第63話 愚痴×惚気
美穂の追及をのらりくらりと水際でかわしつづけ、とうとう迎えた一学期の終業式。この日が終われば、晴れて学校から解放されて、生徒たちは夏休みという自由を手にすることができる。一か月半限定の。
ただ、浮かれているのは大抵生徒だけ、のようで、帰りのホームルームが終わったあと、職員室に日誌を提出しに行った際、担任の上川先生はいつにもまして顔色悪くノートパソコンの画面と向き合っていた。
「……せ、先生、日誌持って来ました」
「ああ、ありがとう……」
「……だ、大丈夫ですか? 体調」
そのまま後にしてもよかったのだけど、先生のストレスの原因(池田さんの策略とか)に遠巻きではあるけど関与しているし、スルーするのも申し訳なく思い、僕は声を掛ける。
「……ゴールしていいって言われたらゴールしたい気分だよ、先生は」
「え、え……?」
「あっ、そっか、ごめん。通じないよね、うん。何でもない」
……あれかな、なんか有名な言葉か何かなのかな。その手の界隈では。……普段はそういうことなかなか言わないから、ますます心配になるというか。
「いや……夏休みでも先生は普通に学校に仕事しに行かないといけないしね。でもお盆には親のところ帰らないといけないし、そうしたら孫はまだかって言われるに決まってるだろうし、それでなくても最近由芽さん夜になったらものすごく甘えん坊になるし……それに部活の合宿の引率とか補習の準備とか、あと修学旅行の旅行会社さんとの折衝とかああああ……」
せ、先生は色々と大変そうだ……。なんか惚気が混じっていた気がするけど、多分先生にとっては愚痴なんだろうし、ここは流しておこう。……松浦先生が聞いてたら発狂していそうな惚気だけど……って。
ふと、僕が視線を上げて辺りを見回すと、この世の終わりでも目にしたように絶望した顔をしている松浦先生の姿が。
「ぅ、ぅぐぐぐぐぐ」
……ああ、聞いてしまったんですね。知ってはいけない、禁断の情報を。そして、今日の図書当番は僕なんで……相手をするのも僕なんですね。はい……。
「それに……なんでか知らないけど明日と明後日僕休みになっているし、その日にダズニーランドのファストチケット買ったから由芽さんと八色君の妹さん連れて行ってらっしゃーいって綾に言われるし……はぁ……のんびりできる日がいつまで経っても来ないよ……」
「……はぃぃぃぃぃぃぃぃぃ?」
松浦先生。先生がしちゃいけない顔と、女性がしちゃいけない顔どっちもしてますよ、ダブルプレーです。
このあと相手するの僕なんですから……。嫌ですよ、僕だってそんな場末のバーで夜遅くに聞くような話先生からされるの……。
変に心配せずにまっすぐ当番に行けばよかった……。
「そ、それじゃあ、僕もう行きますね……」
「あ、ああ。あんまり羽目外しすぎないようにね……」
……それは、僕よりも先生の後ろで血走った目をされている松浦先生に言ってあげたほうがよろしいかと。……犠牲者が出てもおかしくない。
「は、はい……」
なんて言えるわけもないので、僕は適当に笑みを浮かべて職員室を後にした。
司書室で、コーラを二本持った松浦先生にダル絡みをされたのは、言うまでもない。
「はぁ……まあ、しばらくこれで先生の怨嗟の声を聞かなくて済むと思えば、安い授業料かな……」
学校から駅へと歩く道。どっと疲れた足取りを前に進めつつ、僕はひとりそんなことを呟いた。
……今日の松浦先生はまじでやばかった。ほんと、誰か早く貰ってあげてください、って言いたくなるくらいのやばさだった。
先生に、いい夏が訪れることだけ祈っておこう……。図書局のメンバーの精神衛生的にも、それがいい。
なんて考えていると、スラックスのポケットにしまっていたスマホが震える。
「……池田さんからか」
池田 綾:やっほー、明日は朝八時に高円寺駅に集合ねー、遅刻したらダッシュで来てもらうぞー少年
……ダッシュで東京から山梨は嫌だなあ……。せめて自転車か電車には乗せて欲しいです……。
池田 綾:あと、お菓子はひとり三百円までだからねー
……遠足ですか? 遠足なんですか? これは。
……遠足ってことにしておこう、うん。
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