第6話 不破は少女の身柄を引き受ける

 少女のか細くも応える声は、童士の背後より聞こえている。

 居場所について特定は出来ているのだが、急に振り返ることによって、少女を怯えさせるのは得策ではないと判断した童士は待った。


「おじちゃん……アタシは後ろにるねん。

 ゆっくり振り向いてみて?」


 少女の方でも疑念を捨て切れないのであろう、隠れ場所から囁くような小声で懇願した。


「……これで良いか?」


 ゆっくりと振り返った童士は、敢えて声のする場所へは視線を送らずに、憮然とした表情で立ち尽くした。

 作り笑顔で待とうとも考えたが、以前相棒に『童士君の笑顔は獲物ごちそうを目の前にした、喜びに満ち溢れた虎みたいな顔やね』と揶揄された経験から、無理に笑顔を作る努力は放棄した。


「おじちゃん……ホンマに鬼のおじちゃんなんやなぁ?」


「あぁそうだ。

 華乃……お前はこんなに大きい身体で、恐ろしい顔をした怪物が他に居ると思うのか?」


 少女の問いに自虐的な回答こたえを返しながら、童士は思わずフッと微笑わらってしまった。


「おじちゃんの顔は、全然怖くなんかないし怪物なんかやないよ。

 今だって前と同じで、優しく笑ってるやん。

 大きい身体かって、前に会った時にごっつい『高い高い』してくれたやん。

 アタシ嬉しかったんやから、男の人はお母ちゃん目当てでアタシにも優しくしてくれるけど……アタシの方を向いてアタシと遊んでくれた男の人は、鬼のおじちゃんだけやねんで………」


 隠れ場所の小さな祠の床下から、這い出て来つつ少女は童士の自虐に反論した。

 少女の年齢は十歳ぐらいか、髪は肩の辺りで切り揃えられて、黒く艶めき輝いている。

 小さな顔は事件の反動により色を失ってはいるが、二重の大きな眼と整った柳眉、小さくも筋の通った鼻にぽってりとした形の良い口唇くちびる、殺された泉美に面差しのよく似た少女だった。

 少女が幼く見えるのは細く華奢な体躯のせいだが、栄養不良による発育不全なのかもしれない。

 色街に母娘の二人だけで暮らしていたからだろう、男の欲望にまみれた視線を母親に向けられながら、二人で肩を寄せ合い息を殺すように生きてきた少女の言葉は、哀しくも真に迫ったものであった。


「ま……まぁ、何にせよ俺が鬼のおじちゃんだと、華乃が信じてくれたのならそれで良い。

 取り敢えずこのままここに居ては、警官に見つかって連れて行かれてしまうぞ。

 悪いが俺と一緒に、俺達の家に付いて来てくれないか?」


 この世に産まれて落ちて以来『バケモノ』だの『鬼の子』だのと蔑まれ続けた外見を、初めて真っ直ぐに真っ正面から肯定されてしまった童士は、戸惑い照れて落ち着きを失ってしまう。


「うん、おじちゃんの家に行くんは良いんやけど……お母ちゃんがあっちで血ぃ出して倒れとるねん」


 華乃は母親が既に息を引き取ってしまった事実を知らなかったようだ、童士はどのように華乃へ告げようか迷ったが心を決めた。


「華乃……お前が俺を信用してくれているから、俺もお前の信用を裏切りたくはない………だからその場凌ぎの嘘ではなくて、本当のことを言うぞ……………」


 華乃はかなり高い位置にある童士の眼を真っ直ぐに見つめ、決意を固めた様子でコクリと頷いた。


「華乃、お前の母親は……漆原泉美はもう死んでしまった。

 お前達を襲ったに、殺されてしまったんだ………」


「うん……何となくは知っとったよ、お母ちゃんが死んでしもたんは。

 アタシに向かって『逃げてっ!』って叫んだ時に、お腹から色々はみ出とったんが見えたし……息もお祖母ちゃんが死にかけとった時に聞いた、ヒューヒューって音に変わっとったし…………」


 俯いた華乃のおとがいから、涙の滴がポトポト落ちて……乾いて白っぽい境内の玉石を黒く濡らした。


「俺と相棒の彩藍は、お前達を襲ったを追っている。

 だから華乃、お前の協力があれば調査の役に立つから……俺達の家に来て、情報を教えてくれないか?」


「アハハッ、おじちゃん正直過ぎへん?

 今のは嘘でも『俺達が仇を討つから協力してくれ』とか言うところやん」


 泣き笑いの顔で華乃は、童士に軽く突っ込みを入れた。


「仇を討てると約束は出来ない、相手の正体も未だ掴めていない状況だからな。

 華乃の協力で追い詰められたなら、仇を討てる可能性もあるとは思う」


「うん、アタシおじちゃん達に協力するわ。

 その代わりおじちゃん達は、アタシに住む場所を用意してな。

 それと、アタシの情報が役に立って……仇を討てるようやったら仇を討ったってください」


 ペコリと頭を下げながら、一丁前の対等な取引を申し出る少女に、童士は驚きに眼を見開いた後で、ニヤリと獰猛な笑顔を浮かべた。


「華乃……俺達の仕事は、依頼人との対等な契約で成り立っているんだ。

 華乃の依頼は、完全に契約に値する対等さだ。

 これからは華乃を依頼人として扱おう、俺は不破童士だ、鬼のおじちゃんでも構わんが好きに呼んでくれ」


 童士の差し出す手を握りながら、顔を赤らめて華乃は言った。


「アタシは漆原華乃うるしばら かのです、難しいことは判らんけど……アタシの知ってることは全部教えますので、これからよろしくお願いします。

 ……童士……さん…………」


「おぅ、よろしくな華乃。それじゃあ警官を避けながら、一緒に俺達の事務所まで戻ろう」


 今度は力強く頷いた華乃を連れて、童士は湊川神社の東門から外に出た。

 さすがに西門と南門は、警察の眼に付きやすいとの判断であろう。

 東門からは大きく北に迂回し、平清盛が都を遷した福原京の跡地の南端にある、荒田八幡宮を横目に見ながら西進する。

 数多の水害を引き起こした湊川を湊川隧道へと引き替えた、旧河川の残滓である荒田町を、子連れの鬼が気配を消しながら歩いて行く。


「華乃、ここから先は俺達の縄張りに近付くから安心して良いが……万が一警官に声を掛けられた場合は、俺達は父子だと言うんだぞ」


「う〜ん………あと五年も後やったら、夫婦で通用するのにな〜。

 今のアタシ達やったら、父子で仕方しゃあないか」


 無邪気な感想を述べる華乃に、童士は呆れたように申し渡す。


「五年後でも父子だな、そんなに小さい身体のクセに何を巫山戯ふざけたことを言ってるんだ?」


「アタシが今十二歳やろ?五年後には十七歳、お母ちゃんがアタシを産んだ年やから……十分な話やと思うよ。

 アタシはお母ちゃん似らしいし、この五年での急成長は間違いなし!」


 何故だかしつこい程の訴え掛けアピールに、童士は『この娘……少しばかり彩藍に似てやしないか?』と、多少の不安を感じたまま大輪田芸能興行社へと帰り着いのであった。

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