フェイク・フェイク・ワンダーランド

五里栗栖

フェイク・フェイク・ワンダーランド

 青年が牛乳パックを二つ抱えて、レジに持って行く。

 会計を手際良く終わらせ、レジ袋を持って店を出て行った。

 交差点の前で信号が変わるのを待っていると、同じく信号待ちをしている学生達の立ち話が聞こえてきた。

「おい、聞いたか? 魔導機関が人魚を見付けたって話」

「でも逃げられてんだろ? 捕まえたなら大したものだが。何せ、食べたら不老不死になれるって話だ」

 信号が変わって、交差点を真っ直ぐ歩いて行く。そのまま目の前にあるマンションの中に入り、呼び出し口に鍵を挿して大きな自動ドアを開けた。

 エレベーターのボタンを押して、降りて来るのを待っていると、ロータリーで本を読んでいた女の子が話し掛けて来た。

「パトリックさん。こんにちは」と、煙管を吹かして言った。

「ああ、こんにちは。マドンナちゃん。それ、体に悪いよ」

「でも、私、吸血鬼で千二百歳よ。人間の法だと成人じゃない」

「人間換算でまだ十二歳。体も熟してないでしょ? 大人しく、お父さんに返してきなさい」

「……ぶー。ケチ」

 話しているうちにエレベーターが来たので、中に入って六階行きのボタンを押す。

 途中、三階で止まり、顔色の悪い七三分けの男が入ってきた。

「おや、これはパトリック殿」

「ああ、マドンナちゃんのお父さん」

「娘に煙管を盗まれた様なんですが、知りませんか。あれは我が家の……」

「それなら、ロータリーに居ましたよ。今頃、外かも知れませんが」

「ああ、それはそれは。どうも。後で説教だな……」

「どちらへ?」

「ああ、はい。ペットの蝙蝠が逃げ出したので、探していたんですよ。上の階の人が捕まえてくれていたみたいで」

「ああ、なるほど」

 六階に着いたので、マドンナの父に一礼して、エレベーターを出た。

 自宅の扉を開けて、玄関のドアポストを見ると、手紙が入っていたので、拾う。

 手紙を机の上に置いて、レジ袋の中にある牛乳パック二つを取り出し、片方を冷蔵庫に入れた。

 もう片方を開封して、コップを取り出し中に牛乳を注ぐ。

 一口で勢いよく飲み干し、手紙を一読した。

「成程、呼び出し状ね」

 青年――パトリック・サベージは機関に仕える魔導師である。


 広い会議室の中、ハンカチで必死に汗を拭きながら、小太りの中年男性が右往左往している。

 ノックの音がする。

「大臣、案内して参りました」と、凛とした女性の声。

「い、入れなさい」

 男が返事をした少し後、扉が開けられ、スーツの女性が四人の人間を中に入れた。

「君も入りなさい」と、男の催促にうなずき、女性も入室する。

 ひとりの魔術師はパトリック。若々しい青年で、脳天気な笑みを浮かべている。

 残りの三人は、厳格そうな表情を浮かべる赤毛の娘と、顎髭を弄っている筋肉質な男性、乱雑に伸ばされた長髪が特徴的な怯える少女。

「やあ、待っていたよ。君達、四人にぜひ頼みたいことがある」

 大臣はとめどなく溢れる汗を拭いながら話を進めた。

「数々の退魔の功績を持つ討伐者――アリア・カーシス。理性ある人狼混じりの英雄――エルヴィン・スミス。魔導学園の偉大なる権威――ダイアナ・ミラー。何れも偉才なる三名に、我が親愛なる友人、パトリック・サベージ」

 ひらひらと大臣に向かってパトリックが小さく手を振る。

「君達に、ある任務を頼みたい」

 咳払いを一回して、大臣は続けた。

「人魚の里に脱獄囚が乗り込んだ」

 会議室がざわめく。

「我々が捉えていたA級魔導犯罪者、ルートヴィヒ卿だ。里に潜入させている魔導師から制圧されたという報告が来ている」

 とめどなく溢れる汗を拭いながら、話を続ける。

「里に乗り込み、ルートヴィヒ卿の討伐を頼みたい」

 ダイアナが悲鳴をあげる。

「ひいいいい! そんな危険な任務、引き受けられませんよぉ」

 そんな彼女を、アリアが一言で制した。

「静かになさい」

 続いて、エルヴィンが小さく手をあげて質問をする。

「だがよぉ、何の保証や前払いもなしに、そんなもん引き受けられねえのは同意だぜ?」

「うん、それは僕も同感」と、パトリックが言った。

 控え目な調子で大臣が返答をする。

「あ、ああ。勿論、報酬の半分は前払いで振り込むし、無事に遂行した暁には皇帝陛下から勲章が授けられる予定だ」

「勲章――」と、アリアが顎を弄りながら復唱した。

「ほお、そりゃ大変名誉な事じゃねえの」

「……十分だろうか? 一週間後に人魚の里行きの列車が出る。それまでに、良い返事が聞ける事を期待しておこう」

 咳払いが小さく会議室の中で響いた。


 一週間後、出発の準備を済ませたパトリックは、承諾する旨を伝える為、大臣に電話を掛けていた。

「成程、了解してくれるか。分かった」と、大臣。

 受話器越しに頷きながら、パトリックが相槌を打つ。

「それで――そうだ、それから。これは、信頼できる友人である君にのみ伝えておくが――」

 神妙な調子へと声が変わる。そして、続けざまに大臣が言った。

「協力者の中に裏切りものがいる。こちらからも調査は続けているが、気をつけたまえ。君の任務は……な?」

「うん、分かってる。承知しました」と、気さくにパトリックが返す。

「では、頼んだぞ。……それから、これが君の最後の仕事だ」と言って、大臣が電話を切る。

 受話器を置いて、大きな手提げ鞄を持つパトリック。それから、コップに牛乳を注いで、一息で飲んだ。


 部屋を出て、バルコニーの通り際にマドンナに話し掛けられた。

 父から盗んだ家宝らしき煙管は盗んだままの様で、煙を吹かしながらパトリックの方を向いている。

「……お兄さん、このままだと死んじゃうよ」

「それは、その煙管のおかげで見えたの?」

「うん。未来が見えるんだって」

「そう、お父さんに返してきなさい」

「信じないの?」

「信じるよ。君の忠告は」

 去り際にマドンナに手を振って、マンションを出た。

 信号の前でネクタイをきつく締め直し、駅に向かう。

 早朝である為、町は大勢の生き物で溢れ返っていた。その混沌とした様相が当たり前である為、パトリックは何とも思わない。

 生まれてからずっと、この景色が自然だからだ。


 案内通りに向かい、列車に着くと、パトリック以外の三人も先に乗車していた。

 貸し切りの様で、彼ら以外の乗客は見当たらない。

「やあ、どうもどうも。よろしくね」とパトリックが手を振りながら挨拶すると、適当に頷き返される。

「改めて――自己紹介は必要か?」とエルヴィンが言う。

「私達三人は不要だろう、が――」

 アリアがパトリックを睨み付ける。

 それに便乗する様に、「確かに、パトリック? さんは正体不明ですよねぇ」と、おどおどしながらダイアナが言った。

「ははは。僕なんて大した人間じゃないよ。ただの木っ端魔導師さ」

「ただの木っ端魔導師が大臣の友人で、しかも、こんな依頼を回されますかね?」

 アリアがパトリックに訝しげな目を向ける。

 豪快に笑いながら、エルヴィンが手を叩いて話を締めた。

「良いじゃねえか。どうせ、長旅だ。その中で見極めてきゃ良い」

「流石、英雄殿。話が分かるね」

「はあ。まあ、良いでしょう……」

 三人が座っているのと同じ座席に座る。隣にダイアナ、向かいにアリア、斜め横にエルヴィンという形になった。

 そして、そのまま、ほぼ初対面である四人の気まずい談笑が続いたのであった。


 列車の旅は早々に終わった。

 空に線路をかける魔法の乗り物は、地球の裏でさえもあっという間に着いてしまう。

 消えて行く線路と列車の後ろ姿を見送って、一行は人魚の里近くに着いた。

「さて、ここが――例のところだね」と、パトリックは顎に手を当てながら言う。

 然し、目の前にあるのは鬱蒼と生い茂る森。そして、背中の方にあるのは燦然とした浜辺と海であった。

「どうやら、入り口は隠されているみたいですねぇ。列車も通らなかったという事は、防壁みたいなものも。ふえぇ……」と、ダイアナ。

「ふむ」と、一息ついた後、思案を巡らせながらパトリックが云う。

「教授、ずばり魔法の仕組みとは?」

「え? そんな初歩的な? えーっと……数式、ですぅ」

「数式。つまり、要素と要素の掛け合わせ、組み合わせ、或いは引いたり割ったり、それを繋げて形成される。一種の科学――だから、見えない壁もそういうものだとするなら、いくらでも崩せる」

 そういって、パトリックが虚空に手をかざす。

 方程式を解き明かし、構成要素を解析する。そして、的確に、鍵となる答えを呈し、扉を開く。

 あっという間に、目の前に広がる景色が変貌していた。

 生い茂る密林は、気付けば荒んだ廃墟街と化していたのだった。

「どうやら、ここの様だね。で、どう? これで僕のこと信用してくれる様になったかな?」

「余計、胡散臭え」――半笑いでエルヴィンが言った。


 廃墟街の中を、警戒しながら歩く。

 そこかしこに、彼らに視線を送る様な気配を感じはするが、姿は捉えられず、直接的なコンタクトもない。

「遅かれ早かれ、あの人が現れなくても、ここはこうなっていたでしょう――と私は思います」――アリアが不躾に言う。

「ほーん、そうかね」とエルヴィンが曖昧な返事をする。

「どう思います?」とアリアが訊ねる――が、答えたのはダイアナだけであったし、返事は質問であった。

「それは、何故でしょう」

「……と、言うと」

「あの、だって、普通はこう考えるでしょう。”ルートヴィヒ卿が襲ったから、こんな有様になったんだ”、と。ち、違いますか?」

「それは思考停止ですよ。我々、人間は開拓者です。だから、ここも見つかったなら搾取される側になる。人魚ですよ? もってこいです。資産も文化も生態系も、何もかもが珍しい。全て奪われる未来にある……そうは思いませんか?」

「さーてね」と、パトリックが適当な返事をする。

「貴方は――」

「どっちでもいい」と、食い入る様に言う。そして、「僕らの仕事は悪い魔法使いの討伐だ、そうでしょう?」と、話を締め括った。

「あなたは、そういう人間なのだな」と、感慨なさ気にアリアが言う。それに対し、パトリックは小さく鼻を鳴らして答えた。

 瓦礫の廃墟をひたすら歩いてばかりで、いっこうに何も起こる気配がない。

 痺れを切らして、エルヴィンが叫ぶ。

「ダーッ! 飽きてきた!」

「しーッ! しーですよ、エルヴィンさん!」

「うるせえ、ダイアナ! おい、何かこう――無ェのか!? 作戦みたいなの!」

「そうだな」と、パトリックが顎に手を当てて考える。

 暫く沈黙していると、何処からか啜り泣く様な声が聞こえてきた。

「……うん。追ってみるかい?」

 全員が頷いた。


 泣き声のする方へ向かう一同。

 廃墟の中、耳を澄まし、瓦礫を掻き分けて進む。

 荒廃した公園の様な場所の噴水で、魚の下半身を持つひとりの少女が、声を上げて涙を流していた。

 四人が近付いているのを知り、少女が小さく悲鳴をあげる。

「あ、あなた達は?」

 それに、優しい声音でパトリックが語り掛けた。

「大丈夫。安心して、僕達は君を助けに来た――状況が知りたいんだ。教えて貰えるかな?」

 笑顔の青年に、少女が訝しげな顔のまま、喉を鳴らす。


 少女が言うには、人間の使者と友好条約を結んだ直後、ルートヴィヒ卿は姿もなく突然に現れたらしい。

 人魚達が住んでいた魔法に満ちた水の楽園は干魃し、彼の襲撃により、瞬く間に変わり果てた姿になった。

 強大な力を持つ魔法使いに、彼らは服従せざるを得なくなった。

 結局、元人魚の王が住んでいた城は彼のものとなり、多くの人魚が奴隷となった。

 だが、今もなお反逆を目論む集団が地下深くに身を潜めている。少女も、その集団の中に親がいる娘のひとりだ。

「嘗て、ここは楽園でした……。人魚達が済むに相応しい、地上の深海。海と魚と、幸福に満ちた場所だったんです」

 俯きがちに少女は言う。

 パトリックが話を遮り、顎に手を当て、興味なさげに「城、ねぇ」と言う。その視線は遠くからでも見えるぐらい高く聳える、石造りの城に向けられていた。

「あれかな」

「……だが、どうすんだ。そんなにお強い方じゃ俺達四人じゃ厳しいかもなぁ」

「討伐者殿はどう思われます?」

「ふむ。反逆者とやら達の協力をいただきたいですね」

「それは……難しいと思います」と、ダイアナ。

「なんでだ?」――エルヴィンが訊ねる。

「だ、だって、彼らは敵性侵略者の攻撃でこの様な状況な陥ってるんですよね? その侵略者と同じ人種のものに容易く靡くでしょうか……」

 エルヴィンが頭を掻く。

「そりゃあ、そうだが……」

「然し、やむを得ませんよ。説得するしかないです」と、アリア。

 パトリックは曖昧に返事を返す。その様子に対し少女は、静かに不安げな眼差しを向けるだけだった。


 結局、彼ら一行は少女の案内で地下水道を辿り、レジスタンスの根城まで向かったのだった。

 周囲を囲む、沢山の反乱軍私兵。そのリーダーと思しき長髭の男が、怪訝そうな顔で四人に対し、順番に視線を送る。

「こいつら、本当に信用できるのか?」

「信じてくれて構わないよ。僕らの命に賭けて」と、事も無げにパトリックが返した。

 後ろで控えてたダイアナが「勝手に賭けないでくださいぃ」と小さく零す。

「別に、俺達ァあんたらの味方ってわけでもねえ。だが、目指すべきところは一緒のはずだ。打倒、ルートヴィヒ卿。違うかい?」

 エルヴィンの啖呵に辺りが静まり返る。

「……だが、簡単に信用するわけには――」

「指ひとつで良いかい?」

 パトリックが言いながら、テーブルの上に手を広げ、懐から取り出したナイフで己の小指を落とした。

 周囲から悲鳴が漏れ、反乱軍のリーダーが呆然とした表情を浮かべる。

「あんた、頭がおかしいのか?」

「信用のためだ。先ずは、あなた達の協力を得なければいけないからね」

「……わかった。手を組もう。今から、あんたらは俺達の味方だ」

 心配そうな顔でアリアが、パトリックの耳元で訊ねる。

「あの、指……良かったんですか?」

「フェイクさ」と、端的に返事をした。

 テーブルの上で転げるパトリックの指だった(とされる)ものを、反乱軍のひとりがハンカチで包んでゴミ箱に捨てた。

 それは、僅かに蠢きながら血を流し、光の粒となって消えていった。


 さて、無事に仲間と認められた四人は、空いていた広めの部屋に案内され、そこに各々の荷物を置いて、暫しの休憩を満喫していた。

 ところで、先ほどのパトリックの啖呵が気になったダイアナは、彼に話し掛けたのだった。

「あのぅ、あの指の件……。切断する際に己の指を魔力の塊として再定義していたのですか?」と、顎に手を当てながら訊ねる。

 パトリックは、元の形に戻った片手を広げながら感触を確かめていた。

「そう。一旦、魔力として再定義し、切断した後に身体に還元される様に式を組む。そうすれば、ほら、元通り。……まあ、暫くは包帯で巻いて隠すけどね」

 青年は鼻歌を口遊みながら、荷物から救急箱を取り出した。

「あの……。それって、とても危険ですよね。だ、だって、式の設定に失敗していたら――もし、上手く行かなかったら、指は元通りにならなかったろうし。そ、それに、痛みはそのままじゃないですか」

「でも、そうはならなかった。事は上手く運んだ。僕は、そんなヘマはしない。――ね? ダイアナさん」

 快活に笑うパトリックに、ダイアナは何処か薄気味悪さを感じた。

 その様子を、アリアが見ていた。


 集落の外れ、人気のない場所まで来たアリアはスマホを起動して、誰かに連絡を掛けた。

 コールが暫く鳴ったのち応答が入り、繋がる。

「もしもし――主様」

「首尾はどうだ? アリアよ」

 電話の相手は、ルートヴィヒ卿であった。

 慎重に声を潜めながら、アリアが報告をする。

「はい、恐らくはパトリックという青年が機関からの差し金であると思われます。裏切り者を炙り出し、始末する為に送り込まれた――」

「ほう、意外に早かったな」

「然し、あの……あからさますぎます」

「ほう?」

「見つけてくれと言わんばかりに、胡散臭さを漂わせていました。何かある、そう思われます」

「では、気を付けて追ってくれ。私に辿り着く前に、お前があいつを始末するのだ」

「はい――」

 電話が切り、アリアが溜息を吐く。緊張が切れたかの様な表情をし、額の汗を拭った。

 その一連の流れを、息を潜めてパトリックが聞いていた。


 ひとり、部屋に戻ったパトリック。

 そこではエルヴィンが荷造りをしていた。

 旅行鞄の中を覗き込んで、青年が不思議そうに言う。

「意外に几帳面なんだね」

 綺麗に整理整頓され、均等に収まる様に荷物たちは詰め込まれていた。

 頭をかきながらエルヴィンが言う。

「妻がいるんだが……。どうも口煩くてな。こういうのきちんとしないと怒られんだよ」

「へえ、良い事じゃない?」

「お前のはどうなんだ?」

「ごめん。自分の見られるのはあまり好きじゃない」

「おいおい……。まあ、良いか」

 荷物の中から家族写真を取り出して、頬を緩めるエルヴィン。

「お、あったあった。探してたんだよな」

「子供、いるんだ」

「おう。……死ねねえよな」

 低く、力強く言う男を見て、パトリックは表情を消して答えた。

「大丈夫。あなたは死なない」

「ん? おう。……そうかもな」

 部屋の扉を叩く音がして、会話は途切れた。


 それから、数日後。

 反乱軍のアジト、作戦会議室にて全員が集まっていた。

 ホワイトボードの前で、長髭の男が腕組している。

「さて、本日の作戦を説明する」

 ペンを取り、図を書きながら話を続ける。

「陸から進行をし、陽動を行う第一から第四部隊。地下の抜け道から王城に攻め入る、少人数の第五部隊を組んだ。その中から、協力者となったパトリック氏とアリア氏を陽動、ダイアナ氏とエルヴィン氏を侵攻部隊に組み入れる」

 頷く面々。パトリックとアリアがひそかに笑みを浮かべる。

 そして、作戦の詳細な説明が続いた。

 ルートヴィヒ卿側に寝返った敵勢人魚たちの注目を買うのが陽動部隊の狙いであり、陸上から魔法を使って攻撃するのが役目である。但し、被害はできるだけ出さない。

 基本、ツーマンセルで指示を受けながら行動する事になる。パトリックとアリアは、勿論、二人で組まれていた。

 斯くして、事態は動いた。

 支給された部隊服と装備を着て、人魚たちの内戦へと介入する事になる。

 いよいよ、猶予は無くなったのだ。


 水の枯竭した地上でも、水球を魔術で作って、人魚たちは空を泳ぎ回る。

 それはいわば、空軍を相手にしている様なもので、陽動部隊は思いの外、苦戦していた。

 然し、ツーマンセルで行動しているパトリックとアリアは例外的に、唯一、とても善戦していた。

 迎え撃ってくる敵勢の人魚達を、傷付ける事無く追い返し、注目を受け、陽動として理想的な働きを見せていたのである。

 廃墟の中で身を潜めている二人。気を失っている人魚の少年兵を物陰に寝かせ、溜息を漏らした。

「だいぶ、時間が経ちましたね」と、アリア。

 腕時計で時間を確認しながら、パトリックは任務の仔細を思い出す。

「本隊が今、敵の根城に潜り込んでるはずだ。もうそろそろ、約束のときが来る……」

「うん、そのとおりだね」

 事も無げにパトリックが言って、指を鳴らす。

 そうすると、地面から何本もの大きな蔦が伸びて、アリアの身体を拘束した。

 その拍子に、スマホを落っことす。

「な、何をする!」

「何って、仕事だよ」

 パトリックが、自分のポケットからスマホを取り出して、通話を掛けた。

 そうすると、アリアのスマホにコールが掛かり、自作自演で応答した。

「あー、もしもし」――アリアのスマホから聞こえるパトリックの加工された声は、ルートヴィヒ卿のものであった。

「その声はっ!」と、驚愕を露わにする少女。

「うん、そういう事。居ないんだよ、ルートヴィヒ卿なんてひと。この内戦も、人魚の里の発見と制圧も、全部、仕組まれたこと。嘘なの」

 アリアの身体を締め付ける蔦の力が強まる。

「可哀想だから、教えるけど」と前置きして、パトリックが話を続ける。

「僕と君の役割は、歴史の闇に消えること。不穏分子の炙り出しと、その排除。なんとか卿なんて名前のひとは存在しなくて、ごちゃごちゃの世界が秩序を保つために、必要なヘイトと恐怖。そして、残りの二人は続く明日の為の英雄」

「そんなものっ!」

「何を言っても無駄なの。多種多様な種族が行き交う以上、一定の機構は必要不可欠なものなんだから」

 懐からナイフを取り出し、彼女に突き立てた。


 ――結局、無事に内戦は収束し、ルートヴィヒ卿という偶像は、何処かへ身を隠したというだけのニュースが拡散された。

 彼を退かせたという二人の英雄と、彼らと共に戦った人魚達。そして、戦火の中で身を落としたという数々の犠牲者に、ある二人の名前を載せて。


 薄暗い地下室の中で、目隠しと猿轡に、手足を拘束されたパトリックが椅子に座らされている。

 その頭には拳銃が突きつけられており、軍服を着た人間の男が構えていた。

 部屋の中で響いているのは、時計の針が刻む音だけ。

 それから、二つの針が重なった時に、引き金が弾かれ、青年は意識を失って項垂れた。

 そして、部屋を隔てる扉の向こうには、彼を友人と呼んだ小太りの中年男性がひとり。

 汗をハンカチで拭った。


 マンションの屋上で、日傘を差して空を眺めている吸血鬼の少女がいた。

 呆けた顔で煙管を吹かしている。

「こんなところにいたのか、マドンナ」と、彼の父が言う。

 日陰を越えない様に歩み寄って、困った顔で続けた。

「何をしているんだい?」

「あるひとの事を考えていたの」

「ああ。彼か」

「ええ。結局、死んでしまったわ」

「でも、彼が自分で選んだ事だ」――そう言って、父は帰るのを催促する様に手を差し出した。

 それに対し、無言で返事をするかの様に、少女が頷く。

 ふたりとも家へ帰って行った。

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フェイク・フェイク・ワンダーランド 五里栗栖 @CR_gorillaF91

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