第一部 新開地の怪
第1話 不破と灰谷は早朝の新開地にて企む
大正十七年五月二十一日午前五時、明け方の新開地は『青き流れ』とも呼ばれる川佐機造船所へ向かう職工達の群れが、初夏の朝焼けに汗ばみながら南に向かって歩いて行く。
この流れに真っ向から逆らうように、神戸市電の『新開地
色素の薄い髪を当世風の短髪に反抗するかのように少し伸ばし、花紺青色をした背広の三つ揃いは体型に合わせてピタリと収まっている。
その顔相を一言で表すならば『鋭い』であろう。
黒く濃い眉毛はキリリと吊り上がり、眉根と目蓋の境界が狭いのは異国人のようにも見える。
両の眼は大きな切れ長の桃花眼で、瞳は好奇心の旺盛さが漏れ出たようにキラキラと輝いている。
鼻梁は高く盛り上がっているものの、鼻翼がやや広がっている辺りに愛嬌を感じさせる。
口角は上がり気味で、口唇は大きく太く……鼻の収まり具合と同様に、不完全な魅力として良い塩梅で居座っている。
この青年の名は
「まぁ、
今日は早いんやねぇ、お勤めご苦労さま」
神戸福原が誇る花街二筋の一つ桜筋の南端で、昨夜からの仕事を終えた風情の
「
「そうやねん、ウチのチビ助もそろそろ起き出して腹を空かせとるやろから、市場に寄ってから帰るわ」
仕事終わりの倦怠感も見せず、泉美と呼ばれた女性は朗らかな笑顔で彩藍に手を振って応えた。
「そうなんや、じゃあ嬢ちゃんにもよろしゅう伝えてや」
朝の何気ない挨拶の一幕を終えると、彩藍は桜筋沿いをさらに北上した。
色街でありながら二十を超える劇場を擁する街でもあり、その劇場で公演する役者達の滞在する宿舎も辺りには点在している。
賑わう時間帯からは外れているものの、裏路地の外れまで白粉の残り香が漂っているような、一種独特な新開地の早朝であった。
白龍大明神の鳥居から山側に数十
彩藍は煉瓦造の古めかしいビルの入り口を潜り、まだ早朝の陽の光も差し込まぬ薄暗い廊下を歩いて行った。
「まいど、
古ビルの二階まで上がると、調子の良い声を掛けながら彩藍は黒ずんだ木製の扉を押し開いた。
「…………………」
部屋の中では
「相変わらずの愛想なしやなぁ。無駄に大きいんやから、愛想ぐらい良うせんと姐さん方から怖がられてしまうで」
「……怖がられる位の方が、俺達の仕事には役立つだろう…………」
彩藍の方に顔を向けることもなくボソリと呟くように応えた童士の躰は、彩藍の言うように大きかった。
身の丈は六尺を大きく超えて、六尺五寸はあるようにも見える。
体重も三十貫目近くはありそうだが、その肉体におよそ贅肉と呼べる物は巻きついていない。
古代
「さっすが純血の鬼っ子やな、用心棒みたいな荒事を一身に引き受けて、それでもブレんと闘いに向き合うとる」
「見世物小屋で鉄の棒を曲げていた俺を、拾い上げてくれた先代への恩だけだ。
鬼の血は関係ない」
鬼と言われれば、なるほどと得心のいく童士の外見であった。
規格外の強大な肉体に、黒く生い茂った両の眉毛。
両眼はギョロリと大きく、やや黄色味がかった白目部分が恐ろしさに拍車を掛ける。
鼻は高くはないが大きく横に広がって、顔面の真ん中を占拠している。
口は大きく口唇は薄く、鋭い犬歯が隙間から覗いている。
「それよりも彩藍、川佐機での機甲整備はどうだったんだ?」
書類をめくる手を止めず、童士は問うた。
「定期の整備やからなぁ、右腕も右脚もどないもあらへんわ」
彩藍が左手で右袖を捲り上げると、その右腕は黒鉄色の機甲化部品が装着されている。
その関節は滑らかに可動し作動音すら発しない、高級な特注品を伺わせる逸品に見える。
「川佐機の技術屋連中も、大枚はたいた機甲やからか……夜中から朝までよう見てくれるわ。
とは云えアイツらのせいで失った手足やから、これぐらいの世話はしてくれんと困るけどな」
端正な顔をニヤリと歪めて、彩藍は捲り上げた袖を元の位置に戻した。
「お前の烏天狗秘伝の剣術に綻びがないんだったら、機甲でも生身でも俺はどちらでも構わんがな」
童士の呟くような言葉に、彩藍はもう一度不敵な笑みをうかべた。
「烏天狗や言うても、僕は紛いもんの半人半妖やからな。
せやけど今回の機甲化で、順番違いやけど時の天子さまと同じ配分の躰になってしもて……高貴なお方と同じ運命や言うたら、僕も貴人の仲間入りを果たすんとちゃうやろか?」
貴公子の彩藍かぁ、と困った顔でこぼす彩藍に、童士は鼻で笑うように突っ込みを入れる。
「下働きの烏天狗と伝説の人魚、川佐機製の機甲と国立機甲研究所の精密機甲、天皇家の血筋と
「烏天狗は崇徳上皇の化身やし、川佐機の機甲も最高級品の
返す刀で軽口を叩く彩藍に、童士は冷たい目線を向けて言い放った。
「くだらん、不敬罪を通り越して詐欺罪でしょっ引かれるぞお前」
「ところで童士君、話はコロッと変わるんやけど……こんな話を知っとるか?」
彩藍は笑顔を引っ込めると、声をひそめて童士に告げた。
「このところ福原辺りで、娼館に付いてない立ちんぼの娼婦が行方不明になったか思ったら……かなり酷い死体になって見つかっとるんやって」
「その話は耳に入ってるが、酷い死体ってどんなだ?」
「僕も直で見た訳やないんやけどな、獣の仕業ちゃうかってぐらいグチャグチャに抉られとるらしいわ」
「獣?喰われてるのか?」
「いや、喰い散らかされてはないみたいやけど……躰の一部がスパッと千切り取られて、現場から失われとるらしいわ」
どこから仕入れた情報だろう、警察内部に伝手でもあるのだろうか。
早朝から凄惨な話を顔色一つ変えずに淡々とできる彼らは、暴力や流血と縁の深い存在だと感じさせられる。
「立ちんぼだったら、三業組合からの依頼も入らないだろうし……劇場も商店も客足が減らない限りは、そのまま静観するだけだろうな」
うんざりした口調で、童士が吐き捨てる。
「せやねぇ、慈善事業は趣味やないんやどなぁ。
僕らの縄張りで勝手な事されるのもケタクソ悪いし、もうちょっと踏み込んでみよかいな」
彩藍は童士の口調の真意を汲み取ったように、
「何処かの組織から後付けで依頼が入ったら、他の事件屋より優位に立てるだろう…………」
「情報戦を制するモンが、札束を掴み取れるってことやね童士君」
「違いない、そこだけはお前と唯一話が合うな」
本日初めて視線を交わし、ニヤリと笑う二人の姿はまさしく悪漢と呼ぶにふさわしいものだった。
何やらいかがわしく、胡乱な雰囲気を漂わせて……新開地の朝は始まって行くのであった。
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