第四部
第157話 癒やされるひととき
日が沈み、暖色の明かりが照らす店内。
閉店時間を過ぎ、にぎやかだった先ほどまでの喧騒が落ち着きつつある。
もちろん酔いを満喫している客たちは時間で帰ってはくれず、追い出されるまで居座る気満々である。
それでも店内を埋めている席が半数ほどになったころ。
「ずいぶん待たせちゃった」
「いいのさ」
髪をポニーテールにした少女が、メイド服のスカートの後ろを丸め込むように押さえながら、テーブルを挟んで俺の向かいに座った。
詩織だ。
彼女は今、バイトが終わったところだ。
「あい、今日もありがとな。カミュさんもどうぞ」
店主さんが詩織に湯気の上がったまかないを持ってくる。
ついでに俺も同じものの大盛を頂戴するのが毎度のことになっている。
「いただきます」
お礼を言って、冷めないうちに料理を口にし始める。
今日は牛のすね肉を煮込んだシチューと、キノコとパンチェッタのバターソテーだ。
「全て終わったのね」
久しぶりに会った詩織は、そう言って俺に微笑みかける。
「ああ。終わった」
詩織のことだ。
俺の顔を見れば、本当は訊ねるまでもなくわかっていたのだろう。
だが詩織にこうやって報告をして、俺の中では終わったこととして整理される。
だから、聞いてくれることに感謝している。
二週間ほど前に、俺は楽想橋の戦いで、リンデルに復讐を果たした。
そうやって心が途方もなく晴れるのだから、俺も相当歪んでいたらしい。
「長かった?」
「そう感じたよ。カジカのままでいた時間が随分とあったし」
「お疲れ様、って言い方で合ってるかしら」
「ああ。ありがとう。詩織のおかげだよ」
グラスとジョッキをコツンと合わせる。
俺が復讐に突き動かされていることを知っても、詩織は何も言わずに味方になり、支え続けてくれた。
俺にとって、この上ない人だと思う。
「詩織はあの時、俺がひとりじゃないと教えてくれたんだ」
女という女が敵に見えていたあの頃を思い出す。
ピエニカに始まった嘲笑や罵声を日々受け続けて、俺はそういう世界なんだと理解していたくらいだった。
そんな荒んだ、そして姿が醜く変わっていた俺に、詩織だけはいつものように笑ってくれた。
それがとてつもない支えになったのは、間違いない。
「当然のことよ」
詩織は、俺の右手にそっと左手を重ねた。
その手は優しく温かい。
「あたしはいつだってカミュの味方よ」
「あの時は、そんな当たり前のこともわからなくなってたさ」
正直、こうしてあの時のことを笑えるようになる日がくるとは思わなかった。
「それよりさすがよ、カミュ。リフィテルさんを処刑から守るなんて」
「関わってないような言い方だな」
「アハ、バレてた?」
詩織が口元を押さえて、顔を赤くする。
相変わらず、可愛らしい人だ。
「見えてたさ」
俺は詩織の手を握る。
カジカでリフィテルの城に潜り込んだ時に居た密偵の男。
あれをどうにかしてくれたのは詩織だろうと確信していた。
まあ彼女のことだから、殺さずにうまく追い出してくれたのだろうが。
「おかげでサカキハヤテが持ち直しそうだ」
今、リフィテルのもとには、司馬の元百武将であった【チームロザリオ】の面々やガーベラたちが寝返り、味方となって集ってくれている。
彼らは一騎当千というやつで、一人いるだけで一部隊にも値する者たちだ。
さらに司馬を倒したことで、リフィテルを慕っていた多くの一般兵もグラフェリア城に戻り、戦力としては大きく持ち直した感がある。
一方のピーチメルバ王国は、サヴェンヌの指揮のもとに軍を立て直し、再びリフィテルと戦う準備を進めているという。
「ひとまずよかったわ。……ところで、これからカミュはどうするの」
「このままリフィテルのところで、国の再建が終わるまで手伝おうと思っている」
俺はそう伝えて、シチューを口に運んだ。
牛肉は、長時間の煮込みでじゅわっと溶けるほど柔らかく、口の中で赤ワインとハーブの香りがふんわり香った。
リフィテルは賢王だ。
先王たちが行ってきた愚政を根本から正して仕切り直している。
まだまだ時間がかかるだろうが、民もいずれ、彼女を見直してくれるだろう。
「ということは、カミュは今、お休みをもらっているのね」
「ああ。当面は馬車馬のように働き続けようと思ってたんだけどな」
長くなるだろうからと、リフィテルは先にまとまった休みをくれた。
それで俺は今、このルミナレスカカオに戻ってきている。
「そう。あたしもこっちの仕事が落ち着いたら手伝うわ」
「詩織が来てくれるとありがたいな」
詩織はこう見えて、凄腕の短剣使いだ。
純粋な戦力としても、かなり期待ができる。
しかも、俺の考えることを言う前に理解してくれる。
こんなに頼もしい人はいない。
「それで、せっかくのお休みだけど、何かしておきたかったことはあるの?」
「さっそく詩織に会いに来たんだが」
「やだ、もう」
詩織はまた顔を赤くした。
しかし俺は詩織に会わないと話にならない。
「あとはちょっとノヴァスにな」
俺がソテーを口にしながら言う。
キノコの甘みとパンチェッタの旨み、バターのコクが組み合わさって止まらなくなる味わいだ。
詩織はああ、と納得した顔になった。
「復讐も終わったものね」
「そう」
【乙女の祈り】にリンデルという男が在籍していたゆえ、今までノヴァスに言えなかったことがあった。
「最近見たわ。ヒューマントルコのハーピー退治が終わって、こっちに戻ってきてたのよ」
「らしいな」
【乙女の祈り】のリーダー、彩葉から『以心伝心の石』で何度か連絡が来ていて知っていた。
「ちょうどね、カミュが戻ってきたら言おうと思ってたところなの。ノヴァスさん、こないだうちにも来てくれたんだけど、ずっと顔が真っ青だったのよ」
「何かあったのか」
詩織が真顔で頷くと、続けた。
「ノヴァスさん、どこからかカジカさんが死んだと聞いたみたい」
「なに」
情報が早いな。
いや、正確にはカジカは死んではいないのだが。
「随分とショックだったみたいよ」
「そう見えるだけだろ」
俺は笑ったが、詩織は真顔のままで、到底笑い事ではない感がすさまじい。
「そうでもないのよ。あたし、直接話したから」
ノヴァスは詩織にしきりにカジカのことを訊ねるばかりで、酒にも料理にも手を付けず、去っていったらしい。
「カミュ。ハーピー退治に行く前に、ノヴァスさんになにか言われなかったかしら」
「どうだったかな」
「『次に会う約束』みたいなこと」
「それはしていないな」
あの時のことは覚えている。
別れは告げたが、次に会う約束などはしていない。
「そうなの? おかしいわね……」
「おかしい?」
顎に人差し指を当て、独り言のように呟いた詩織に訊き返す。
「ううん。それだったらいいの」
それより、と詩織は話を変えた。
「カミュ。カジカさんにはもうなれないの?」
「呪いは解いてもらった。だから仮面を外しても、こうさ」
俺はつけていたアルマデルの仮面を外してみせる。
ただ仮面が外れるだけで、姿かたちは以前のようには変化しない。
先日、リフィテルを救出に行った際に知り合った高司祭、ポッケに呪いを解いてもらい、『福笑いの袴』は装備解除することができたのだ。
「そうなの……。でもこのままじゃ、ノヴァスさん、ちょっとかわいそうな気がするわ」
「まあ、詩織の言いたいことはわからなくもないよ」
俺はおかわりのエール酒を呷り、口元を拭う。
実際、カジカだった人間は生きているわけだしな。
「よかった。ノヴァスさんと話してくれるつもりだったのね」
俺は頷いた。
いろいろあったが、世話になった人間のひとりなのは間違いない。
実際、命の危機を助けてもらった恩もある。
「行って正体を明かしてくるよ」
「きっと、とんでもなく驚くわね」
詩織が
「別にいいさ。どう驚かれようと、今後俺が関わる相手じゃない」
力を失っていたからこそ、ノヴァスという人間と関わることになっただけだ。
恋心らしきものを抱いていた時期もあったが、今はもうない。
話をして、終わりだ。
「でも間に合うといいんだけど……ノヴァスさん、初期村の方に行くって言ってたから」
「……初期村?」
「ええ。なにか【乙女の祈り】でまた厄介事を解決しに行くみたいだったわ。詳細はあたしも知らなくて」
「そういうことか」
俺は顎をさする。
初期村か。
この街にいるらしいから、ついでに考えていたのだが。
初期村までわざわざ出向いて、伝えるような話ではない気がする。
俺は持っていた簡易の地図を開くと、一応、方角と距離を確認する。
「……ハッキに乗れば、そうかからないかな」
そこで俺は、詩織に手に入れたタツノオトシゴ竜について説明しておいた。
「そんな乗り物があるのね」
「ちょっと変なやつなんだけどな」
「ふふ。でも行ってあげられるなら、行って話してあげてほしい。それくらいノヴァスさん、落ち込んでいたの」
「わかった」
確かに次に自由に動ける機会となると、いつになるかわからないしな。
この街を探して、いなさそうだったら行ってくるか。
復讐が終わった今、第二の故郷をゆっくり味わうのも悪くない。
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