お姉ちゃんのマンドラゴラ

海月里ほとり

お姉ちゃんのマンドラゴラ

町のはずれの壊れかけた小屋の前に怪しい風体の男が立っていました。大きな黒い鞄と薄汚れた白衣を着た男です。辺りを油断ない目で見まわすと、男は小屋の扉を叩きました。

「先生!」

扉が開き、一人の少女が小屋から出てきました。

「しっ! 静かに。こうしているのを誰かに見られては、私が危ない」

先生と呼ばれた男は厳しい声で言いました。

「あ、そうですよね。ごめんなさい。こちらです」

少女は小さな声で謝ると、男を小屋の中に導きました。


小屋の中には一人の少年が眠っていました。少女よりもいくつか幼く見える少年でした。ぼろぼろの布団にくるまり、時折うめき声を上げています。

その様子を見た男は慎重に、少年のそばに座り、その額に手を当てました。

「これは……」

男は険しい顔をして、少年の手足やお腹を触ります。

やがて、少年から離れて立ち上がりました。

「どうですか、先生」

少女は男に訪ねます。

男は黙って、首を振りました。

「そんな!」

「もって、二、三日というところか」

男は厳しい顔で言いました。少女は男に縋り付いて言いました。

「なんとか、なんとか、ならないのですか? なんだってします。私のたった一人の家族なんです」

男は何も言いません。ただ、黙って考え込んでいます。

焚火の燃える音と少年のうなされる声だけが聞こえます。

やがて男は口を開きました。

「本当になんでもできるのか?」

「はい」

「ならば……いや」

「なんですか、方法があるならおっしゃってください」

男は一つ、大きく息を吸うと言いました。

「もしかしたら、マンドラゴラがあれば、治るかもしれない」

「マンドラゴラ?」

「うむ、森の奥、泉のほとりに生えている植物だ。どんな病気もたちどころに治ると聞く」

その言葉を聞くやいなや、少女は小屋の外へ歩きはじめました。

「待ちなさい。しかし、危険すぎる。森には危険な獣がいるし、道だって安全じゃない。もしも、お前さんが返ってこなかったら、この子はどうなるんだ」

「大丈夫です。きっと帰ってきますから」

少女は歩みを止めることなく言いました。男はその背中をしばらく見つめて言いました。

「マンドラゴラの抜き方は知っているか?」

「知りません。でも、植物なのでしょう?」

男はため息をつき、鞄を探りながら言いました。

「待ちなさい。これを持っていくのです」

少女は振り向き、男が持っているものを見つけました。それは少し大きなガラスの瓶でした。

「それは?」

「マンドラゴラは不用意に抜くと大きな声を上げる。その声を聞くと気がくるってしまうのだ。マンドラゴラを見つけたら、傷つけないように、辺りの土ごとこの瓶に入れるのだ」

少女は瓶を受け取り、お礼を言うと、森へと向き直りました。

「あの子は私が見ておく。必ず帰ってくるんだよ」

少女は振り返ることなく、うなずくと、走り出しました。


森の中は薄暗く、道のような道はありませんでした。時折、何か動物の唸り声が聞こえます。

それでも、少女は走り続けました。走り続ける足の痛みも気になりません。ただ、弟のことだけを考えていました。

両親を早くに亡くし、少女と弟だけがのこされました。二人でゴミ漁りや物乞いをしてなんとか今日まで生きてきました。

少女一人では生き伸びることはできなかったでしょう。それは二人が力を合わせていたからではありますし、それに加えて、お互いがお互いのために一日を生きようとすることで、より強く生きることができたのです。

そんななか弟が病気に倒れて、数日が立ちました。町の医者は貧しい姉弟を取り合ってはくれませんでした。最後に訪れたスラム街の果て、ただ一人の闇医者が弟のもとを訪れてくれたのです。

何を要求されるのかはわかりません。けれども、少女は一生かけてでも代金を支払うつもりでいました。

「あっ」

考え事をしていたせいでしょうか、石に躓いて少女はバランスを崩しました。

急いで立ち上がり瓶を確かめます。

「よかった」

瓶は無事に割れていませんでした。安心してため息をつくと、膝に激しい痛みを感じました。見ると血がだくだくと流れています。

「そんな……」

なんとか立ち上がり、歩きだしました。地面に足をつけるたびに痛みが走ります。とても走ることはできそうにありません。けれども、少女はのろのろと全身の力を振り絞って歩きはじめました。


泉にたどり着いた時には日が落ちかけていました。

「ここかな、探さないと」

少女は家から持ってきていた明かりに火をつけ、辺りを探し始めました。

やがて、小さな人の頭が地面から覗いているのを見つけました。

「あった」

慎重に周りの土を掘り、持ってきた瓶に入れました。

「これで、あとは帰れば……」

ふと、少女は何者かの視線を感じました。

木に背中を預け、明かりで周囲を照らします。

突然、木陰から何かが飛び出してきました。

「あっ!」

少女は思わず、身をかがめます。何者かの爪が少女の服を掠めました。

明かりが襲撃者を照らします。

それは年老いた大きな狼でした。

少女の血の匂いを辿ってきたのでしょうか。ずいぶんお腹を空かしているようです。狼は残忍な笑いを浮かべるようにうなり声を上げると、再びとびかかりました。

「いやだ!」

少女はなんとか身をかわします。

けれども、このままではいつかこの狼に食べられてしまうでしょう。

「ここまで来て、そんな……」

狼がとびかかってきます。瓶を庇った腕を引き裂かれ、血が噴き出します。

「だめ、私は戻らないと」

少女は息を一つ大きく吐くと、狼を正面から睨みつけました。

狼は少女の変化に警戒したのか、飛び掛かるのをやめ、深く伏せました。

けれどもずいぶんお腹を空かしているのか、退く気はないようです。たとえ少女が逃げたとしても足を怪我している少女が逃げ切ることはできないでしょう。

狼が後ろ脚を軽く引き、構えます。この一撃で決めるつもりのようです。

少女の胸に弟の顔が浮かびます。弟のもとに帰ることはできないのでしょうか。弟を見てくれている先生にも心の中で謝りました。先生の忠告を聞いていればこのようなことにはならなかったのに。

「そうだ!」

少女は声を上げると、自分の耳を両手で思い切り叩きました。

狼は少女の突然の行動に驚きますが、躊躇いを振り払い飛び掛かります。

少女は狼を見据えながら、瓶を取り上げて、マンドラゴラを引き抜きました。

森に恐ろしい絶叫が響きました。


絶叫が消えると森に静寂が訪れました。声の聞こえた範囲にいたものは皆命を失うか気絶してしまっていました。

いや、ただ一人立っている者がいました。少女です。マンドラゴラを抜く前に自らの鼓膜を叩き割ることでマンドラゴラの絶叫を耳にすることなく抜くことができたのです。

めまいを堪えながら、少女は歩きはじめます。

が、何かに気が付いて歩みを止めます。それは聴覚を失ったことによって得た直観なのでしょうか? 果たして後ろには飛び掛かろうとする狼がいたのです。

年老いて、耳が遠くなっていたため、マンドラゴラの絶叫の効果が薄かったのかもしれません。とはいえ無傷とはいかなかったようで、なんとか立ち上がることができるというようすでした。それでも飛び掛かろうとしたのは、それほどまでに空腹に駆られていたのでしょうか

「でも、ごめんね。私は帰らないといけないんだ」

少女は一人、そう言うと抜き放ったマンドラゴラを振り思い切り狼に叩きつけました。

狼は悲鳴を上げました。

少女はそれでもマンドラゴラを叩きつけます。何度も、何度も。

そのうち狼は悲鳴を上げなくなりました。しかし、少女はそれに気づくことなく叩きつけ続けました。少女が振り下ろすのを止めたのは狼の頭が形を失ったことに気が付いたからでした。


そう、これがかの有名な萬田流抜マンドラゴラ術の始祖、萬田の蘭華の「山犬殺し」の顛末です。この時に原型がなくなるまで叩かれた狼の頭にちなんで、萬田流の道場では免許皆伝のときにマンドラゴラと狼の肉団子を作ることで有名ですね。

最近では引退した抜マンドラゴラ術師がお店を開いているので、気軽に食べることができます。ぜひ一度ご賞味ください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お姉ちゃんのマンドラゴラ 海月里ほとり @kuragesatohotri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ