第5話:人類の頂点、学校に行くか、働くか
翌日、夏の日が沈みだす頃、伊吹荘の玄関の呼び鈴が澄んだ音をたてた。この時間に来客だろうか、それとも誰か家を出たのかと、最上は三階の自室の窓から外を見た。誰も出て行ってないのを見ると、誰かが伊吹壮に入ってきたみたいだった。
しばらくすると、夜ご飯ができたと西天からの集合がかかる。最上はソフィアを連れて、二階の食堂に向かった。わいわいがやがやと、まだ小学生にもなってない子から、中学生の子、さらには最上同様本来存在しない高校生の年齢の子まで、総勢十五名を超える子供が集まっていた。その中に混じって、見知らぬ二人の男女が立っていた。二人とも四十代後半くらいだろう。
「あっ」と、その二人を見てソフィアが声を上げる。
「おにぃ、あの人ニュースで見たことある。西天賢治さんじゃない?」
「ほんとだ」
テレビを見ない最上は新聞で顔写真を見た。
西天賢治は大物政治家で、防衛大臣であり、有名になったきっかけは日本でDマンを自衛隊に組み込む提案をしたことだろう。
苗字でもわかるように、彼は西天心の父親に当たる人物だ。
「というか、ソフィアってニュースも見るんだね」
「それ、ボクをバカにしてるよね!?」
西天賢治はスーツをきっちり着込んだ男で、新聞の写真でみた限りでは、鷹のような眼力が印象的だった。行動も時に冷血と取れるほど合理的で、新聞記者には『鋼鉄』などと呼ばれている。しかし、新聞の印象とはまるで違っていて今の賢治は柔和な笑みを浮かべていた。女性の方は、賢治の妻だろうか。西天の目と同じように、目じりが垂れていて優しげで包容力のある女性だ。
「お、賢治と桜さんもう来てたのか」
最上達に続いて、朧火と西天が入ってきた。
入ってくるなり朧火は賢治の方につかつかと歩いていく。それに対し、賢治も朧火に迫った。そして互いに互いの胸倉を掴みあう。
「おう、賢治。老けたなぁお前」
「朧火はそろそろ脳みそ腐ってくるころではないのか?」
悪口を言い合って、二人ともにぃっと笑う。それから胸倉から手を離すと互いの肩をたたき合った。新聞で見るイメージとはずいぶん違う、と最上は思った。賢治は、冷静で冷徹な、ビジネスライクな人間だ、というのが活字や写真の上での最上のイメージだった。
いつものことらしく、子供たちはまったく気にせず、西天とその母は呆れた顔で二人を見ていた。
「桜さんはむしろ若返ったんじゃないですか?」
「あらあら、褒めてもなにも出ないわよー」
朧火は西天の母親の桜には敬語を使っているようだ。
「お久しぶりです。お父様、お母様」
続いて西天が二人に挨拶をする。
そして、「今日は紹介したい子がいます」と、言って客人の二人を最上とソフィアの方へ連れてきた。人を前にした野生のリスが木に隠れるかのように、ソフィアが最上の後ろに身を小さくして隠れる。
「新しくファミリーに入った最上くんと、ソフィアちゃんです」
近くに来ると、賢治の体つきが文系の物ではないのがわかる。スーツの胸の部分が筋肉で盛り上がっており、並々ならぬ威圧感を感じる。慣れていない人間だったら、彼が近づいてきただけで二三歩下がってしまいそうだ。首を上げて見上げないといけないほどの身長が迫力に拍車をかけているが、修羅場をいくつも潜ってきた最上はこの程度で動じることはなかった。
「はじめまして」
極めて短く、簡潔に最上は挨拶をする。ソフィアも小さな声であいさつをした。
「やぁ、君たちの話は聞いてるよ。私は西天賢治。こちらこそよろしくお願いする」
朧火のにやにやとした嫌な笑みではなく、体育会系が浮かべる闊達な笑みを浮かべる。続いてほんわりとした西天桜が挨拶をし、それでとりあえず顔合わせは終わった。
西天と桜は、食堂へ夜ご飯の盛り付けに向かった。
朧火が賢治に絡む。
「賢治、二十年前に計画した全国中学校巡りをそろそろ実行に移そうぜ」
「勘違いさせるようなことを言うな」
朧火と賢治からソフィアを遠ざけた。
「娘が産まれてから私はロリコンが大っ嫌いになったんだ。朧火、貴様は敵だ。国家の敵だ」
「俺と子供の素晴らしさについて語り合った若かりし頃のお前はどこに行ってしまったんだ。ちっ、諸行無常とはこのことだな。また理解者が減ってしまった」
「だから妙なことを言うなと言っているだろうが」
そこで桜から「朧火さん~、運ぶの手伝ってくれるかしら」とお呼びがかかり、「今すぐ参ります!」と、朧火は部屋を出ていった。
(朧火の奴、人によって態度変えすぎだよね)
「変な奴だろう?」と、賢治が最上の方を向いて問いかけてきた。
「ええ、それについては同感です」
使いなれない敬語を使って最上は接する。
「君たち二人は心の子供みたいなものだ。つまり、私の孫。もし困ったことがあったら私に言うんだ。絶対に力になろう」
がしっと大きな手で最上の肩を掴みながら賢治は言った。
「ありがとうございます」と、最上は形だけの返事をした。
それに満足した賢治は、頷いてほかの子供の元に歩いて行った。
「こ、怖い人かと思ったけど、優しそうな人だね」
「まぁ、そうみたいだね」
政治家に対して陰湿なイメージがあった最上にとって、賢治のようなタイプは新鮮だった。
学校に行くか、働くか。西天に選べと言われて一週間がたとうとしていた。明日がその期日で、最上はすでに結論を出していたが、ソフィアはまだ決めかねているようだった。
一週間たち、最上は一定の信用をファミリーに置くようになった。朧火はともかく、西天はおそらく信用できる。
ファミリーは捨てられたDマンを保護する施設だ。DNAの改造が許されてすでに十数年たっており、だいぶDマンの存在が浸透しているが、拒絶反応を起こす人も少なくない。親が意図的にDNAを改造して子を産んだのに、その子がオーダーと違ったと言って捨てたり、人間と違う部位や能力を持つのを気味悪がって手放したりする。これは現代の社会問題の一つだ。
Dマンは基本的に生存力が強いので、たとえ捨てられても生き抜く力を持っている場合が多く、『野良』のDマンが増えつつある。
また、そういったDマンは親や社会に強い復讐心を抱いている場合もあり、犯罪に走りやすい。
そういうわけで、捨てられたDマンを保護する組織を世間は必要としていた。
政治家達が動くよりも早く、第一号のDマン保護組織として創設されたのがファミリーだ。
それを運営する西天に、最上が調べた限りでは裏の顔はない。
西天の近年の動きを調べて見てもそうだし、なによりファミリーで見た、子供たちへの優しさに嘘がない。
夜ご飯を食べ、風呂に入ってから最上は、風呂上がりの牛乳の代わりに、コップに注がれた血を飲みながら部屋に戻った。
朧火が医者からもらってくるこの血は、最上にはコップなみなみ一杯与えられるのだが、ソフィアには一口分しか与えられていない。不思議なことに、それでもソフィアは元気になっている。
開いた窓からは、鈴虫の鳴き声と子供たちの笑い声が聞こえてくる。
二つあるうちの奥にあるベッドにはすでにソフィアが寝転がっていた。
若干くせがあるソフィアの白髪はしめっており、風呂上りなのがわかる。黒を基本に赤いチェックの入ったパジャマを着ていた。タブレット端末を手に持って、仰向けで画面を眺めている。
(とことん動画中毒なやつだなぁ)
最上は窓の傍にイスを置いて腰掛ける。夜風が肌の水気を奪っていく感覚が心地よかった。
「おにぃ、髪すいてあげる」
「うん、お願い」
ソフィアが立ち上がり最上の後ろに立った。束ねていた最上の長い髪をほどき、鼻歌交じりでくしを通していく。
「ほんとさらさらだねー」
髪を切るのは任せられない腕だが、くしを通すのには手慣れていた。
「ソフィア、動画に没頭するのもいいけどさ、進路は決めたの?」
「いーや、まだだけどさ、おにぃこそどうなの?」
「僕は決めた」
「そー。ならボクも決まったようなものだね。どうせおにぃと同じ方を選ぶし。どっちにするの? やっぱり学校?」
最上は苦々しく顔をしかめる。
(僕が学校に行くって言えば学校に行くだろうし、働くっていえば一緒に働くんだろうな)
最上はすでにどちらにするか決めていた。だが、それはソフィアにあえて言っていない。
「僕がどっちにするかなんて、どうでもいいことだ。自分の道は自分で決めるんだよ、ソフィア」
「えー、おにぃが選ぶ道がボクの道だよ。おにぃと一緒がいい」
「いつまでも子供みたいなこと言ってたらだめだ」
『子供が子供に諭してるぞ』と茶化す朧火の姿が頭に浮かんでしまったが、最上はすぐにかき消した。
(お前みたいなのが大人っていうなら僕はとっくに大人だっつーの!)
「あくまで、あくまで参考にするだけだからさ、おにぃの選んだ方を教えて欲しいなー?」
振り向くと、一般人よりもあきらかに長い犬歯を見せながら、ソフィアは諦め悪く笑った。
「だめだよ」
「ケチー」
ムググ、と妹がうなる。
「ならさ、おにぃはボクにどっちを選んでほしい? これならどう?」
「学校」
「ならボク学校に行くよ」
「今の嘘」
「なら働くよ!」
「今の嘘も嘘」
「ならボク……」
「待て待て! ちょっとでも行きたい方、やりたいことがある方でいいんだ。ソフィアにはないの?」
「……あるかも」
「それは何?」
「うわー、誘導尋問だよそれぇ」
「言いたくない類なの?」
「うーん、恥ずかしいし……」
「なら、聞かない」
「やっぱり言おっと」
「アマノジャクめ」
恥ずかしさのせいか、ソフィアのくしを動かす速さが上がった。
「テレビ、動画、そういうのにかかわることやってみたい」
「なんだ、あるんじゃないか」
動画中毒のソフィアらしい答えだったけれど、最上はそれを立派だと思う。
「そのためにどうする? 僕はその道に全然詳しくないけどさ、テレビ局の下働きとかやってみる? それとも学校で勉強してから、大学やら専門学校に行ってみる?」
「笑わないんだね」
「笑う要素がどこにあるんだよ」
「ん、ありがと。学校からはじめたいよ。できれば」
「答え出たみたいだね」
「……そうみたい」
照れくさそうにソフィアは言った。
「おにぃはどうするの? ボクが決めたんだからさ、言ってよ」
「働くよ」
「……そっか」
どこでとか、なんでとかソフィアは聞いてこなかった。
ソフィアは目標があって学校を選んだ。あれだけ偉そうなことをソフィアに言っておきながら、最上が働くのを選んだのは見栄だ。
目標や夢なんてまるでなく、さっさと一人立ちして、朧火を見返してやろう、なんてくだらない理由だ。
(立派だな、僕の妹は)
翌日の朝、最上は事務室で西天にそれぞれの決断を伝えた。クスノキの机でコピー用紙を眺めていた彼女は顔を上げる。
「わかったわ。でも意外ね、てっきり同じところに行くと思っていたわ」
「まぁね。……だけど、一つ確認させてほしい。ソフィアが行く学校は、安全なんだろうね?」
ソフィアは学校に行き、最上は働く。
ファミリーでは常にソフィアの傍に居れたわけだけど、それができなくなる。
「名前は穂野ノ坂学校。安全だわ。少なくとも東京で一番警備が行き届いてるところよ。一応、私達が管理してる学校だから」
「裏切り者とかいる可能性は?」
「ゼロよ。私と朧火くんが直接選んだ信頼できる人ばかりよ」
「……信じていいんだね」
「ええ」
「なら、任せるよ」
「もう一度聞くのだけど、本当に別々でいいのね? 最上くんも勉強したいなら勉強していいのよ」
「いや、僕は働くよ」
「そう。考えた上での子供の決断なら尊重するわ」
(また子供扱いかよ)
「今、子供扱いしたことを不満に思ったわね」
心を見透かされ、最上は面を食らう。時折西天は心を見透かしたようなことを言う。朧火が十六歳の少女の尻に敷かれている理由を垣間見た気がした。
「ふふ、ごめんね。悪気はないのよ」と、西天が微笑んだ。
「ソフィアちゃんは学校、最上くんは働く。明日からその方向で手配するわ」
朧火よりは西天の方が圧倒的に信頼できる。彼女が大丈夫と言う学校なら、ソフィアを任せてもいいだろう。
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