第6話:両親の情事、垣間見る兄妹

 夕方、朧火がこりずに、蛇のようなしつこさで稽古をつけてやると言ってきた。最上は断るのを諦めて、十五分だけという約束を取り付け、習っているふりをすることにした。

 夕日が影を作る裏庭で、最上と朧火は向き合っていた。今日は夏にしてはありえないくらいに涼しく、薄着でいると少し肌寒いくらいだ。

「最上、お前、髪邪魔になんないのか?」

 腰ほどまである最上の長髪をさして朧火は言った。

「慣れてるよ」

「切らないのか?」

「切れなかったんだよ」

 外に出て、悠長に髪を切りに行く暇なんて最上にはこれまではなかった。

「ソフィアちゃんに切ってもらえばよかったのに」

「……その言葉、一回ソフィアに切られてから言ってみてよ」

 ソフィアに髪を切られたときのことは、思い出したくもない。前髪をぱっつんに切られ、おかっぱにされた。ちょうど小学生低学年の女の子がするような髪型だ。

 朧火も察したらしく、話を切り替えた。

「さて、今から俺が教えるのは――」

 相変わらず黒装束の朧火は、偉そうに体の動かし方を話し出す。

「――んじゃ、やってみるぞ。俺相手に試してみろ。あ、あんま強くやんなよ。俺の腕が折れるから」

「わかってるよ」

 朧火が言った動作は単純。向かってきた相手の片腕を取り、手首とひじを掴み固定。それを返して相手の手から肩までを極める。そして、そのまま勢いを利用して地面へ倒してしまう。

 単純なのだけど、実際にやってみるとなかなかスムーズにはできない。朧火を相手に練習を繰り返す。

「ねぇ、これって合気道?」

「そうだ。合気道の基礎の基礎。一教だな」

 腕を取って、一の字に極めてしまって引き倒す。相手の勢いを利用するので、力はまるでいらない。

「なんでよりにもよって合気道……」

 女性が男から身を守るために使われることが多い合気道は、弱い人間が強いものに勝つための武道である。という偏見が最上にはあった。最上とはもっとも縁がなさそうな武道だ。

「最上はどうしてソフィアちゃんを守ろうとするんだ?」

 教わった動作を繰り返しやっていると、朧火が尋ねてきた。

「どうしてって……」

 返答に一瞬間が空く。ソフィアを守ることがあまりにも当たり前になっていた最上は、その理由を考えることはほとんどなくなっていた。

 朧火の言葉で、最上はソフィアを守ることに決めるまでの過程を思い出す。

 最上とソフィアは虚構科学研究所内で、同じ境遇を過ごしていた。

 虚構科学研究所には人間の汚れた欲望や思惑が溢れており、その中で育った最上は人間とは『汚い生き物』であると決めつけていた。その事実に最上はうんざりしていたし、自分も同じ人間なのだと思うと嫌になった。

 そんな中で、同じ化物プロジェクトの元に作られたソフィアと出会い、関係を持つようになる。

 はじめこそソフィアも他の人間と変わらず鬱陶しい存在だと思っていた。一件無垢に見えるソフィアの裏側を探っていた。

 けれど、共に日々を過ごすうちに知る。ソフィアには打算など一切ないのだと。 

最上を利用しようとすることもなく、かと言って疎むことも恐れることもない。

 虚構科学研究所の中で、ソフィア・クラウディという存在は泥の中の宝石だった。

 その宝石を、人間の欲で最上は汚したくなかった。徐々に仲良くなるにつれ、その思いが強くなり、この汚い世界からソフィアを守ろうと最上は決意したのだ。

 それを朧火に言うとまた「若いな」と、笑われた。

「今はそれだけじゃないんだろう? だろう?」

「何がだよ」

「わかってるくせに。なぁ? なぁ?」

 酒に酔って絡んでくるおっさんのようにうざいので無視をする。

「そういえば、最上は働くことにしたんだっけな」

 また朧火が話を切り替えた。

「そうだけど、なにか?」

「もしかして、働いて俺は大人だぞーって証明をしたいから選んだりしたんじゃなかろうな。いや、さすがにそこまで単純でもないか」

 にへら、と朧火が最上の大嫌いな笑みを浮かべる。

 むかついたので、腕にかける力を強くしてやった。

「イデデ! 図星かよ、って折れる折れる!」

 絶対に一人立ちしてやる。朧火の元から少しでも早く離れようと、最上は一層強く決意する。

 ファミリーの庇護なしに虚構科学研究所に対抗する手段も用意しなければいけないが、他にも経済的に自立する手段を持たなくてはならない。

 十五分たち、朧火は約束通りに稽古をやめた。

「さすがに運動神経はいいな。呑み込みがはやい」

「当然でしょ」

「よーし、じゃあ中に入るかー」

 これでキャッチボールでもした後なら、仲のいい親子に見えるのだろう。そんなことを考えてしまい、最上は冗談じゃないと首を振る。こんな男の息子に産まれた日には、転生を願ってしまうに違いない。

 今日も夕ご飯を食べ、寝支度をして最上は自室に戻った。

 ソフィアはまた動画を見てるんだろうなぁ、と思っていた最上だがその予想は外れた。

 彼女は窓辺にしゃがんで身を低くし、外を見ていた。

「なにしてるの」

「大人ウォッチングだよ! 生のラブシーンなんてなかなか見られないから、動画を見てる場合じゃないね!」

「おん?」

「身を低くして来てよ」

 言われた通りに、外からは見えないように身をかがめて窓際に移動する。

狭い窓辺で、ソフィアと最上は肩がくっつくくらいにつめて、窓から顔の上半分だけ出す。ソフィアも風呂上がりで肌がつやっぽい。男風呂とは違うシャンプーの甘い香りがした。

「ほら、あそこ」

 都心の光にも負けずに光る星が広がる夜空の下、ソフィアがレンガでできた塀の一か所を指さす。そこには西天と朧火が、最上達に背を向けて並んで座っていた。

 夫婦の見ている草原の奥には、東京一帯が光の塊になって見えるのだが、最上はそれを見て照明弾みたいだとロマンの欠片もない感想を抱いた。

「仲睦まじいことで」

「でしょでしょ?」

 朧火と西天は肩がくっつく距離で座っていた。西天が頭を朧火の肩に乗せ、朧火は手を西天の腰に回している。

「どう? おにぃ、ボク達もやってみない?」

 無邪気に犬歯を見せて、ソフィアが最上の肩に頭を乗せようとしてきた。

「やめい」

 それを手で押しのける。が、不覚にも最上の心臓は、はっきりとわかるくらいに脈打っていた。フルマラソンを全速力で完走してなお、脈拍を平時と同じくらいに安定させていられる自信があるのに。

「大体僕たちは兄妹だろう」

「仮の形でしょ。ボクはいつでもおにぃの彼女にジョブチェンジできるよ?」

 最上がソフィアを妹のように扱い、ソフィアが最上を『おにぃ』と呼ぶ。

 兄妹なんてのは最上彼方とソフィア・クラウディを繋ぐ、いつの間にかできてしまった役割だ。最上とソフィアの間に血縁関係があるわけでもない。同じ虚構科学研究所にいて、たまたま密に関係しただけ。それがたまたま兄妹のような形を取っただけだ。

 けれど、最上はソフィアのクエスチョンマークには「断る」と返しておく。

「おにぃのイケズー。ん? ああ、あぁ!」

 悲鳴みたいな声を上げたソフィアは、自分の顔を両手で覆った。なんだ? と最上は外にいる二人へと視線を戻す。

(キスかよ)

 確かに見ている方が恥ずかしい。ソフィアは目を手で覆いながらも指の隙間からばっちり見ているが。

「なんだろうね、大人って」

「答えは色々あると思うけど、ボクはああいうことやってるのも大人だと思うなー」

「そんなものなのかねぇ。僕にはよくわからない」

「なになに? おにぃはお父さんやお母さんに子ども扱いされるの気にしてるの? 子供だなぁ」

「ソフィアにだけは言われたくない」

 そもそも、大人と子供の境界線がまるでわからない。二十歳を迎えたり、成人式をすぎたりしたら大人? それはないだろう。子供のまま成人したような人間も、世界には腐るほどいる。

「子供であるのを気にするおにぃに提案だよ。どう? お母さんたちみたいにボクと大人の階段を……」

「『妹』とは勘弁だ」

 最上とソフィアを繋ぐ役割を理由にして断り、最上は自分のベッドに戻ったのだった。

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