第79話 婉曲×直球

 ひとまず、僕らは上川先生の家に向かった。もう陽は傾いていて、あと少しすればもう夜の帳が降りそうな、そんな時間。

 何か月かぶりに先生のアパートを訪れると、なんとなく苦笑いを浮かべる先生が僕らを出迎えた。


「類は友を呼ぶっていうか……由芽さんも子供のときはしばしば捜索隊を結成されるような人だったみたいだから、子供が行く先の想像がつくのかもしれないね……ははは……」

「……い、いえ。むしろありがとうございますというか……色々とご迷惑をおかけしましたというか……」


 まさかその苦笑いに僕も一緒に笑うことができるはずはなく、ひたすらペコペコと頭を下げる。

「……ああ、まあ、由芽さんも散歩がてらちょっと探してみるよーみたいなノリだったから、そんなに気にしなくても……」


「……そ、それで、美穂はどこの公園に……」

「えっと、ここから歩いて五分の小さい公園って言ってた。今は由芽さんがなだめてあげているみたいだし、落ち着いたらまた僕のところに連絡くれるみたいだから、八色君もちょっと頭冷やしたほうがいいんじゃないかな」


 玄関とは逆方向に向いた重心を見てか、先生は苦笑いを崩さないまま、僕にそう言い家に入るよう促した。

「お茶でいいよね? あ、井野さんも」

「ひゃっ、ひゃいっ、あ、ありがとうございます」


 先生にそう言われてしまえば、拒否することもできず、僕は一旦家にお邪魔することにした。


「…………」「…………」「…………」

 部屋のテーブルを三人で囲んで、ひたすら頂いたお茶をすする。その間、特にこれといった会話は生まれない。

 普通、なんで喧嘩したの、とか、どうして美穂が家を飛び出したの、とか色々聞いてきそうなものだけど、先生はそれをしない。


「……あの、聞かないんですか? どうしてこうなったか、なんて……」

 あまりに静かすぎる雰囲気に、僕は自分から墓穴を掘りに行った。いや、ほんと狙って墓穴を掘りに行ったよね。


「……え? ああ。いや、学校で起きたことなら聞くだろうけど、完全に生徒の家で生徒の家族内で起きたことなら、先生から聞く理由は皆無だよね。八色君が聞いて欲しいなら話は別だけど」

「……え、ええ……」

 言われてみれば、確かにそうでした……。


「そういう喧嘩は僕も綾としたことがあるからね。他人が絡むとろくなことがないんだよ、その手のいざこざって。まあ、既に由芽さんが一枚噛んじゃったんだけど……。あと、ぶっちゃけると他所の人間関係に口を出せるほど、今先生にメンタル的な余裕はないよね、あははは……あははは……」


 先生はどこかハイライトを失った目で、部屋に置いてあるベッドに視線を移す。枕がふたつ置かれているあたり、一緒のベッドで寝ているのだろうけど……ん?

「……ぶっ」「ひぅっ!」

 僕ら三人の視線の先には、「YES」と書かれたボードを持ったウサギのぬいぐるみが。


 ……あれは、俗に言うイエスノー枕の亜種……?

「先生も今気づいたよねー。由芽さん、いつの間にかこんなの買ってたんだ、あはははー」


 これ以上先生に迷惑をかけるのはやめておこう。そう固く心に誓った瞬間だった。

「……それに、あんなにお兄ちゃん大好きオーラを醸し出している妹さんが怒るなんて、まあ十中八九それだよね、って」

 ……あ、もう言わずとも理解されていたし。


「ま、まあ? 実妹と繋がっちゃった古典もあるし、実妹とやっちゃった感動するギャルゲーもあったし。一応先生として止めてはおくけど、八色くんの好きにすればいいと思うよ、うん」

「……いえ、それは百二十パーセントないので。っていうかそこは何が何でも止める勢いでいてください、先生。倫理の先生が聞いたら軽く朝まで議論できそうな話題ですよ」


「あー、でもそういう話を公民科の先生とするのもいいかもねー。いい悪い、生物学的な話はさて置いて。どっか古典の授業潰してやってみるのも面白いかもね」

「……は、はあ」

 忘れてた。この先生、人気は高い先生だった。


 そんなことを話していると、

「あ、由芽さんからライン来た。なだめ終わったから公園来ていいよー。だって」

 先生のスマホがピロリンと音を鳴らし、僕にそう伝えた。


「行ってきなよ。言いたいことは真っすぐ言わないと、伝わるものも伝わらないから。古典は婉曲表現が多いけど、現代文は直球が多いしね。ストレートが一番。これは本当に」

 僕は、先生に軽く頭を下げ、家を後にする。


「公園、家の前の通りを駅と反対に出て、歩いてちょっとのところだって」

 背中から聞こえた声に押され、横に井野さんを連れ、美穂のもとへと向かいだした。

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