第3話:ほのぼのとした家庭内暴力

 ファミリーの施設に迎え入れられてから数日がたった。多少の規則はあるものの、以前のように隠れながらこそこそ生活するよりはずいぶん快適だ。伊吹荘では、二人で一部屋を使っているようで、最上は必然的にソフィアと同じ部屋になった。ベッド二つに、勉強机が二つ、そして本棚も一つあり、前にも人がいたのか見知った物からマイナーな物まで様々な小説が並んでいる。さらに最新型ではないけれど、液晶のテレビがある。お世辞にも広いとは言えないけれど、ソフィアと二人でいるには十分すぎた。

「快適だねーおにぃ」

 エアコンの効いた部屋で、ベッドにごろりと寝転がりソフィアはひたすらテレビを見ていた。

「テレビばっかりみてないで、たまには本を読んだらどう?」

「やだよー、文字追うのめんどくさい」

 動画中毒者らしい言葉だ、とあきれながら最上はふかふかのベッドに腰掛ける。

 けれど、ソフィアが四六時中テレビを見る気持ちもわからなくもなかった。食料を取りに行く必要もなく、虚構科学研究所の襲撃を心配する必要もない。はっきり言って手持無沙汰だった。安全で時間のある日々をどう過ごせばいいか、最上はすっかり忘れてしまっていた。

 とりあえず、最上は本棚にある小説を流し読みしていく。テレビを見るのもいい暇つぶしになるのだろうが、最上は動体視力が良すぎてコマ送りに見えてしまう。そのせいで、出来の悪い紙芝居のように見えてしまって、いまいち面白さがわからない。不出来な紙芝居を見るくらいなら小説の方が何倍も面白い。

 夕方に差し掛かる頃、部屋にノックの音が響く。出てみると朧火が廊下に立っていた。

「なに?」

「最上、ちょっと事務室に来い」

「わかったよ」

 なんで、とはいちいち聞かない。

「ソフィア、行くよ」

「はーい」

 最上はまだファミリーを完全に信用したわけではなく、できるだけソフィアと一緒にいるようにしている。

 伊吹荘は三階建てで、最上とソフィアが使っている部屋は三階の一番端っこの方にある。事務室は一階にあり、朧火の後を追って最上とソフィアは廊下を歩いた。

「ソフィアちゃん、体調はどうだ?」

「うん、おかげさまでスーパー元気だよ!」

「そうか。ならよかった」

 ファミリーに入れば、最上とソフィアに必要な食料を支給すると言った。てっきり人間の肉をどこからか持ってくるものだと思っていたけれど、西天が出したのは人間の血だった。ソフィアには血の方があっていたらしく、たった数日で普通に歩けるどころか、逆立ちまでできるようになった。最上は血の採取と持ち運びが面倒だったので、肉ばかり食べさせていた。血の方がよかったというのは盲点だ。

「世の中にはDマン云々関係なく、吸血体質が百万人に一人の割合でいるから、そういう人向けの血液もあるんだ。それを使うことにした」

 全く知らなかった。今まで苦労して人の死体を探していたのがバカらしい。

 事務室に入ると、クスノキの香りが最上の鼻を満たした。十畳ほどの広さで、入り口から数歩の位置に二人用のソファが向かい合う形で置かれ、その間に足の短いガラスのテーブルがある。来客と会話する時に使うのだろう。その奥にはクスノキを使っている年季の入った木製の机があり西天がいた。

「来たわね、最上くんとソフィアちゃん」

 相変わらず西天は着物姿で、黙って大人しくしていれば大和撫子に見える。

「単刀直入に言うわ。学校に行くか、働くか、決めなさい」

「……僕とソフィアに学校って選択肢があっていいの?」

「当然じゃない。望むべき勉強するのは子供の権利よ」

「学校に行ってない十六歳の西天さんが言うのは説得力に欠ける気がするんだけど」

「私はもう行ったわ。大学までね」

「飛び級!? もしかして留学したり!?」

 と、ソフィアが大げさに驚く。

「そうね。アメリカの方まで行ってきたわ」

「お母さんってもしかして、めちゃくちゃ頭良かったりするの……?」

 ソフィアはファミリーのルールにのっとって、すでに西天のことをお母さんと呼んでいる。最上としては複雑だ。

「別によくはないわよ。人より多少成長が早かっただけよ。ま、今は私のことはどうでもいいわ。とにかく、学校に行くか働くか、決めなさい。どちらを選ぶにせよ、私と朧火くんが全力で援助するわ。期限はそうね、一週間あれば大丈夫よね」

 西天の話はこれで終わりだった。

 学校に行くか働くか。どちらも最上には縁がなかった選択肢で、また、それが大きな分岐点になるというのも察していた。

 部屋に帰って考えようと思って事務室を出た最上だが、出た途端、朧火が話しかけてきた。

「最上、ちょっと伊吹荘の裏にまで行くぞ」

「なんだよ。僕に話があるならここで言えよ」

「いいからこい」

 半ば無理矢理、伊吹荘の裏に連れていかれる。当然、ソフィアもついてくるはめになった。

 裏庭にはしばふはなく、肌色の土が広がっていた。公園にあるようなブランコやシーソーがいくつかあるため、子供の遊び場として使われているのだろう。体を動かすにはもってこいの場所だ。そこで朧火はへらへらと笑いながら言った。

「稽古をつけてやる」

「は?」

「十七にして耳が悪くなったか? 稽古をつけてやると言ったんだ」

「ごめん、僕には朧火がなにを言ってるのかさっぱりわからない。僕は誰かに稽古をつけてもらう必要があるほど弱くないんだけど」

 最上は『あの』新神定理を倒している。

 WW3をたった一人で終戦に導いた少女を。日本を救ったと言われる人類最強を。

 最上には負けたが、新神定理の強さは本物だ。

 日本は第三次世界大戦のどさくさに紛れて敵国となる国々に侵略されかけた。序盤は自衛隊が活躍して、日本の工学技術の高さをアドバンテージに侵略を跳ねのけた。だが、敵国がDマンを投入し始めてから戦況ががらりと変わり、一気に押され始めた。まず九州が占領され、そこを中心に沖縄と四国の半分を落とされた。

 当時、日本は工学的にはアドバンテージを持っていたが、遺伝子工学的には圧倒的に劣っていた。

 倫理にうるさい日本人は、Dマンを自衛隊に組み込む試みをことごとく拒んでいたのだ。当初戦争が起こった場合、幼い子供を戦地に送ることになるからだ。強固な倫理観念は、日本人の誇れる宝物だ。

 だが、それが第三次世界大戦では裏目に出てしまった。

 武器を持ってなお、馬のような速力で走れる人間や、銃弾を無効化するような硬い皮膚を持った人間の軍隊に、ほぼ一方的に蹂躙されていった。

 日本の中に基地を築いていたアメリカがいたけれど、他の戦地に戦力を裂いており、日本に残っていた者では敵の進行を止めることは叶わなかった。

 四国、九州、沖縄、中国地方が落とされ、日本の完全な占領まで間もないと言われた頃。

 新神定理が日本に突如君臨した。

 彼女はたった一人で戦況を覆す。完全に占領されていた中国地方を取り戻し、四国、九州、沖縄と次々と敵を排除した。たった一人で、日本から一切の敵を取り払ったのだ。

 しかも日本を占領から解放するや否や、戦争の要因となった人間を次々確保し、強引に終戦条約を結ばせ、第三次世界大戦を終わりへと導いた。

 戦争が終わると、新神は姿を消した。それゆえ都市伝説扱いされることもあるが、新神が日本を救ったのは間違いない。虚構科学研究所としては、新神が姿を消したということにした方が後に活動させやすかったのだ。

「ぶっちゃけ、僕は僕自身を最強だって思ってる」

「若いな。俺にはその自信が羨ましい。ちなみに、最上の最強の定義ってなんだ?」

「守りたい人を守れる強さを持っていることだよ」

 大真面目に最上は答える。ソフィアが顔を赤く染め、朧火が面白そうに笑った。

「若いな! いや、最近の子供は恥ずかしくてそんな言葉吐けるやつなんてなかなかいないか。まったく、俺の若い時を思い出すよ。まだガキの時のな」

 朧火は手袋を付けた両手をはやすようにたたく。

「僕、あんまり沸点が高い方じゃないんだけど」

「悪かった悪かった。ともかく、お前が最強であるために俺の稽古受けとけって」

「やだよ」

 そもそも、最上は朧火に何かを教わるということ自体に嫌悪していた。正直言って、朧火の人を食ったような態度が嫌いだ。

「なんで僕より弱いやつから稽古受けなくちゃいけないんだよ」

「図に乗るなよ小僧。俺がお前より弱いだと?」

 小説か漫画を探せばゴロゴロ転がっていそうなセリフを朧火は煽るように言った。プチっと最上の脳の血管がちぎれたような音がした。

「ソフィア、下がってて」

 最上の脳内が沸騰しているのを察したソフィアは、止めようとしてくれたが、それで止まる最上ではなかった。

「出会った時から気に食わなかったんだよ、朧火は」

「よーし、家庭内暴力にならない程度に勝負すげぼぶぅッ!?」

 一瞬で朧火との間合いを詰めた最上は、右手の拳を鳩尾に叩き込む。簡単に彼の体は宙に舞い、数回転してから地面にたたきつけられた。

「よっわ」

「げほっ、げほっ、お父さんに手を上げるなんて――」

「煽っといてなに言ってるの。それに、朧火と家族になったつもりはない」

「あげぶっ!?」

 蹴りの追撃を放つと、これもあっさり当たり朧火は地面をサッカーボールのように転がる。

「お、ま、手加減しろよ!」

「僕に喧嘩売っておいてそれなの? 手加減はめちゃくちゃしてるよ。してなかったら今頃内蔵残ってないって」

 あまりの弱さに冷めてしまった最上は、はぁ、とため息をつく。

「まだ僕に稽古をつけるなんて言う気?」

「言う気だが?」

「もう一発蹴っとこうか。ついでにソフィアに手を出す前に去勢しとこ」

 サッカーボールを蹴り飛ばす要領で、助走をつけ、足を大きく踏み込む。

「あー、最上のお兄ちゃん、だめです!」

 ランドセルを背負った少女が割り込んできた。金髪の合間に見える猫の耳、そしてつるりとした卵のような印象を受ける白いワンピース、そのすそからひょろりと出ている黒いしっぽ。見覚えがあると思うのも当然で、同じ伊吹荘に住んでいる子で、最上が伊吹荘に来たとき一番初めに迎えてくれた子の一人だ。

「花野ちゃん、だっけ」

「そうですー。家族なんだから仲良くしないとだめですよ!」

「僕はこいつと家族になったつもりは――」

「お兄ちゃんも、お父さんも、都も家族なんです!」

 有無を言わさぬ調子で花野は言うと、小さな両手で最上と朧火の手を握る。そしてそれを繋ぐように引っ張った。

「はい、仲直りの握手です!」

「だそうだ。仲直りしちゃうか」

 あれだけボロボロにやられて、朧火はまだなんでもないように笑っている。

「小学生に助けられて、みっともないね」

「ありがとなー都ー。お父さん助かったぞー」

 皮肉を言っても、朧火は笑みを消さず、花野の頭をなでてやっている。

(大人の余裕ってやつ? 見栄? 虚勢? 気に食わないな)

 心の中で毒突きながらも、小学生に仲裁されて引っ込まないのは恰好がつかない。最上は仕方なく朧火と握手をしたのだった。

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