第11話:一日二十二時間労働をするグール
「はっはっは、テラ忙しい時期に入ってきてしまったな、坊や」
「あんまり調子に乗ってると、僕、労基に駆け込みますよ!」
最上は秋月の元で下働きをすることになった。
数日間働いてわかったのだが、常識を遥かに超えた労働量だ。
最上は秋月に連れられて、青空テレビ局内を行ったり来たりしていた。すでに丑三つ時に入っており、草木も休む時間帯なのだが、最上は秋月と共に働いている。昼間は常に人が行き交う局内にすでに人気はなく、廃校になった高校にいるかのような静けさがあった。
「いいじゃないか、一日二十二時間労働くらい」
「言っときますけど、僕じゃなかったらたぶん死んでますからね?」
「坊やが人類最強だからこの重労働に耐えられるって? 残念ながら私がその反証になってやるぜ」
「……秋月さんもDマンじゃないんですか」
「私は正真正銘、ただの人間だぜ」
オリンピックが二週間後に迫るこの時期、テレビ局内はもはや戦場と化していた。休む暇もまるでない。何人か救急車で運ばれているのを見たが、それは熱中症ではないだろう。
「ま、深夜手当やら残業手当やら特別手当やら口止め料やらは全部出すから安心しな坊や。時給換算で3500円はいくぜ? これほど割のいいバイトはない」
「命と人権の保証はない、って条件が付きますがね」と、恨みがましく言う最上の言葉は秋月に無視される。
「妹さんに、いや、彼女さんに5Kテレビでも買ってやりな。その子テレビ好きなんだろ?」
「朧火め……また余計なことをべらべらと。僕とソフィアはそういう関係じゃない」
「その子とは良い酒が飲めそうだぜ。おっと、喜べ、十分休憩がとれそうだ」
秋月と最上は休憩所に移動する。壁際に自動販売機が並び、中央には椅子が並んでいる。
休憩所で最上は水筒に入れて持ってきた人間の血を飲む。
「ほら、これも飲んどけ」
きんきんに冷えたエナジードリンクを秋月は最上に渡す。
「秋月さん、絶対に長生きしませんよ」
昨日から彼女はこれしか飲んでいない。
「なら、短く太く生きてやるまでよ」
一昔前のロック歌手のようなことを秋月は言って、自分の分のエナジードリンクを一気に飲み干した。
また十時間ほど働いて、仕事がひと段落したので伊吹荘へ帰れることになった。
今回は実に二日ぶりの帰還だった。
まだ日も出てない早朝の庭で、朧火が菜園にじょうろで水をやっていた。血圧の高い老人みたいな奴だ。
「お、生きてたか」
「知っててあの人の元に送りやがったね」
「忙しい時期の秋月の下働きは一日と持つやつがいなかったからな」
「おいおい……」
「嫌ならやめればいい。まぁ、オリンピック過ぎたらさすがに普通の会社より少しきついくらいに落ち着くがな」
「……続けるよ」
虚構科学研究所にいた頃と、追われていた頃に比べれば、楽なものだった。
(むしろ、疲れている自分の方に違和感覚えるんだけどな)
この伊吹荘に住み始めて、最上の体に変化があった。はじめこそ気のせいで済む『変化』だった。以前、穂野ノ坂学校で新神と戦った時も感じた。最近では生活のあらゆる場面でその『変化』を感じる。
「なぁ朧火」
「なんだ? ああ、稽古か。お前もついに俺の稽古が恋しくなってしまったか」
「違う。てか、この二日で三時間も寝てない人間に、稽古をつける気?」
最上の言葉を聞かず、朧火は一度伊吹壮に入って取ってきた竹刀を投げ渡してくる。
「その程度なんともないだろ」
「……そうなんだけどさ。と、言えてたんだけど、実際は少し疲れてるんだ。前、新神ちゃんと戦った時も思ったんだ。僕、弱くなっているんじゃないかって。楽に勝てていた新神ちゃんに僕は苦戦した」
受け取った竹刀を最上は振ってみる。電柱を振り回すのにすら抵抗を覚えなかったのに、かすかだが、竹刀を振るのに重さを感じた。
「ああ、そうだな。最上は弱くなってる」
朧火は土を踏み込み、竹刀で面を打ち込んできた。最上はそれを難なく受ける。
「原因を知ってるの? というか、朧火たちが原因を作ってるとしか思えないんだけど」
「逆に、お前が今まで気づかなかったことに俺は驚きだよ。どれだけ底知れない強さ持ってたんだよ」
「……なにしたの」
「お前、血しか飲んでないだろう? 原因はそれだ」
「おん?」
「自分とソフィアちゃんについて虚構科学研究所でいろいろ教えてもらわなかったのか? 前々から思っていたが、やっぱりお前は自分やソフィアちゃんについて知らなさすぎだな」
朧火の竹刀を押し返し、反撃の小手を打つ。最上と朧火は話しながら竹刀を振るいあう。
「化物プロジェクトの不死性における傑作なのにな」
「僕は非協力的だったからね。信用されてなかったんだ。自分にされてきたことは知ってるけど、目的とか、実験の意味とかはあまり知らないからね。もちろんわかるのもあるよ。肉体の耐久度テストとかね。工場のプレス機にかけられたことがあるんだけど……」
「話すな。お前なら余裕で耐えたんだろうが、朝飯がまずくなる。二人について俺が知っていることを順を追って説明するか。化物プロジェクトの目的を知ってるか?」
「不老不死の人間を作るってことかな」
「そうだな。無理難題に挑むバカな組織だ」
人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。そういう名言の元に作られたグループで、思想自体は立派だとは思うのだが、実験される側としてはとんだ大迷惑だ。
「不老不死の人間を作るのに、化物プロジェクトって計画名はおかしいと思わないか?」
朧火の言葉に、最上は小さく頷く。
「一応意味があってな。ソフィアちゃんについて、最上はどこまで知ってる?」
朧火の話はふらふらしていて、着地点である最上の弱体化の話に繋がる気がしない。けれど、最上は根気よく答えた。
「僕と同じプロジェクトの出身で、食人体質ってこと。これくらい」
「ソフィアちゃんがファミリーに来て、血をもらってから調子はどうだ?」
「以前より元気になったよ」
「俺たちがいつも、最上とソフィアちゃんに上げてる血の量はそれぞれどんな感じだ?」
「僕がコップなみなみ一杯分に対して、ソフィアは一口だけど」
さすがに最上も違和感を覚え始めた。
「量が少ないはずのソフィアが元気になって、僕が弱くなってる」
「さぁ、おかしいな。最上はなぜか弱体化してる」
「もったいぶらずにさっさと全部話してよ」
「わかったわかった。簡単だ。二人とも食人体質ではあるが、細かい部分が違うんだ。人間の肉は最上、人間の血はソフィアちゃんが合っていたってだけだ」
竹刀を薙いで朧火は続けた。
「で、ここで出てくるのが化物プロジェクトの『化物』の部分。これは最上も知ってるだろうが、虚構科学研究所のコンセプトは『人間が想像できることは、人間が実現できる』ってやつだ。つまり、人間が考えた伝説上の化物も作ってしまえるとやつらは考えたわけだよ。化物の中には不老不死の輩がうじゃうじゃいる」
竹刀を振るいながら、最上は黙って朧火の話を聞いていた。
「つまり、プロジェクトで産まれた人間は、何らかの化物をモチーフにしてるんだ」
朧火の竹刀の先端が最上を指す。
「お前はグール」
次に、ソフィアがいる三階の部屋を指す。
「ソフィアちゃんは吸血鬼がモチーフだ」
さて、と朧火は続ける。
「この二種類の化物が一般的に食料にしているとされるものは?」
「グールは人の肉で……吸血鬼は、血」
「ご名答。これが答えだ、最上。食材との相性だよ」
「……」
「お前は人の肉を食わない限りは弱体化し続けるだろう。放っておけば前のソフィアちゃんみたいに立つことすら困難になるだろうが、お前の場合は元が強いから相性が悪くても人間の血を摂取していれば強さはほとんど残らないにせよ、日常生活に困ることはない。今の経過を見たところ、筋力、瞬発力、動体視力とかはかなり下がるだろうが、基礎体力は割と残ると思うぞ」
「体力がいくら残っても、弱くなったらソフィアを守れないだろう」
「だから、こうして戦い方を教えてるんだ」
「……こんなんで足りるかよ、人類二番目ごときにすら勝てない」
もうすでに殺したとはいえ、新神は強さの基準になりえた。
世界一の銃使い、傭兵、格闘家、殺し屋……。虚構科学研究所の刺客の中には、色々な熟練の技能を持った奴がいた。正直、最上は戦い方をあまり知らない。けれど、彼らを退けて生きてきた。圧倒的な力は、どんなに優れた技能も押しつぶす。戦い方を知らないままに、真正面から敵を食い破ってきた最上が一番それを知っている。
「人間兵器の新神に『ごとき』って、お前なぁ。確かに俺が教えてる戦闘技術は、一般人よりちょっと優位に立ち回れるだけの物で、これを使ったとこで、弱体化した最上だったら新神には手も足も出ないだろうがな」
「全然ダメじゃん。……強さを維持するには、僕は肉を食べるしかないんだよね」
「それだけはやめとけ」
「なんでだよ」
「寿命が縮む。お前、人類最強のままだったら、二十歳いく前に死ぬぞ」
断言する朧火。
「各国の実験結果で、人間を超える、強い力を持つDマンは短命の傾向にあるのがわかってるんだ。命をろうそくに例えるのはベタだが、炎が強かったらろうそくはすぐに燃え尽きる。最上は普通の人間が持つロウソクより長く太くできているだろうが、それでも最大火力で燃え続けてたら、早死にするのは明白だ」
「……」
Dマンが平均的に短命な傾向があるのについては人それぞれ意見がある。
人間の寿命は医療の発展とともに伸び続けていたが、それは必ずしもいいことだけではない。長くなったからと言って生活の質が維持できなければ生きている意味がない。本当の幸せはただ長く生きることか、少し短いが質のいい時間を生きるか。
これについては議論が絶えず、結論が出ない。結局は、個人の意思主張に委ねる形になる。
「ちなみに、虚構科学研究所の不死の定義は、『地球上の何者よりも強い』だ。全開のお前は、まさに不死の完成体だろうが、不老じゃあない。老いでは死ぬぞ」
弱体化すると知っていて、最上に肉を与えなかったのには理由があったようだ。
「……僕には、大切な物を守るために人類二番目を圧倒する強さが必要なんだ。あいつに勝てる力があれば、誰にも負けない」
「よくそんなむずかゆくなる言葉を吐けるな。いや、単純で純粋だって意味ではいいんだろうが」
朧火は肩をすくめて見せる。
「別に人類二番目に勝てなくたって最強で居続けられるだろうが」
「いや、どう考えても無理でしょ」
「お前はもっと学べ、汚い大人の強さを」
「……それで、最強で居続けられるのかよ」
「いられる」
珍しく朧火は茶化す様子もなく、真剣に答えていた。以前、西天がソフィアに話していた朧火の真剣な表情が、今のこれなのだろうか。
「というか、ソフィアちゃんと最上を守るためにファミリーがあるんだぞ。別に強くなくてもいいだろ」
「ぶっちゃけ、僕一人より弱いだけにめちゃくちゃ頼りない」
「ほんとぶっちゃけるなお前! まぁ、戦闘面で言えばまったく否定できないんだが。お前の戦闘力は異常だよ。不死の完成点なだけはある」
「僕が不老だったら、化物プロジェクトは完成していたわけだ。けど、強い人間をつくるより、不老の人間を作る方がよっぽど難しいよね」
「……まぁな。不老なんて無理だ。無理無理。存在するはずがない」
「だろうね。僕もさすがにそう思うよ。で、僕が確認しておきたいのは一つだけ、本当に僕は最強でいられるのか? これは念を押して確認しとくよ」
「いられる。秋月さんから色々学べ」
「わかった」
「……」
なめくじのような気持ち悪い生き物を見るように、朧火が最上を見ていた。
「なに?」
「いや、俺が意図的にお前を弱らせたのを聞いてもキレずに話を聞くし、アドバイスも素直に聞くし、なんだこいつ気持ち悪っ、て思っただけだ」
「おい、朧火の中の僕のイメージが今ので大体わかったよ」
「人の話を聞けるようになったのは、心に言わせれば成長か……」
「だから子ども扱いするな」
朧火の稽古はここで終わった。話し込んでいたせいもあり、結果として稽古の時間は十五分を遥かに超えて夏の朝日が顔を見せていた。
伊吹荘に入ると、ロウソクと燭台に似せた電灯が等間隔で並んでいる廊下で、西天にばったり出会う。浴衣のような緩い服装は、彼女のパジャマだ。
「おかえりなさい。大丈夫? 仕事頑張るのもいいけど、あんまり無茶したらだめよ?」
おせっかいになりすぎない程度に、最上の身を心配しているようだった。最上が常人にはない体力を持っているのを知っているので、無理しているのか自発的にやっているだけなのか、判断は難しいだろう。
「大丈夫大丈夫。嫌ならとっくに秋月さんをぶん殴ってやめてるよ」
「そう、よかったわ。なら、早いとこソフィアちゃんに会ってあげた方が良いわ。あの子、最上くんが帰らなくてずっとそわそわしてたわよ」
言ってから西天はふわぁと、大きくあくびをした。最上が帰ってきたのに気づいて、わざわざ起きてきたのだ。
西天の言う通り、最上は自室に向かう。
「た、ただいま」
部屋に入るとともにした挨拶がぎこちなくなってしまった。
返事はない。
「そりゃあ、寝てるよね」
ベッドの上でソフィアはすやすやと寝息を立てていた。タオルケットで身を包み、枕を抱いて顔に押し当てるようにして寝ている。
「って、なんで僕のベッドで寝てるんだよ!」
起こさないように気遣いをしてやるつもりだったが、最上は思わず寝ているソフィアにツッコミを入れてしまった。
「ん……むぅ、かな、た……かなたッッ!」
タオルケットにくるまっていたソフィアががばぁっと身を起こす。
「かなた、朝帰り!? ボクを差し置いて朝帰り!?」
赤い瞳にぶわっと涙が溜まる。
「変な勘違いしないでよ!? 仕事だって仕事」
「うぅ……よかったぁ。ドラマでよく見る、家庭を顧みない仕事一筋のお父さんの帰りを待つお母さんの気持ちがよくわかったよ……」
ベッドから降りると、がしっとソフィアが最上にしがみついてくる。身長が低いことに若干コンプレックスを感じている最上は、女の子のソフィアとほとんど変わらない身長がわかってしまうこの体勢があまり好きではなかった。けれど、ソフィアが寂しがっていたのもよくわかったので今日は何も言わなかった。
最近、ソフィアにも自立性が出てきたなと思っていたけれど、根本的な部分では最上に依存しているようだ。
「……ソフィア、けっこう髪伸びたんだな」
ぽつりと、最上は思ったことをつぶやく。二日会わなかったせいか、今まで気づかなかった変化を見つけた。
「そうかな?」
最上から離れて、ソフィアは自分の髪に指を通す。
(髪が伸びるだけで、大人っぽく見えるもんだね)
本人に言えば調子に乗るので、口にはしない。
一日休みをもらっていたので、最上は寝支度をして、そのままベッドに沈んだ。起きたのは夕方になってからだった。久しぶりに伊吹荘で過ごす。と、言っても仕事がなければ相変わらず手持無沙汰になってしまう最上だった。
「趣味がないってのは、けっこう困るんだね」
「かなたもテレビを見ようよ」
部屋にある液晶テレビをベッドに寝転がりながらソフィアは眺めていた。朝方のパジャマ姿ではなく、今はいつものゴシックロリータだ。
「生で見るならともかく、テレビは僕には――あれ?」
人間としては当たり前なのだが、テレビ画面には動画が動く画として流れていた。今までの紙芝居のようなつぎはぎ感がまったくない。
(……動体視力が落ちてるのか)
「どったの、かなた?」
「いや、なんでもないよ。僕も見てみようかな」
「うん、かなたもこれを見て予習すればいいよ」
テレビで見たドラマの内容は、お腹が膨れるようなべたべたの恋愛ものだった。日常的な作品を好むソフィアらしいチョイスではある。
(って、予習ってなんだよ)
テレビを見るのは小説を読むのとは違った感覚で、受動的であっても内容が頭に入ってくる。
「あー面白かった」
「普通でしょ」
「テレビ局の下働きになってから辛口批評家になっちゃったかな?」
「あー、秋月さんが作る番組が頭一つ抜けて面白いから目が肥えてるかもね」
「秋月さん!? 秋月さんって、あの秋月綾乃プロデューサー!?」
(あ、しまった。これ言うとめんどくさそうだから、黙っとこうと思ったのに)
「かなた、秋月さんのそばで働いてたりしてるの!? ね、ね?」
目をきらめかせてソフィアが最上に詰め寄ってくる。
「今、言ったからね! 絶対言ったからね! 秋月さんの番組作りいつも手伝ってるみたいな言葉!」
最上が危惧した通り、ソフィアの食らいつき方は尋常ではなかった。昔からミーハー気質があるのは知っていた。
根負けした最上は、普通に話してもさして面白くない秋月についての話を聞かせたのだけど、ファンのプラス補正がかかっているのかソフィアはうんうんと面白そうに聞いた。
「秋月さんのサイン、もらってきてね!」
彼女自体芸能人でないのだけど、サインに価値があるのだろうか。
「……どうせまた明日会うから別にいいんだけどね」
結局、最上はソフィアのお願いに折れたのだった。
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