初恋の終わり~私の大切なソフィア

あやむろ詩織

初恋の終わり~私の大切なソフィア


 私が、あの方に初めてお会いしたのは五歳の年。


 生まれつき婚約者として定められた私と、あの方との顔合わせの場でした。


 月の光のように輝く銀糸に、王家特有の紫色の瞳。

 この国で、王妃様を母君として持たれる第二王子殿下エドワルド様です。


 凛とした美貌を持つエドワルド様は、なぜか鋭い瞳で私を見つめられていましたが、私は一目で恋に落ちました。

 生まれる前から決まっていた私の婚約者。

 寝物語に乳母から語られた私の運命の相手。


 それはとても甘い響きを伴いました。


 私はこの日、この時を待ち焦がれてきました。


 ですが、私は気付くべきでした。

 物事は他所から見ると、まるで違うものになるということに。


 エドワルド様の瞳に浮かぶのは、婚約者である私に対する親愛の情などではなく、まるで敵を見るような目だったということに。


 初恋に浮かれる私には気付きようもなかったでしょうけれど……。 


 無邪気に会いに訪れる私を、エドワルド様は決して拒絶なさいませんでした。

 さりとて受け入れることもありませんでした。


 私が何を言っても何をしても、彼の瞳はいつも熱がないかのように冷めていて、唇は彫刻のように閉ざされていました。


 ですが私は、エドワルド様のお振る舞いは第二王子殿下であるが故、もしくは性格故のことだと自分を納得させていたのです。


 婚約者なのですから、いずれはきっと私のことを気にかけてくださる。

 いつかはきっとお心を開いてくださる。


 そう信じたままでいたかった。

 

 ……薄々は気付きはじめていました。

 


 決してエドワルド様は私に心を許しはしないことを。

 私たち二人の未来は愛に溢れるものではないだろうことを。

 

***


 学内に、昼を告げる鐘が鳴り響く。


 今日も憂鬱な時間の始まりだわ。


 そそくさと教室を出ていくエドワルド様を後目に、私は、窓際の席から外を眺めた。

 エドワルド様が、あの女と笑いあっている姿を見たくなかったから。


 私の婚約者であるはずのエドワルド様は、いつからか私以外の女生徒を隣に置くようになっていた。

 エドワルド様は、二学年時に編入してきた平民の女生徒メアリー様の面倒をみているうちに、互いに心を通わせ合い、今では人目に付くのも構わぬほど親密に仲を深めているようだった。


 そこに寡黙で無表情なエドワルド様はいない。

 甘く優しくメアリー様に接するエドワルド様。

 私が何年かかってもなしえなかったことを、メアリー様は一年足らずで成し遂げたのだ。


 私のしてきたことは何だったのかしら……。


 お昼休憩は、クラスが違う二人の大切な逢瀬の時間のようだった。

 大抵はエドワルド様がメアリー様のクラスに向かうが、時にはメアリー様がこちらのクラスに呼びにきたりもする。

 もちろん婚約者である私には一言もない。


 私たちの仲が冷え切っていることは、いまや周囲に察せられるほどになっていた。

 しかし、王家の事情に表立って事を荒立てようとする貴族の子弟はいない。

 それに私も、殿下の婚約者として、また公爵令嬢としてのプライドでもって、どんな時だって、何でもないふりをしてきた。


 本当は、悔しさと哀しみで叫びだしたくなるほどの慟哭を内に抱えていたけれど。

 

 でも、きっと大丈夫よ。

 婚約者は私だもの。

 いずれエドワルド様も気が付かれるはず……。


 私がソフィアを見かけたのは、そんな頃。

 鬱屈とした自分を持て余していた、三年に進級してすぐの春のことだった。


***


 今日も私はクラスの窓際の席から、物憂げに外を眺める。

 ここ最近は昼食を摂るのも億劫だった。


 南校舎にある私の席からは、中庭の景色が見渡せた。


 エドワルド様が平民の女生徒と懇意になってからも、当たり前のように季節は流れてゆき、また新緑の芽吹く時期になった。


 代り映えのない景色。


 すると、東棟の方から見たことのない女生徒が飛び跳ねるように出てきた。


 亜麻色のふわっとした髪の少女。

 全身に幸福なオーラを漂わせた姿は、まるで春の風のようだった。


「彼女の名はなんというのかしら?」


「確か、ソフィア・アガト侯爵令嬢です」


 目ざとい同級生の一人が即座に答えてくれる。

 こういう生徒が私の周りには何人か侍っていた。

 公爵家の派閥内の人間だ。

 彼女は、入学式の時に、アガト侯爵令嬢に花のバッジをつける係だったらしい。


「そう、ソフィア・アガト様というの」

 

 耳なじみの良い名前だった。

 私は、それからソフィアの姿を目にするのを楽しみにするようになった。


***


 ソフィアを初めて見た時から数日が経つ。


 彼女は昼休みがはじまると、東校舎から西校舎へと弾むように駆けていく。

 頬はバラ色で、瞳はまるで夢見るよう。


 きっと恋をしているのだわ。


 明るい未来を疑いもせず、エドワルド様にただ恋焦がれていた、在りし日の自分を見ているよう。


 願わくば、彼女の恋が上手くいきますように。

 そう願わずにはいられなかった。


***


「カレナ様、お聞きになられました?」


放課後のティーサロンは、貴族の子弟にとっては社交の練習場だ。

ここで互いに交流を深め、情報を交換し合う。

もちろん私も特に用事がない限りは参加している。


しかし、ここ最近ソフィアの姿が見られなくなったことで、私は気もそぞろだった。

ぼうっとして、近くに人が来ていることにも気付かなかった。


「何のお話でしょう」


私に声をかけてきたのは、敵対派閥のトップの家の娘だった。

警戒をにじませず相応の態度をとらなければならない。


「どうやら、校内で恥ずかしげもなく愁嘆場を演じている新入生がいるようですわ」


「愁嘆場、ですか?」


「ええ。最近専らの噂ですのよ。どうやら平民の女生徒に婚約者を奪われたどこかの田舎令嬢が、恥も外聞もなく泣き喚いて見苦しいと。まるで、誰かさんのお話を聞いているようではなくて?」


 どうやら私をあげつらって笑いものにしたいだけのようだった。


 それにしても聞いたことのない噂だわ。

 私のことを気遣った派閥内の者が、私の耳には届かないようにしていたのかもしれない。


「一体どなたのことかしら。事実確認はされましたの? 噂だけで物事を断じられるだなんて、余程ご自分のことに自信がおありなのね」


「ふん」


 私を動揺させることに失敗した令嬢は、取り巻きを連れて去っていく。


 なぜか嫌な予感がした。

 ソフィアを昼に見かけなくなってから、しばらくの時が経っていた。


 杞憂であってほしい。


「今の話、即座に調査して」


私は、側仕えに命令を下した。

公爵家は表にも裏の情報にも精通している。すぐに報告が届くだろう。


***


 届いた調査書には、ソフィアと婚約者であるクリフ・ヴァン伯爵家子息の事情が事細かに書かれていた。


 地方から王都に出てきた者は、素行が悪くなる者も少なくない。

 ソフィアの婚約者もそのうちの一人だった。


 なんてこと。


 ソフィアも私と同じ立場に立たされていただなんて。


 まるで私とソフィアを繋ぐ糸のようだ。


 不思議なことに、まだ会ったことも話したことすらないのに、私はソフィアに対して強い親近感を抱いていた。


 ソフィアの幸せそうな姿を思い出す。

 


 彼女の素直さは、私がとうに失ったものだった。


 王子妃教育の一環として、私は作法やマナーだけではなく、対人スキルや感情制御の方法などを叩き込まれてきた。

 そしてそれは婚約者であるエドワルド様に対しても発揮されることになった。

 

 いつまで経っても冷たい態度を崩さないエドワルド様に、時が経つほどに私は傷つき、怖じ気づいて、いつしか仮面をつけて接するようになっていた。


 本当は、いつだって縋りつきたかった。

 エドワルド様に懇意にする方が出来た時だって、泣いて詰りたかった。


 だけど、できなかった。

 私には、できなかった……。


 今ではもう、エドワルド様との関係はどうにもならないところまでいき、改善策も見つけられない。

 されど、自分から初恋を捨て去る気概も持てない。

 進むことも、退くこともできない。


 ……もしも、私がエドワルド様に対して素直でいることを諦めなかったら、何か変わっていたのかしら……。


*****


 その場に行き会ったのは、ほんの偶然だった。


 お昼休み、私は裏庭が見える渡り廊下を歩いていた。

 学級副委員長として、頼まれた書類を職員室まで持っていくためだ。

 学級委員長はエドワルド様だが、殿下に雑用を頼む者はいない。

 私はといえば、用事がある方が気が紛れるので、率先して引き受けていた。

 

 裏庭に差し掛かったところで、少女の喚き声が耳に入った。


「クリフ! こっちを向いてよ! あなたの婚約者は私でしょ⁉ どうしてそんな女の側にいるの⁉ クリフ!」


 婚約者らしき子息に袖にされて、人目も気にせず、泣き喚くソフィアの姿があった。


 周囲にちらほらと学生が集まり出して、ざわめき出す。


「なんてみっともない」

「恥ずかしくないのかしら」

ソフィアをあざける学生たちの声が聞こえる。


 そのうち、教師が現れてその場を収めるまで、私は一歩も動けなかった。


 恥も外聞もなく、心をさらけ出すソフィアに、横っ面を張られたような衝撃を受けていたからだ。

 

 ……私には、できなかったこと。


 いいえ、違う。

 私は、ただ逃げているだけだったのだわ。


 体面を気にするあまり、現実から目を背けていた。


 本当は気付いていた。


 私たちの婚約はエドワルド様から王位を奪うためのものだ。

 私と婚姻し、公爵家に婿入りすることによって、側妃腹の第一王子の王位を確かなものにする。

 王妃様の唯一の御子であるエドワルド様が苦しんでいたことを。

 そして、結果としてエドワルド様から王位を奪うことになる私を疎んじていたことを。

 

 ですが、恋い慕っておりましたの。

 いつかは、心のわだかまりを解いてくださると信じておりました。

 そして、互いに慈しみ合える関係になれると……。


 それは私だけが見た初恋の夢なのだわ。

 私の中で、大切だった何かが、崩壊をはじめる足音が聞こえた。

  

 私も、前に進まなければ。

 

 ***


 私は、エドワルド様と話し合いの場を持とうと努力した。


 結果は散々だった。

 そもそも殿下は、私との話し合いを望まなかったのだ。

 

 エドワルド様からは、婚約者であることを受け入れてやっているのに、これ以上何を望むのだと真っ向から断じられた。殿下が私に望んでいたのは、ただ婚約者としての立場だけだったのだ。

 話し合いを提案するたびに、エドワルド様の機嫌は悪くなり、ついに私との婚約を破棄して、メアリー様を正妃にするとまで言われるようになった。


 拒絶されるたび、エドワルド様への想いにはひびが入っていくようだった。


 私たちの埋められない溝は王宮にまで知れ渡ることとなり、父と叔父でもある陛下から、婚約の解消を打診されるほどになった。今までは私が我慢していたことで表面化していないだけだった。

 もちろん王命による婚約をなかったことにするのだから、ただでは済まない。


 そして何度目かの接触で、逆上したエドワルド様により、私は頬を打擲(ちょうちゃく)され、無様にも地面に体を投げ出していた。


 お終いね。


 じわりじわりと諦念が体を浸す。

 同時に一種の満足感もあった。

 

 複雑な気持ちを噛みしめる私に、声をかける女生徒がいた。


「大丈夫ですか? モスリーン様! お怪我はございませんか⁉」

「あなたは……」


 ふわふわの亜麻色の髪に、くりっとした栗茶色の瞳の少女。

 ソフィアだった。


 まるで十年来の知己のように感じる。

 これが私たちの初対面になるのが不思議なほどだった。


 ソフィアとは親しくする機会をうかがっていたので、この出会いはまさに渡りに船だった。


 私室へと誘う私に、ソフィアは疑うこともなくついてきた。

 ただ私を気遣う深い眼差しで。

 

 思い描いていた通りの方だった。

 ソフィアは、素直で正直で善良だった。

 この方になら、私も素直な気持ちを打ち明けても大丈夫かもしれない。


 私の事情を、ソフィアは自分のことのように嘆き悲しんでくれた。

 長い間、降り積もっていた哀しみが、溶けていくようだった。


 一方、ソフィアの話も、おおよそ調査書通りだった。

 元から仲が良くなりようもなかった私たちとは違い、領地に居た頃の楽しい思い出があるソフィアにとって、婚約者の裏切りはどれだけ辛かったことだろう。

 

 これからは私がいるわ。

 私たち二人とも、幸せになるべきだわ。


 とうに私は先を見据えていた。

 第二王子殿下との婚約解消により、私はかねてより打診のあった隣国の皇太子の求婚を受けいれることとなる。なぜか昔から私に執着している七つ上の昔馴染み。


 そうね。私の専属侍女としてソフィアを推しましょう。

 新しい地で幸せになるのよ。

 ソフィアのお相手は、私が見定めるわ。

 

 ヴァン伯爵子息の調査は現在も続けていた。

 どうやら平民の恋人は遊びで、飽きたらソフィアの元へ戻ろうとする節がある。


 そんなことは絶対に許さないわ。

 私の大切なソフィア。

 ソフィアは私が守るわ。


 それから私たちは、時間さえ合えば一緒にいるようになった。

 同時に、派閥の者を使ってソフィアを囲い込む。

 ソフィアは、公爵令嬢の私と親しくしているから、周囲から気にかけてもらっていると思っていたようだが違う。

 私が指示を出していた。

 もちろん秘密裡に護衛もつけていた。


 決して、ソフィアを傷つける人間を近づけさせないようにと。

 特にヴァン伯爵子息のような愚劣な輩を。


 ***


 ソフィアの側にいると、荒んだ心が癒されていく。

 私たちは色々な話をした。

 私のわだかまっていた恋心はほどけ、緩やかに過去のものへとなっていくようだった。


 私は、父と陛下と、婚約解消に向けての話し合いを始めた。

 私との婚姻で王位継承権争いから完全に離脱する予定だった第二王子殿下には、別の特別な配慮が必要なようだった。


 速やかに私の婚約は解消に向けて進み、同時に、隣国の皇太子との婚約の手はずが調う。

 もちろん、ソフィアを専属侍女として迎えるための準備も万全だ。


 順風満帆だった。


 ぼろぼろになってしまった私に、ようやく自信が戻ってきていた。


 

 それはまもなく卒業式を迎える日のこと。


 既にソフィアと隣国に渡る準備は完了していた。

 卒業式が終わり次第、私はソフィアと隣国に移住する。


 婚約の申込を受け入れて以降、度々と届く隣国の皇太子デレック様からの手紙を読んで、私はため息をついた。

 熱烈な恋文すぎて、とても私宛とは思えない。


 デレック様は成人されて既に公務に就いているため、大変多忙な方なのだが、日程を調整して、私を迎えに来ると言うのだ。

 そこには、デレック様が到着するまでは、決して一人で元婚約者殿に会わないようにとも書かれていた。


 どこからか情報が洩れているのかしら。


 私は、別の手紙に目を向ける。

 なぜか最近になって、今まで頑なに沈黙を保ってきた第二王子殿下が、私を呼び出したのだ。

 私の中で、第二王子殿下とのことはとっくに終わった話なのだけれど。

 すでに事態は動き、落ち着くところに落ち着いてきているので、今さらする話もないし、呼び出しをどうしようか悩んでいたのだが、デレック殿下にお任せすればいいわね。


 ***


 卒業式が終わり、裏庭のガゼボで待っていると、私の元婚約者が現れた。

 銀糸に紫色の瞳の第二王子殿下。

 幼い時に憧れた姿そのままに、見目麗しく成長された殿下だが、私の心はもう揺れ動かなかった。


 私たちの未来が分かたれた以上、話すことはもうない。


 互いの背後には、声の届かない距離を保って、側仕えと護衛がいる。

 

「何か御用でしょうか?」


 簡単に挨拶をした後、いつまでも話し出そうとしない殿下に水を向ける。

 殿下は軽く目を見開かれた。


「……婚約が解消されたと聞いた。一体どういうつもりだ」


 私はびっくりした。

 あまりにも今更な内容すぎて。


 私は背後にいる護衛に目配せをして、席を立った。

 


「どういうつもりも何も、私は何度も申し上げていたはずです。私たちの婚約は王命による政略でしたが、決して険悪な仲で続けられる類のものではないと」


 殿下は愕然とした顔をされた。


「どうして。 ……お前は俺のことが好きだったろう」


私はため息をついた。


「散々私を踏みつけにされたご自覚がないようですね。……確かにお慕いしていた時もございましたが、殿下を想っていた私の心はとうの昔に砕け散り、今や残骸があるばかりですの」


 立ち去ろうとする私を、第二王子殿下が引き留めようとする。

 私の背後にいた護衛、もといデレック様が、私たちの間に割って入ってきた。


「君たちの婚約は解消されているのに、こんな所で逢引とは許せないな。エドワルド殿下、私の愛しい婚約者を呼び出した理由をどうかお聞かせ願いたい」


 デレック様が黒い笑みを覗かせる。

 今の今までデレック様の存在に気が付かなかった第二王子殿下の顔色が変わった。


「もう二度とお会いすることはないでしょう」


 デレック様にあとを任せ、私はその場を離れた。


 背を向けて歩きながら、私の目から思いもかけず静かに涙が流れ落ちた。

 私の長い初恋が終わりを迎えた涙だったのか。


 いいえ、手向けの涙ね。

 私もソフィアも、幸せになるのだから。


***


 そうして学園を卒業後、デレック様に伴われて隣国に移住した私は、正式に皇太子妃になるまでの間に宛がわれた離宮でくつろいでいた。

 ようやく周囲が落ち着きはじめていた。

 

「愚かな男」


 私は、ソフィアの元婚約者の経過報告書を見ていた。

 彼は全てをなくし、ようやくソフィアの大切さに気付いたようだが、後の祭りだ。

 今は、ソフィアの後を追うようにこちらに移り、警備兵として働いているようだが、もちろんソフィアに会えるわけもない。


 ヴァン伯爵家のその後についても触れられていた。

 どうやら、アガト侯爵家との共同事業が潰え、慰謝料請求もされて大変なことになっているようだ。

 

 私は報告書を暖炉の火にくべた。


――コンコン


 扉の内側からノックの音が聞こえた。


 視線を向けると、精悍な美丈夫が背中を壁に預けて、悪戯めいた表情をしていた。

 私の新しい婚約者デレック様だ。


 彼は何が楽しいのか、忙しい政務の合間を縫って、何度も私の部屋に顔を出すのだ。


「私の訪れにも気付かないほど集中して、何を読んでいたんだ?」


 デレック様が、ちらりと暖炉の中の紙束を見る。


「ああ、ソフィア嬢の元婚約者か」


 私は驚いた。


「まあ、ご存知でしたの?」


「もちろん。愛しいカレナのことだからね」


 嘯くデレック様に、私はどこまで知られているのか目線で訴えると、彼は肩をすくめて見せた。


「いくら大切な友人とはいえ、普段冷静なカレナがそこまで熱くなるほど気にかける存在だなんて、少し妬けるな」


「おかしなことを仰らないで。私、大切なソフィアには、誰よりも幸せになってほしいだけですの」


 私の言い分に苦笑する年上の婚約者は、なんだかんだ好きにさせてくれている。

 私はデレック様のことは気にしないことにして、次の紙を手に取った。

 

「これももういらないわね」


 それは、クリフが浮気相手と別れた後に、ソフィアに向けて出した手紙だった。


 会って話したい、やり直したいなどと書かれていたので、私が保管していたのだ。


 ソフィアとクリフの交流は、ソフィアと親しくして以降は、秘密裡に私が絶っていた。

 ソフィアの手紙は、私の手の者が差し戻し、クリフの手紙はソフィアの目に入らないようにした。

 

 ソフィアの幸せな未来のために、万全を期したかったのだ。


 ソフィアは優しいから、クリフに縋りつかれたら、絆されてしまうかもしれない。

 そんな危惧があった。

 

 もちろん、新しい学園でソフィアに近づく人間の調査も行っている。


 だが、ソフィアにもし気が付かれたらという懸念はある。


 新しい地で前向きに生きはじめているソフィアをみると、私がソフィアのためにしたことは無用なことだったのではないかと思ってしまうのだ。


 ソフィアならば、たとえクリフと和解しても、自らの幸せな未来を選び取れたのではないか。 


 悩む私を、向かいの席で紅茶を飲んでいたデレック様が見つめている。


 扉を叩く音がした。

 応えると、勢い良く扉が開いた。

 

「失礼します。カレナ様、ただいま戻りました!」


 学園から帰城したばかりのソフィアだった。

 何か良いことがあったようだ。


「殿下! いらっしゃったとは存ぜず、申し訳ございません」


 デレック様がいるのに気付いて、ソフィアは驚いて慌てている。


 デレック様は苦笑して、椅子から腰を上げた。


「いいんだ。カレナの顔を少し見に寄っただけだから」


 デレック様が部屋から出ていく際に、ちらりとソフィアへ視線を向けた。


「これからもカレナのことを宜しく頼むよ」


 ソフィアは不思議そうに少し首をかしげると、当然のように頷く。


「もちろんです」


 花のように笑うソフィアに、一欠片も影はない。


**


 ソフィアが学園から戻ると、二人でお茶をするのが日課になっていた。

 ソフィアの話はいつでも楽しい。

 ここ最近では、騎士学科のとある男子生徒の話が増えてきた。


 しばらく話を楽しんで、話題が途切れたのを機に、私はソフィアに切り出した。


「実はね、私、ソフィアに謝らなければならないことがあるの」


 急に居住まいを正した私に、ソフィアはきょとんとする。


「なにをですか?」


「ソフィアに嫌われてしまうのが怖いから、今はまだ言えないのだけれど、……ソフィアは私のことを許してくれるかしら」


ソフィアははにかんで笑った。


「もちろんです。カレナ様のことを嫌うなんてこと絶対にありませんよ! どんなことだって許します!」


私は満面の笑みを浮かべた。


あなたの幸せは私の幸せよ。

私の大切な大切なソフィア――。

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