わずと知れた内縁の夫、岩水学いわみずまなぶだ。


 五年前に前夫と離婚した雅子は、女手一つでミナを育ててきた。岩水と同居を始めたのは二ヶ月前。岩水は、パート先のコンビニで知り合った二十五歳のフリーターだった。


「――虐待をしてたのは、あんたのほうじゃないのか」


「ち、ち、違います。僕はミナちゃんのことを可愛いと思ってました……」


 気の弱そうな岩水は狼狽うろたえていた。


 ……死人に口無しか。岩水に疑いを抱いても物証がない。ましてや、雅子が自白している以上、二進も三進もにっちもさっちも行かなかった。


 インタビュアー「××さんはどんな人でした」


 コンビニ店長「そうですね……。特に愛想がいいと言う訳ではありませんが、これといったミスもなく、仕事はちゃんとこなしてましたね」


 インタビュアー「今回の事件を知って、どう思われました?」


 コンビニ店長「いやあ……、びっくりしました。えっ、あの人がまさかって感じでした。確かに、ちょっと冷たい感じはしましたけど」


 インタビュアー「一緒に働いていた、内縁の夫とされるIさんはどんな人でした?」


 コンビニ店長「いやあ、彼はまじめでしたよ。口数も少なくておとなしい感じでした。……しかし、彼もとんだ災難ですよね? ××さんと知り合ったばかりに、とんだとばっちりを受けて」




 ――野上が二杯目のチューハイに口を付けた頃、伊東が慌ててやって来た。


「すまん、すまん」


 ビールを注文すると、店員からおしぼりを受け取った。


「無実だという物証がないと、当然、逮捕ですよね」


 野上はいきなり本題に入った。


「ちょっと待てよ」


 伊東は自分のグラスにビールを注ぎながら野上を一瞥いちべつした。


「お疲れ」


 野上の手にしたグラスに当てると、伊東はゴクゴクとうまそうな音を立てると、あ~、と満足げな声を漏らした。


「仕事が終わってからの酒は五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るなぁ」


「毎日、染みてるじゃないですか」


 野上が嫌味を言った。


「たまには抜いてるさ」


 そう言いながら、野上が食べ残したゲソをつまんだ。


「で、やっぱり、逮捕になるんですか」


 野上が話を戻した。


「うむ……。仕方ないだろ、本人が殺したと言ってるんだから。無実だという証拠がない限り。直接の死因も、脳内出血によるものだ。雅子の供述どおりだし……」


「……どうにかして、無実の証拠を掴みたいな」


「……どうして、そこまで熱を入れるんだ?」


 伊東が細い目を開いた。


「……幼い頃に死んだ姉に似てるんですよ。無愛想だったけど優しかった。じょうがあって……。なんとなく雰囲気が似てるもんだから」


 野上が珍しく神妙な顔をした。


「……助けてやりたいか」


 ビールを注ぎながら顔を上げた。


「……ええ」


 真剣な顔を構えた。


 伊東は、空咳の後に両肘をつくと前のめりになって、


「俺達が見落としている証拠が家の中にあるかもしれない。雅子宅は現在、誰も居ないよね」


 そこまで耳打ちすると離れて、また空咳をした。


「……銀鱈ぎんだらの煮付けを注文していいか?」


 伊東が情報提供の報酬をねだった。野上は感謝するかのように口角を上げると頷いた。

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