第50話 不破は女怪と激闘する③

 火花を散らしかねない雰囲気で睨み合う童士とハイドラは、互いの隙のなさに微動だに出来ずにいた。

 組手争いをしている柔術家のように、はたまた抜き身の真剣を構え果たし合う剣豪のように、二人の中心点を起点に………ジリジリと摺足で回転している。

 勿論のこと童士は天星棍を両の腕に構え、片やハイドラは両手の鉤爪を剥き出して肘を曲げ前方へと構えている。

 童士とハイドラ、二人の強者を見守る観客と云えば漆原華乃ただ一人。

 永遠に継続するかと思われた楽曲なき輪舞曲ロンドだったが、童士がクワッと両眼を見開き、ハイドラがカッと乱杭歯を剥き出しにした瞬間……両者の単調な拍子リズムは崩れ去った。


「イェアァァァァァーッ!」

「ギシャアァァァァーッ!」


 童士は天星棍を脇構えから右前での打突を繰り出し、ハイドラは左手の鉤爪を貫手に揃えて突き入れる。


『キィィィィィーンッ!!』


 童士の打突とハイドラの突き刺し、重量感の溢れる二者の初撃に似つかわしくない………軽く澄んだ金属音の大音響が岩盤の大広間にこだまする。

 少し離れた位置で立ち尽くす華乃ですら、この甲高い金属音に思わず耳を覆っている。

 強く激しく打ち合わされた天星棍と黒い鉤爪、その姿勢を崩すことなく両者は互いの得物を全面に押し出し……力比べの鍔迫り合いを始める。

 ギシギシと歯を食いしばる音が響く強者の押し合い、その最中に童士とハイドラはほぼ同時に口元を綻ばせる。


「流石に強い………お前は良い戦士だ、ハイドラ」


 獰猛な笑顔と、食い縛った歯の隙間から押し殺した声でハイドラを讃える童士。


「お主こそ強き闘士だ……我と力で伍する者なぞ未だかつてらなんだぞ」


 先だっての湊川隧道河川での邂逅と攻防を、追認するような互いの第一撃………強者にのみ相伝わる好敵手を得た共感に、童士もハイドラも歓喜に打ち震えている。

 その讃辞に用いる相手への称号も、前回の初対戦時とは互いに入れ替えていたのだった。


「ジャアッ!」

「オウッ!」


 戦闘最序盤の剛力合わせに満足したか、童士とハイドラはほぼ同時に飛び退って距離を開けた。

 ほんの僅かの時間、それも一合の打ち合いからの鍔迫り合い……たったそれだけの応酬で、童士の全身からは汗が噴き出していた。

 ハイドラもまた同じように顔から汗を滴らせて、興奮故か体力の消耗なのか……荒い息を吐いている。


「フッ、ハイドラよ………力は互角だったがコイツはどうだっ!?」


 童士は頭上で天星棍を回しながら、無造作にハイドラとの距離を詰めて攻撃を始める。

 上段からの振り下ろしと下からの突き上げ、そして振り上げの姿勢から速さと鋭さを兼ね備えた連続の突き。

 更には手前を左右に切り替えての横振りでの打撃を、ハイドラに当てんと繰り出して行く。


「ハッ!

 不破童士、お主の力量ちからはこんな物ではあるまい。

 我の肉体を傷付けるには、些か足りておらぬぞ」


 言葉の通りハイドラは、童士の振り下ろしは既ののところで見切り、連続で多様な部位を狙い澄ました突きは、躰を左右に反転しながら避ける。

 そして横振りの打撃は踏み込み弾き返すか、もしくは受け止めつつ勢いを殺して受け流していた。

 互いの能力を確かめ合うような、様子見の意味を含んだ高度な攻防の応酬。

 それは童士の気合いテンションを高め、ハイドラの準備運動ウォームアップの役割を果たしているようだった。


「フム………我の躰も幾分と暖まったようだ。

 次は我の技術わざを受けてみるが良い!」


 ハイドラは両の拳を握り締めて、童士へ向かって擦り寄って行く。

 その姿は毒蛇が獲物を目掛けて、のたくりながら進むような禍々しさを含んだ動作でもあった。

 ハイドラの左拳から放たれる牽制打ジャブが二連続で童士の顔面を付け狙う。

 一打目は首を捻って避けた童士も、二打目を天星棍で弾いて躱す。

 続いてハイドラは掌を開いて鉤爪を見せると右手を縦に、左手を横に交差させながら斬り払いを見せる。

 殆ど同時に襲い掛かる鉤爪を、縦の軌道は半歩下がりステップバックで際どく捌き、横の軌道はまたもや天星棍を縦に構えて直角に受け止める。


「ハイドラよ、お前の武技わざも俺には届いていないぞ。

 もっと来いよ、こんなモンじゃねぇんだろ?」


 初手の攻防で互いの膂力を試し合い、二手目では技量の勝負で出方を窺いあった二人の戦士。

 童士とハイドラの間で、眼による対話アイコンタクトが行われたように見えた瞬間。


「行くぞっ!!ハイドラっ!!」

「不破童士っ!打ち倒してくれるっ!」


 ほぼ同時に鬨の声を上げて叫んだ童士とハイドラ、二人は全速で互いの間合いへと踏み込み……そして全体重を前のめりに突っ込むように激しく激突する。

 童士の天星棍とハイドラの黒き鉤爪、再び出会い頭の衝突を繰り返す業物が二振り………童士とハイドラの立つ位置の隙間を塞いでいた。

 足位置を変えることなく互いの武器を振るい、また互いの武器を受け止め合う童士とハイドラ。

 一合、また一合と両者の得物が打ち合わされる度に、空間は衝撃波に揺さぶられ、空気は衝撃の強さ故か波紋のように視覚すら歪ませる。

 何の策も持たず何の計略もない、誇り高き二名の戦士達による、渾身の力をぶつけ合うだけの単純だが……一幅の絵画のように美しく見える激闘であった。


「ハイドラよ、楽しんでいるか?

 俺はこの一瞬を、生命の遣り取りを、大いに楽しんでいるぞっ!」


 打ち合いの最中に童士は、ハイドラへと自身の感情を吐露した。

 全身からは汗が噴き出し、攻防どちらの動作をしたとしても、汗は飛沫となって飛び散っている。


「我……も大い………に楽……しんで……おるぞ………不破……童士…………。

 この世……に生を……享け………お……主のよう……な強……者と出………会い闘……えると……は………望……外の……悦び……よ…………」


 応えるハイドラも顔から汗が流れ、足元へと滴り落ちていた。

 その黒にも近い褐色の肌は心なしか青褪めて、ややドス黒く不健康な色合いへと変化しているのかも知れない。

 そして顔色に合わせるように息も荒く………いや大きく肩で息をし、息も絶え絶えな様子にも見える。

 

「ハイドラ……お前………具合でも悪いのか?」


 攻撃の手を止め恐る恐るとも云うような態度で、童士はハイドラを問い質す。


「や……喧し………い……我と……不破童……士の………神聖……なる決……闘を……邪魔……立てす……るで……な………いわ……永劫………の眠……りよ……り帰………還を果……たし……たるは…………醜……悪な姿……を晒……すため………では決……して……ないの……だ…………」


 童士の質問に回答するでもなくハイドラは目線を童士から大きく外して、この場所には存在していない何者かと会話を交わしているようだ。

 赤煉瓦倉庫での対面時にも、同様の姿を見せていたハイドラ。

 強制的に現代へ顕現させられた副作用なのか、それとも精神寄生体の記憶媒体に疵でもあるのか……違和感と異常性を併せ持つ狂態を、童士はなす術なく見守っている。


「ヤ………ヤメ……ロォォォォォッ!!

 ゴノォ……ハ………イド……ラァァァァァ……ゴ………バァッ!!

 ギュルルルルゥゥゥゥゥゥッ!!!」


 大きくイヤイヤをするように首を振りながら、意味を持たぬ獣のような叫び声を上げた、ハイドラの肉体が肥大し膨らんだかと思うと………次の瞬間。



 ハイドラが内側から爆ぜた。

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