第十九話 異国民①

「ソフィーって昔から興味ない事以外、本当に覚えようとしなくて俺らからしたら大人びてるイメージだったんだよ」


「だからいじめたのか」


「違うっ!」


 強く否定する青年は慌てて「悪い」と謝る。一見すると、問題行動する者に見えない。だがそれは第三者の感想であって、当事者ではないから言えるもの。

 別に娘がいじめられていたからと僕は激昂しない。従者ならどうしていたか分からないが。そもそも従者が居る、あの宴と称した飲んだくれの会場によく来れたものだ。


「……何とかして構ってもらいたかったんだ」


「子供か。いや、子供だったな。すまない」


 睨んでくるが、反論する内容もないのだろう。数秒口ごもったが「ああそうだよ!」と、半ば叫ぶように返してくる。


「ソフィーは昔から色んな事を教えてくれた。俺が商人で世界を回りたい、なんて夢を周りは馬鹿にしたけどソフィーだけは素敵だ、って言ってくれた。俺のために色んな種族のことを調べてくれた」


「では何故、ソフィアを傷付けた」


「いやだから――」


「青年、お前はソフィアが好きだったんだろう。なのに何故傷付けたと聞いている」


 人間は分からない。時折産まれる稀有な存在以外は魔力の量はそこまで変わらない。特殊なトレーニングでもしていなければ。

 普通に暮らしていたら、自分の時を止める高難度の魔法なんて使えないし、そもそも身体が膨大な魔素に耐えられない。だから一生なんてあっという間の事だ。

 傷付ける事をして、僅かな一生に何がある。それに自分が好いた相手を。

 そのせいで娘が未だにその事を引きずっている。


「魔獣は人間を襲い、外的傷害をつける」


「え? そうだけど……」


「それは教会に行って治してもらえばいい。だがお前がした事は教会に行っても治る事はない、心の傷害を負わせた」


 ビクリ、と肩が揺れる。目はゆらゆらと揺らめいていて、動揺が見てとれる。


「魔獣としている事は同じだという事を理解しろ。理解していないからこそ、あんなふざけた謝罪になるんだ」


 ぽたり、と涙が青年の頬に伝う。それは止まることはなく、むしろ号泣に近い。


「お、おれっ! なかよ、く、したかっ、たんだ!」


「……」


「でもっ、あいつっ、なにいっても、興味しめさっ、なくって!」


「……」


 号泣に近いではなく、号泣だ。あの娘と同じくらいの歳だと言っていたが、あまりにも違いがあり過ぎて困る。そもそも僕は泣いてる子供をあやすなんて出来ない。

 泣き止むのをひたすら待ち続けると、青年はまだ涙は止まっていないがポツリポツリと語ってきた。


「俺もあいつも異国民だ。だから言っちゃいけない事とかだってある。小さい頃は知らなかったんだ」


「そうなのか」


 異国民とは違う国から来た者のことを指す。色んな事情があって越してくることが多いと聞く。

 ミターニアは異国民を歓迎するし、差別もしない良い国だ。だがそれはみんながみんな歓迎しているわけではない。色んな問題があるだろう。


「俺はソフィーと仲直りしたい……それで前みたいに話したいんだ」


「謝ればいいだろう。ちゃんと」


「アイツ、ぜんっぜん家から出てこないだろ!」


「確かにそうだな」


「もう失恋はしたんだ。でもこの村の近くに住むなら、また昔みたいに話したいと思ったんだよ。悪いな、突然」


「……いや」


 勝手な意見だとは思う。子供ながらに傷付けて、大人になったら後悔して仲良くなりたいというのは。

 娘がどう思うのか知らないし、どう感じるか分からない。

 ただ、娘が人の感情に重きを置かないことを少しだけ分かってしまった気がした。自分が今まで悔いてきて娘にぶつけた気持ちは良くないことだったのか、僕には少しだけ分からなくなっていた。


 ハリスに言われた通りに、虫の駆除と虫が寄り付かないように魔法をかける。用事は済んだので大女将の居る食堂へ行った。

 ちょうど休憩時間だったらしい。closeと書かれたものが扉にかけられていて、どうするべきか悩んでいると中から扉が開いた。大女将だ。


「帰ってきたね! じゃああとはこの食堂の掃除を頼むよ」


「ああ、分かった」


 指を振るおうとすると、大女将が「待った!」と声を張り上げる。驚いて固まっていると、大女将は僕にバケツと雑巾を渡してきた。

 まさか……手作業なのか?


「浮遊魔法は使っていいよ。でも手作業でね」


「僕は魔法を暴発させたりしない」


「アンタとゆっくり話したかったんだよ。たまには魔力量が一般的な奴らの気持ちも味わってみるもんだ。掃除はいいもんだよ」


 大女将が望んでいることは本当のようだ。休憩時間だというのに従業員が誰一人として居ない。魔力感知にも引っかからないということは、僕と大女将だけ。

 恋人について何か言われるのだろうか。もう別に恋人じゃなくてもいいんじゃないか。僕は上手い言葉なんて出てこないんだ。


 浮遊魔法を自分と水の入ったバケツにかけて、天井近くの窓や柱へと飛んでいく。大女将は下に置いてあるものを掃除するようだ。


「アンタ、ソフィーの恋人じゃないだろ?」


「え」


 つい下に居る大女将を見てしまった。目が合ってからその行動が不利になると気付いて、慌てて目を逸らす。大女将は僕の様子を見て豪快に笑い飛ばした。


「アタシを騙そうなんて甘いね。ソフィーもヘタクソなんだよ」


「……では何故咎めなかった」


 嘘をつかれたんだ。娘は自分に面倒事が降り掛からないように言ったもの。そのせいでショックを受けている者もいる。自業自得だが。

 僕の問いに大女将は吹き飛ばすような笑い――ではなくて、困ったような表情で静かに笑ってみせた。


「アンタは幸せになるんだよ。結婚してアタシに孫の顔を見せるんだ。……ずっと昔に一度だけソフィーに言った言葉だよ」


「……異国民だと聞いた」


「あぁそうだ。アタシも。この村のヤツらはみんなそうさ。昔ミターニアに来て、国王がアタシたちを迎えてくれて、領土を与えてくれた」


「……そうか」


 異国民はあまり公表されていないが、なかなかな数なのは知っている。その国の方針に合わない場合は他の国に移り住む。もちろん難しい場合も多いが、ミターニアはその辺りはどうやら優しいらしい。


「あの子はそれを守ってくれようと思ってんのさ。そうすれば少しはアタシが心配しないだろう、ってね」


「……大女将の前で言うのも気が引けるが、娘、ソフィアは何よりも自分の興味ある事に夢中になる――うわっ」


「ん? どうしたんだい?」


「いや、窓がベタついたから驚いただけだ」


「あぁ、油かね」


「数メートルも上だぞ。どんな料理をしたんだ」


 見下ろせば大女将は「じゃあ湯気に埃がついたのかねぇ」と話しながら、椅子を持ち上げようとしていた。それを僕が魔法で持ち上げると、大女将は僕を見上げて柔らかく笑う。


「アンタはすごい魔力の量だ。羨ましいよ」


「仕方ないだろう」


「あぁ仕方のないことだ。でも仕方ないで諦めてちゃやっていけない。今日、アンタは色んな所を掃除しただろう? どうだった?」


 どう、と言うのは何を言えばいいんだ。

 今日行った掃除を思い返すが、どれも初歩的な魔法を何個か発動しただけ。魔力を持っているものならば出来るであろう仕事。

 僕じゃなくても出来た内容だ。


「……あのような掃除ならば別に僕でなくても良かっただろう」


「あぁそうだね。でもアンタにやってもらった。みんなの魔力じゃ足らないからだ」

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