第3話 不破は銀ノ魔女と邂逅する

 桜筋を抜け北側に向かうと、湊川公園内に建造された尖塔がある。

 三連弓形梁アーチのビルの屋根から突き出した約九十米突の塔が、真下にある市電の鉄路を見下ろしている。

 浅草の凌雲閣、大阪の通天閣と並び、日本三大望楼としての名声を得ている尖塔。

 聚楽館と並ぶ、新開地のもう一つの顔の名は神戸タワーと云う。

 大正十三年に建造された新開地界隈で最新の建造物であるこの塔には、土地を公園用地に提供した地権者との旧い密約による秘匿された構造物があつたのだ。


「確か……昇降機エレベーターのスイッチを逆に倒し、階の釦を2・8・7・3の順に押す……だったな………」


 巨大な体躯を昇降機のはこに押し込み、童士は操作盤に複雑な手順で触れた。


『ガクン………ブゥーーーーン』


 駆動音と同時に昇降機は、慣性の法則に従い童士の身体を上へ持ち上げようとした。

 階数の表記には存在していない筈の、下方向へと童士を運び始めたのである。


『ゴゴッ…………ン』


 重量感のある物体が着地したような音を発して、昇降機は目的の地下階へと到達した。


「相変わらずゴミゴミして薄暗い場所だな、この地下商店街は」


 昇降機の扉が開いた先に広がるのは、童士が呟くようにまさしく地下に拡がる巨大な商店街であった。

 通路の道幅が十五米突はあろうか、そして奥行きは百米突を大きく超えているように見受けられる。

 その一直線の通路には天井(地上)の混凝土コンクリートを押し上げ、支保工の役割を果たすべく、幅はまちまちだが高さが均一化されたビル群で埋め尽くされていた。


「本当なら、彩藍のヤツがここに来なければならないんだがな」


 厳しい貌をさらに顰めつつ、不平を零しながらも……童士は通路の最奥に立つ建造物の入り口をくぐった。


ジャンクヤードドッグ荒くれ者……か、店の名前ではなく客層の説明にしかなっていないな…………」


 その店舗は確かにジャンクヤード廃品置き場の様相を呈していた。

 フロア一面に無機質な金属製の棚が多数配置され、棚の全ての段は機甲部品から蒸気機関の部品、さらには各種工具類も含んで、使い物になりそうなものから廃棄する以外に使い道の無さそうな物まで……ありとあらゆるジャンク品が陳列されていた。

 棚に群がる客達がまた……童士の店名へと突っ込みを入れる独り言にあるように、一癖も二癖もあるような『荒くれ者』ばかりであった。

 見るからに挙動の怪しい機甲化中毒者マシナリー・ジャンキーモグリの機甲整備士メカニカル・コンマン、掘り出し物で一獲千金を狙う二流三流の機甲鑑定士トレジャー・ハンター共が、無言でその肉眼をセンサーをギラつかせているのみ。


「ここの業突婆さんオーナーが、こんな店頭に掘り出し物なんか置いてる訳ないだろうに。

 機甲に取り憑かれた馬鹿共は、やはり駄目だな」


 通路を進むのに邪魔な客を押し除けながら、童士は『買取専門』と書かれた鈍色に霞んだ鉄扉を押し開いた。


「M-2579の純正シリンダーNO.3を買い取って欲しいんだが」


 機甲にまるで縁のなさそうな童士の口から、機甲部品の型番が紡ぎ出された。

 その懐からは鑑定されるべき品物が提出されることはなく、童士の顔も眼も言葉の中身に興味の欠片すら持ち合わせてはいないようだった。


「不破童士さまでございますね……新開地商工会議所会頭『銀ノ女王・銀機しろきハル様』より面会の許可は出ております。

 お取次いたしますので、人外の方とは云え……くれぐれも粗相のなきようお願いします」


 下賤の鬼ごときが、何の用で銀ノ女王に目通りを願い出ているのやら。

 無言の嘲りを含んだ目で、受け付けた応対の担当者は童士に告げた。

 

「丁寧には喋っているが、客に対する敬意が皆無だな?

 銀色ノ魔女は、部下の教育もまともに出来ない能無しの年寄りババァなのか?」


 腹立ち紛れに受付係を憤怒の表情で面罵し、階上へ向かう童士が振り返りながら一瞥すると、応対係の額から一筋の汗が流れ落ちた。


 店舗専用の昇降機に乗り込み、最上階行きの釦を押下すると、今回は無音・無振動のまま昇降機が動作し、拡声器スピーカーから到着を知らせる機甲音声が流れた。

 童士が狭い昇降機の筐から自分の肉体をくねらせるように押し出すと、面前には無垢の不銹鋼ステンレスを切り出した継ぎ目の見えない扉が鎮座している。


「ここで待ってれば良いのか?」


 押しても引いてもビクともしない金属の塊に、童士が半ば諦めて目を閉じて瞑想状態に入って暫しの時間が流れた。


「童士よ……お入り…………」


 密閉された空間に隙間ができた瞬間の微細な気圧変化に、童士の両眼が開かれた瞬間、無機質な女の声が入室を命じる。


「久方振りよのぅ……失礼極まりない鬼の小僧っ子めが」


 童士が室内に足を踏み入れると、不機嫌そうな女の声が童士の耳に届いた。


「失礼極まりないのは、そちらの手下てかも同じだろうがよ」


 反射的に童士が剣呑ないらえを返したのは、童士とはまた違った意味で異彩を放つ異形の存在だった。


 十五米突四方の室内は空調機がフル回転しているのだろう、外気よりも十度は低い室温が保たれている。

 室内には金属製・護謨ゴム製の各種配線が、天井・壁面・床面へ張り巡らされている。

 それら全ての配線は部屋の中央に集約され、独りの人物の肉体に接続されている。

 銀色に輝く流線型の筐体に下半身は隠され、その上半身もまた座している筐体と同じく煌めく銀色の機甲に覆われている。

 唯一生身と思われる皺一つないその相貌も、景徳鎮の影青のような色合いを見せて、紅の乗った唇以外はまるで生気を感じさせるものではなかった。

 声の不機嫌さには反して、赫い両の瞳だけは童士を面白そうに眺めている。


「さて童士よ、其方は相棒の借財を返済にでも来たのかえ?

 それとも妾に何ぞ頼み事でも?

 確か……今は其方から報告を受けるような依頼をしておらぬと思うのだがのぅ?」


「借金の件は彩藍からアンタに直接話をさせるさ、まぁ……返せるアテがないからこそ今日は俺がここに来たんだろうがね」


「ホホホ、それならば妾に何の用だえ?」


「あぁ……実は最近の新開地で起こってるバラしについて、銀ノ女王・銀機ハル様に聞きたかったんだよ。

 この件について……表も裏も、商店街には関わりが無いんだよな?」


「ふむ、無許可営業の売春婦を粛清するなら三業組合だろうが……任部の動いた気配はないと。

 ならば新開地商工会議所会頭の妾にも、一応の断りを入れようとの腹積りかえ?」


「そんな所だ、アンタ等みたいな怪物の縄張りシマを依頼無しで動くのなら……俺達みたいな小物は、慎重にも慎重を期さないと生き残れないからな」


「ホホホ、純血種の鬼に怪物呼ばわりされるとは、妾も長生きはしてみる物だの。

 さりとて其方……口は悪いが心掛けは殊勝よの、この件については表も裏も商店街は関与しておらぬ。

 世界の金融界に大恐慌でも起こらぬ限りは、人肉など売り物にもならぬ」


 ホホホと朱色の唇を綻ばせる銀機ハルに、『人肉を売る予定はあるのかよ』と突っ込まないだけの分別があった事に自身で驚く童士であった。


「此度の件については、妾の管轄内を好きに動くが良い。

 妾を楽しませられる内容であれば、童士よ其方が報告に来りゃれ。

 妾を崇めようとせぬ若人との語らいは、不老長寿の秘薬と等しく貴重な存在もの故にの」


「おいおいハル様よ、無料の世間話ではさすがの小物も動けないぜ。

 情報ネタの鮮度によっては、お代だけは弾んで貰わないとな」


「ホホホ、小物ならではの無粋さよ、妾の店は道具から情報まで買い取りを行っておるわ。

 せいぜい足掻いて、妾の財布を軽くして見せよ」


 童士の後方で音もなく進入口であった扉が開く、早急に退去せよと無言の指示だ。


 来た道を戻り受付係の顔を確認すると、先程の無礼者とは別人になっていることには気付いたが、自分自身が銀ノ魔女・銀機ハルの居室から生きて出られなかった可能性を考慮すると、同情心などちらりとも浮かぶことはなかった。


 神戸タワーの一階に帰り着くと、冷気に包まれていた筈の身体がグッショリと嫌な感触の冷汗に塗れているのに童士は気付いた。


「だからっ!

 あの婆さんと話すのは大嫌いなんだよっ!

 彩藍の野郎め……今夜はアイツの奢りでしこたま呑んでやるからな」


 珍しくも感情を露わにした童士は、まだ事務所の机上に残されている未処理文書の山を思い出し、彩藍に対する更なる怒りにその身を焦がすのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る