第48話 不破は女怪と激闘する②

 神戸港赤煉瓦倉庫、その一棟の床下にハイドラが開けた穴へと童士は飛び込んだ。

 現状を打破するためには致し方のない選択であったのかも知れないが、敵であるハイドラの作成した穴に飛び込むとは……自身を更なる危地へと誘い込む罠であるかもと考えると、かなりの大博打ギャンブルであったとも云えよう。


「フン、そんなに深い穴でもなかったな」


 童士の言う通り、穴の深さは三米突程度か。

 苦もなく穴の底に降り立った童士は、到着した場所の環境を確認する。

 港湾施設の地下であるからには、湿度が高くジメジメとした不快な空気に満たされた空間ではある。

 周囲には岩盤をくり抜いたかのようなゴツゴツとした岩肌と、赤煉瓦倉庫の自重を支えるための混凝土コンクリート製の基礎支柱が数本、空間を貫き床面に突き刺さっている。

 回廊のように細く伸びた空間は、高さ三から四米突………広さについては幅が二米突強、そして延長については先が見通せぬぐらいの長さがあった。

 そうして位置情報を取得していた童士の背後で、軽やかな音を立てて何者かが童士と同じ地平へと着地する音が聞こえた。

 気配を察知していた童士は、背後に立つ者の正体を把握していたが………ゆっくりと振り返りながらその人物に声を掛ける。


「ハイドラよ、ここに華乃が居るって云うのか?

それとも……卑怯ついでに俺を罠に嵌めようってのか?」


 童士の問い掛けにハイドラは、鼻に皺を寄せて不快そうな顔をしたものの………自身の背後を指差しながら童士に告げる。


「不破童士………ついて参れ、こちらだ」


 ハイドラは短い応えの後、童士に背を向けてスタスタと歩き出す。

 童士の心中は『毒を食らわば皿まで』と云う風になっていたため、ハイドラの背を無言で追って歩く。

 童士とハイドラは、何の言葉も交わさずに無言で下り坂を数十米突は歩いただろうか。

 岩盤の回廊が突如として終了し、童士の目の前には巨大な空間が口を開けていた。

 空間の高さは五から七米突、奥行きは三十米突を超え、幅も二十米突はあるだろうか。

 神戸港の地下に広がる大空間には、何処からともなく潮の香りも漂う。

 何れかの部分で、瀬戸内海と連結でもしているのだろう。


「此処に……華乃が居るのか?」


 広大な空洞を見廻した童士の視線に、ハイドラが片手を挙げてとある方向を指し示すのが眼に入る。


「不破童士………そこだ」


 ハイドラの示す方向を童士が確認すると、確かに岩盤の床面に何かが堆く積み重なり……その上に小さな人影が横たわっているように見える。


「華乃っ!!

 無事なのかっ!?」


 その姿を眼にした瞬間、童士は取りも直さず人影に向かって駆け出して行く。

 何でも良い、どんな姿であっても良い………生きていてくれてさえいれば……そんな童士の思いとは裏腹に、横たわる人影が身じろぎ一つすることなく倒れ伏している。


「華乃っ!!

 華乃ぉっ!!」


 駆け付けた童士の悲痛な叫び、しかしその大きな声を受け止めた人影は………う〜んと唸って身を捩った。


「華乃……生きていたのか…………」


 安堵した童士の眼前で、華乃は大きく伸びをして欠伸を漏らした。

 どうやら囚われた後でこの大広間に放置されていたため、周囲に散乱していたボロ切れや輸送用の梱包材をかき集めて……束の間の休息として眠りについてしまっていたらしい。


「ん……あれ…………?

 童士……さん?」


 寝ぼけ眼の華乃だったが、安眠を妨げた大声の主が童士だったことを知ると……その勝気そうな大きい両眼に涙の山が盛り上がる。


「童士さんっ!

やっぱり助けに来てくれたんやっ!

アタシ……アタシ…………」


 涙を両眼一杯に溜めた華乃は、そのまま立ち上がると童士の腰にむしゃぶりつき……両の腕を腰に回して声を上げて泣きじゃくる。

 童士は華乃から突然の抱擁を受けて、戸惑いながらも優しくその背に手を当てがい………出来る限りの優しい顔と優しい声で華乃に語り掛ける。


「もう……大丈夫だ。

 俺が来たからには、きっと華乃を安全な場所まで連れて行ってやるからな」


 童士の慰撫に安心した華乃は、急に思い出したように童士の顔を見上げる。


「せやっ!

 『あさヰ』の小父さんと小母さんがっ!

アタシが攫われる時に……小父さんと小母さんも縛られとったっ!

 小父さんと小母さんは大丈夫やったん!?」


 自らが未だ囚われの身であることよりも、浅井夫妻の安否を気遣う華乃に………童士はまたしても優しい声音で伝える。


「大丈夫だ華乃、俺も現場で確認したが、浅井夫妻は無事だった。

 店は賊の付け火で焼け落ちてしまったが、浅井夫妻は軽傷で助け出された。

 華乃の行方が分からなかったから、浅井夫妻も心配していたんだ。

 帰ったら二人に、華乃の元気な顔を見せてやらないとな」


 童士の言葉に、涙で顔を濡らしたまま華乃は笑顔で頷く。


「うんっ!

 小父さんと小母さんが……無事で良かった…………。

 

でも……お店は燃やされてしまったんやね、アタシが小父さんと小母さんを巻き込んで迷惑を掛けてしもたんや…………」


 笑顔も束の間、華乃は『あさヰ』の店舗が焼失した事実を知って項垂れてしまう。


「安心するんだ華乃、『あさヰ』の店は銀機ハル様が責任を以って再建してくれるそうだ。

 俺とハル様の間でちゃんと約束したんだ、きっと新しい綺麗な店を建ててくれるさ」


 童士の声に安心した華乃は、パァッと笑顔を取り戻し……童士の腰にもう一度しがみつく。


「ありがとうっ!

 童士さんが来てくれて、『あさヰ』の小父さんと小母さんの無事も確認出来て……お店も心配要らんなんて最高やっ!」


 もう一度童士の顔を見上げた華乃は、自分と童士が抱き合っている事実に今更ながら気付いた。

 そして涙に濡れた顔を真っ赤に染めると、童士から飛び退き頭を下げる。


「ゴメンなさいっ!

 アタシったら……童士さんの顔を見たら嬉しくなってしもて…………。

 こんな……はしたない真似してからに…………」


 真っ赤な顔をまた俯かせた華乃に、童士は笑顔のままで優しく応える。


「いや……俺は華乃から抱きつかれて、非常に嬉しかったぞ。

 こんな非常時でなければ、もっとそうしていたいぐらいだ」


 童士の応えに驚いた華乃は、大きな眼を更に溢れんばかりに見開き童士に問う。


「ホンマに?

 アタシが……童士さんの傍におっても迷惑やないの?

 アタシが抱きついたら………童士さんも喜んでくれるの?」


 恥ずかしげに上目遣いでおずおずと小声で尋ねる華乃に、童士は大きく頷いた。


「あぁ……俺の近くに華乃が居てくれることは、俺にとって幸せで嬉しいことだ。

 それに先程のようなことも……恥ずかしくはあるが、俺にとっては大いなる喜びだ」


 顔を赤らめながら告げる童士に、こちらも赤面した華乃が呟く。


「……嬉しい…………」


 そのまま見つめ合う童士と華乃、その数秒後に童士の背から声が掛かる。


「不破童士よ……再会の場面に水を差すようで悪いが………そろそろ良いか?」


 何の感情も籠もらぬハイドラの声だったが、童士も華乃もビクリと背中を震わせハイドラを見る。


「あ、あぁ……済まない。

 華乃の許へと、俺を連れて来てくれたことは感謝する。

 それと………お前が華乃の拉致に関わってはいないことも判った。

 お前への侮辱の言葉は撤回しよう……申し訳なかった」


 敵に頭を下げる童士に、ハイドラも応える。


「我こそ……我が手の者が、お主の女を拐かした事実は違えようがない。

 それについては、何と言われようが仕方のないことだ。

 

お主を倒した後も……この女だけは地上まで、我が責任を持って送り届けよう」


 ハイドラの自信に満ちた口調に、童士はニヤリと不敵に笑う。


「ハイドラ、その約束は要らねぇよ。

 勝つのは………俺だからな」


 互いに睨み合い、気合いを高める二名の戦士。

 童士とハイドラは、試合開始の合図を待つ武道家のように……大広間の中央へと足を運ぶ。


「華乃!

 俺は今から、お前のお袋さんを成仏させてやるためにも、このハイドラと戦って勝つ!

 だからもう少しだけ、そこで待っていてくれよっ!」


 大広間の中央から華乃に向かって叫ぶ童士、その声を聞いた華乃は……しっかりと童士を見据えて返事をする。


「はい!

 童士さん……勝って、勝ってアタシの所へ………帰って来て下さい」


 華乃の祈りは童士に聞こえたのだろうか、戦闘の高揚へと没入した童士はハイドラと向き合い……華乃の待つ場所を振り返りもしなかった。

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