5
それからだいたい、一年後のことだった。
(あ)
慎悦と映画館に行ったとき、ぐうぜんヒロマくんを見つけたのだ。それも、近日公開予定の映画ポスターのなかで。
「ヒロマくん?」
僕はポップコーンとコーラを片手に立ち止まる。ヒロマくんは壁に貼られた大判のポスターの中で、こちらへ助けを求めるような、潤んだ視線を向けている。
立ち止まった僕に、なに? と慎悦が聞くので、説明をした。
「これ、この右側の男の子、前に来た子にそっくり」
「は? 倉橋浩馬が?」
「えっ、ちがうかな。すごく似てると思うんだけど」
ちがうかな、といいながら、僕は確信めいたものを得ていた。彼はヒロマくんだ。顔がすごく似ているし、なにより右目のした、泣きぼくろより少しずれた位置にほくろがある。あれは彼の涙の通り道なのだ。先生もうやめて、と濡れた声を出しながら、はらはら涙を零す。あの涙が流れて落ちていく道筋を示す、大切なしるしだ。
「芸能人なら気づくだろ普通。そら似だろ」
「うーん、そうかも」
「それより、風知こんな子どもまで相手にしてたのか? それにひくんだけど」
「そのときは僕も仕方なく依頼を受けたんだよ。けして僕の頭がおかしいというワケではなくて……」
「もういいよ、今更だろ。っていうかさ、もう行こうぜ。俺あんまこのポスターの前で立ち止まりたくねーんだけど」
慎悦はそう言って、僕を肩でドシドシどついて先を促す。
「待って待って、写真撮らせて」
「そんなん後でネット見りゃいいだろ。これ写真撮ってたら只のヘンタイだから」
「いいんだよ、写真撮りたいんだ。慎悦、先に中入っててよ。あとコレもってって」
僕はそう言って慎悦にポップコーンとコーラを押しつけ、鞄からスマホを取り出す。慎悦は呆れた様子で、さっさと歩いて行ってしまった。僕は空いた手でスマホを構え、ぱしぱしと写真を撮る。少し後ろに下がって全体像を撮ったあと、ヒロマくんだけを切り取って、何枚か。それから顔のアップ。
でも確かに、このポスターの前で立ち止まりたくない、という慎悦の気持ちも分かる。なかなか強烈なデザインのポスターだからだ。
映画のタイトルは、「アイの即興曲(カデンツァ)」だった。あのとき、プレイの参考にしたBLコミックを実写化した映画らしい。ポスターの背景は臙脂色で、バラの花びらが随所に散らされ、「いかにも」という感じが出ている。そして右半分では、黒い首輪を嵌めた半裸のヒロマくんが――いや、倉橋浩馬がこちらに縋るような視線を向けている。首輪は鎖がつながれていて、その鎖を引っ張っているのは知らない俳優だった。鋭く、熱のこもった視線で倉橋浩馬を見つめている。
かつてその鎖を引っ張っていたのは僕だったのだ、と思うと不思議な気分になる。
僕も、あんな目でヒロマくんを見つめていたのだろうか?
「いや~大きくなったな~」
知らず、大きな声を出して独り言を言ってしまった。僕の声に反応して、通り過ぎていった二人組の女性が何事かと僕を見たので、スミマセン、と浅く目礼をする。
このポスターを見て、どうりで、と納得することが多かった。思い返せば、彼はわりに整った顔立ちをしていた。そしてあどけなく、怯えた表情をするわりに、僕と話すときは肝が据わっていたように思う。なにより、僕が提示した金額をためらうことなく払って見せた。今思えば、すでに俳優として多少稼ぎがあったのだろう。だからあんな風にポンとお金を出せたのだ。
彼が本当にBLコミックの真似がしたかったのか、それとも芝居の練習相手として僕を選んだのか、今となっては分からない。でもどちらにしたって、無垢なヒロマくんの身体を拘束し、刺激を与えて射精させたのは僕だった。僕はヒロマくんのペニスが精液を零している光景を覚えている。口元から溢れた涎が糸を引いて、空中を落ちていく光景を覚えている。彼の耳朶を引っ張り、卑猥な言葉を吹き込み、許しを請う濡れた声を、今でも思い出せる。
映画自体はひと月後に劇場で公開されるようだった。銀幕の中で、彼はどんな表情を見せてくれるんだろう、と期待が膨らむ。
――先生にしか、できないんです。オレを助けてくれませんか
僕の中で、助けを求めたヒロマくんの声が響いている。あのときの目と声のまっすぐさに僕はやられて、依頼を引き受けてしまったのだ。
彼はきっと、すごい俳優になるだろう。これから成長を遂げて、化け物のような俳優になるかもしれない。僕はそんなことを思いながら、やっとポスターの前を離れた。
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