第九話 精油と製法
「ゲラルド、ありがとう」
「これくらい造作のないことだ」
私が持ってきたカゴの中には沢山のリモングラス。背中に背負うカゴなので、なかなか大きいものを持って行ったつもり。そのカゴがパンパンになるほどになっていた。ゲラルドが張り切ってリモングラスと魔素の花を刈り取ったおかげだ。
「で、このリモンなんとやらはどうする。茶にでもするのか」
「そうだね、こんなにあるしチエリにそれは後で頼もう。でも目的は違うよ。精油、ってものを作りたいの」
「せーゆ?」
「そう、ある草や木や花からとれる植物の油」
「料理に使うのか」
「ううん。香りを楽しめる油かな」
昔は精油というものが色んな方法で使われていたらしい。香りで様々な効果をもたらすと言われていて、今は魔法で作られている香り水や魔獣除けのようなものに使われていたとか。
精油の作り方は様々で、私が読んだ文献には潰して絞る方法が載っていた。
でもこのリモングラスだけはその方法を使ってもどうしても上手くいかない。
「燻しても違うし、水の中に入れても違う。油だけ取り除くなんてどうやるんだろう」
「研究データは残ってないのか」
「三百年前の国取り戦争で全部燃えちゃってる。クレモデアで読んだ禁書にも書いてなかったし、たぶん当たり前の方法だったんだと思う」
大きな戦争では進化するものも多いけど、失うものも沢山ある。昔から存在している国で残ったのはわずか四つ。あとは二百年前辺りに新しく出来た国だから、そもそも文献が存在しない。
魔法を使っていないものについては、重要度が低いと思われたのだろう。
困った。非常に困った。
「エルフに聞いてみるのはどうだ?」
「聞いたけど、今は難しそう」
エルフはそもそも人との争いに干渉して来なかったし、まず森の奥の秘境に住んでいて人との接触を嫌がる。
森と行き、森と死ぬ。時折そういうのが嫌だと飛び出すエルフも居るけど、そのエルフたちが歴史に詳しいかと言われたら違う。
「だから私はこのリモングラスからどうやって精油を取り出すのか考えるの」
「それを取り出すとどうなる」
「リモングラスは殺菌作用とか消毒効果があったらしい。あとは虫除けとか動物が嫌がるとか」
「虫除け」
ゲラルドは私の腕を見つめる。そこにはさっきまで森に居たことで刺されたのであろう、虫刺されで赤くなった点がポツリとある。
私の今日の服装は細身のパンツに七分袖のシャツと丈夫な上着。一方ゲラルドはパンツにシャツだけ。どう見ても刺しやすいのはゲラルドなのに、全く虫刺されがない。
「僕は一度も刺されなかったぞ」
「そうだね。なんでだろう。虫は体温が低いと寄ってこなかったりするし、もしかしてゲラルドって死んでる?」
「本当に失礼な娘だな」
試しにゲラルドの腕の脈を測ってみるけど、ちゃんとある。トクトク、と低い体温だけどちゃんと生きている。
「なんかゲラルドからリモングラスの匂いがする。また食べたの?」
「そんな訳ないだろう。背負っていたからじゃないか? もうあの草は食べない。酷い目にあったからな」
「どうして? 無知というのは時にとても面白い結果出すのに」
ゲラルドは露骨に嫌そうな表情で見下ろしてくる。
分かっていることだけしていたら、何も進化も発見も生まれないと思うのに。どうやらゲラルドはあんな思いはもうしたくないみたいだ。残念。
「そもそも他の方法で他のものは作れるんだろう? なぜこのリモングラスというものに拘る。他のもので進めて、後から考えればいい」
「私はこれでやりたいの。研究はこだわりとか執念がないと」
「そういうものなのか」
「そういうものなの。あ、チエリが煮物作ってくれてる。食べよ?」
キッチンに行けば、コンロの上に鍋が置いてあり、鍋が置いてある器具のツマミを捻れば魔法具から炎が出てくる。
魔法と無機物を融合させることに人類は進化と成功をした。でも有機物――つまり人間に使うことについては、白魔法しかない。
なぜならば教会が禁止したから。
絶対的な権力がある教会が言うことは、古くから存在する王国の貴族と同レベルの権力がある。
だから治療は白魔法しかない。それで足りているから問題ないのだろう。表面上は。
もっと魔法と人体について理解が深まれば、きっと面白いことになるのに。勿体ない。その禁止が科学の衰退を招いたなんて考えてもいないだろう。
「おい、この鍋の表面で白くなったものはなんだ。美味しいのか」
「分かんない。なんだろうこれ。腐っちゃったのかな」
「そうなのか……。残念だが食べれないな。めしてろは恐ろしい」
「人の作ったご飯を腐ったとか失礼だと思わないんですか」
振り返ればキッチンの入り口にはチエリが立っていて、私とゲラルドを呆れた眼差しで見つめてくる。どうやら帰ってきたらしい。
おかえり、と声をかけるとチエリは「ただいま戻りました」と言って私の隣に立つ。鍋の中を見て、納得いった声で「ああ」と言った。
「これ、油ですよ」
「油? なんでこんな事になってるの?」
「冷えるとこうなるんです。温めればまた戻ります」
「なるほど。水と油の物質の法則の違いが関係あるのかな」
チエリに言われたとおりに温めていけば白いものは無くなって、そして液体の中へ溶けていった。これが温度による物質の溶ける度合いというものなのだろう。物質によっては溶け出す温度、融点が違うらしい。
もしこのまま温度を上げていったらどうなるんだろう。油をかけると火は更に火力を上げるという。
じゃあこの鍋の中に火が出て来るんだろうか。
「チエリ、これもっと燃やしたら鍋の表面に火が出たりする?」
「何言ってんですか!? それは水分を全て飛ばさないとダメですよ!」
「そっかぁ」
「娘、これでリモングラスとやらの油が出来るんじゃないか?」
鍋の中を見つめていたゲラルドは私を見て、鍋の中を指差す。鍋の中を見れば、白い物質がだんだんと溶けて液体になっていく。
油。冷却。白い物質。溶ける。水分。
「…………あ」
ゲラルドの方を勢いよく向く。ゲラルドは私の言葉を待つようにどこか緊張した表情で見つめてくる。
そうか。そうだよ!
「それだ!」
ゲラルドの手を掴んで私は何度も頷くと、緊張した表情から段々と目を見開いて、嬉しそうに唇が大きく弧を描いていく。
精油は植物の油。ならばこの煮物と同じように作って、そして冷やせば白い物質が出来る。それが精油になるんだ!
「ゲラルド、すごい、さすがだ! 私は料理なんてこの方一度もしてこなかったから、まさかこんな科学の種が転がっているなんて思ってもいなかったよ」
両手でゲラルドの両手を掴んで、上下に激しく振る。おい何をする、と言われると思ったけど、ゲラルドもゲラルドで浮かれているのか更に機嫌良さそう表情を緩めた。
単純だ。でもとても分かる。
「そうだろう? 僕はゲラルドだからな」
「はは! なんかよく分からない定義だけど、じゃあ今から実験! 完成したらゲラルドの出番だよ!」
「僕も手伝おう。そしたらリモングラスとやらが好きになるかもしれない」
「やっぱりお腹壊したのトラウマになってたのか。じゃあ一緒に乗り越えよう! チエリ、この煮物って教えてほしい!」
右隣、ゲラルドが居る反対の方を見れば、チエリは「いいですとも」と笑顔で答える。
「ですが、条件があります」
「いいよ、何でもいいよ!」
「それは良かった。ではソフィア殿、私と一緒にポルック村へ行きましょう」
「えっ」
「何でも、って言いましたよね?」
もう一度、チエリの表情をちゃんと見る。よくよく観察すると、目が笑っていない。
あ、これは。機嫌があまりよろしくない時だ。
突然口を閉ざす私にゲラルドは「どうした?」と聞いてきた。振り返れば、ゲラルドが私を見て、そしてチエリを見た後にまた私を見る。その眼差しは私を責めるようなものだ。酷い、まだ何もしてないのに。
きっとチエリが不機嫌な事は私のせいだと思っているんだろう。五割はそうだけど、あとの五割はきっと違う。たぶん。
ゲラルドは「おい従者の」となるべく穏やかな声をかけた。きっと何があったのか聞こうと思ってくれてるんだ。優しい。
私は周りに恵まれてるなぁ。
……恵まれてる。ゲラルド、男、イケメン。
「……そうだ! その手があった!」
「なんだ突然」
「ゲラルド、私と一緒にポルック村に来てくれない?」
「……は?」
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