同じ学校の物静かな子がひったくりに遭っているのを助けてから、僕に懐いてくるようになった

白石 幸知

第1話 出会い×ひったくり

 その日は、所属している図書局の仕事があって、ちょっとだけ帰りが遅くなってしまった日だった。春とはいえ少し日が沈みだしている頃で、オレンジ色に染まった空が少し俯いた視線の端に映りこむ。


 高校から駅へと向かう大通りをひとりで歩いていると、ふと、目線の先に、同じ学校の制服を着た女子生徒が駅に向かっているのが視界に収まった。


 いや、ただ歩いているだけならそんなに気にも留めることはしなかっただろうけど、目に入ってしまったのには理由がある。


 ……物凄く、歩くのが遅かったんだ。


 落ち込んでいるのか、それとも単に右肩にかけているカバンが重たいだけなのか、後ろから見ただけではわからないけど。


 でも、別に僕は知り合いでもない子にいきなり声を掛けるようなコミュ強でもないし、具合が悪いわけでもないみたいだから、普通に歩いて追い抜いていくんだろうなあ、くらいにしか思っていなかった。


 歩道を歩いていると、向こう側から自転車専用レーンに乗って走ってくる一台の自転車が見えた。やけにきょろきょろしているなあとは思ったけど、それ以外は何も印象をもたなかったので、僕は引き続き、駅までの道を歩いていた。すると、


「ひっ、ひゃっ!」

 車の走行音に混ざるくらいの大きさで、そんな悲鳴が前方から聞こえてきた。


 ……どうかしたのかな?

 不審に思い、顔を上げて様子を窺ってみると──


「……さっきの自転車の人、カバンなんて肩にかけてたっけ?」

 で、前を歩いていた女の子、手ぶらで歩いてたっけ?


 このふたつの事柄と、さらに、パクパクと口を動かして何か言おうとしている彼女の様子を見て、何が起きたのか瞬時に判断した。

 ……今走っている奴、ひったくりかい。


 よくまあこんな大通りで、しかも近くに人が歩いてる状況でやろうと思ったね……。

 そうこう考えているうちに、ひったくりは僕のいるほうへとどんどん逃げていく。……あまり騒ぎになること好きじゃないんだけど、場合が場合だから仕方ない。非常事態だしね。気づいている様子を見せると、ひったくりがあからさまにかわそうとしてくるかもしれない。ので。


「よいしょっと」「うわっ!」

 僕の真横を通過するタイミングを見計らって、ひったくりが歩道側にかけているカバンを掴んで、転倒させた。……よい子は真似しないでね。危ないから。


 そして、この歩道の上で転んで痛がっているひったくりの何が一番無計画かって言うと……。


「あ、そこの交番からおまわりさん呼んできてくれない? こいつ、僕見ておくから」

 僕は駆け寄って来たカバンを取られた女の子に、そう指示を出す。三つ編みの長い髪に、さらに目もとまでうっすらと隠れていて、赤縁の眼鏡をかけていることくらいしかわからなかったけど。


 そう、……この近く、徒歩一分くらいのところに、交番があるんですよね。


「ひゃっ、ひゃいっ!」

 ちょっと舌足らずな返事で彼女は再び僕から遠ざかっていき、交番に駆けていく。

 ひったくりがようやく痛みから解放されて、いざ逃走をしよう、と目論んだときには、通報を聞いたおまわりさんが自転車に乗って現場にやって来ていて、もはやひったくりに逃げ道は残されていなかった。


 無事、ひったくりの若い男は警察のお縄について、僕らも数時間ほどで事情聴取というものは終わった。また後日話を聞くことがあるかもしれないとは言われたけど、概ね問題なくことは済んだのだろう。


 ……でも、やばいな、もう夜の十時回っちゃったよ。連絡はしているとは言え、早く帰らないと後が面倒だ。


「そ、それじゃあ、僕はもう帰るんで。迎えが来ているんだよね? お気をつけて」

 交番から移動した警察署の玄関付近で、僕は物静かな様子の彼女にそう言った。

「……あっ、あのっ」

 側を離れようとすると、僕は彼女に呼び止められた。


「……き、今日はありがとうございました……。と、とても……助かりました……」

 ペコリと頭を下げて、お礼を言う。頭からなんか湯気が出ているあたり、相当緊張しているのだろうか。


「ううん。僕は別に。それじゃあね。井野さん」

 最後に、パトカーに乗っているときに聞いた彼女の名前を口にして、僕は改めて帰り始めた。


 井野円いのまどか。それが、さっきまで一緒にいた子の名前。僕──八色太地やいろたいち──と同じ高校の、同じ二年生みたいだ。クラスは違うようだけど。


 こんな、偶然チックすぎる出来事が、僕と井野さんの出会い。この出来事が、特筆すべきことが何もなかった僕の高校生活を、大きく変えることになるとは、僕も予想してなかった。

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