第163話 マンドラゴラのボス
「………」
ハッキの背で風を浴びながら、俺は心ここにあらずだった。
――心から愛してた。さよなら。
ノヴァスのあの言葉が、胸に突き刺さっている。
それがズキズキとうずいて、彼女のことが頭から離れない。
「………」
俺は右手を見つめる。
さっきまで彼女を握っていた、手。
伝える側より、伝えられる側はどうしても出遅れてしまう。
しかもあまりに予想外な内容だっただけに、このまま去る気だと知った時にはもう遅かった。
「……どのみち、お別れだったということか」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
当初の俺は、アルマデルがカジカであることを告げ、世話になった礼をし、別れるつもりだった。
そう、その通りになったとしても、のちには二度と関わることのない人物になったこだろう。
結果は同じ。
何も憂う必要はない。
「………」
そう言い聞かせても、どうしても俺の心は納得しない。
今の俺は、彼女の想いを知っているからだ。
――そういうことだ。結局、私の『片想い』だったな。
ノヴァスはあの時からずっと、カジカを想い続けてくれていたということだ。
深く、ひたすら、一途に。
それで全てが繋がった。
前の別れ際に、「誰ともキスするなよ」と言ったのも。
死んだと聞いて沈み込み、本物かもわからない布切れを握って、あの丘の先にいたのも。
「ノヴァス……」
風になびくブロンドの髪が目に浮かぶ。
ともにやってくる柑橘の香りが思い出されて、切なくなる。
ノヴァスは最初からカジカへの想いを諦めると決めていた。
元の姿に戻り、新たな人生を歩み出すカジカに、自分はふさわしくないと考えていた。
だから約束だけを果たして、去ったということか。
「………」
俺は空を見上げる。
かつて、俺もノヴァスが心から離れない時期があった。
雪の舞い散る中で、ノヴァスが今さっきと同じように泣いて、あれを見てからだった。
彼女はきっとあの頃からずっと、カジカを想ってくれていた。
だがあの時の俺は復讐を優先し、ノヴァスの前から去った。
ノヴァスは【乙女の祈り】だったから。
その弊害なのだろう。
今ごろ、別れとともに彼女の想いを知ることになったのは。
「………」
正直に言えば、俺はこれで終わりにしたくなかった。
四の五の言わず、街に戻って帰還した彼女を探し、詳しく話を聞きたかった。
だが、こうなったのは自分のせいだ。
ノヴァスとて、一度決めたことは翻さないだろう。
俺も大人にならなければならない。
「………」
俺は溜まっていた息を吐く。
月日が経てば、ノヴァスも変わるだろう。
そう経たないうちにカジカを必要としなくなり、きっと、別の男と恋をするようになる。
そう、それでいいのだ。
これでノヴァスも、そして俺もカジカのことを忘れられる。
俺の、この胸の痛みもいずれ……。
「ほかのことを考えよう」
俺はハッキを操り、降下を始める。
努めてノヴァスのことを頭から追い出す。
体を動かしている方がまだ忘れられよう。
時間があるうちに、彩葉に頼まれたマンドラゴラ掃討の件を調べておこう。
まずは実際に配下を狩ってみて、彩葉の言っていたことを確認しておくか。
俺はフード付き外套を脱ぎ去ると、仮面をつけたまま手近な森に降り立ち、マンドラゴラを探す。
胸の重さはあえて無視して、見つけたそれに向けて、黙々と糸を操る。
「やはり……」
俺はマンドラゴラの亡骸を調べながら、確信していた。
通常、召喚された個体の亡骸には必ず、「【支配者名】の下僕」と表記される。
しかし、今回のマンドラゴラはすべて「✗✗✗✗の下僕」と表記されていた。
この【認知妨害】のやり方は、とあるレイドボスで見た手口だ。
俺は一度、初期村チェリーガーデンに戻り、倉庫から古びれた手鏡を取り出し、さきほどの狩り場へと戻ってきた。
この鏡は『
認知妨害や偽証を暴く力があり、難解なクエストの時に重宝してきた。
残っていた魔物の亡骸に『
「お前しかいないよな」
鏡の中の魔物の表記を見て、頷く。
そこには「【
【
触手は自由自在に伸び、あらゆる角度から襲いかかり、相手を捕まえて引き裂く。
あれと戦う際には、その12本と同時に渡り合わねばならない。
それだけでも十分脅威なのだが、さらに二段階に渡って部下召喚をしてくる上、本体が分身する、まである。
この世界がゲームだった頃、俺は詩織とこいつに戦いを挑んだことがある。
当初は分身が難題だったが、この『
「彩葉に伝えるべきだな」
相手がこいつとなれば、早々に戦い方を変えねばならない。
俺はさっそく、初期村へ戻るのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
「【
神殿に居た彩葉に告げると、彩葉は目を瞬かせる。
「知らないよな」
「でも、それが召喚者の正体なのですね」
俺は頷いた。
「配下のマンドラゴラを倒させることで、自身を強化していく奴なんだ」
【
配下はそれほど強くないが、それは意図されたもの。
奴は死した配下が発する怨念を経験値として、自身のステータスを強化する仕様なのだ。
それゆえ、倒し方に気をつける必要がある。
「そんな……知らずに随分と倒してしまいました」
「正体が掴めなかったんだ。仕方ない」
俺は肩を落とす彩葉を慰める。
「一応、奴にメリットを与えずに倒す手はなくはない」
「メリットを与えずに?」
彩葉が顔を上げる。
「ああ。彩葉さんは【
「……その魔法なら」
彩葉がこくり、と黒髪を揺らして頷いた。
【
自己治癒できる
【
「奴が召喚したマンドラゴラは〈
召喚された魔物が【
つまり、この世界では即死させたのと同じ効果がある。
しかし厳密には死ではないため怨念が生じず、【
奴は魔力と自身の経験値を消耗して召喚した配下を、むざむざと失うことになるのだ。
「そんなことが……」
先ほどと違い、彩葉が前向きな表情になった。
「これから【
「いや、言っておいてなんだが、今すぐは積極的に出なくていい」
「……え?」
そんな俺の言葉に、彩葉が目を丸くする。
「相手が思った以上に悪すぎるんだ。ボスは先に俺に探らせてくれないか」
「相手が悪い?」
「配下がマンドラゴラだからと甘く見がちだが、あいつは【也唯一】のレイドボスなんだ」
「【也唯一】……」
彩葉の顔が険しくなる。
俺は彩葉に【
戦いの際は奴の12本の触手と渡り合わねばならないこと。
二段階の部下召喚があること。
そして、本体が分身すること。
「ぶ、分身まで……?」
彩葉が目を白黒させている。
「ああ。アルカナボスまでいかずとも、そこそこの難敵だ」
「……まさか、そんな魔物がこんなところに……」
彩葉が青ざめる。
誰しも、初期村近辺は魔物を侮るところがあるのは当然のことだ。
「俺はゲーム時代に戦ったことがあるし、分身を見分けるための手鏡も持っている。ここにいる間に、皆が通るような場所くらいは先に洗っておくよ」
当面は下手に探し回ってエンカウントにならないよう、注意喚起してほしいことを彩葉に念押しする。
【也唯一】のレイドボスとエンカウントすると、【也唯一】クエストが開始されてしまう。
通常、戦闘を回避するための時間は10秒与えられるが、もし向こうから不意打ちされた場合はそれすらも与えられず、強制的にクエスト開始に移行してしまう。
「ノヴァスがひとりでフラフラしているようだ。気をつけるように伝えてくれ」
一番心配なのは、ノヴァスだった。
あいつは単独行動が多かったからだ。
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