第84話 夏の魔法とやら×それはそれでアリ
それからというもの、どうなったかと言うと。
いや、井野さんと付き合うこと自体はそれなりにうまく行っている、と思う。漫画研究会の会報も無事なんとか発行できそうだし。
ただ、まあ、事の顛末を知った松浦先生は血の涙を流していたけど。「うっ……うっ……これで、図書局でひとりものは先生だけになっちゃったよ。なんで? マジックって学校祭だけで起こるものじゃないの? 夏休みマジックなんて聞いたことないよ」って、ぼやいていた。
……多分、夏にも魔法はかかると思います。っていうか、先生がそう言うってことは、図書局の子たち、どっちにも彼氏ができたってことなんだ。……それは先生がぼやく気持ちもわからなくはない。
松浦先生のことはさて置いて。僕と井野さんの話をしようと思う。
付き合おうが付き合うまいが、井野さんと鼻血は切ってもきれない関係みたいで、夏休みが明けて二学期になっても、毎日数回、井野さんは「ひぅ」「ひぃん」という悲鳴とともに鼻から血を噴射させている。
平日もとい、学校の日は特に美穂の邪魔が入ることはなく、下校は一緒にするようになったし、新宿の本屋さんに一緒に寄ってみたり、それこそ放課後に映画を見るなんていうなにこれアオハルじゃんみたいなこともしていたり。
ただし、土日となるとまた話は別で、件の「一割五分ルール」を引っ提げた美穂が堂々とした顔で、
「……あの、美穂? 今日もついてくの?」
「当然だよ。お兄ちゃんが学校から帰って来る時間から逆算しても、今週はもう一割五分の時間オーバーしているし、これ以上井野さんとふたりきりの時間はあげないよ? 約束だもんね」
「……そ、そっか」
などとのたまって、僕と井野さんのお出かけについて来る。っていうか、僕の帰宅時間から時間を逆算しているの、ガチ度が高くてお兄ちゃん怖い。……なるほど、電話越しに息の音を聞いて怖いって言われる父親の血筋はここにも生きているというのか。嫌だなー、僕もそのうちそういうこと言い出すのかなー。気をつけないと……。
学祭前の休日、その日は無事会報を脱稿できたことの打ち上げも兼ねて、カラオケにでも行こう、という話で、僕らプラス美穂は新宿に繰り出していた。
「ひっ、ひぅ……きょ、今日も美穂ちゃん来るんだね……ぅ、ぅぅ……」
「だって、井野さんのほうから言ったんですよ? 一割五分だけでいいって。二割とか三割くらい言ってもよかったと思うんですけどね、私は」
「ぅ、ぅぅ……そんなつもりで私、一割五分って言ったつもりじゃ……」
「駄目ですよ井野さん? 数字を曖昧な意味で使ったら。一割五分は一割五分なんで、きっちり約束は守ってもらいますね」
……ま、まあ、井野さんの言いたい「ニュアンス」ってやつも、美穂が言いたい「正確性」ってのも理解できなくはない。その上でこの場合だと、一割五分なんていうえらく具体的な数字を出してしまった井野さんの負けだと思う。そんな数字、プロ野球でちょっとバッティングが上手いピッチャーの打率くらいでしか見ない。
「ひぃん……」
小学生に正論を突かれて、言葉を失ってしまう井野さん。小さく縮こまると、小学生にしては身長が高い美穂よりも小さく見える。
正直、あの美穂がこれくらいで済ませている、というのが意外というか。絶対に付き合うのは認めない、とか言うことも考えられたから、今のところこのやり取りに関して僕は口を出していない。……っていうか、井野‐美穂問題について僕の立場はそれこそミジンコさん以下なので、発言の権利すらない、って勝手に思っている。
「……と、とりあえず、カラオケ行こっか。休みの日だし、早く行かないと混んじゃうかもしれないし」
そんなふたりに苦笑いを浮かべつつ、僕はそう口にする。と、ポケットに入れていたスマホがブルブルと震え出した。
「……電話、父親から?」
何の用事だろうか、不思議に思って僕は電話に出ると、
「おう、息子よ、元気にしてるか?」
これまた謎テンションな父親が現れた。
「……げ、元気だけど……それがどうかした?」
「いや、この間美穂と喧嘩したって言っただろ? ってことは何? 太地お前、もしかして彼女できた?」
「ぶほっ!」
「なるほど図星か。じゃあさじゃあさ、今度父さんと母さん、可愛い可愛い美穂の学習発表会見に行くから、そのときに太地の彼女に会わせてくれよ」
「ちょっ、なっ、がっ、学習発表会?」
「太地から美穂を取り返させてくれる天使だろ? お礼を言わなきゃバチが当たる。ってことで、よろしくー」
それだけ言い残して、父親は電話を切った。僕の電話を見てきょとんと小首を捻った美穂と井野さん。彼女らふたりに、僕はおそるおそる、
「……僕の両親が今度、東京に来るから、そのときに井野さんと会わせろ、って……」
「やっ、ややや、八色くんのご両親とですか?」
「えー、お父さんこっちに来るの? じゃあ私山梨にその間帰るからお兄ちゃんも一緒に行こう?」
「……無茶言うなよ。──そ、そう。なんか、僕の彼女に、会っておきたいって、言い出して……」
「かっ、彼女っ、ひっ、ひぃぃぃぅぅぅぅ……」
僕がそう伝えると、いつか見た光景と同じように、顔を真っ赤にした井野さんがその場にしゃがみ込んで、頭のてっぺんから湯気をぼわあと出し始める。
……こりゃ、まだまだ大変なことが続きそうだな。
僕としては、まあ、楽しいだろうからそれはそれでまたアリ、なんだけどね。
(終わり)
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