第8話 8

 東京タワーの展望デッキに上ると、夜景を楽しもうとするカップルの姿が目立つ。


「なんだかカップルばかりで落ち着かないな」


「なにを言ってるんですか?傍からみたらわたしたちだって立派な恋人に見えてるはずですよ。ほら、仲良くしてるのを羨ましそうに皆さんがこちらを見てますから」


 満足そうな顔をして話す彼女だけど、考えてる事とちょっと違うんじゃないか?

 陽菜に言われ周りを見渡すと、たしかにこちらの様子をチラチラと伺ってはいるけど……


 こちらを気にしてるのは7割が男性で3割が女性といったところ。

 大抵の男性は彼女の可愛さにやられてしまい、俺に対して嫉妬の念を抱いてるだけだろう。

 残り3割の女性に関しては、なんであんな可愛い子が俺みたいな男と一緒にいるんだろうと疑念を持ってるだけだ。


 安心してください。お金だけの付き合いですから彼女は正常です。

 お金を出してまで彼氏をレンタルする気持ちは正直いって分からないけど、一時的にお嬢さまの好奇心を掻き立てているだけですぐに飽きる思う。


「仲良くしてるように見えるのは、ずっと腕を組んでるからじゃない?」


「べ、別にこれくらいは恋人なら普通ですよね?あの人たちなんか手を繋いでますから……」


 ……どうも彼女の基準が理解できない。


 陽菜の中では腕を組むよりも手を繋ぐほうが敷居が高いようだ。

 密着度でいえば間違いなく腕組みの方が高いし、親密度も高い気がする。

 男からすれば……俺からすれば、さっきから理性を抑えるのに必死だ。


「幼稚園とかでさえ男の子と女の子は手を繋ぐから、それほどでもないんじゃないか?」


「大人になったら全然違いますよ。じ、直に手が触れ合うわけですし……」


 どんだけピュアな恋愛経験なんだよ……


 そもそも男性が苦手で女子校に通っていたくらいだから、彼女に恋愛経験はないのか。

 別れさせ屋の依頼でも『あれは付き合った事には入りません』と彼氏いない歴=年齢を今日はすごく強調していた。こちらが引くくらい怖い目をして……

 

 ああ!それで練習相手にレンタル彼氏の俺がチョイスされたんだ。

 好奇心からレンタルしてるわけじゃなく擬似体験がしたいならさっきまでの疑問にも納得がいく。

 それなら尚更の事、紳士的に振る舞わなくては。


 俺が誰もが認めるいい男になって陽菜の理想の彼氏像に近づけば、彼女に近づいてくる男のハードルも自然とあがる。

 こんな純情な子には、素敵な恋をしてもらいたい。

 

 別れさせ屋の時と違い、レンタル彼氏としての目的が漠然としてたのでこれはいいきっかけになった。

 初めてモチベーションが上がった俺は行動にうつる。


 嫌がられたらすぐに辞めればいい。


 そして俺は白くて柔らかいまるでマシュマロのような手を握った。


「ひゃん!?」


 えっ?

 こ、これは……


 俺にも彼女はいたしそれなりに女性経験がある。

 でもこんな反応をされたのは初めてだ。

 ひゃ、ひゃん?

 アニメでも聞いたことのない声に動揺して思わず体が硬直してしまった。


 腕を組まれたままで反対の手を握ろうとするとどうなるか?

 

 まるで、強引に陽菜をこちらに向かせたような体勢になり、そのまま二人とも固まってしまった。


 ま、まずい。こんなの想定外だ。


 しかもただ手を握っただけなのにどうして緊張してるんだ?

 普通は手を握る前に緊張するものなのに心臓がバクバクしている。

 

 そ、そうか。陽菜が体をビクッと震えさせて声を発したと思ったら、目の前にはとても小さくて可愛らしい顔がなんとも言えない表情で俺をジッと見つめてくるからだ。


 周りのカップルから「あっ」とか聞こえてるけど、見てないふりしても完全にばれてるから。

 それに頼むから次はどうなるの?みたいに期待した顔はやめてください。


 とにかくなにか声をかけようと焦っていると、陽菜が口を開く。


「お、お……」


「お?」


「お化粧室に行ってきます!」


 そう言い残すと、あっという間にトイレへ姿を消していった。


 ……やらかしちまった。


 相手の気持ちも考えず、自分勝手な考えを押しつけてしまった。

 その結果がこれだ。

 あんなにいい子にトラウマを植え付けてしまった。



 * * * *


 一方トイレへ逃げ込んだ陽菜は……


 ど、ど、ど、どうしましょう。


 まさか京介さんが不意に手を握ってくるとは……

 びっくりしすぎて思わず逃げてしまいました。


 でも……

 全然嫌な感じはしませんでした。

 それどころか胸がキュンってなってしまいました。


 それは先程の老夫婦のおばあさまが、わたしにこっそり耳打ちしたからです。


『わたし達も何年も昔にここであの人と写真を撮ったのよ。そして結婚後も毎年ここに来てるわ。あなたも頑張ってね』


 突然でびっくりしちゃいました。

 まだお付き合いどころか男の方を好きになったこともないのに。


 それを聞いたら京介さんをすごく意識してしまいました……

 自分がどうしたいのか分からなくて試しに頑張って腕まで組んでしまいました。


 結果は……

 このドキドキが京介さんに聞こえてしまうんじゃないかってくらい鼓動が早くなるんです。


 思えば『別れさせ屋』のお仕事をお願いした時に、初めてお会いしてからずっとこんな感じです。


 打ち合わせをした次の日にはもう気になっていて。

 お顔がまた見たくなってるんです。

 そして、また打ち合わせをお願いして……

 今度は声が聞きたくなるんです。


 だって京介さんは優しいから。

 

 一緒に歩いていればさりげなく車の走る道路側を歩いてくれます。

 打ち合わせで食事をすればフォークやナイフをさっと渡してくれます。

 もちろんドアやエレベーターだって開けて待ってくれています。 

 すごく紳士的なのに『俺はやさしくなんかない』が口癖です。

 ちょっと変わっているので笑ってしまうのですが。

 

 いつの間にか苦手だったはずの男性なのに、話していてすごく楽しくて。

 でも……あくまでもわたしは依頼者。

 まだお友達にもなっていないと思うと寂しくなります。


 『別れさせ屋』のお仕事が終わってしまった時に、わたしは生まれて初めて積極的な行動にでました。


 このままお友達にもなれず会えなくなるのが嫌で、社長さんに無理を言ってしまったんです。

 それはインターネットで見つけた『恋人代行』。


 それがどうでしょう?

 社長さんから試験的にやってみましょうってお返事をいただきました!

 嬉しいなんて言葉だけでは言い現わせません。


 もう嬉しすぎてベッドへダイブしました。

 わたしとしたことが……はしたなくてその日は反省です。


 この日を境に距離がぐっと近づいた気がします。

 それでもドキドキは続いています。

 最初は男性とお話することで緊張してドキドキしてるのかと思っていたのに、慣れてきた今でもおさまる気配すらありません。

 それどころか酷くなる一方です。


 わたしは心臓の病気かなにかなのでしょうか?


 こんなことは初めてです。


 それとも男性とお友達になるとみんなこんな感じになるのでしょうか?

 このドキドキの原因を早く突き止めなくてはいけません。


 あ、いけない!わたしがお仕事を頼んだのに、京介んさんから逃げてもう10分近くたちます。

 早く戻らないと……


 よかった!まだ京介さんは待ってくれてました。

 わたしが急いで京介さんの元に帰ろうとしたその時です……


「きょ、京介?」


 ……京介さんを呼んでるあの綺麗な人は誰でしょうか?


 わたしの胸がモヤモヤしてきます。

 こんな気持ちも初めてです。


 わたしはそこから一歩も動けなくなってしまいました。

 あと10メートルくらいの距離なのに、なんだか京介さんがすごく遠くに感じます。

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