第31話

 車の中のことだ。


「どうしたんだ?」


 父は心配そうにしてそう言った。姫はずっと俯いたまま顔を上げない。何も喋らない。


 スッと手を伸ばして、姫の手を握ってみる。何も反応がないのかと思えば、手にギュッと力が入ったのが分かった。僕もそれに応えるように、少し力を入れる。またそれに反応して、姫も力を入れてくる。


 そんなことをしていると、僕は無意識に指を絡ませていた。恋人繋ぎになってしまっている。ずっと顔を上げていなかった姫は、どういうことなのかと気になるだろう。見上げるようにして、僕の方をチラリと見てきた。


 でも、すぐに下を向く。


 白乃……。やはり、みたいだ。今日のことも、これまでの僕に対することも。色々と、分からせなければな。


 だが、それはまだ先の話だ。準備をして、彼女に隙ができた時、そのチャンスを狙って確実に……。いや、今はいい。今は考えるな。姫を落ち着かせるのが最優先だ。


 手を握りながら、僕は話しかけてみる。


「な、なあ姫———」

「話しかけないで……。今、静かにしていたいの……。だから……話しかけないでね、お兄ちゃん……」

「は、はい……」


 白乃と同じく光の宿っていない目をしていた。な、なんか怒ってる?


 家に着くまで、これまでになく静かな状態が続いた。



 ****



 帰ってきて、すぐに姫は自分の部屋に飛び込んでいった。今はそっとしておいてあげよう。僕ができるのはそれくらいだ。


 ん? いや、待て。まだできることがあった。この袋。姫の服が入っている袋だ。あの子はこれをリビングに置いていったまま、ドタドタと部屋に入ったのか。僕はメールでそのことを伝える。多分、返信はないだろうけど……。


『ピロン』


 え、返信きた。いや、てか早。送信してからすぐだぞ。


『持ってきて』

『うん。分かった』


 そう文字を打った後に、姫の部屋に向かった。


 階段を上がっている最中に、あの時なぜ白乃が僕に気づいたのかが気になり、考えていた。フードコートに家族揃って進んでいったはずだ。


 その近辺から離れたトイレだぞ? なぜそこに僕がいると分かったんだ? 見つけたのか? どうやって?


 頭の中がぐちゃぐちゃになっても、考え出される答えはなかった。なら、当の本人に……。いや、やめておこう。当の本人の妹だな。黒乃に、白乃のあの時のことを聞いておこう。黒乃に僕が同じところで遊んでいたことがバレてしまうが、別にいい。それほど困ることでもない。


 黒乃には後で聞くか。袋を持ちながら歩いていくと、姫の部屋の前に到着した。置いておけばいいのかな? どうしようかな。するとまたピロン、とメールの着信音が鳴った。


『入ってきて』

『いいの? 落ち着いた?』

『どうして落ち着かないといけないの? 別になんともないよ』


 本当か? 強がってるだけじゃないのか? 疑念を抱きつつも、その扉を開けた。


「げっ!?」

「ん? あ、お兄ちゃん」

「いや! 服着ろよ! なんで下着姿なんだよ!」

「なんでって……時って、こういう格好じゃダメなの?」

「意味わかんないよ! 急にエッチするって、どういう経緯でそうなったんだよ! 落ち込んでるんじゃないのかよ!」

「だからなんで姫が落ち込むの? 落ち込むようなことあった?」

「え、だって白乃にめちゃくちゃ言われて、泣いてたじゃん」

「ああ、あれ? あれは、お兄ちゃんの気を引くための演技だよ?」


 あ、そういやこの子、女優じゃん。


「いやぁー、あれがお兄ちゃんの言ってた白乃さんかぁー。一度お会いしたかったんだよねぇ。もしかしたら、姫より可愛いのかもね。あれには敵わないかなぁ」


 なんの勝負をしてるんだよ。二人は僕の彼女の座を争ってんのか?


 下着姿の妹は続けて言う。


「まっ、さえ作ってしまえば、こっちの勝ちだよね」

「は?」

「お兄ちゃん。こっち来て」

「え、い、嫌だ……」

「えー? 嫌がるの? 可愛い可愛い妹が、『エッチしよ』って誘ってるのに、断るんだー」


 姫が近づいてくる。パンツだけ履いている彼女の脚は、これまでに見たことのないほど美しく艶のある脚だった。すごく綺麗。……って、そんな感想を持ってんじゃねー!


 僕はドアの取っ手に手をかけた。


「あ、逃げる気? じゃあ大声でレイプされそうになったー、ってお父さんに言おうかな。この姿なら、お兄ちゃんは弁解の余地ないよね?」


 すぐに手を離した。僕の逃げ道は塞がれたのだ。こういう時は冷静に。神木さんの時と、同じようにすればいいはず。


「な、なんで」

「ん? 何?」

「なんで、急にこんなことを?」

「んー。ムカついたからかな」

「白乃に対して?」

「いんや、お兄ちゃんに対して」


 姫は、取ってから離した僕の手を取り、ベッドに座らせる。目の前に姫がいる。


「なんで、僕に対して?」

「だって、姫とのデートなのに、白乃さんと話してたもん。それでムカついた。彼女だったとしても関係ない。これは他の女の人でもそうだよ? あと、泣いた演技は、白乃さんからお兄ちゃんを奪うため。あの時、ずっと白乃さんばっかりだったもん」


 何言ってんだ? 確実に、いつもの姫じゃない。自分以外と話してるからムカついた、とか、そんな白乃みたいなこと言うなよ。


「ムカつくから、キスしまーす」


 すると姫は、その言葉通りで、ゆっくりと顔を近づけて僕にキスをしてきた。今度のは重ねるだけじゃない。しっかりと舌を入れてくる。お互いに舐め合いながらのキス。ベロチューだ。


「ンッ、チュッ」


 口を離す。当然、舌には唾液の糸ができている。濃厚なキスだ。


「フフッ、やっとお兄ちゃんとラブラブなキスしちゃったー! ごちそうさま、お兄ちゃん!」

「ッ……」


 あまり抵抗はしない方が良さそうだ。下手にすると、あとあと僕が両親に殺される。逆転の方法を思いつくまで、大人しくしておくか。


「じゃあ、お兄ちゃん。服脱いで」


 この子、本気だ。


 僕は、彼女の命令に、素直に従うべきだと判断した。


 そして彼女の容態が、普通ではないことも同時に気づいた。何か変だということに、気づいたんだ。

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