第47話 灰谷は混沌と真理を語る

 対峙する彩藍と這い寄る混沌ナイアルラトホテップ、微動だにせず佇む二つの人影だが……その顔に浮かぶ表情は対照的であった。

 片頬を歪めて皮肉な笑みをニヤリと浮かべている彩藍と、口元だけを三日月型の笑顔に見せかけてはいるが………眼は笑っておらず、冷笑的な表情の這い寄る混沌ナイアルラトホテップ


「アンタとまた会えるとは思っとらんかったなぁ……爆発事故に巻き込まれてカダスたら云う場所で、アンタも死んでくれとったら良かったのにねぇ」


 ニヤニヤ笑いを崩さずに、前回の遭遇を蒸し返す彩藍。


「あれには少し私も驚きましたが、私の息の根を止めるには足りなさ過ぎる攻撃でしたね……あの程度で私を殺せるとお思いなら、貴方は楽天家で、少しばかり頭が足りてない人だと評価されてしまいますよ」


 挑発には挑発で返すつもりなのか、這い寄る混沌ナイアルラトホテップの発言。

 その言葉に彩藍は、少しばかりムッとした表情を浮かべる。


「アンタが知っとるかは判らんけど、自称『賢い人』ってホンマにお利口さんやった試しがないっちゅうんが、陽ノ本での定説やねんで。

 アンタは何やら要らんことばっかりして、自分の謀略にご満悦らしいけど………華乃ちゃんに手ぇ出したんは、ホンマのホンマに下策やと思うわ。

 ウチの相方さんは、絶対に怒らしたらアカン手合いのおとこやからなぁ。

 僕がアンタと出会うってことは……童士君はまたハイドラと遭うとるんやろ?

 残念ながら……アンタの描いたぇは脆くも崩れ去ったと見た方がエエでな。

 童士君ならハイドラの本体……《精神寄生体》》とやらまで、木っ端微塵に粉砕してしまうぐらいにはご立腹やからねぇ」


 彩藍の指摘に這い寄る混沌ナイアルラトホテップは、スゥッとその眼を細めて、会話を楽しんでいる風にも見える表情を作る。


「ほぅ………このような東洋の島国に、我々の真理へ近付けるような智慧ある者が居たとは……貴方を殺した後で貴方の脳髄を精査し、そのような考えに至る傑物と面会したいものですね」


 這い寄る混沌ナイアルラトホテップの言葉を、彩藍は鼻で笑い更なる挑発を続ける。


「ハッ!

 そんな子供でも理解するような真理なんか、僕にだって解けるっちゅうねん。

 そもそも……アンタみたいなな怪物が、僕を殺せるって考える時点で前提条件を間違えとるがな。

 前に会った時のことをよぉ思い出してみぃな、僕の二刀にヒィヒィ言わされた後で………僕の華麗な爆破技術スキルでズタボロにされて、フラフラしながら逃げ帰っとったやないか?

 ホンマ……数日前のことも覚えとらへんのやったら、かおだけやのぉて頭の中身も無い神さんやと呼ばれてしまうんと違う?

 何や………真剣ガチな脳足りんみたいで、哀れを通り過ぎて面白く感じてまうわ」


 彩藍の罵詈雑言の嵐にも、這い寄る混沌ナイアルラトホテップの感情が揺れ動く様子は見て取れず、表情筋は穏やかな笑顔を保ったままの顔を維持している。


「話は戻りますが、如何な剛力を振るう鬼人……不破童士さんであろうとも、ハイドラの本体を滅することなど不可能だと思いますがね。

 貴方のように知識を持たぬ、低次元で生きる人々には、理解の及ぶ範疇を超えてしまうのでしょうが………我々の存在とはのような物なのですよ。

 例えるならば、遠い亜米利加アメリカ国に棲む男………肉親とも縁遠く、理解者も存在しない、真に孤独な魂を抱える青白い顔をした哀しき差別主義者、そんな男が己の精神を崩壊させぬためだけに幻視

 そのの残滓……いや、断片こそが我々の存在であり、我々の棲まう国であり、そして我々を我々たらしめる意義なのです。

 そして、我々をこの世に産み落とした男のを保全し、永劫に続く狂気の牢獄へと男を誘い魅了し続けることが………私の使命であり我等が主の目的でもあるのです」


 這い寄る混沌ナイアルラトホテップの長広舌に、辟易とした顔で彩藍は茶化し馬鹿にする。


「へ〜、そしたらアンタらは、世界と何の縁もゆかりもない……寂しい異人のオッさんが見とる夢なんかぁ。

 はようにそのオッさんを叩き起こして、しょーもない夢から醒ましたったら………アンタ等も消えてくれるってカラクリなんやぁ。

 申し訳ないけど、そのオッさんの在所を教えてくれへん?

 今から行って、顔にビンタでも放り込んで来たるわ」


 彩藍の返しに這い寄る混沌ナイアルラトホテップは、フッと鼻で笑い、慈愛に満ちた笑顔ので彩藍へと話し掛ける。


「ですから灰谷彩藍さん、貴方のような人は真理から遠く離れた………智慧なき人と見做されてしまうのですよ。

 上辺だけを見て真実を知った気になり、表層をなぞっただけの薄っぺらい知識で判断を下す。

 もしも貴方の背後に居る智慧者と語り合えたのなら、私にとっても非常に有意義な時間となるでしょうがね。

 それに………Hを、Hの精神を目覚めさせることなど、誰にも出来ないでしょう。

 私と我等の主が張り巡らせた、綿密な計画に則りHは、現在の時点でへと変質し終わっておりますので」


 這い寄る混沌ナイアルラトホテップの言葉を聞いた彩藍は、内容についての理解と意味の把握については諦めたのだが、『智慧がない』だの『低次元の生き物』だのと罵られたくはないので………『ちゃんと判ってますよ』みたいな顔付きで立って考え込んでいた。


『こんな話は任部の旦那やったら、必ず喰い付く……ってか、這い寄る混沌ナイアルラトホテップ親友マブダチとかになってしまうんちゃうやろか?』


 実現してしまいそうな、そして実現すれば世界ぐらいは滅亡させてしまいかねない……真の恐怖を具現化したような同盟タッグについての妄想を頭から追い払い、彩藍は這い寄る混沌ナイアルラトホテップに向かって叫び声を上げる。


「オイオイ、黒いオッさんよぉ………お話がしたいんやったら、僕に切り刻まれた後に誰とでもくっちゃべっとったら良いがな。

 取り敢えず……先に僕と遊んだってぇなっ!!」


 今回は右手に小烏丸、左手に黒烏丸を握り込んだ彩藍が、這い寄る混沌ナイアルラトホテップへと急襲を仕掛ける。

 殺気を充分に込めた、神速の一撃を躰を捻りながら躱した這い寄る混沌ナイアルラトホテップは、やれやれと首を振りながら彩藍へと告げる。


「仕方がないですねぇ、貴方と遭遇すると………結局はこのような展開になってしまうのですか。

 では……次は私から行っても宜しいですか!?」


 ゴウッと黒い瘴気の風が、這い寄る混沌ナイアルラトホテップから迸り出でる。

 その直後には戦闘形態へと変化し終えた這い寄る混沌ナイアルラトホテップが、三本の触手を揺らしながら立っていた。


「ふーん、最初から本気で来てくれるんやねぇ」


 舌舐めずりをしながら彩藍は、強大な敵の出方を窺うように……その場で足踏みを始めた。

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