ブレイブ・イン・ザ・スーツ

えくすと

1 南城李人


 1


 ホログラムディスプレイはやはり性に合わないので使うべきじゃないと彼は思った。

 近未来的だし、見栄えもいいなと思ったので試しに使ってはみたんだが、これはあくまでもオプショナルな機能。別に自分のやりたいことは本体の小さなディスプレイだけでも問題なく済ませられるし、ホログラムは立ち上げるたび未だに少しびっくりする。

 ちょうど今しがた、道ゆく人々に拾ってもらった荷物の数々がまさに、そのびっくりのせいで駅構内に散らしてしまった鞄の中身だ。日頃から本体ディスプレイだけでの操作に慣れていると、ホログラムをアクティベートしてもその事実をすぐ忘れ、起動した時に驚かされてようやく思い出すくらいの話だ。同じタイプの人間にとってはあるあるだろう。

 通勤通学で混み合う時間帯だというのに、朝からしょうもない恥をかいてしまったと、彼は赤面しながら頭を下げた。


 ディスプレイ設定を使い勝手の良い状態に戻し、小走りで大通りへと出た彼の左腕で、騒ぎの種であるIPSuM Watch (イプサム・ウォッチ)は沈黙した。


 ◇


 南城李人なんじょう・りひとは警察官である。

 交番勤務を経て、ここしばらくは警視庁の中でも比較的新しい部署である"科学技術犯罪捜査課"に所属している。25歳・巡査の彼にとってそこは新進気鋭のセクションであるとともに、日々試練を重ねる中で喜びや誇り、自分なりのスタンスやポリシーなどというようなものを少しずつ見出し始める舞台ともなった。

 お気に入りのネクタイをきゅっと締め直して出勤。少し早足で向かうその先には、フォーマルスタイルでありながらその端々に軽妙なアレンジを取り込んだ、齢の割にカジュアルな雰囲気の男。

「アキさん、おはようございます」

「お、南城珍しく遅かったな。科技捜が名残惜しくて泣き明かしたか?」

 南城とその先輩である対馬晶つしま・あきらの両名が人事異動通知を受けたのはつい先日のことだった。今朝は一旦科技捜に顔を出し、別れの挨拶と、荷物の回収。それから対馬と共に新たな異動先へ向かう流れになっている。

「そんなんじゃないです。ただ…ちょっと、電車トラブルで」

「ふうん」

 対馬の問いに、南城はいたって正直に答えた。ダイヤの乱れや人身事故こそなかったが、通勤中のアクシデントという点において嘘はない。

「…っていうかアキさん、本当に荷物それだけですか?」

「おう。こう見えても俺はミニマリストだからな。お前が多過ぎなんだよ」

「いやこれが普通ですから。逆に何なんですか、異動の荷物がビニール袋一袋って」

 軽口を叩き合いながら、対馬は片手でそのヘアセットを直し、南城はパッケージングを完了させる。ミニマリストだなんだというのももちろん戯れ言だったわけだが、南城にとってはわざわざ突っかかるまでもない。

「うるせえな。ほれ行くぞ」

 対馬は南城の背中を軽く叩き、出発を促した。

 ことほど左様に、二人は気の置けない師弟関係にある。

 この数年間、対馬は南城を連れて、様々な"科学技術犯罪"に立ち向かってきた。


 スマートデバイスシェア世界最大手のザイオン社が、独自のウェアラブルデバイス・IPSuMシリーズのリリースによって世界の常識を塗り替えてから数年が経過していた。

 IPSuM OSという革新的オペレーティングシステムの完成を皮切りに、シリーズとしてWatch、Lens、Grip、Step、Goという全5種にわたるラインナップを展開。腕時計型の"Watch"やアイウェア型の"Lens"など、パーソナルデバイスやビジネスツールとして一般に広く普及しているコンパクトな製品もあれば、”身に付ける”というより”装備する”に近いような比較的大型機器である"Grip"や"Step"などは、流通や介護、災害現場などの専門分野で活躍しており、いずれも多岐にわたってその機能性と情報処理能力を発揮している。

 今やガジェットは着る時代。こうしたウェアラブルデバイスの成長と普及こそが、彼らにとっての現代社会のハイライトである。少し前の言葉でいうところの、IoTというやつだろうか。

 そしてその中でも、IPSuMシリーズ全機種と連動し、各機の外部コントロールやデータのトータル管理などを担うコンソールデバイスとしての役割も相まって、より一層普及を続けているのがIPSuM Watch。まさに南城が着用している腕時計型デバイスだ。

 かつて世界を席巻したスマートフォンやタブレットのシェアは、減退こそせずとも停滞し、その役割は少しずつIPSuM各機に分散する形で置き換わってきている。


「なんか今日混んでんなあ」

「運転手さん、どうですか?」

「うーん。この感じだと、早くて15分ってところですかね」

「ちょっとの買い物くらいなら、Goでも履いてってくれりゃあいいのにな」

 既存産業の盛衰でいえば、自動車市場も少し前から停滞している。化石燃料で走る車の販売が規制されて久しいというのもあるが、ローラーやスパイクの換装機構を持ち、ヘルスケア管理や経路予測などもできるシューズデバイスIPSuM Goが、Watchに次いで一般顧客の間で大流行しているというのが近年の要因としては大きい。遠距離移動や大型貨物などを考えると車自体はまだ手離せないツールだが、個人や少数程度の身軽な移動なら、IPSuM Goでのスケーティングで事足りる人々も多い。Goが公道で利用できるよう交通法規が改正されたのも、比較的まだ新しいニュースだ。

 最後くらい気持ちよく科技捜の経費を使ってやろうというけちな理由で対馬がタクシーを手配したのだが、かくのごとく交通渋滞に巻き込まれることは依然としてある。一時代前と比べて環境面ではかなり良くなったが、空気が綺麗でも予定に不和が生じては台無しというものだ。

「まあ、荷物とかの兼ね合いもありますからね。Goに興味ないって人もいるでしょうし」

「まあ…それもそうか…いろんな人がいるよなあ、うんうん」

「いや、アキさんだってGo履いたことないでしょ」

「お前だって履いてないだろうが」

「仕事とプライベートは別ですから。俺は持ってますけど、出勤は電車ってだけです」

「ははは、仲良しだねえ、お二人さん」

 そう。テクノロジーの進歩はすべての人に押し付けられるものじゃない。微笑んで二人の掛け合いを聞くタクシードライバー、その腕にすらIPSuM Watchが巻かれているわけだが、誰も彼もがこの手のものを使いこなせるわけでもない。時代の変化についていけず馴染みあるものだけに寄り掛かる人もいれば、貪欲に高度に順応して新しいビジネスやテクノロジーへと昇華できてしまう人もいる。

「お二人さん、お急ぎでしたかね?」

「あー、まあ多少遅れても、最初くらいは大目に見てくれるっしょ。平気平気」

「…アキさん覚えてます? 俺が赴任した日、何事も最初が肝心だって言ってたの」

 そして、悪用してしまう人も。

 例えば、IPSuMによってフィジカルが強化されたために発生した傷害事件というのも残念ながらある。

 また、デバイスが変われど、それらを繋ぐネットワークは変わらず、情報や言葉は人を乱し、社会を乱し、時に命さえ脅かす。

「…ああ、でもだんだん流れてきましたね。お二人さん、もう少し早く着きますよ」

 タクシードライバーが、目の前の光景とIPSuM Watchの経路予測をもとに安堵の声をかけた。

 人を想う気持ちが生んだはずのテクノロジーが、人を悲しませることがないよう奮闘する。それが二人のいた科技捜という部署だった。


 ◇


「アキさん、新しい配属先ってどんな所なんですか?」

 今回の異動は、なんでも国が立ち上げた新設部局からの直々の招集だとか。形式だけで言えば出向にも近い気はするが、一応栄転と捉えて相違ないのだという。

 ただその所在地が"少し面倒"らしく、迎えを寄越すので指定の場所で待つように、とあらかじめ言われていた。タクシーでの移動はその指定場所までであり、無事到着した二人はそこで迎えを待っていた。

 向こうも忙しいのだろう。渋滞にさほど気を揉む必要もなかったらしい。

「外部組織なんですよね? 今日の今日まで、名前も聞かされてないんですけど。担当業務は?」

「うるせえなあお前は。生徒会長か」

「物静かな生徒会長だっているでしょう」

 対馬の適当な突っ込みを打ち返すことなど、南城にとってはもはや造作もなかった。ただこう見えて、南城にそんな無駄なスキルを与えてしまったことを、対馬は直属の先輩として一応気まずく思ってはいるようで。 

「……まあその、とにかく俺も実際、そんなにまともには聞けてないんだよ」

 懐から駄菓子のミニドーナツを取り出し、南城の手の中にぽんと収めると、対馬はそのまま続ける。

「…科技捜と同じく、機械犯罪絡みの部署、ってことくらいしかな」

「だから、科技捜の俺たちにお呼びがかかったと」

 南城はそのドーナツ菓子を開封し、口に放る。当の南城はあまり太らない体質だし、トレーニングが習慣づいているので体重管理にも手を焼いたことはないが、やはり甘い物には罪悪感が付き纏う。まあ、せっかく無神経な対馬が気を利かせて渡してくれたんだし、このくらいなら。

「なんでもいいんじゃねえの。ずーっと同じ机に踏ん反りかえって、だらしなく太っていくくらいなら、俺はあちこち歩き回って、つまみ食いしてる方が楽しいね」

「まあ、普通はつまみ食いの方が太りますけどね」

 その実対馬晶といえば、これまで幾つもの事件を解決に導いた腕利きの刑事——のはずなのだが、当の本人はかなりのオプティミストで駄菓子好き、風吹くままの気分屋だ。刑事ドラマにて変人奇人と称されるタイプのデカは、実在するとしたらこういう感じだろうかと南城は時々想像する。

 それでも南城が彼についていく、そして彼もまた南城を連れて行く、そこにははっきりとした理由もあるわけだが。

「でも、なんでアキさんに白羽の矢が立ったんですかね? 俺はまあ、手伝いみたいなもんだとしても……」

「そりゃあお前、俺が有能すぎてほっとけないって話だろ」

 他の先輩も、課長もいたのに、よりによってこんなふざけた人にだろうか、と南城は首を傾げたが、そこで二人の前に停車した物々しい黒塗りの車がその答えを教えてくれることとなった。察するに、くだんの"迎え"だ。

「対馬警視に、南城巡査ですね。お待たせいたしました」

 ドアの閉まる音と共に姿を現したのは小柄な女性。そして、パワーウィンドウから顔を覗かせたのは——

「…久しぶりだね、対馬くん。血糖値は大丈夫かい?」

「倉敷さん…!」

 対馬が選ばれた理由、まさにその人だった。


 2


 彼の指がチャイムを押して少し経つと、部屋着姿の男がドアを開錠し、その隙間から締まりのない顔を覗かせた。

「おはようございます。ヴォーグです」

「…ああ、来たか」

 男は起きたままの髪を掻きながら、まだ半分寝ているような嗄れ声で彼を迎える。綺麗に磨かれ整頓された革靴の数々と、まめに整えているらしい髭や眉毛から、日頃は端正な身だしなみであることが窺い知れるが、それも今は完全にオフのようだ。

 対する彼——"ヴォーグ"を名乗る来訪者——の清潔で淡麗なスーツの方が、どちらかといえば今この高級感溢れるマンションに似つかわしい風貌ではあった。すらっとしたその身にはややアンバランスな、無骨で大きめのジュラルミンケースをその両手にひとつずつ携え、彼は自らの冷淡なビジネススマイルに弁明を添える。

「最終調整にやや手を焼いてしまいまして。お待たせして申し訳なかった」

「構わねえよ。その性能ってのが本物なら」

「…これはこれは。我が社の技術を信じて頂けないまま、お買い上げになったと?」 

「そうじゃねえよ。…ただ、こんなもん売ってる連中、初めて聞いたからな」

 男が顎で指したのをにこりと見届け、彼はジュラルミンケースを男へ引き渡す。外見に相違なくある程度の重量があるようで、男は部屋の玄関に傷がつかないようゆっくり接地させる。屈み込み、パチンという開錠音とともにケースを開け、格納されていた”こんなもん”たちを目視で確認すると、男は頭上の彼を見上げて無言でうなずいた。

「…まあ、使ってみるか」

「今後とも、ご贔屓に」

 改まって姿勢を直すとともに、彼の微笑みがよりコントラストを強めた。では私はこれで、との一言を残し、彼は玄関の扉を静かに閉めた。


 カツカツと通路を叩く革靴の音が漏れ聞こえる中、男は受け取った商品を手に取り眺めてみる。


 その出会いはあまりに唐突だった。

 男の暮らしは、今まだ裕福に見えるが、もう間もなくそのマンションを出なければならないのが実情だった。この暮らしを実現するに至るまでがむしゃらに奮闘し登り詰めた仕事だったが、ここにきて同僚の裏切りに遭い、頓挫したプロジェクトの責任を一挙に被ることとなってしまったためだ。

 その不条理さと薄情さに怒り狂い、もがき苦しんでいたところに現れたのが彼であり、薦めてきた商品がこれだ。流行りのIPSuMシリーズと酷似しているが、曰く"別物"らしい。

 圧倒的なパワーアシストと、どんな知識も自在に手に入る情報技術、それらを一挙に手に入れられればもう誰も敵わない。復讐するなら、買わない手はないと。

「復讐ねえ…」

 苦心していたとはいえ、そこまでの発想はなかった。ただ、男は今それ以外の選択肢に興味がなかった。

 いや、こう言い換えよう。失うことが決まっている男に、もう惜しむものはなかったのだと。


 3


 もう何枚の扉をくぐってきただろうか。

 新たな配属先は、二人にとってかつて経験がないほど強固なセキュリティにより守られており、"少し面倒"どころの話ではなかった。長く続く地下通路は、開ける扉という扉でパスコードを求められ、時に虹彩や指紋などの生体認証をも必要とする。安全性や秘匿性を追求すればするほど、かえって物騒な雰囲気が増すというのもなんだか不思議な話だ。

「詳しく話してやれなくて、悪かったね」

「なんだあ、倉敷さんが元締めならもっとずけずけ聞いとくんだったな。無駄に気遣っちゃったよ」

「国家安全局の先端技術推進本部長って、だいぶ偉い人ですよね…」

 対馬と面識があるらしいその男、倉敷丈治くらしき・じょうじは”意外とスゴイ人”だった。物腰柔らかな雰囲気と、対馬との砕けた関係性を見ただけでは想像に至らなかったが——

「このプロジェクト自体、私が立ち上げたんだ」

「うわ! 本当に元締めじゃん!」

「アキさん、それなんか聞こえ悪いですよ、別の言い方ないですか」

「あっはっは! 対馬くんが"アキさん"か。偉くなったもんだな」

 倉敷の温かくも豪快な笑い声が響く地下通路、その最後の一枚と思しき扉が徐々に見えてくる。


 偉大な発明品について回る運命さだめなのか、IPSuMの転売品や、その名を騙る改造品やブートレグなどが、一部ルートでは盛んに出回っている。もちろんこれこそ科技捜の取り締る分野であるが、近頃ではその手に余るほど凶悪な事件も僅かずつながら散見されはじめていた。

 本来のIPSuM製品のパワーアシスト機能を遥かに超える馬力を発揮し、装着者を含む多くの市民に危害を加えうる危険な改造品だ。

 こうした、いわゆる”違法IPSuM”——本来の用途から逸脱し凶器となったそれは、実際もうIPSuMではないのだが——による被害の増加や拡大を憂慮し、倉敷は国や民間、専門機関など様々な分野から人財を集め、新たなタスクフォースを編成した。それこそがまさに、二人が配属になった”ここ”というわけである。

「さすがは倉敷丈二。俺の名前を挙げるなんて、相変わらず鋭いっすね」

「君も相変わらず調子が良いな。ただまあ、来てくれるとは信じていたよ……デキる後輩も連れてね」

 その言葉とともに、倉敷から南城へ微笑みが飛ぶ。一見厳格な人かと思ったが、柔和で素敵な人だ。少なくとも、人間関係を原因として新たな職を辞する心配はなさそうだ。

「…だがもちろん、半端な気持ちで呼んだつもりもないよ」

 地下通路の最後の扉が倉敷を認証し、対馬と南城を新たに登録する。

「この組織は、今後市民の安全を守る上で非常に重要な存在になるはずだ」

 おもむろに声の厚みを増した倉敷の言葉に、対馬と南城の身が引き締まる。科技捜から自分たちが、わざわざこの人に呼び込まれた理由、そしてこれから起ころうとしている科学技術犯罪。それを確かめんとはやる気持ちが、南城の視線を扉の向こうへ引き込む。


「特命部局TWIST(ツイスト)。今日から君たちは、その"機動室"のメンバーだ」

 最後の扉が開いた。


 ◇


「着装端末犯罪鎮圧処理特命部。その英称のイニシャルを取ってTWIST。対策本部と機動室のふたつに分かれていて、ここはその機動室よ」

 地下50mの深さに存在するTWIST機動室、そのメインルームは非常にシンプルな間取りをしていた。広大で天井も高いが全体的には薄暗く、中央に大きなブリーフィングテーブルが鎮座しているが、サイドには個人用のデスクや各種ブースも配置されている。ワイドディスプレイが壁面の至るところに設置されており、情報管理に事欠くことはなさそうだ。

「彼女がこの機動室の室長、そして対策本部長が私、というわけなんだ」

岡崎杏樹おかざき・あんじゅ。よろしくね」

 倉敷から紹介されたその女性が、このチームのリーダーということだった。反射的に南城の身が引き締まる。

「あっはい。南城李人、警視庁科学技術犯罪捜査課から来ました。階級は巡査……」

「そんなに肩肘張らないで。堅苦しいのはナシで行きましょう、南城くん」

 岡崎杏樹室長。ここに来る前は技術庁ネットワーク部新時代技術課で課長を務めていたという。きりっとした佇まいの中にも垣間見える大人の余裕。冷静さが長所の南城すらも、自らをまだまだ若輩者と省みさせる包容力を感じる。

 その一方で、彼女の顔を覗き込むように敬礼を飛ばす対馬の挨拶は極めて軽薄だった。

「同じく科技捜警視、対馬晶と申します。よろしくね、杏樹ちゃん」

「ちょっ……下の名前で呼ばないでください、”対馬警視”」

「えーっ! 南城はくん付けなのに…つれないなあ」

「あんた自分いくつだと思ってんすか……」

 南城から敬語表現を失念させるほど、対馬の自由さは周囲を呆れかえらせるものがある。既に信頼関係が築けていればともかくとしても、初対面相手には最悪の印象だろう。もとい、本人にそれを憂慮する様子はないが。

「あっはっは、いいじゃないか。特命だなんだと言ってもね、職場ってのは明るく楽しい方がいい。その兆しが見られて嬉しいよ」

 またも倉敷の豪快な笑いが響く。場を丸くまとめる偉大な笑いのようでもあり、しかしながらどこか他人事のような楽観的なニュアンスも禁じ得ないが。

 そんな倉敷に、どっかりとブリーフィングテーブルの端に腰を載せた対馬が問いかける。

「で、俺たちの仕事ってのはなんなのよ」

「ああ、では本題に入るとしようか……。みんなも知っての通り、近頃IPSuMの——」


 早々に倉敷の開口を妨げたのは、突然けたたましく鳴り響いたアラートだった。

《みなさん、早速仕事のようですよ》

 壁面一帯に細く長く走るグリーンのライン、その全てが赤く塗り変わる。アラートに重なって聞こえてきたのは、その場にいる誰とも異なる男声のアナウンスだった。

「葛飾さん、画面を!」

《了解です………はいオープン》

 壁面のディスプレイに、何かが起こっているらしい場所の地図情報と、現場のリアルタイム映像が映し出される。既に杏樹とは挨拶が済んでいるらしいそのアナウンスの主は、機動室内の設備や技術に精通した人間らしかった。

《対馬さんに、南城さんですね。自分、技術屋の葛飾廉かつしか・れんと申します。別室につき、取り急ぎ音声で失礼します》

 そんな技術屋が映しだしたディスプレイには、無残に破壊される街路や建物、逃げ惑う人々。緊急かつ異常な事態が起こっていることだけは明らかだ。

「なんだなんだ? テロかよおい…」

「まさか…違法IPSuMって」

「その通りだ」

 常人を超えるパワーを発揮し、ユーザーや周囲を危機に陥れるIPSuMの違法改造品。まさしくこれを挫くために設立されたTWISTだが、とはいえまさか結成早々、その事件が発生するとは。

 ディスプレイの映像が切り替わると、その中央で一人の男が歩いているのが見えた。頭部にはアイウェアデバイスIPSuM Lens、上半身には腕力強化服IPSuM Grip、下半身には脚力強化服IPSuM Stepが、それぞれ禍々しく手を加えられ、一着のパワードスーツと化した状態で装着されている。ゆっくりと前進しているが、時にその腕からレーザー光線を照射したり、眼前の障害物を無理矢理に押し曲げたり、テロという表現があながち大袈裟でもない凶暴さだ。

 違法IPSuMの恐ろしさはここにある。場合によっては警察や機動隊の実力行使でも鎮圧しきれず、かといって重火器や装甲車などで装着者を傷つけるわけにもいかない。今までに発生した数件の事例も、装着者自身による武装解除か、スタミナ切れを待つしか術がなかったのだ。

「あれを腕っぷしで止めるのが俺らの仕事だっての⁉︎ 命いくつあったって足らないぞ!」

「どうしますか、本部長。装着員はまだなんですよね」

「うむ…」

 画面の中で、警官隊が応戦を開始する。必死の制止もむなしく男が前進を続けるので、やむなく警察も懐から拳銃を取り出し、発砲に出る。しかし違法IPSuMはそれらを一切受け付けず、雨粒のようなあしらいで振り払ってしまった。

「…倉敷さん、装着員ってなんの話ですか」

「ああ……。まさに、その説明の途中だったんだ」

 それは、違法IPSuM製品による凶悪事件の増加を憂慮し、IPSuMの開発元であるザイオン社の技術提供を特別に受けて作られた、いわゆるコンバットスーツのような機器がTWIST側にも存在するという話だった。

「コンバットって……向こうと同じような装備で、直接応戦するってことですか?」

「そうだ。こちらは”ステラシステム”という正当な防衛システムだが……正直、その装着員選定が難航していて、正式な装着者はまだいないんだ」

「い…いないんだじゃないでしょうよ! 一番肝心なのが間に合ってないんじゃん!」

 完全にパニック状態の対馬を一旦差し置き、倉敷は真っ直ぐな眼差しのまま続ける。

「…南城くん、これはあくまで私のわがままなんだが……今それを君に、着てはもらえないだろうか」

「!」

「本部長⁉︎」

「わかっている。何の準備もなしで、当然リスクもある。だが……今この場で最もステラシステムの適性に近いのは、君なんだ」

 パーソナルステータス、格闘能力、順応性。どれをとっても、今ステラシステムを最も低リスクかつ高適性で運用できるのは確かに南城だけだった。


 だが、南城に言わせれば自分は対馬の補佐として配属になった、おまけの若手。

 出過ぎた真似では?

 何かあってから責任を取れるのか?

 自分の身の安全は?

 ステラってやつの使い方は——


「やってみます、俺で良ければ」


 結論は、自分で気づくよりも先に口から出ていた。

 我ながら驚いた。本心かどうかもわからない。でも一介の警察官として、目の前に映し出された惨状を前に、ああだこうだと目先のリスクを検討している余裕などなかった。自分の中にもこの数年で僅かながら芽生え始めた警察官としてのポリシーが、その結論をひとまず是として、自らの背中を強く押したのだ。

「——本当にすまない、その勇気に感謝する」

「本部長、各種承認は……」

「緊急中の緊急につき、本部長決裁で押し通す。あとのことは任せてくれ。——では南城くん、簡単に流れを説明しよう」

 倉敷に肩を抱かれ、南城はともに別の部屋へと身を移した。


「マジか…南城が…」

 まだ赤みがかったままのメインルームで、対馬はへなへなと地べたにへたり込んだ。南城への心配やショックというのもゼロではないがそれ以上に、あまりにも急なこの展開に、年齢も相まって頭の回転がついていかない対馬。これでは確かにステラシステムへの適性は南城しか持ち合わせていないわけだ。たくさんの瞬きと深く漏れた息にその疲弊が乗る。

 そんな対馬の眼前に屈み込み、杏樹が引き締まった表情で発破をかける。

「…対馬警視、あなたにもやってもらいたいことがあります」

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