第25話 ライター その十
花車弁護士は実際に会ってみると映像で見るよりも少し小柄な女性で、第一印象は朗らかな人といったものだった。いつも見ている会見の女性と普段も変わらないのだという印象を持ったのだ。
来週のテレビ出演が終わった後に花車弁護士の会見に俺も同席することになった。話の流れでそうなってしまったのだが、この弁護士は俺よりも話が美味く自然な流れでそういう形に誘導されてしまったのだ。
会見が行われる会場はいつも決まっているわけではなく、大体は花車弁護士の事務所の近くで場所を借りて行っているのだが、今回は俺の都合もあってホテルに会場を借りることになったそうだ。
その会見日は花咲さんの精神鑑定の結果が公表されるということではあったが、俺自身はそんなに記者が集まるのかと思っていたのだ。しかし、当日はいつもはいないネットメディアも参加することになっていた。俺が所属しているこの編集部からも名前も知らない顔だけが知っている人達も会見にやってくるらしい。
会見当日になって俺はいつも以上に緊張していた。
会見場をのぞき見しただけなのだが、大きな会場を埋め尽くすかのように記者たちは詰め掛けていて、用意されている椅子にも座り切れずに壁際に立っている人もいるほどだった。
「こんなに人が来るとは意外でしたね。これなら大きな体育館でも借りた方がよかったかもしれないですよ」
「花車先生は慣れていらっしゃるようですが、俺はこれだけの人の前に出るだけでも勇気がいります」
「そんなことおっしゃいますが、私だって人前に出るのは緊張するんですよ。それに、私よりも谷村さんの方が多くの人に注目されていますからね」
「いえいえ、俺が注目されることなんてほとんどないですよ」
「テレビに出てるだけでネットニュースになることもある谷村さんが注目されていないってのは変な話ですね」
「そのニュースだって俺の話題じゃなくて、俺が話しているオカルト的な事ですからね」
「そうかもしれませんが、そのおかげで私と花咲さんは希望が見えてきたんですよ。私一人では会見にこれだけの人を集めることなんてできなかったですからね。さ、もうすぐ開始の時間なので会場に向かいましょうか」
俺は花車弁護士の後について控室を出た。
先ほど見てきた会見場までは歩いて十秒もかからないような距離にあるのだけれど、その距離が時間以上に遠く感じてしまう。
入口の前で立ち止まった花車弁護士が俺の方を振り返って小さくうなずくと、そのまま前を向き直してゆっくりと会場に入っていった。
俺もそれに続いて会場に入ると、今まで浴びたことも無いようか数の強烈なフラッシュに包まれた。
俺は人物の写真をこのように撮ることは無いのだけれど、撮られる側の立場になってみると気持ちのいいものではないと肌で感じていた。
花車弁護士とほぼ同時に一礼して軽く挨拶をした後に席に着いたのだが、その動作一つ一つを確かめるように焚かれるフラッシュはやはり気持ちの良いものではなかった。
「事前に申し上げました通り、今回の会見は谷村氏にもご同席いただくことになりました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、谷村氏は私の依頼人の起こした事件にまつわる因縁に詳しい方でして、どうしてあのような事件が起こったのか原因を探ってくださっています。先日もあの土地で身元不明の男性が自ら命を絶った事件もありましたが、それについても何らかの関係があるのではないかと疑っていらっしゃいます。何度も申し上げていることではありますが、私の依頼人は自分の命では償いきれないような重大な事件を起こしたのは事実であります。しかし、それは本当に依頼人が自分の意志で行った事なのでしょうか。一人の人間が単独で起こすには異常すぎる事件の裏側に何かあるのではないだろうか。皆さんの中にもそうお考えの方がいらっしゃるかもしれません。今回ご同席いただいた谷村氏はその原因となりえる過去の事件を調べておいでですので、本日はその事も交えてご説明いただくことになっております。さらに、私の依頼人は警察から検察に身柄が移されていることは皆さん重々承知だと思いますが、警察だけではなく検察でも不当な取り調べや向こうが仕立て上げた自白を強要されていることもあるようです。私の依頼人が黙秘を貫いているのはそれに対抗する唯一の手段であり、正当な理由だということもご理解いただけるとありがたく存じます。なお、私の依頼人以外にも不当な取り調べや自白の強要なども行われているのは悲しい現実となっておりますので、これから多くの方がその被害にあわないようにするためにも、この会場にお集まりの皆様とこの会見をご覧になっている皆様には事実の周知をお願い申し上げます。では、長くなりましたが、これより会見を始めさせていただきます」
花車弁護士は何の原稿も見ずに一気に話を進めていた。
俺は何が起こっているのか理解することは出来なかったのだが、カメラのフラッシュが俺に当たるたびに何かを盗られているんじゃないかという気持ちにもなってしまっていた。
「今回の事件について警察発表と異なる点がいくつか御座いますのでそちらから申し上げたいと思います。まず、私の依頼人は事件を起こしたことは紛れもない事実ではありますが、それが本人が意図して行ったものであるという証拠はどこにもございません。警察関係者、検察関係者におきましても本件を起こしたことは間違いないが、本件を起こした依頼人が本当に正常な精神状態で自身が行った行為が犯罪であるかと認識していたのかどうかということに関しまして、甚だ疑問に感じるのですが、本当に本件を起こしたのが本人の意思によるものなのか、それとも別の意思によって依頼人が本件を行ったのかそれはどのように立証するのか疑問ではあります。警察及び検察はその事を決して認めないとは思いますが、精神鑑定の結果が出ましたので発表させていただきます」
花車弁護士が立ち上がって手元にあった資料を読み上げた。
その資料の中身は俺からも見えないのだけれど、カメラは一斉にフラッシュを炊いていた。
「花咲百合氏の精神鑑定を行った結果として、犯行時の責任能力は一部認められないものとする。となっております」
「一部認められないとするとはどういった事でしょうか?」
「責任能力は認められたということでしょうか?」
「これによって何が変わるのでしょうか?」
会場に詰め掛けている記者たちは各々が一斉に質問を投げかけているのだけれど、花車弁護士はそれに応えることなく着席した。
司会者の女性が記者たちをなだめているのだが、彼らが落ち着くまでにはしばらくの時間が必要だった。
「では、犯行時の責任能力についてですが、依頼人以外の意思が介入していたとした場合はどうなるのでしょうか。私はそこについていくつかの可能性を谷村氏に確認しておきたく今回ご同席いただきましたので、そちらについていくつか質問をさせていただきたいと思います」
それまでは花車弁護士に向いていたカメラが一斉に俺に向いた。
俺は今まで以上に眩しいフラッシュを浴びることになった。
「谷村氏は以前からテレビ番組においてあの土地にまつわる因縁めいた話をしておられましたが、それは事実に基づいた話でしょうか?」
「えっと、正直に言いますと、最初は他の記者の方たちと同じ視点で事件を調べても意味がないと思いまして、どうしたらいいかと考えていました。私の事を知らない方が大多数だと思いますので簡単に説明させていただきますが、私はオカルト系の雑誌で記事を書いている者です。その事から、何かオカルトめいた事が関わっているのではないかと思い、その観点から事件を調べることにしたのですが、事件のあった場所ではある時期からある時期の間だけ何も地図に載っていない場所だったということを突き止めました。なぜかある時期だけ地図に載っていない場所に何があったのかと調べてみたところ、そこには鳳仙院という建物があったそうなのですが、そこで今回のような事件が起こっていて、それにまつわる怨念のようなものがあの土地に残り、それを知っていた住人たちがいなくなるまであの辺りは誰も住まない場所だったと記されていました。今ではその事を知る人もいませんでしたし、土地が人に与える影響もなくなっていたと思うのですが、容疑者……でいいのでしょうか、彼女があの土地に棲みついていた怨念によって操られていたのではないかと思うのです。簡単ではありますが、それが私の調べた事実であります」
「ありがとうございます。谷村氏の説明からもわかります通り、私の依頼人は本件を意図的に起こしたのかと言われると、それを合理的に説明することが出来ないと思いますが、否定することも出来ません。ですが、歴史にも埋もれてしまうくらい過去に起きた凄惨な事件が起きた土地で何らかの影響を受けるような精神状態にあった依頼人が正常な思考を持ちえたと言えるのかどうかをお考えいただければと思う次第であります。私の依頼人が本件を行ったのは事実でありますし、過去にあの場所で凄惨な事件が起こったことも事実であります。そのような状況で本当に依頼人が自分の意思で本件を行ったということが事実なのかは大いに疑問であると私は思います」
俺はそう語る花車弁護士の姿をただ見守るだけだった。
その後も会見は続いていたのだけれど、俺に与えられた時間はすでに終わっていたようだった。
結局、俺は会見で何をしたわけでもなく過去にテレビで話したことをもう一度簡単に説明しただけで終わったのだ。
会見に参加した後で俺が花車弁護士の姿を直接見たのは、花咲容疑者の裁判を傍聴しに行った時だった。
連絡は以前のように取りあっていたのだけれど、直接会う機会は一度も無かったのだ。
俺自身もあの土地で過去に何かあったからと言って花咲容疑者に影響を及ぼしているとは思っていないのだが、大半の人は俺と同じ様子だった。
しかし、一部の声の大きな人達が自分たちの正義感で立ち上がり、警察や検察を弾劾するような行為も起きてしまっていた。
声を出さない多くの人達よりも、声の大きなごく一部の人達の行動によって、裁判の行方は変わっていくのではないかと俺は感じていた。
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