第5話 不破と灰谷は後手に回った事実に気付く

 翌早朝、宿酔いで寝入り端の頭に響く警報音サイレンの大音量、彩藍の目覚めは最低最悪の部類に属する物だった。


「うっっっさいねん!

 火事は他所でやってくれや〜!

 ……うわぁ〜……僕の頭の中でも半鐘が鳴りまくっとるやんかぁ〜」


 大輪田芸能興行社の三階で彩藍に与えられた居室には、何処から入手した物やら外国人居留地に建つオリエンタルホテルの特大の寝台キングサイズベッドが部屋のど真ん中に据え付けられている。

 深酒のおかげで痛めつけられた内臓を、そのまま寝具の上にぶち撒けてしまうような勢いで彩藍はのたうち回っていた。


「アカン……これはアカンって………脳味噌がグズグズに崩れてしまうって…………」


 どこからどう考えても昨夜の暴飲がもたらした自業自得の惨状ではあるが、彩藍の口から漏れ出てくるのは相棒に対する呪詛の言葉だった。


「そら童士君は酒呑童子の末裔すえやから酒に強いんか知らんけど、僕みたいなか弱い半妖にあないな深酒を強いたらダメやん。

 他人の奢りや思って……ホンマ意地汚いにも程があるんちゃう?」


「あぁん?

 誰が意地汚いだって?

 彩藍……お前が『童士君だけ無料ただ酒を呑むのはズルい』とか何とか言って、その辺の客を捕まえて飲み比べの賭けを始めたんじゃねぇか。

 結局、昨夜の支払いも有耶無耶にしやがって……どっちが意地汚いんだ」


 怒りよりも呆れの感情が優先しているような風情を醸し出しながら、童士は彩藍の部屋にたっぷりと湯を張った湯桶と手拭いを持ち込んだ。


「おい彩藍、さっさと薄ら呆けた顔を洗って支度を整えろ。

 さっきから鳴り響いてるのは警察車両パトロールカー緊急号笛サイレンなんだぞ、今夜もこの辺りで何かが起こったってことだ」


「うぇえ?

 あれは火事やなかったん?

 昨日の酒を抜くのに、今日は一日グダグタ寝とこうって思っとったのに〜〜〜〜」


「取り敢えず服を着て顔を洗え、野次馬が集まる前に情報ネタを回収するぞ」


 洋服箪笥クローゼットから彩藍の服を引っ張り出して寝台の上に投げつけながら、童士は彩藍が身支度を整えるまで我慢強く待ち続けた。

 厳しい顔に似つかわしくなく、面倒見の良い一面を垣間見せる童士であった。


「童士君ありがとう、大分頭もスッキリしたわ。

 そしたら表に出てみようかな?」


 宿酔いの最中とは思えない笑顔で、童士に語りかける彩藍。


「おう……それでは手筈はいつも通りでな」


「僕が警官の対応で、童士君は野次馬の中から胡散臭いヤツを見定めて……からの追跡やね」


 阿吽の呼吸で役割分担を決定すると、童士と彩藍は自社の玄関扉からスルリと音もなく滑り出た。


 鬼の聴覚を最大限に活用し、童士は事件現場の在り処を探る。


「少し遠のいて行ったが……東に向かっているな。

 恐らくは湊川神社方面だ」


「了解、それじゃあ妖の回廊あやかしのみちを開いた方が早いこと着けそうやね」


 彩藍は両の掌を打ち鳴らすと眼を閉じて、妖人族に伝わる真言マントラを唱えた。

 童士と彩藍の眼前に、暗闇から産まれた靄のような不安定な空間が出現する。

 既知の場所へと妖人族を導く「妖の回廊」である、並の妖人には出すことも能わぬような高等の妖術ではあるのだが……彩藍は瞬きをするような気軽さで妖術を繰り出した。


「フン……流石は妖術に長けた烏天狗の一族だな、それでは俺が先に行くぞ」


 感嘆とも称賛ともつかぬ声を掛けて、童士は空間のあわいに巨体を躍らせた。


「うん了解、出口は楠公なんこうさんの鎮守の森やからね」


 彩藍は薄れ行く童士の背中に向かって、自死後に湊川神社へ祀られている南朝の三将である楠木正成の愛称で到着先を伝えた。


「さてと、そろそろ僕も行きましょかね」


 誰に告げるでもなく、彩藍も暗い空間に出来た陥穽あなの中へと足を踏み出す。


 湊川神社の鎮守の森の奥深く、目標座標めじるしである大楠の根元に彩藍は姿を現した。


 かねてよりの手筈通り童士の姿は既に見当たらず、集まり始めた野次馬の中に埋没しているのだろう。

 彩藍は偽装身分アンダーカヴァーである『湊川新報』の遊軍記者に扮して、兵庫県警察部の規制線が張られた湊川神社の西側路地へと足を向けた。


「中矢巡査、湊川新報みなとがわしんぽうの灰谷です。こんな朝早うから何事です?

 サイレンの音で叩き起こされましたやん」


 顔馴染みの湊川警察署巡査を発見し、規制線の外から彩藍は問い掛けた。


「なんや、またお前か。

 相変わらず目端の利くヤツやなぁ、今夜も例の事件……と思われる案件や」


 記者発表までは他言無用オフレコで頼むぞ、と言い終えて中矢巡査は小声で呟いた。


「今回の被害者ガイシャは……漆原泉美うるしばらいずみ、年齢は二十九歳やな。

 今までの被害者とは違って、モグリの娼婦やなくて飲み屋の女給らしいな。

 通報者によると小さな女の子が遺体の傍に居ったらしいんやが、本官が現場に到着した時には姿を消しとった。

 犯行を目撃した可能性もあるから、その子の行方を捜索してる最中や」


 現況はこんな処やな、そう言うと中矢巡査は野次馬の整理を行うためにその場を離れた。


「……殺されたんは泉美姉さん……やったんか………。

 それやったら一緒におった女の子は、娘の華乃かのちゃん………か?」


 今回の被害者が顔見知りの女性であったことに、彩藍は戸惑いと驚きを禁じ得なかった。

 

「童士君聞こえとるやろ、泉美姉さんとこの華乃ちゃんが近場に居るらしいわ。

 最優先で華乃ちゃんの身柄を確保したいんやけど、華乃ちゃんのことは任せても良いかな?」


 索敵状態モードの童士は五感を研ぎ澄ませて、半径百米突程度の周辺情報を収集している筈だ。

 彩藍の問い掛けに応えるように、一瞬だけ鬼の闘気が爆発的に増大し……すぐに消えた。

 瞬発的に発生した闘気の奔流に生命の危機を感じたのだろう、鎮守の森に巣食う鳥は一斉に飛び立ち、小動物も一斉に警戒の鳴き声を上げ始めた。


「声は出さんと気配で返事するのはええんやけど、ここまでド派手にやらかさんでも良いのになぁ」


 まだ朝陽の到達も感じさせぬ黎明の空に、鳥達の生命にしがみつこうとする懸命な羽ばたきの音と、小動物が種を守るために情報を共有する甲高い警戒の声が響き渡る。

 一般の警察官とただの野次馬、特段の警戒を必要としない人間しか周辺には存在していないとの判断から、返答代わりに闘気を発露させたのであろう。


「取り敢えず僕はもう少しの聞き込みと、華乃ちゃん捜索の妨害やな」


 彩藍は規制線周辺で、打ち合わせをしている私服刑事達にぶらぶらと近付きながら……取材の名目で刑事達の足止めを図るのであった。

 さて一方の童士であるが、彩藍の予想通り闘気の放出にて了承の返答を行った後に、華乃の捜索を開始した。


「人間の子供ガキを探せと言われてもな………鼻と耳を利かせるしかないだろうな」


 警察が現場に到着してからまだ三十分は経過していない筈、新開地辺りに住んでいる子供なら警察官の姿を見たら逃げるよりも隠れることを優先するだろう。

 探索範囲を絞って、子供が身を潜ませられそうな神社西側の路地の隙間を縫うように歩いたが……思うような成果は得られなかった。


「母娘は新開地から湊川神社方面に向かう途中で襲われた、犯人が新開地に向かって逃走したとするなら……子供は逆方向に隠れ場所を求めるだろうな」


 捜索範囲内で残されているのは、神社の境内と附帯する鎮守の森だけだ。

 周囲が明るくなる前に境内を捜索し始めた童士の耳に、早朝の境内にあっては違和感のある音が聞こえた。

 小さく早い鼓動の音、身を縮めるような衣擦れの音、そして口を手で押さえてなるべく音を抑えようとするかのような荒い呼吸音。


「華乃……居るなら出て来い。

 俺は警官じゃない、以前まえにおっ母さんと一緒の時に会ったことがあるだろう、鬼のおじちゃんだ」


 童士なりに優しい声を出そうと努力はしてみたのだが、はっきり言って思惑とは違う胴間声で華乃に呼び掛けた。


「ホンマに……鬼のおじちゃん?」


 暗がりから少女の声で、まさかの応答があった。

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