第8章 提示は効果的に
翌日から新たに彫刻の作業を担当することになった。絵画については昨日中にすべて終わらせることができ、午後にはデータをガザエルに送信した。三日以内に必ず絵画の作業を終わらせなくてはならないと決められていたわけではないが、そうしないとほかの作業まで手が回らなくなってしまうので、予定通りに終わらせられたのは良かった。
彫刻の方も美術館に運び込まれ、それらはすべて二階のフロアに運び込まれた。なぜ運搬が簡単な絵画を一階に展示し、運搬が大変な彫刻を二階に展示するのか疑問だったが、それについてガザエルに尋ねることはしなかった。おそらく、この美術館なりの考え方があるのだろう。絵画の鑑賞を目的に来る人の方が多いからかもしれない。
二階の展示ブロックにはそれに付随する部屋がないので、僕たちは説明だけを画像データとして自分たちのデバイスに取り込んで、それをもとに部屋で翻訳を進めていくことにした。もっとも、僕以外の二人がどのように翻訳をしているのかは分からない。データを保存するためには何らかのデバイスが必要になるのかは確かだが、翻訳結果をそのままデバイスに打ち込んでいるとは限らない。一度手書きで下書きをして、それをテキストデータとして保存する人もいるかもしれない。
自分が担当する作品については、一度二階まですべて見に行った。一階が絵画専門のフロアとして扱われているのと同じように、二階には彫刻以外の作品は展示されていない。各ブロックに五つか六つの作品が展示されており、それが全部で三つあるから、一人が一つのブロックの作品を担当することになった。僕が担当することになったブロックには、人を模した彫刻が並べられており、素材は石材や木材と様々だが、どれも同じ国で作られたものだった。したがって、翻訳作業にかかる負荷は多少軽減されることになる。あとの二人が同じ条件なのかは分からないが、あの二人ならたとえ様々な言語を扱うことになっても大丈夫だろうと思った(そういえば、ボォダは英語専門だと言っていたような……)。
ただ作品を観察することに飽きてきたのか、リィルが不満を零すようになったので、僕は彼女にウルスとボォダの手伝いに回ってもらうことにした。おそらく手伝うことなどないだろうが、彼らがどのように作業をしているのか見てくるように伝えた。その方が僕の技術を向上させることができるし、リィル自身も学ぶことがあると考えたからだ。
そういうわけで、今この部屋はとても静かだった。自分がキーをタイプする以外には、開けた窓から風が吹き込む音が聞こえるくらいだ。
作品が絵画から彫刻に変わっても、やることは基本的に何も変わらない。僕たち自身が作品の説明を考えるわけではないから、作業はどちらかというと文字通り作業に近い部分が多い。ただし、創造的な思考がまったく必要ないわけではない。足りない情報があると思ったら適宜付け足さなくてはならないし、そのためにはある程度自分で創作しなくてはならない部分もある。この仕事を単純な業務として捉えることはできないということだ。
翻訳作業をしながらも、僕はあの絵に関する考察を続けていた。何日か経って、そもそもなぜ自分はこんなにもガザエルに協力的なのかと思うようになったが、それは以前にも考えたことなので、すぐに思考を放棄して考えなくてはならない課題に集中した。
ウルスがどのような意見を述べるか分からないから、彼女の発表を聞いてからでないと決められない部分もある。もちろん、意見がたまたま重なってしまうこともあるかもしれないが、これは(ガザエルによると)一種の遊戯であり、研究成果を報告するような場ではないから、できるだけ二人とは違う考えを述べられるようにしたいと僕は考えていた。
ウルスなら、どのような考察をするだろう?
ボォダの意見は非常に纏まっていたが、はっきりいって、その内の半分くらいは誰でも思いつくようなものだった(こういうことは、終わったからこそいえるのだが)。きっとウルスも同じようなことを考えていたに違いない。
ただし、彼が最後に言っていたことについては、僕も同様に感じていたので、非常に納得できた。”The Fruit”というのが本当に林檎を指しているのかということだが、そんなふうに疑いを持って接することは大事だ。
ウルスなら、きっと面白い見解を述べるに違いない。僕は彼女のあとに発表するわけだから、それを上回る意見を述べなくてはならない。まあ、おそらく誰もそんなことは求めていないだろうが、できるだけ面白くできたら良いと僕は考えている。
リィルが帰ってきたら、彼女に相談してみようとも思った。まだ彼女と意見を共有していなかったが、せっかく二人いるのだから、そのアドバンテージを活かすに超したことはない。ウルスとボォダの二人にとっては不利な条件だが、僕とリィルは二人で一人なのだから、うん、まあ、それで良いだろうということにしておくことにした。
部屋のドアがノックされる。僕がその場で返事をすると、ドアの向こうからボォダが姿を現した。
「やあ」彼は一歩部屋に足を踏み入れて、僕に言った。「少しいいかな」
「どうかしたんですか?」
僕が尋ねると、ボォダは彼が担当する作品の内のいくつかを、代わりに僕に担当してほしいと頼んできた。というのも、ある一つの説明の翻訳が非常に難解なもので、それに多くの時間を費やしたいからとのことだ。特に断る理由はなかったから、僕は彼の依頼を引き受けることにした。
ボォダは礼を述べて部屋を出ていこうとする。
しかし、彼は途中で立ち止まり、身体を反転させて僕に言った。
「君さ、ウルスさんと、何かあるの?」
ボォダの言葉の意味を理解しかねて、僕はタイプする手を止めて顔を上げた。
「え?」
「いやね……。うん、なんか、妙だと思ってね」彼は口もとに笑みを浮かべて話す。「彼女、様子が変だと思うんだ。変というと意味が分からないけど……。何か隠していそうな感じがする。……君は、何か知っているんじゃないのかい?」
若干戸惑ったが、僕は自分が何も知らないという趣旨のことを、分かりやすいように工夫して彼に伝えた。序にウルスのことを疑っても仕方がないということも付け加えておいた。別にウルスが何を疑われようと僕には関係がないが、無駄な詮索をされて僕も面倒事に関わることになったら厄介だと思ったからだ。
「そう……。……うん、まあ、じゃあ、気楽に頑張って」ボォダは片手を上げて言った。「本当は、僕は首を突っ込みたくないんだ。……彼女、強気だから、君のメンタルがやられないか、心配だったんだよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
ボォダは手をひらひらと振って去っていった。
ボォダが出ていってから五分ほど経過した頃、リィルが部屋に戻ってきた。ボォダが今ここに来ていたということは、彼女はウルスの部屋にいた可能性が高い。
「どうだった?」僕はリィルに尋ねた。「二人とも、熱心に仕事をしていた?」
僕の質問には答えずに、リィルはまずベッドに向かった。そこが自分の仕事場所でもあるかのように、彼女は一日の時間の半分くらいをベッドの上で過ごす。
「うーん、なんて言ったらいいんだろう……」
「ボォダは、今ここに来たよ」僕は彼女に報告する。「ウルスの方はどうだった?」
リィルの話によると、やはりウルスの腕前はなかなかのものだとのことだ。僕と同じようにデバイスを使って作業をしているが、辞書を引く頻度がかなり低いらしい。キーを叩く指が止まることはなく、僕よりも格段に早いペースで作業をしているとのことだった。
「まあね。彼女は、秀才みたいだからね」リィルの話を聞いて、僕は感想を述べる。
「秀才じゃなくて、天才じゃないの?」リィルは首を傾げる。
「天才っていうのは、生まれつき能力を持っている人のことをいうんだよ。彼女、努力家じゃないか。天才というよりも、秀才というイメージの方が強いと思うけど」
「彼女は、天才」
僕は横目でリィルを見る。
「なんで、そんなに彼女に肩入れをするわけ?」
それまで縁に腰かけていたリィルは、ついにベッドの上に横になった。
「あああ……。……なんかさあ、傍で彼女の仕事を見ていたら、うーん、こう、感化されちゃったんだよね……。私も、できる女になりたいなと思って……」
「問題発言だよ」僕は無駄口を叩く。
「いいよね、やっぱり……。ああ、私も何か才能を持って生まれたかったなあ……。……飛行機のパイロットは無理だろうけど、うーん、映画の監督くらいはできるかもしれないって思うんだけど、どうかな?」
「ウルスなら、そんなことは言わないだろうね」
一方で、ボォダはウルスとは異なるようで、彼は書くよりも読む方に多くの時間を費やしているとのことだった。つまり、脳内での作業量が多いということになる。そういう人は、おそらく意識的に頭で考えているのではないだろう。どちらかというと、ある程度考えなければ書けないと感じているのではないだろうか。
「さっきね、ボォダに仕事の依頼をされたんだ」一度手を止めて、僕は脚を組んだ。「ある一つの説明が難しい文章で、翻訳するのが大変なんだって」
僕がそう言うと、リィルはそれを知っていると話した。彼女が見たところ、難解すぎて何が何やらまったく分からなかったらしい。
「君さ、そもそも、ほかの言語で書かれた文章を読めるの?」
僕の発言を聞いて、リィルはベッドから勢い良く身体を起こした。
「読めるに決まっているじゃん」
「英語なら、標準的なやつなら、大丈夫だっけ?」
「サンキューとオーケーの違いって、分かる?」僕の質問を無視して、リィルは僕に尋ねる。
「え? サンキューとオーケー?」僕は考えた。「……略語か、そうでないかかな……」
「違うって」リィルは得意そうな顔で話す。「二語か一語かの違いでしょう?」
「オーケーって、一語なの?」僕は彼女に問う。「略だとしたら、何の略なのかな……」
そんなことをしている内に、その日は何も特異なことは起こらず終了した。
そして、翌日。
夕飯の時間になって食堂に集まった僕たちは、例のガザエルの趣味に付き合うことになった(かなり語弊のある表現)。
今日の発表者はウルスだ。僕は人前で話すのが苦手だが、ウルスは全然そんなことはないようで、食堂に入ってきたときからずっと笑顔だった。彼女が笑顔になる条件は依然としてよく分かっていない。笑うべきところで笑うことはあまりないし、普段は無表情のことが多い。リィルは比較的ころころと表情を変えるから何を考えているのか分かりやすいが、もしウルスのような人と一緒に暮らすことになったら、毎日生きるのが大変だろうなと思った。
そして、そんなことを考えているのがばれたのか、正面に座るリィルに睨みつけられた。僕は軽く肩を竦めて誤魔化しておく。
食事がある程度進んだタイミングで、ガザエルはウルスに自分の考察を述べるように指示した。彼がなぜ食事の途中で話させようとするのかは分からない。食事の前だと料理が冷めてしまうし、あとだと満腹で聞く耳を持たないからという考えかもしれない。
ウルスは僕の左隣に座っている。だから僕は彼女の姿を見ることはできなかったが、その小さな声を近くでよく聞くことができた。
全体を一度見渡してから、ウルスは口を開いた。
では、お話させて頂きます。まずですが……。お話を始める前に、私の考察はある一つの前提のもとに展開されることをお伝えしておこうと思います。それは、作者がタイトルを決めたあとで絵を描いたということです。
先日のボォダさんのお話の中で、タイトルを決めてから絵を描いたのか、それとも絵を描いてからタイトルを決めたのかという話題がありましたが、私は前者だと考えました。この結論に至るプロセスには曖昧な部分がありますが、あえて根拠を述べるとするのなら、絵に描かれている林檎をタイトルで”The Fruit”と表現していることが挙げられます。
タイトルを決めた段階では、作者は何の果物を実際に描くのかを決めていなかったのです。単純に果物を登場させるだけで良かった。ただし、”Red of Blood”と記されていることからも分かるように、その果物は赤いものでなくてはなりません。……赤い果物といわれて、皆さんは真っ先に何を思い浮かべますか? 苺や桜桃など、色々と候補はあると思いますが、やはり多くの人が思い浮かべるのは林檎だと思います。統計的なデータを基に確かめたわけではありませんから、信憑性があるとは言いがたいですが、皆さんにもなんとなく理解して頂けるのではないでしょうか。苺や桜桃がモチーフとして使われる機会は、林檎が使われる機会よりも圧倒的に少ないはずです。芸術に関係したことではなくても、数の計算やものの例えとして取り上げられることは、林檎の方が多いことは間違いないでしょう。
さて、そのようにして、作者は果物を何にするか具体的に決めていなくても、とりあえず赤い果物を絵の中に登場させることを決めました。そこで最終的に直感的に思いついた林檎を用いることにしたのです。この際の思考のプロセスを実際に調べることはできませんが、大まかな流れは次のようになると思います。まず、林檎という候補を思いつく。次に、林檎というモチーフが自分がこれから描く絵にぴったりかどうかを考える。そして最後に、一般的に定着している林檎というモチーフが、個性的な表現が求められる芸術の分野であえて用いることが適切かどうかを考え、判断を下す。……私は作者ではありませんから、実際にこのようなプロセスが経られたのかは分かりませんが、だいたいこのように作者は林檎を用いることを決めたのではないでしょうか。
……個性を表現するために、あえて一般的なものを用いるというのは、芸術にはよくある手法だと思います。ただし、それが本当に一般的なものであってはいけません。一般的なものの中に、どこか一般的ではない要素を取り入れなくてはならないのです。モチーフそのものが一般的であっても、そのモチーフの使い方まで一般的であってはならない。反対にいえば、一般的なものを用いて個性を表現するには、そのものの使い方を変える必要があるということです。
さて、そう考えたときに、作者はあることを思いつきました。そう、一般的なモチーフを個性的に用いる方法を閃いたのです。それが林檎を青く塗るということでした。林檎は普通は赤いですが、それをあえて青く塗ることにしたのです。これは現実とは矛盾しますが、そうした矛盾を表現することが作者のアイデンティティの表現だったのです。……この点は、先日ボォダさんがお話ししていたことと同じです。また、私が今まで話してきたことも、ボォダさんが導いた結論に至るまでのプロセスを、より細かく述べたものだと考えて頂ければ、より理解しやすくなるのではないでしょうか。
ウルスはそこで一度ハンバーグを食べた。特に意味はなかったが、僕たちも彼女に倣ってそれぞれ何かを口に入れた。僕はポテトサラダを食べ、それをオレンジジュースで流し込んだ。
ウルスは話を続ける。
それでは本題はここからです。
作者は果物に林檎を適用することにし、個性を表現するためにそれをあえて青く塗ったと話しましたが、それだけなら何もおかしいところはありません。
……しかしながら、作者は最初にタイトルを決め、”The Fruit”を何にするべきかと考えた際に、赤色の果物として林檎を使うことにしたのです。そして、それを最終的に青色に塗ったのであれば、タイトルの”The fruit”を”The Apple”に変えるべきではないでしょうか?
個性を表現する、つまり、タイトルと絵の中で描くものの間に矛盾を作り出そうとして、作者は本来赤いはずの林檎をあえて青く塗ったのです。それなら、”The Fruit”をそのままの形で残すようなことはしないと思います。本来は赤いことを強調するためには、”The Fruit”を”The Apple”にした方が、赤と青という二項が上手く対立するように思えるのは、私だけでしょうか?
この点について私はもう少し考えてみました。以上の考察の展開の順番を崩さずに、”The Fruit”がなぜそのままの形で残っているのかを考える……。……考えられる可能性は主に二つ挙げられます。一つは、作者が意識的に残したと考える場合。そしてもう一つは、何らかの理由で残さざるをえなかった場合です。
後者の場合について考えるには、作者がその絵を描いた当時の状況を知らなくてはならないので、今回は考えることはできませんでした。ですので、前者の場合についてのみ考えてみたいと思います。
私が考えたことは次の通りです。先ほど、作者は赤い林檎と青い林檎の二項対立を示すことで、個性を出そうとしたのではないかと言いましたが、本当はそうではなかったとしたらどうでしょう? いえ、二項対立による矛盾した状況を作りたいという気持ちは確かにあったと思います。ですが、それではこの考察の展開の順番が崩れてしまいます。ですから、私は度合いの問題なのではないかと考えました。……作者は、確かに二項対立による矛盾した状況を作りたいと考え、実際にそれを形にするために試行錯誤しました。しかしながら、作者は完全なる二項対立を望んではいなかった……。……はっきりとした二項対立という構図ではなく、二項対立でありながらもあくまでそれを示唆する程度に収まっているような形……。要するに、完全に”The Apple”とはせずに、あえて”The Fruit”のままにすることで、二項対立が目立たないようにしたかったのです。
上記の考察をすべてまとめるとこうなります。作者は最初にタイトルを決め、それから絵を描こうとし、その過程でどのように自分の個性を表現するかを考えた結果、本来赤いはずの林檎を絵の中で青く塗ることにした。しかしながら、赤い林檎と青い林檎の二項対立をはっきりとは示したくなかったが故に、タイトルにある”The Fruit”をあえてそのままの形で残した。
……以上で私の考察はお仕舞いです。
ウルスが話を終えても、暫くの間誰も口を開かなかった。当の本人は澄ました顔でハンバーグの残りを食べ始める。発表が終わってから一分くらい経過した頃、ようやくガザエルがウルスに向かって拍手をした。
「うん、ブラボー」彼はにこやかな笑顔で言った。「しかし、よくそこまで考えたものですな」
ウルスはガザエルに向かってにっこりと笑いかける。
僕も彼女に何かコメントをしようかと考えたが、それ以上に今彼女が説明したことを理解するのに精一杯で、結局何も言えなかった。前を見るとリィルが片手で額を押さえている。オーバーヒートしてしまわないか心配だったが、やがて彼女は考えるのを諦めたのか、テーブルに片肘をついて目を閉じてしまった。
ウルスが最後に展開をまとめてくれたお陰で、所々曖昧ではあるものの、僕は彼女が言いたいことをだいたい理解することができた。
「なるほど。うん、僕が言いたいことを、上手く表してくれたね」ポテトを刺したフォークを持ち上げて、ガザエルが抑揚のない声で言った。「いや、僕が言いたいことというのは少し違うか。僕はそこまで考えていなかったし……」
「ボォダさんがおっしゃっていたことが、考察のヒントになりました。先を越されてしまわないかと心配でしたが、留まって頂いて助かりました」
ボォダは面白そうに口もとを上げる。ボォダは、特にウルスに嫌悪感を抱いているわけではないらしい。寛容な人柄だし、ジョークも通じるだろう。
「矛盾した状況を示すのが、個性を表現することに繋がるというのは、どういう意味ですか?」
僕はなんとなく思いついたことを質問した。
「説明した通りです」ウルスはすぐ隣に座る僕を見る。「……芸術家なら、そういう思考をすると思ったんです」
「なるほど……」僕は頷く。「もしかして、貴女もそんなふうに考えることがあるんですか? その、ヴァイオリン奏者として……」
「そこまで卓越したセンスはありません」ウルスは首を振る。「ただ、ボォダさんがおっしゃっていた、作者は皮肉屋なのではないかということも、なんとなく分かります。矛盾した状況を作り出すことで、個性を表現する……。……でも、実は、その点についてはあまり論理的には考えていないんです。そもそも、論理的になんて考えられないでしょう。皮肉というものを論理的に説明することが、貴方にはできますか?」
「貴女が言っていたように、矛盾しているから、皮肉だと感じるということではありませんか?」
「本当にそうでしょうか」ウルスは首を傾げる。「皮肉が必ずしも矛盾と繋がっているとは限りません。矛盾によって、皮肉を示すことが可能だというだけです」
食事を終えて僕とリィルは部屋に戻った。今日はまだ風呂に入っていなかったので、どちらから入るか話し合わなくてはならなかった。
帰ってくるなり、リィルは相変わらず布団へとダイブする。新品ではないためクッションの質はあまり良くないようで、弾むというよりは沈む感じで彼女の上下運動は進行した。
「面白かったね」椅子に座って僕は言った。
「……何が?」リィルはくぐもった声で答える。
「何って、ウルスの考察が……」僕は天井を見上げながら話す。「……僕もあんなふうにはきはきと話せたらいいなあ……」
「いつも話せているじゃん、私と」
「人前でってことだよ。神様の前では必要のない能力だけどね」
「神様?」
僕は珍しく伸びをする。僕の身体は柔らかい方ではないが、意識的に伸びをすることはない。伸びをしなくても良い身体なのかもしれない。
「さて……。……うん、明後日は僕たちの番だけど、それについて、君の意見を訊きたいんだ。何かいい考えはないかな?」
僕がそう尋ねると、リィルは少しだけ不思議そうな顔をした。
「え? 私に意見を求めるの?」
「そうだけど……」
「……雪が降るのかな」
不思議に思って、僕は携帯端末で天気予報を調べてみる。特にそういった記載はなかったので、安心した。
「ウルスとボォダの所に行ってきたんだろう?」僕は話を続ける。「何か、いいアドバイスは貰えなかった?」
「いやいや、そんなことを訊きに行ったんじゃないし」
「何も教えてもらわなかったの?」
リィルは顎に人差し指を当てて上を向く。キュートな仕草だが、リィル自身がキュートだとは感じない。彼女は何をしてもクールだ。
「あ、そういえば、ボォダがホットミルクを零していた」
僕は立ち上がって窓を開ける。夕食の間は部屋を閉め切っていたから、空気を入れ替える必要があった。
「……もう、考察は纏まったの?」
背後からリィルに問われ、僕は唸る。
「うーん……。……まったく考えていないわけじゃないけど、まだ完成はしていない」
「全体の何パーセントくらい?」
「だいたい、二十パーセント」
「え、それって、危なくない?」リィルは心配そうな声で話す。「それで、明後日までに間に合うの?」
「間に合うか間に合わないかは、僕には分からないよ」僕は適当に言った。「いいアイデアが降ってきてくれればいいけど、そうでなければ、うん、まあ、間に合わないだろうね」
「人任せすぎでしょ」
「人じゃないよ。天にお願いしているんだから」
リィルはベッドから起き上がり、部屋の中を歩き始めた。
「……ウルスは、タイトルが先だって言っていたよね。……私は絵が先だと思ったんだけど……」
僕は目だけでリィルを見る。
「どうして?」
「いや、なんとなく……」
ウルスの考察の主軸になっているのは、ボォダが言っていたことと同じだ。つまり、作者はシニカルな表現をしたかったということだ。逆にウルスの考察がボォダと異なっていたのは、タイトルに含まれる”The Fruit”がなぜそのままの形で残っているのかということについて、考察したところだろう。
なぜ、”The Fruit”なのか?
なぜ……。
なぜと問うても、きっと答えは得られない。そもそも答えなんて用意されていないからだ。
でも……。
「うん、なるほど」僕は頷いた。「ちょっとはましになったかな」
僕の呟きを聞いて、リィルは首を傾げる。
「ましになったって、何が?」
僕は歩いてドアの方に向かった。
「僕は、風呂に入ってくるよ」
首を傾げたまま、口を小さく開けてリィルは固まっていたが、僕は気にせずにドアを開けた。
「お湯で流して、すべて忘れてこよう」
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