第8話 地味×ぼっち

「え、ええ……?」

 井野さんの提案に対して、当然だけど僕は困惑するばかり。

 というか、自分の趣味を隠したいから、僕の言うことなんでも聞くって……。短絡的な気が……。言わないけど、絶対に言わないけど、もし僕が井野さんに、制服脱いで裸になれって言って、それを写真に撮ったりしたら、それこそ趣味以上の弱みになると思うんだけど……。繰り返すけど、絶対に言わないけどね。


 なんてうだうだ悩んでいるうちに、まだ僕は何もお願いなんてしていないのに井野さんはブレザーを脱いで制服のポロシャツのボタンに手をかけ始めているし。

「ちょっ、ちょっタンマタンマタンマっ!」


 さすがにこれ以上はまずい。慌てて僕は彼女のすぐ側に近寄って、暴走している両手を止める。ただ、勢いあまった拍子に、押さえた両手が井野さんの少し温かい胸元に触れてしまった。……もしかして、着痩せするタイプなのか? 井野さんって。


「ひぅっ!」

 それに驚いた井野さんは、目をつぶって、顔を真っ赤にしてすぐ下を向いて俯く。


「あっ、ごっ、ごめっ……ん……」

 恐る恐る両手を井野さんの体から離して、わかりやすくもう何もしない、ということを示すため手を上げて一歩二歩距離を取る。

 この状況をどうやって解決しようか頭を悩ませ、そして、


「……そ、そんなに怖がっているのに、安易に男になんでもするなんて言ったらだめだよ……。何されるかわかったものじゃないよ……?」

 優しく諫めるように、彼女に話した。すると井野さんは俯いたまま、


「……で、でもっ……こういう場合は、何か恥ずかしいことしないと、弱みをばらされるって、読んだ漫画で……」

 たどたどしい様子で、僕にそう返した。


 ……どんな漫画だよ。それ、全年齢向けの漫画だよね……? なんか、井野さんの様子見ていると、十八禁のも混ざっているんじゃないかって不安にもなるんだけど……。


「……いや、別に全部が全部そういうわけじゃ……」

「……そ、そうですよね。八色くんだって、こんな地味でコミュ障で、ぼっちの女にえっちなことしてもいいってなっても、全然嬉しくなんてないですよね……」


 なんでそういう話になるの? え? おかしくない? 今僕簡単にえっちなことしますって言ったら駄目だよって注意したのになんでそういう話になるの?

 どこから話を整理すればいいかわからない。もうひとつずつ解決していくしかないか。


「はぁ……」

 僕はため息をついて、そっと彼女の側にしゃがみ込んでは、前髪で隠れた目もとに手を差し伸べ、


「……井野さんだって、十分可愛いところあるから、そこは自信持っていいよ」

 赤いフレームの眼鏡をゆっくりと外して、くりっとした穏やかな垂れ目をじっと見つめる。……よく見ると、目もとにほくろもついているんだ。いわゆる泣きぼくろって奴か。


「へっ……あ、あのっ、め、眼鏡……ないと、何も見えなくて……」

「ああ、ごめんごめん、はい」

 すると、井野さんが手をフラフラと前に彷徨わせたのを見て、すぐに眼鏡を返した。


「……で、少なからず僕は、井野さんの趣味とか、漫画描いていることを誰かに話す気はないから。無条件で。それを種に何かして欲しいなんて思ってないし」

「……でっ、でも……」


 僕がそう言っても、相変わらず不安そうな井野さん。ここまで不安になるってことは、よほど人を信用できていないか、自分のことを極端に下に見ているとか、どっちかなのかな……。さっきの自虐を聞く限り、後者な気もするけど……。


「じゃ、じゃあわかった。ジュース一本奢ってよ。それでチャラでいいから」

 こうなると、形だけでも何か要求したほうがわかりやすいと思った僕は、一番シンプルでかつ、負担がそんなに大きくないお願いを口にした。


「……そ、そんな、ふたつも黙ってもらうのに、ジュース一本だけなんて……そ、それでいいんですか……?」

 床に座り込んだまま、揺れる瞳で僕を見上げる井野さんは、再度僕に確認する。

 ……ああもう、どこまですれば満足なんだこの子は。


「じゃ、じゃあ……いつでもいいから、メックでポテトとジュース。それでいいよね?」

「……わ、わかりました……。それで、お願いします……」


 ふう……なんとかこれで一区切りつきそうだ……。色々あったけど、もう終わりでいいよね? いいんだよね?

「……そうそう。あと、これ、忘れ物。……漫画、上手なんだね」

 僕は大きく脱力したのち、置いていたカバンのチャックを開け、図書室で拾っていた井野さんの忘れ物を手渡す。


「ふぇ……? あ、あ、ありがとう……ございます……」

「それじゃ、僕はもう帰るから。図書当番ない日以外は基本暇しているから、井野さんの都合がいい日でメックはいいよ。あと、早く制服直しなよ。春とは言え、それだと寒いでしょ。じゃあね」


 井野さんの返事を待つことなく、僕は逃げるように狭い教室を後にした。

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