第十四話 クレモデア王城にて②

「そ――ソフィア様はただいまチエリ様と森へ出かけております!」


 ユリリアが緊迫した空気を裂くように、大きく声を張り上げてでベックに伝える。ローレンはユリリアの言葉に一瞬動揺を見せるが、あえて何も言わなかった。

 それ以上にいい言い訳がなかったからだ。


「あー、ソフィー嬢チャン、なんか実験始めたんだっけな」


「えぇ。よく、ふらすこ、というものを持って歩いておられます」


「よく見てんね」


「食客ですから」


 土壇場の女の度胸、というものだろうか。

 全く動揺も物怖じもせずに、ユリリアはベックの言葉を一つ一つ返していく。周りから見れば完璧な演技だった。

 だかユリリアはまだ幼い。十五になったばかり。嘘をついてしまった事と、バレた時に自分がどうなるかを考えて内心泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 でも知られるわけにはいかない。ソフィアとチエリが出て行ったこと。原因が自分たちであること。

 もしバレてしまえばどうなるか、それを考えて咄嗟に出た言葉が森へ行っている、だった。


「じゃあ今度でいっか。んでさ、さっき悩んでたやつ、ソフィー嬢チャンに話せば解決するんじゃねぇか?」


「……何故でしょうか?」


 ユリリアはベックの言葉にわずかに顔をしかめた。ユリリアにとってソフィアという存在はいいものではなかった。

 魔法が使えないのに、勇者様のお願いで住まわせてもらっている居候が側室というポジションにふんぞりかえってる人。こちらがお茶会に誘ってもお話をしてみても、全く見向きもせずに優しさという好意を踏みにじる礼節もなにもない女性。


 それがユリリアがソフィアに向ける印象だった。側室にふんぞりかえっている、というのは人から聞いた話だったが、お茶会やお話をしても見向きもしなかったのは何度もあった実体験。だから聞いた話を疑うはずもなかった。

 ふらすこ、とチエリしか興味がないソフィアにいったい何が出来るっていうの。

 ユリリアは内心苛立たしげに呟いた。


「ロストワード」


 ベックがユリリアの言葉に返す。

 たった一言。それだけでその場に居た城の者は目を丸くした。ローレンは「まさか」と呟いた後にベックに向かって声が裏返りながらも問い質す。


「それが使えるというのか!? あれはまだ読み解けないものが多いんだぞ!? 城の研究者がどれだけ……!」


「嘘だと思うならそれでいい。信じるも信じないも王子サマ次第。とりあえず聞いてみ。その報せって、手紙なんだろ?」


「は、はい」


「訳し方、間違えてると思うぜ? マロワは気分屋で変な奴が多いが、身内には愛情深い。そんな奴らがその手紙を送ってくるか?」


 ローレンはベックの言葉に言い返せなかった。たしかにそうなんだ。マロワは交流が狭い。それは身内――つまりは自国のことを考えての行動だ。

 それ故にマロワは共通化されてきた言葉ではなく未だに文字が異なる。

 ロストワード。それは昔に使われていた言葉であり、未だに読み解ける賢者は多くないという。


「ベック様はその言語を使えるのでしょうか」


 ローレンはベックに慎重に問いかけた。

 もしだ。もし使えるならば、ベックになんとかお願い出来ないものかと頼みこみたかったから。

 違う訳され方をしていたならば、今までこちらが失礼な態度をとっていた事になる。そうなれば国交問題へと発展しかねない。

 ローレンは自分の地位が大いに崩れる可能性がある事に顔色を悪くした。


「いいや、俺は使えない読めない喋れない」


「そう、ですか……」


「俺が知る限り、色んなロストワードを使えてちゃんと理解してる奴はウチの大賢者サマとソフィー嬢チャンだけだぜ? こんなチャンスねーぞ」


 チャンス。そう。ソフィアがこの城に居たならば、の話だ。だが現実はソフィアどころかチエリすらも居ない。

 手紙の意味を聞きたくても、マロワの王族に会わないと聞くことが出来ない。会うためには手紙の意味を知らないといけない。

 どうしようもない事になっていた。


 ならば今からソフィアを頼ればいい、と思うが、連れ戻そうと兵を送ってみたが、どれも返り討ちにされている。

 それにここ最近ではソフィアの家に近づこうとすると、何故か違う場所に着く、という幻覚魔法までかかっている。

 幻覚魔法は高度な魔法だ。その幻覚を破るためには魔法を展開している魔法士を見つけて止めさせるか、展開されている幻覚魔法より高度な魔法で幻覚破りをしなければいけない。

 それが出来るほどの魔法士はローレンの知る限り、クレモデアには居なかった。


「ソフィー嬢チャンなら協力してくれると思うぜ?」


「……ソフィア様が?」


 ベックの言葉にユリリアは嘲笑混じりの声で問いかける。さっきまでローレンと同じように顔色を悪くしていたユリリアだが、苛立つように馬鹿にするように嘲笑う。

 ユリリアにとってソフィアとは、人の気持ちに共感する事なんてなく自分の好きなことだけやっている人間だった。だから協調性もないし、人の頼みなんてもってのほか。

 だからこそユリリアはソフィアが嫌いなのだ。


「あぁ。ほら、王城にある国王サマが管理してる本とか読ませるー、って言ったら一発じゃねーか?」


「あれはクレモデアの大切な歴史です。そもそも読めない……あ」


 途中で何かに気付いたように言葉を止めるユリリアにベックは笑みを深くした。

 何も言わない空間が数秒続いた。ベックは皆の表情が暗いのを眺めて、ゆっくりと立ち上がる。


「んじゃあ俺はもう行くわ。マロワとの事、ソフィー嬢チャンに相談してみるといい。きっと協力してくれる」


 ローレンはベックの言葉に強く手を握った。

 どうする。もしこの大魔法士にソフィアが失踪したことを言ったら協力してくれるか。そもそも、協力してくれたとしてまた逃げ出されるんじゃないか。

 自分の失態を今更ながら酷く後悔しながらも、どうにかして頼めないかと頭を働かせる。


 ベックが指を振るった。魔法が展開される合図だ。


「あの! ベック様! 実は――」


「あ、そうそう。このクッキー持ってっていい? ウチのが喜ぶと思うんだよねー」


「は、はぁ。どうぞ」


 出鼻を挫かれたローレンはヘラヘラと笑うベックのペースに呑まれる。だがすぐに自分の願いを思い出す。

 頭を下げても自分の財産をかけても、何としてでも!


 ローレンは頭を下げようとした。


「じゃあそれに免じて、ソフィー嬢チャンとチエリのことは黙っててやるさ」


 息が詰まる。

 さっきまで呑気な気の抜ける雰囲気から、どろり、とした纏わりつくような空気。言葉がうまく出てこない。ユリリアは恐ろしくて身体を震わせた。

 空気の中心、ベックは目を細めてゆっくりと唇に弧を描いていく。楽しい、なんてかけ離れたもので。


「でもエル坊は俺のように優しくない。アイツは当分帰ってこないだろうけど、それまでにソフィー嬢チャンとの遺恨をなんとかする事だな」


 ベックが指を振るう。ベックを中心に大きな魔法陣が出てきた。転移魔法だ。こんな高度な魔法が使えるものはこの世界にそうそう居るわけがない。

 ローレンはやっと自分の立場を理解する。

 頼むや協力、ではなく、助けてもらう、だということを。


「さっき言ったのはホントだ。じゃあ、ソフィー嬢チャンとチエリによろしくなー」


 ヒラリ、と手を軽く振って、ベックは光にのまれて消えていった。

 シン、と静かになる部屋。遠くでは海鳥が鳴いている。


「今すぐに」


「え?」


 開口一番はローレンだった。ブルブルと震える身体で何かを呟く。従者はローレンの言葉を聞き返す。

 俯いていたローレンの勢いよく顔が上がり、立ち上がる。

 目は焦点が定まらず、だが眉間にシワを寄せて目尻は吊り上がり、口元は震えていた。必死、という言葉が一番当てはまる表情。


「今すぐにソフィア・コネリーを連れ戻せ!! 総力を上げて、必ず! 次期国王の命令だ!」


「か、かしこまりました! すぐに対策を考えます!」


 従者は慌ただしく出て行く。ゼェゼェとそこまで声を荒げてもいないのにローレンは肩で息をしていた。

 ぐらり、とまるで糸が切られた操り人形のように力無くソファにもたれかかるローレン。ユリリアはローレンの焦燥する姿に慌てて白魔法を使った。

 それにお礼を言って、ローレンは大きく大きくため息をつきながら整えたピンクの髪の毛をぐしゃぐしゃにする。ユリリアはここまで追い詰められた兄を見たことがなく、かける言葉はどうするべきか悩んでいた。


「なんでこうなるんだ……」


 ローレンは国王である父親の言葉をまた思い出していた。

 撒いた種。些細なものだった。きっと芽も出ずに土の中で育たず、誰もが忘れるだろうと思っていた。

 よくよく考えたらそんな訳がない。

 姉のために旅で集めた貴重な品々を置いていくだろうか。姉のために手に入らないと言われていた本を渡すだろうか。姉のために極東の戦士を側に置くだろうか。


「俺としたことが……」


 後悔というのは後から悔いるもの。

 ローレンは確かに後悔をしていた。

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