第5話 演技論について。
どうしても、書き足らないことがあるので、カクヨムに書く。
時代劇評論家の春日太一さんが、
「最近の若手俳優で注目している俳優はいません」とツイッターで書いていて。
「ん?」と思った。
しかし、久々に舞台に立って気づいた。
夏八木さんは、もう、この世にはいない。
20年前は、はっきり言って楽だった。
言い方は悪いけれど、カンニングが非常に楽だった。
名だたる名優がまだ生きていて、テレビをつければ、名優たちによる、時代に沿った名演技を堪能できたし、テレビから盗めた。
もう、夏八木勲はいない。
田村正和もいない。
名だたるベテラン俳優は、活動を減らしているから、彼らの演技を参考にできない、お手本がいない。
約20年ぶりに舞台に立ったけど、全く、感覚を取り戻せないまま、終わった。
あまりにも、状況が違う!
約20年前は、大先輩の背中を追うだけでよかったし、簡単にお手本を目にすることができた。
平幹二朗、夏八木勲、田村正和、名だたる名優の死、引退はかなり大きい。
つまり、今の時代、若い子たちは、お手本、名優とともに育っていないから、だから、時代劇の俳優で若手でいいのがいないのは、時代の影響かも。
私は、1997年から2003年まで、どっぷり演劇に浸かっていた。
末満健一、西田シャトナー、2.5次元の舞台で有名な人たちとほぼほぼ同世代で、
好きな役者さん、和田雅成、荒牧慶彦、梅津瑞樹、2.5次元舞台に出ている全員が、自分の弟子でもおかしくない世代だと思うとクラクラする。
私は小学生の時に脚本家になりたいと願い、結局はなれなかった、なろうとしなかった人間だ。
だけど、あの時代。
1997年は、少年社中の結成の年。
あの時代を演劇とともに駆け抜け、約20年ぶりに戻った私だから書ける世界、わかることがある。
それをいつか形にして
「あの時代はこうだったんだよ」と懐かしく書けるのは、
私が約20年間も現代演劇の第一線から引いていたからだ。
ぶっちゃけ、この時代に戻ってきたのは、20年前のバッシングでかなり心をえぐられて、治るのに20年もかかったせいでもある。
戻ってこれたのは、20年の間に、道を作って走ってきた人たちの人柄に安心したから。
それでも、20年の人的損失は大きい、大きすぎる。
ここ20年間で失ったものの方が多いし、大きい。
とまあ、書いてみるけど。私には、まだ、演劇に関することは傷だらけで、思い出したくもないことが多い。
主役になれない悔しさだとか、自分が先輩なのに尊敬されない悔しさだとかもろもろ。
どうしてこうも、演劇というのは、痛みを伴うものなのだろうか。
神経が切れそうになってもやめられないのは、好きだから、と言った簡単な理由でおさまるものじゃない。
まとまり切れないけれど、一旦終わりにする。
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