第31話 後門の大狼

 酒場を出ると、そこには相変わらず大勢の人が通りを往来していた。


 いくつかの店では朝採れ野菜を販売しており、この時間は夕食の食材を調達しに来た人たちでにぎわっている。


「すごい賑わいだね」

「そうね。この時間になると八百屋や精肉店、飲食店以外は店を閉めますから。その帰りに夕飯の食材の調達に多くの人がこの通りを歩きます」


 通りを歩いていると見たこともない食材を沢山見かける。


「サラ。あれは何?」

「あれはポトムの実です。味は今一ですが、ポトムの木は国中のいたるところに生息していますので、貴重な栄養源です」

「じゃあ、あれは?」

「あれはピルクです。ピルクは根菜で、安定して収穫できる貴重なたんぱく源です」


 サラとこうしたやり取りをして通りを歩いている。


 すると、通りの一角で演説をしている人を見かけた。


「……断じて認めん! ダリア共和国が契約に反し、エルマがダリアへと帰った今、ダリアがこの国に敵対していることは明白。この状況を8歳の子供がどうにかできるはずが無い!」


 体格からして冒険者らしき男が木箱に上って演説している。


「魔法が使えるからと言って数万の兵を動かす事なんてできるはずが無い! ランスが国王ではこの国は攻め落とされる! 大切な人を守るためにも、我々はランスが国王となることを認めるわけにはいかない!」


 どうやら、俺に対するヘイトスピーチのようだ。


 道行く人のほとんどは彼の声に耳を傾けていないが、10人弱の取り巻きが彼の周りにはできている。


「ノル。行きましょう」

「いいや。少しの間、彼の話を聞いてみたい。いいかな?」

「……わかりました」


 俺とサラは演説する男が立つ場所に対して反対側の路肩に立ち止まった。


「じゃあ、誰が国王になるんだ?王族はもういないだろ?」


 取り巻きの1人が演説する男に問いかけた。


「いや、王族の血を引くお方がおられる。マーク様だ! マーク様こそ国王に相応ふさわしい」


 これはマーク派の演説なのか。


「マーク様? 誰だ?」

「俺も聞いたことがねぇ。そんな人いたか?」

「確か、大公だったはずだぞ」

「それ、本当か?」


 演説を聞いている人たちがこそこそ身近で話すが、その内容にはいささかの虚言が含まれる。


 マークは大公ではない。大公の息子、すなわち平民である。


 それはそうと、こうした虚言に突っ込んでいる場合ではない。俺をおびやかす人が目の前にいるのだ。


 今後、俺を脅かす組織が大きくなるとマークを国王にするよう上申したり、あるいは武力行使するかもしれない。帰ったらこれについても対応を考えていく必要がある。


「サラ。あの人知っている?」

「いいえ。後ほど部下の者に調べさせます」

「お願いね」


 それにしても、マークを国王に擁立するとは、正気だろうか?


 俺はマークと一度しか会っていないので彼の人柄を十分に知ったつもりはないのだが、彼はとても利己的な人だと思われる。母の話を聞く限りそうであろう。そのような人が国王になったって、国民の反発は避けられないであろう。


 つまり、マークが国王に相応しいと陰で印象操作する者や組織がいるかもしれない。それが他国の工作員であれば、マーク派の気運が高まることがこの国の植民地化に繋がってしまう。俺はそう考えた為、サラに彼を調べさせることにした。


「もうすぐ夕食だし、そろそろ帰るか」

「はい」


 サラが同意したので、城に向かって歩き始めた。


 俺とサラが今歩いているのは城から西側に伸びる大通り。


 背中からは紅の西日が強く差しており、俺と反対方向に歩く人たちは西日で火照ほてっている。額に汗をにじませ、疲れを感じていながらもそれを苦とせず、生を感じ、涼しそうに笑おうとする人たちを見ると夏の到来を実感する。前世の夏は暑すぎるあまり苦痛を感じるだけであったが、最高気温が25℃程度の世界では暑さでいた汗が俺の心をリフレッシュさせてくれる。


 しかし、その清々すがすがしい気分を邪魔する者が現れた。


「ノル。」

「うん。跡を付けられているね。ここで面倒事を起こすと大衆の注目を集めかねないから、路地裏に入ろう」

「それはダメです! ノルを危険な目にわせるわけにはいきません!」

「それもそうだけど、大通りで騒動を起こすと周りの人に怪我をさせるかもしれないし」

「ですが……」

「それに俺が王都内を散策していることが広く知られてしまうからね。それだけは避けたい」

「それでも、危険です。そうだ! 駐在所に向かいましょう!」


 なるほど。駐在所に向かうという選択肢もあるのか。


「けれど、駐在所で勤めているのは王国兵だよね? 俺が王都を散策しているということは王国兵に秘密にしているから、それも良くないな」

「ですけど……」

「索敵魔法で調べたら、6人に跡を付けられていることがわかった。これくらいなら俺とサラでどうにかなると思う」

「……わかりました。この先にちょうど良い路地があるので、そこに入りましょう」


 サラは俺の半歩前を歩き、左手の小さな路地に入って行った。


 俺とサラは路地に入り、20m程歩くと左に折れ、さらに40m程歩くと振り向いた。


「俺たちに何の用だ?」


 20m先に立つ6人に対して話しかけた。色や形こそ違えど、皆フードをかぶって顔を隠している。3人は2本のナイフを、1人は両手剣を、1人は斧を装備し、最後の1人はスクロールの束を取り出した。


「魔術師がいたか」


 俺はボソッとつぶやき、これから始まる戦いに集中した。


 といっても、俺とサラは魔法の杖しか持っていない。サラは魔法以外での戦闘は苦手であるが、俺とサラは魔法のみでの戦いをしなければならなくなった。


 俺とサラは杖を取り出し、右手に持って構えた。


 最初に動き出したのは両手にナイフを装備した3人の男。3人が勢いよく飛び出し、俺たちにナイフを向けてきた。


魔法障壁マジカル・ウォール


 3人の攻撃に対しサラが俺の前に立ち、魔法障壁を展開した。


 3人はサラの魔力を削ろうと何度もナイフで魔法障壁を攻撃するが、魔法障壁はなかなか消えない。サラの魔力量はこの国で俺に次いで多いのだから当然だ。


 すると、今度は後方の魔術師がスクロールを取り出し、数十の火矢を出現させた。


 数十の火矢は俺を目掛けて放たれ、俺はサラが展開している魔法障壁の上に魔法障壁を展開した。


 魔術師はさらにスクロールを取り出し、火矢を放った。


「サラ。これ以上守りに徹するとこちらが不利になるかもしれない。攻撃するぞ」

「わかりました」


 魔術師が放つ火矢が止まると、俺は自身に身体強化の魔法をかけ、サラが展開する魔法障壁を飛び越えた。


睡眠スリープ


 着地すると、俺は男の1人に精神魔法をかけた。


 しかし、その男は口の端を吊上げると俺に振り向き、ナイフを投擲した。


「ガハッ」


 ナイフは俺の右肩に刺さり、深さ5cmにまで達した。


「ノル!」

「大丈夫だ」


 俺は痛みに耐えながらもサラの呼びかけに応えた。


 男に精神魔法が効かなかった。恐らく、精神魔法に対抗する魔道具を身につけているのだろう。


火付与ファイヤー・エンハンスメント


 俺は右肩に刺さったナイフを左手で抜くと、ナイフに火属性を魔法で付与し、先程俺にナイフを投擲した男に投擲した。


 ナイフは男に命中し、命中箇所から火が燃え広がり、男の断末魔の叫びが響いた。


 そこで、俺は次の相手に集中した。


石弾ストーン・バレット


 その頃、サラは1人の男に石弾を数十個放っていた。恐らく、その男はすぐに無力化されるだろう。


 すると、もう1人の男が俺にナイフを投擲してきた。俺はそれをギリギリのところでかわし、ナイフは後ろの木箱に刺さった。


 俺は直ぐ様、ナイフを投擲した男に体を向け、睨みあった。


風刃ウィンド・カッター


 俺は男に2、3の風刃を放ち、牽制けんせいした。


 相手が攻撃できなくなると、俺は後ろの木箱に刺さっているナイフを左手で取った。


火付与ファイヤー・エンハンスメント


 俺は先程と同じようにナイフに火属性を付与し、男に投擲した。


氷剣アイス・ソード


 ナイフを投擲すると男は左にけたので、俺は男が避けた先を狙って数十の氷剣を放ち、男に命中させた。


 しかし、ここで右の方向から火矢が放たれたので、俺は氷剣の魔法を途中で停止し、魔力障壁をさま展開した。


「サラ!」

「はい。あと3人ですね」


 放たれる火矢が止まったところで俺はサラに声をかけ、俺とサラは残る3人と対峙たいじした。


 しかし、右肩が途轍とてつもない痛みに襲われ、体が熱を帯びている。かなり深く刺さった為出血が酷く、これ以上戦闘を長引かせると俺が戦えなくなるだろう。


 現状を把握していると、斧を持った男がサラに向かって走り出した。


氷剣アイス・ソード


 サラは俺の数歩前に出て、男に対して数十の氷剣を放って男を牽制したが、相手の男はそのすべてを躱し、どんどん距離を詰めてくる。


氷剣アイス・ソード


 俺は左手に杖を持ち換え、斧を構える男に氷剣を放ってサラを援護した。


 しかし、残りの2人がこの状況を静観するはずが無く、剣を持った男は俺に向かって走り出した。それに加え、魔術師が俺に氷剣を放ったので、俺は魔力障壁を展開しなければならなかった。


「サラ! 下がって!」

「はい」


 サラは俺のところにまで下がり、俺は魔力障壁を展開した。


魔法障壁マジカル・ウォール


 魔法障壁が展開され、相手からの攻撃を防ぐことができたところで一息ついた。


「サラ。この後どうする?」

「先に魔術師を片付けるべきかと」

「同感だ。あの魔術師は厄介だ。サラ。ってくれる?」

「わかりました」


氷剣アイス・ソード


 サラはそう言うと、数十の氷剣を魔術師に放った。


 魔術師はそれに魔力障壁で応え、氷剣をしのぐが、サラが放つ氷剣が100を超えたあたりで彼の魔力障壁は破られた。それにより、魔術師はいくつもの氷剣を体で受け、戦闘不能に陥った。


 斧を持った男と剣を持った男は、魔術師が倒されたことを確認すると5m以上俺たちから距離をとった。


 俺は魔力障壁を消し、2人の男による次の攻撃に備えた。


「ちっ。退くぞ」


 けれど、2人は攻撃せず、男の1人がそう言うと2人は反対側へと走って行った。


 相手が目の前から消えたことを確認すると、俺は戦闘終了に安堵あんどし、興奮状態にあった俺の体から勢いよく力が抜け、俺はその場で膝をつき、息を切らした。


「ノル!」


 サラの心配そうな掛け声が聞こえてくる。


「大丈夫だよ」


 俺はサラを安心させる為にぐに自身に治癒魔法をかけるべく、詠唱を開始した。


治癒ヒール


 10秒ほど古代魔術言語を詠唱し、治癒魔法を発動した。


 俺とサラは先程の戦闘で古代人間語をずっと用いていた。古代人間語は詠唱を省略し、魔法の固有名称だけで魔法を発動させ、必ず成功させることができる。


 しかし、古代魔術言語となるとそれは難しい。古代魔術言語を詠唱省略して発動するとなると、とても高度な魔力操作が要求される。敵の攻撃を気にせずに発動するのであれば詠唱省略でも九分九厘成功させることができるが、周囲の状況に敏感にならなければならない戦闘中での発動はとても難しく、成功率はサラが3割、俺が5割程度となる。その為、古代人間語で戦闘していたのだ。


 しかし、戦闘は終了したのだ。俺は念を入れる為に古代魔術言語で治癒魔法を発動した。


 刺し傷はかなり深かったのだが、傷口は見る見るふさがり、数秒経つと傷口は完全に治癒していた。


「もう。大丈夫だよ」

「ノルが御無事で良かったです」

「ありがとう。少し、ここで休憩してもいいかな?」

「はい」


 俺は壁際に移動し、地にお尻をついて座った。


 すると、サラも俺の右隣に膝を抱えて座った。


「それにしても、狭い通路での戦闘は辛いね。大きな魔法を使うと周囲に影響が出てしまうから威力を押えないといけないし、それに左右に攻撃をけようとすると直ぐに壁にぶつかってしまうし」


 俺はだ呼吸が整っていないので、ゆっくりとした口調で話した。


「そうですね。私もここまでの苦戦をいられるとは思ってもいませんでした。いつも威力の大きな魔法で相手を直ぐに無力化していましたので、今回の様に大きな魔法を使えない場面での戦闘はとても貴重な経験でした」


 俺も剣さえあればもっと上手く立ち回れただろう。


 けれど、8歳の子供が剣を下げていると周囲の人に怪しい目で見られかねないので今回は持ってこなかったのだ。


「それにしても、今回の襲撃者の黒幕は誰だと思う?」

「そうですね……マークか。ダリアか。将又はたまた……」


 サラが真剣に考えだした。


 俺も今回の戦闘を振り返って何かヒントが無いか考え始めた。


 そういえば、今回の相手、俺の精神魔法が効かなかったな。俺が精神魔法を使えるということを知っていたのだろう。


 となると、俺の属性魔法を知っている相手はかなり限られてくる。相手が念入りに準備をしていただけで、俺の属性魔法を知らなかったかもしれないが、俺が精神魔法を使ったとき確かに相手の口の端が吊上がっていた。


 つまり、相手は俺が精神魔法を使えることを知っていたわけだ。となると……。


「城に刺客を送り込んだ奴の差し金かもしれない」

「どうしてですか?」


 サラが俺の顔を向けて尋ねた。


「俺がナイフを持った男に精神魔法を使ったのだが、そいつに精神魔法は効かなかった。恐らく、精神魔法に対抗する魔道具を持っていたのだろう。城に刺客が送られた夜、俺は奴らの1人を精神魔法で眠らせた。だから、奴らが俺の精神魔法を知っていてもおかしくないだろう」

「たしかに……城に刺客を送り込んだ奴の線が濃厚ですね。けれど、今回の黒幕が奴だとして、その正体まではわかりそうにありませんね」

「そうだね……」


 俺とサラは再び黙りこくってしまった。


「これ以上考えても黒幕は分からないか」

「そうですね」

「それじゃあ、そろそろ帰るか。もうすぐ陽が沈むからね」

「はい」


 俺は立ち上がって尻に付いた土を払い、戦闘の痕跡を始末すると城へと歩き出した。



 * * *



 城に戻るときは俺1人だけ視覚妨害の魔法を使い、サラはそのままの状態で城門をくぐった。俺たちが視覚妨害の魔法を使っていても近衛兵は俺たちに気づいてしまうかもしれない為、サラの顔だけを見せることにした。


 城門を潜ると視覚妨害の魔法を解き、城内に入った。


「「「おかえりなさいませ。陛下」」」


 城に入るなり、メイドと騎士が頭を下げて出迎えてくれた。


「あぁ。ただいま」


 しかし、俺の上着の右肩に穴が開き、穴の周辺が赤く染まっているところを見ると皆一様に青ざめた。


「陛下。何があったのでしょうか?!」


 マリアが血相を変えて尋ねてきた。


「まぁ、いろいろあったよ。そのことも全部報告するから、まずは着替えてもいいかな?」

「……畏まりました」


 マリアはぐにでも話を聞きたそうにしていたが、渋々了承してくれた。



 * * *



 私室で着替えを済ませると俺はウィリアム、バルマ、サラ、マリアの4人を呼んで報告会をした。


「そのようなことがありましたか。しかし、陛下がお忍びで王都内を散策していることを知っている者は陛下専属のメイドと近衛兵のみです。何処どこから情報が漏れたのやら……」


 バルマが顎に手を当てて呟いた。


「そうですね。それに、今回の襲撃者は陛下の精神魔法を知っていました。陛下を2度も襲う輩は一体誰であろうか……」


 ウィリアムは腕を組んで呟いた。


「それに加えて、陛下の御命が危険にさらされたのはこれで3度ですので、早急に犯人を特定しないといけません。相手が次の手を打つ際、これまで以上に過激な手段をる可能性は十分にありますし……」


 マリアは視線を斜め下におろし、考え始めた。


「さっきも俺とサラで考えたけど、結論は出なかった。だから、これについては時間をかけて考えていくことにする」

「「「「はい」」」」

「バルマは俺とサラが戦った場所をひそかに見に行って。戦った跡は俺とサラで始末したけど、死体はその場にまとめて隠しておいた。死体が始末されていないか確認してほしい」

「畏まりました」

「それと、バルマとサラは俺の戴冠を快く思わない連中について調べて欲しい。話し合いとか平和的交渉ができるなら手出しする必要は無いが、反乱を起こすやもしれない。そういうわけだから、そいつらについて調べておいて欲しい」

「「畏まりました」」

「あと、王国兵が殺人事件として捜査するかもしれないから、そこは上手く誤魔化ごまかしといてね」

「「「「はい」」」」


 これ以上話すこともないので報告会を終わらせ、4人は私室から出て行った。



 * * *



 報告会を終え、次にお母様に説明する為に俺は椅子から立ち上がり、部屋を出ようとした。


 すると、そこでドアがノックされた。


「ランス。入ってもいいかしら?」

「はい。どうぞ」


 扉を開けて顔を覗かせたのはお母様だった。


 お母様は俺のもとに駆け寄り、俺の左手を両手で包んだ。


「ランス。怪我は大丈夫?」

「はい。治癒魔法をかけましたので、問題ありません」

「完治したの?」

「はい」


 俺の完治を聞くと、お母様は俺を両手で抱き締めた。


「ランス。あなたはどれだけ私を心配させたら気が済むの?」


 お母様は鼻をすすりながら尋ねた。


「申し訳ありません。今回の俺の行動は軽率でした」

「今回のことで本当に反省しているなら、しばらくは外出しないこと」

「はい。本当に申し訳ありません」

「それでいいよ。私もランスに外出を許可したことがいけなかったの。それも、護衛をサラ1人だけに任せてしまって。だから、これ以上ランスをしからないわ」

「本当に申し訳ありません」


 すると、お母様は俺を体から離した。


「それでは、夕食にしましょう」

「はい。お母様」


 お母様は涙を拭うと、俺の左手に右手をつないで歩き始めた。

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