夜明け前のエラ

どりゅう

第1話

 11月中旬

 こんばんは。急に寒くなってきましたね。ふふ。このセーターもそろそろダメかな。何年着てるだろ。でも買いに行く気にはならなくて。みずぼらしいのはわかるんですけど、人の目が怖くてたまらない……。

 それより、先生。今日は話したいことがあって。先生は宝物ってありますか?

 僕はこの前、見つけました。詩人っぽく言いますと、薄く青く白んだ、呼吸さえも躊躇うような冷たい窓辺で見つけたのです。溶けて消えてしまいそうな一輪の花が静かに寝そべっていました。思えばこの、果敢なげな純白を見た時から、僕はあの人に心を奪われたのではないでしょうか。……なんて。

 ええ、窓辺にスカビオサの花が置いてあったんです。朝、窓を開けた時に気がつきました。

 でも……これでも、ですよ。最初は誰の悪戯だろうかと、僕はコーヒーを入れて、ぼんやり考えていたんですよ。ああ……ええ、お勧めしていただいたコーヒーです。随分気に入ってて。毎朝飲んでます。

 窓辺の花は……だっておかしいと思いませんか。僕のアパートは3階ですからスカビオサの花なんて置けないんですよ。バルコニーもないのに。気味が悪いのに。おかしいんです。

 ……子供の頃、母が手袋をプレゼントしてくれたんです。クリスマスの朝枕元に置いてくれて。サンタクロースが来たんだよって。でも、それが母の贈り物ってすぐにわかったんです。わかりますよ。母さんが作った手袋ですから。手袋をすると、ポッと温かくなるんです。霜焼けの手と、心が。僕は愛されていたんだなって。

 こんな思い、もう二度となれないと思ってました。それなのに、また味わえるなんて、どれだけ僕はラッキーというか……。

 でも、一つなにか違う……母からの優しさとは違ってどうしてか胸が高鳴る。だからね、先生。僕はこれを恋って名付けたいんです。

 こんなこと言ったら、貴方にまで笑われてしまうかしら。



 11月下旬

 おはようございます。ええ、そうでしょう。とても気分が良いもので。仕事も順調です。クリスマスの時期は忙しいので。でも、そんな時期に入ってくれってことは、少しは僕も信用に値するようになったんじゃないかなって。そう思うのです。

 街の人のクリスマスカードを見るのは僕の楽しみですし。働けることがこんなに素晴らしいことなんて。

 ああ、でも……花のことはずっと頭の片隅にありました。時々、仕事中なのにぼんやりしてしまう。僕の部屋に入り込んだ誰かが置いた花。それは奇妙で恐ろしいと思うのと同時に胸が昂ったのです。

 吸い込んだ空気が美しく熱を帯びたあの瞬間は、僕のなだらかな一生で輝き続けるのだとそう確信していたのです。

 だから、昨日……また花が置いてあったのを見て、その瞬間に僕の心は澄み切って晴れ渡ったのです。これで終わりじゃないんだって。

 時々、初恋の女の子のことを思い出します。名前も知らないあの子も白い花がよく似合ってました。今は幸せにやってるだろうか……。なんとなく、花を置いてくれた彼女に重ねてしまう。

 女の人、ですよ。花にタグがつけてあって一言書いてありました。「エラより」って。エラは女性の名前ですよ。

 それにしても、初恋の人と重ねるなんて失礼なことでしょうね。でも、僕からしたら大切な思い出に食い込んでくる彼女の存在の大きさを感じるんですよ。 

 


 12月上旬

 あの看護婦さん。新人さん? やっぱり。注射器を持つ手が震えていたから。ああ、大丈夫です。結果はいつわかるんです? そっか、大学に持ち帰らないとわからないのか……。また、結果は教えてください。

 最近はとても、いい調子だと思います。え? 煙草? やだな。僕は煙草なんて吸いませんよ。……そんなに臭いますか?

 ……どうも彼女が吸うみたいなんです。花と一緒に吸い殻が落ちていて。ああ、でもなんだか良い香りだなって思うんです。それって僕がおかしいのかな。前は煙草嫌いだったんですけどね。煙草のツンとした残り香を感じると彼女がいたんだなって思うから。その吸い殻を片付けるのもちょっと楽しみだったりして。

 貴方は良き友人でとても信頼しています。だからこうしてお話ししてるのです。職場の人にこんな話なんてとてもじゃないけどできません。

 えっと……はい。少し、話せるようになりました。同僚と、たまにアルバイトで入ってくる学生の男の子。2人とは特に。今度、3人で食事に行く約束をしました。男同士の友人で話をするなんて何年ぶりだろう。今から楽しみで仕方ないんですよ。

 もちろんこんな話はできませんけどね。でも、趣味の詩に興味を持ってくれたり、おすすめの音楽を教えてくれたり。同僚はギターを弾くんです。僕の詩に音楽を乗せてみたいって言ってくれて。

 アルバイトの子はサッカーチームに入ってるからぜひ一緒に応援に行こうって。面白いですよね。一緒に応援なんて。彼、補欠らしいです。

 今……ええ。すごく楽しいです。

 


 12月中旬

 聞いてください!! 

 先週、プレゼントをもらいました。少し早いけどクリスマスプレゼント。ポインセチアの真っ赤なクリスマスカードと、マフラー。彼女のセンスには驚かされます。一生の宝物ですよ。

 エラの顔は未だ知らないんですけど……でもいつか姿を見せてくれないだろうか。いや、でもこうして置き手紙の文通くらいがちょうど良いのかな。こんな僕を見たら幻滅してしまうかもしれない。

 ……そんな、僕は見た目で判断はしませんよ。いくら先生でも彼女への冒涜は許せません。

 ごめんなさい……先生の言い分もわかります。先生は僕を心配して公平な目で見てくださってるんです。見ず知らずの人に幻想を抱きすぎるのも良くないのも理解してます。だから文通くらいが良いのかもしれないとそう思うんです。だけど、やっぱり高望みしてしまう自分もいる。

 こんな僕でも、人並みに恋をしたい。そう思えるようになったのはエラのおかげです。そりゃあ、さすがにエラが実は男だったとか、とんでもなくお婆さんだったら恋はできませんけどね。その時はショックを受けるだろうけど、いつかそれは笑い話にできたらな。そして、僕の救いになってくれたエラに感謝したい。そう思うんです。

 あ、これは、例えばの話ですからね。彼女は僕と同じ歳だって、マフラーのタグに書いて教えてくれたんです。この前僕も手紙を書いてそう聞いたから。

 あ、えへへ。そう……お給料が入ったので帽子とセーターとズボンに靴。新調しちゃいました。似合うでしょうか……良かった。

 デートって言いたいところですけど、残念ながらこの前言ってた食事のために、です。……はい。今日でした。ケインがお酒を飲むから、介抱するのが大変で。彼を家まで送って、ロイくんと少し散歩して話しました。彼の親友は医者を目指してるんですって。先生はたまに大学へ教えに行きますよね。もしかしたら教え子かもしれないですね。

 では、明日も仕事なので。これで失礼させていただきます。



 12月下旬

 今年のクリスマス。先生はご家族と過ごされないんですか? そっか。娘さん、聖歌隊に入ってるんでしたっけ。ええ、昨日のイヴで聞きに行きました。大家さんとお隣さんと一緒に。僕から誘ったんです。緊張しましたけど、お隣さん。僕が服を新しく変えたのに気がついて、話しかけてくれたんです。最近お洒落になりましたねって。綺麗な人だからドキドキしちゃいました。そりゃあ綺麗な人を見れば緊張しますし、彼女には婚約者がいるので。婚約者の方も一緒にと思ったんですけど生憎、仕事があったそうで。2人は今日、クリスマスを祝うみたいです。

 そう、それで聖歌隊の歌はとても素敵でした。どの子が先生の娘さんかはわかりませんでしたが。きっと先生に似て聡明な子でしょう。ぜひ、とても素晴らしかったと、本当に天使が歌っているのかと思ったと伝えてください。

 最近、うまく行きすぎて怖いくらいです。先週はケインに勧められて詩集を売ってみたんです。印刷所で作らせてもらって。僕一人じゃ上手くいかなかっただろうけど、ケインが歌ってくれておかげで少しだけど売れました。お隣さんと大家さんももらってくれたし、ロイくんも友達にあげたいって何冊か買い取ってくれました。

 先生も読んでくれると嬉しいです。ああ!! 目の前で読まれるとちょっと恥ずかしいです……。いや、ケインなんて僕の横で大声で歌ってましたけど……。

 え? そうですか? 食欲もあるし、よく眠れます。夢も見ないくらい。ああ、でも最近よく心配されるんです。あまり眠れてないんじゃないかって。寝ているときに壁を叩いてしまうみたいで、お隣さんも眠りが浅いんじゃないかって、この前カモミールティーを分けてくださいました。

 寝相ってたしか、レム睡眠……? でしたっけ。眠りの浅いときに起こるんですよね。眠れてるつもりが、眠れてないのかな。

 あ、そうだ。そろそろ、カウンセリングの回数を減らしたいのです。月に一回じゃダメですか? 来月は検査結果も聞きたいので頭に来ます。その時に教えてください。

 ええ、先生……? プレゼント? わあ、ありがとうございます!! 便箋と……ジッポと煙草? 僕は煙草なんて……エラに? 先生も僕が良くなったのはエラのおかげだとやっぱり思うんですね。嬉しいです。

 はい、必ず。夜、手紙を添えます。先生からの便箋を使ってお手紙書きますね。

 それじゃあ、先生。良いお年を。

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