introduction/3
「えぇっ!?」
十一人いるのに、驚き声を上げたのは、二人だけ。明智家はいつもうこう。鼻声の夫と妻だけなのだ。慌てて立ち上がると、麦茶がコップからチャプチャプと、白いテーブルクロスの上にこぼれ落ちた。
「何で、そんな危険なものを家に持ち込んだんだっ?!」
彼とは正反対に、邪悪な夫はニコニコ笑顔に戻って、ゆるゆると言う。
「危険ではありませんよ〜。スイッチはまだ入っていません」
ジンのショットを飲んだ夫が、あきれ顔をした。
「まだとか言いやがって。てめぇ、入れるつもりだろ?」
「おや? バレてしまいましたか〜」
女性的な声を持つ夫はおどけたように言った。確信犯だった。爆発させる気である。
鼻声の夫は怖くなって椅子に座れず、背もたれに指をかすかに引っ掛けながら、
「わざわざ買ってきたのか?」
隣に座っていた夫は慌てるでもなく、落ち着いて座ったままだったが、話してくる言葉がすでに崩壊していた。
「いつものミラクル摩訶不思議怪奇現象が起きちゃったんです。ですから、僕が名探偵になって、事件解決しちゃいましょうか」
「いやいや、過少表現です! ミラクルも摩訶不思議も怪奇現象も、それ全部入れても足りません! この事件の真相は……」
過剰表現ではなく、少ないほう。妻が言った言葉は。ジャスミン茶の香りを堪能していた夫が、ずいぶん間延びして聞き返した。
「どうしちゃったの〜?」
爆弾を持ち込んだ夫は箱からケーキを取り出して、髪を縛っていたリボンをピンピンと横へ引っ張った。
「仕事帰りに歩いていたら、ぜひ僕にこちらを渡したいとおっしゃる方がいらっしゃったので、頂いてきました〜」
紫の月影が指す路上での出来事が、邪悪な瞳の持ち主の脳裏に浮かび上がっていた。さっきまで黙って、紅茶を飲んでいた夫から当然の質問がやってきた。
「面識のある方なのですか?」
ニコニコの笑みは少し困ったような顔をし、人差し指をこめかみに突き立て、
「それが、どちらでも会ったことがないんです〜」
全員、盛大にため息をついた。
「お前また、知らない人から物もらってきて……」
「うふふふっ。世の中、親切な方がいらっしゃいますね〜」
身の毛もよだつ笑い声をもらした。こんな人物なのに、プレゼントしてくる人があとをたたないという特異体質だった。
ひと段落した会話。だが、ケーキは中央に置かれたまま。きちんとしたところで作られてはいるようで、甘いバニラの香りが漂う。イチゴが生クリームと
「どうするっすか?」
紹興酒を飲んだ夫は、選択肢をふたつに残したままの質問を投げかけた。おっかなびっくりで席に座った夫は、こぼれた麦茶を拭き取る。
「危険なことはしないで、そのまま食べればいいんじゃないのか?」
ジンのショットを渋く飲んでいる夫が、気だるそうな声を出した。
「あぁ? 何びびってんだよ? こんなん少し音が鳴るくれえだろ? 家が吹き飛ぶほどのシロモンじゃね――」
ただの時限爆弾である。規模は極力小さいはず。箱の中から紙を一枚取り出し、緑茶を飲んでいた夫はニコニコの笑顔で、こんなことを平然と言ってのけた。
「説明書には、惑星ひとつが吹き飛ぶほどの威力があると書いてありますよ〜」
この言葉を聞いて、妻は思いついてしまった。
(時限爆弾ケーキ……あっ、わかった!)
ニコニコ笑みの夫の隣に座っていた、漆黒の髪を持つ夫が説明書を受け取る。
「見せて〜」
妻はそれを遠くに聞きながら目論む。
(とりあえず……)
「本当だぁ〜」
ジャスミン茶の前で、納得の声が上がった。さっきまでナンパするような軽い口調だったのに、急に丁寧語になったボブ髪の夫にも手渡される紙。
「俺も見ちゃいます!」
妻の視線はテーブルの上を行ったり来たり。
(言うタイミングを見計ろう!)
「そう」
そこにどんな意味があるのかもわからない短いうなずき。
「私も確認させてください」
そして、さらに左隣にいる夫の、紅茶の前に説明書が渡された。
(自然を装って……)
何かを企んでいる妻の斜め前で、
「そうですか」
ただのうなずき。さっきから一度も話していない夫が、超不機嫌俺さまで奥行きがあり少し低い声を食卓に響き渡らせた。
「今すぐ、爆弾処理班を呼んで処分するなり、預けるなりしろ。俺は部屋に戻――」
そうやって、ひとり抜けようとした。説明書を元に返した夫が、紅茶を自分へ引き寄せながら、
「おや? 決まりは決まりです。忘れたのですか?」
明智家の夫婦の家訓が全員で告げられた。
「食事は全員で食べる――」
限定茶を飲んでいる夫から、ボケという名の言葉が放たれ、
「守れなかった時には、甘く歓喜な離婚が待っています」
「いやいや、そこは、悲しくも切なくです!」
妻が即行ツッコミ。
好きでこの結婚を選んだわけで。離婚する気などさらさらないわけで。超不機嫌俺さま夫は不服ながらも、腕組みをして居残ることを決意した。
「…………」
十一人いる夫婦だが、お茶を飲むだけで参戦していない夫がいた。ボブ髪の夫は、何重にもかけているペンダントヘッドを、手のひらですくい上げながら問いかけた。
「さっきから話してないけど、お前はどう思っちゃてんの?」
「ただ食うだ」
簡潔に、地鳴りのような低い声が返ってきて、妻の隣で酒を
「俺っちはどんな形になっても、食えるもんは食うっす。作ってくれた人に申し訳ないっすからね」
てんでバラバラの意見で、全員ため息をつく。
「決まらない……」
爆破させたい人とさせたくない人がいる。おかしな明智家だった。危険である以上、爆破させないはずなのに、ボブ男から妻に話は振られた。
「じゃあ、我が家のお姫さま、決めちゃってください!」
妻は心の中で、ガッツポーズを密かに取り、
(よし、話振られた! きたっ!)
少しぎこちない言い方をして、話を情報収集へとさりげなく一気に持っていった。
「お姫さまは、妻の心をかすりもしないんで却下です! 要求だけ受けつけちゃいます!」
ボブ髪の夫は万歳をするようにして、テーブルの上をだだをこねる子どもみたいに、クルクルと左に右に転がり出した。
「え〜? お前は俺のお姫さまなんだけど……」
即行、他の夫たちからツッコミがきた。
「お前だけじゃない。全員のお姫さまだ」
妻は何事もなかったように先に話を進め、
「はい、それじゃあ、こうします――」
夫たち全員が玉砕した。
「自分たちの愛がスルーされた」
どこかずれている妻から出てきた言葉は、ひどく狂気でありサディスティックだった。
「時限装置を起動して、ケーキを順番に回して、何かのお題に答えて行く!」
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