クリスマスイブは勿論バイトですが文句ないよねだってこれはあんたのせいだ

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

第1話

 私は山田あすみ、16歳。


 都内の共学の私立高校に通う高校2年生だ。


 彼氏はいない。これまでの人生、一度たりといた事はない。


 友達はいなくはないが、今年の夏に母親が再婚。生まれてからずっと住んでいた町を離れ、東京の東から西に引っ越してしまった為、気軽に遊べる友達がいなくなってしまった。


 それまでは同じ方面に家がある子達と帰っていたのが、その子達とは帰る方面が真逆になってしまい、今更反対方面の帰宅グループに混じれないでいる。



 何故か。


 

 そもそもそのグループがスクールカースト上位メンバーで占められているという事もあるが、それ以外の理由として、その帰宅グループの中に、再婚して同居する事になった奴が混じっているからだ。


 何も娘と同じ学校に通う息子がいる男性と再婚する事もなかろうに。まあ義父はとてもいい人なのでそこはいいのだが。


 私はあまりキラキラとしている人間に免疫がない。髪の毛も染めてないし、眉毛は気持ち揃えるが、上位の子達がしている様なしっかりメイクはしていない。


 そもそもファンデーションを付けると大体荒れる。口紅を塗るとプツプツ湿疹が出る。色が付くリップだけは大丈夫だったが、あんなものはすぐに落ちてしまう。アイシャドウを塗ってまぶたが腫れた日は流石に凹んだ。


 要は、肌に合わないのだ。


 幸い、ニキビはそこまで出来ない体質の様なので助かっているが、最近鼻の頭にそばかすがちらほら見られるようになってきたのが若干気になっている。


 日焼け止めも、物によっては塗った後に皮がむけるのだ。もう何とかしたかったがこればかりはどうにもならない。反応しない物を探す他はなかった。


 だが、化粧品難民の私の小遣いはたかが知れている。そう幾つも買って試しては出来ない。


 よって、基本はノーメイクだった。


 で、そのノーメイクの状態であのきらびやかなスクールカースト上位の中に交じれるか? 無理だ。浮きまくるのが余裕で想像出来る。あの子達はそこまで性格が悪い人達ではないようだが、お互い微妙な笑顔で噛み合わない会話をする事を考えると、ひとりでのんびりと音楽を聴きながら電車の窓の外をぼーっと眺めて帰る方がまだマシだった。


 カースト上位グループの何人かが、乗り換えの駅でパラパラと降りて行ったのを少し離れたドアの端から確認する事が出来た。残るのは同じ学年なのに兄となってしまった山田海人カイトと、カイトと仲がいいイケメンのふたり。確か名前は何だっけ、田村なんとかだった。周りにたむしんと呼ばれているので、田村しんたろうとかしんじとかしんのすけとかそういった名前なのだろう。


 いずれにせよ、カースト中位の下の方に位置する私には関わりのない事だ。


 現在はまっている少し激しめでアップテンポなロックを聴きながら、ちらりとカイトとそのたむしんを見た。


 カースト上位に入っているだけあり、ふたり共垢抜けている。顔もいい。カイトは冷たい印象を与えるクールビューティーという感じだが、たむしんは髪の色は明るめの茶色で少しタレ目、アイドルにでもなれるんじゃないかという可愛い顔をしている。


 性格も明るく、何故あんな陰険なカイトとつるんで平気なのかが不思議だが、まあ隣のクラスでそこまで関わりもない。別に知りたいとも思わなかった。


 一瞬カイトと目が合った。ギロリ、と睨まれてしまい、私は不貞腐れて視線を窓の外に向けた。


 ああ腹が立つ。イケメンだけに余計腹が立つ。


 私はフツフツと込み上げる怒りを抑えるべく、耳に鳴り響く音楽に没頭する事にした。一瞬たむしんもこちらを見たが、カイトの義理の妹だと分かったのだろう、にこりと手を振ってきた。私は軽い会釈で済ました。またカイトがイラッとした表情になって睨んできた。失礼にも程がある。挨拶をしてきたのを返しただけで睨まれるのは、あまりにも理不尽だ。私は小さく溜息をついた。


 関わりたくなかった。


 私達の家がある駅の前の駅で、たむしんが降りていった。またちらりと見られたが、私は気付かないフリをした。君子危うきに近寄らずだ。カースト上位の男子に近付いていい事など何もない。トラブルの元になるだけだ。


 窓の外は夕焼け。暖かそうに見えるが、もう12月。立派な冬だ。クリスマスイブももう後3日後に迫っている。


 クリスマス。


 また私の気持ちがずん、と沈んだ。母と再婚した義父は、今年は結婚1年目だからという分かるような分からないような理由をつけて、ナイトクルージングなるものに行くそうだ。そのまま下船した港近くのホテルで一泊。何ともリッチな話である。

 

 私も誘われるのかな、そう思っていたが、学校があるので誘われなかった。まあ仕方ない。だがそうなると、必然的にカイトとふたりきりとなってしまう。それは避けたかった。終始むすっとしている奴といても気分は晴れない。


 次の駅、私達の家のある駅に着いた。


 ドアがプシュー、と音を立てて開くと、降りる前にホームから駆け込んできたおじさんにぶつかってよろけてしまった。おいおい、と心の中で舌打ちする。あ、閉まる。


 私は咄嗟に足をドアに挟んだ。


「イタッ」


 すると駅のホームにいたカイトが呆れたような顔をして走ってくると、ドアに手をかけて力任せに開け始めた。


 駅員も気付いたのか、ドアがプシューッと音を立てて開いた。


「早くしろよ」


 相変わらず愛想のあの字もない涼しげな顔をして、カイトが私の手を掴んで引っ張った。


「うわ」


 ホームに引っ張り出されてバランスを崩し、私の前に立つカイトに思い切りぶつかった。ネイビーのダッフルコートに顔がぶつかって擦れた。


「痛いなあ」


 思わず頬を押さえた。後ろでは電車のドアの閉まる音がしていた。私は相変わらず私の手首を強く掴んでいるカイトを見上げて睨みつけた。


「手、離してよ」


 私を見下ろすカイトの目はスッとしていていい形をしているのだが、如何せん温かみというものが感じられない。まあカイトもいきなりカースト中の下の隣のクラスの女が妹になってしまったので、色々と思う所はあるに違いない。


 そうは思ったが腹は立つ。


「ちゃんと前を見てないからああなるんだ」


 そしていちいち説教くさい。


「あれはあのおじさんが飛び込んできたからでしょ」

「お前が避ければよかったんだ」

「悪かったわね、運動神経鈍くて。いいから手、離して」

「……全く」


 まだ文句を言い足りなさそうな顔をして、ようやくカイトが手を離した。手首が痛い。私は反対の手でさすった。なんて馬鹿力だ。


 中学まではサッカーをしていたらしいが、高校になってサッカー部に馴染めず辞めてしまったと聞いていた。運動神経がいいので勿体ない話だが、この無愛想さでは団体スポーツは確かに向いていないのかもしれない。


 カイトがホームを先に歩き出した。私は慌ててその後を追う。


「あ、今日お米買うから持って」

「お前の買い物は長いんだよ」


 カイトがぶつぶつと文句を言う。


「仕方ないでしょ、なるべく安くていい物を買うにはきちんと選ばないと」

「本当お前主婦だよな」

「お金は大事だよ。それにあんたが食べ過ぎなだけ」

「へいへい」


 私達はエスカレーターに順に乗って降りて行った。


 私の実の父親は、私がまだ1歳の時に交通事故に会ってある日突然亡くなった。だから正直何も覚えていない。ただ、それまで育児休暇中だった母は働かざるを得なくなり、バリキャリに復活した。


 職場復帰直後は母の母である祖母が泊まり込みで面倒を見てくれていたが、祖母も私が5歳の時に心臓発作で倒れてそのまま亡くなってしまった。だから祖母の記憶は辛うじてあるが、明るい優しい人だったな、そんな印象しか残っていない。


 その後は順調にキャリアを積んでいく母にも金銭的な余裕が生まれたのだろう、祖母亡き後は家政婦を雇うようになった。だがこの家政婦というものは高い。それまでお金で散々苦労した母は、私が小学校に上がったのをきっかけに家政婦を雇うのをやめ、代わりに私を思う存分使う事にしたのだった。


 つまり私の主婦歴はこの年にしてはや10年。商店街のおじちゃんおばちゃんともすっかり仲良しになっていた。なのに突然の引っ越し。美味しいサービス品やおまけの一品という人脈も失われてしまった。しかも食い扶持が急にふたりも増えた。お金は義父も勿論生活費を出してくれているので問題ないのだが、とにかくこのカイトという男が食べる食べる。高校生男子というものの恐ろしさについては噂では聞いていたが、まさか一日に米5合を2回も炊く事になるとは思ってもいなかった。


 そして私は米10キロを持ち歩きたくはない。


 カイトも食事は食べたいのだろう、荷物持ちは何だかんだ文句を言いながらも毎回付き合ってくれていた。



 ◇



 母はまだ帰宅していない。同じ職場の違う部署で働く義父も同様で、ふたりで一緒に帰ってくるので先に晩ごはんを食べてて、との連絡が入った。


 またカイトとふたりだ。


 私はばれないようそっと溜息をついた。そのカイトは、テレビを点けてソファーに寝そべりながらスマホをいじっている。優雅なものだ。


「カイト、お父さんとお母さん、ふたり共残業だって。先に食べててだってさ」

「んー」


 聞いてるのか聞いてないのか微妙な返事が返ってきた。私はまた小さな溜息をつくと、残りを仕上げる事にした。今日は肉じゃが、朝の内に漬け込んでおいた豚肉の味噌漬け焼き、なめこの味噌汁にブロッコリーの醤油和え。ザ・和食である。


 母とふたりだけの時はこの半分の量で済んだものが、流石に大人4人分ともなると足りない。自然おかずは倍に増えたが、それを毎日考えるのも大変だった。だからカイトには予め言い渡してある。何を食べたいかを聞かれた時、「なんでもいい」だけはやめろと。その瞬間、お前の嫌いなニラを出しまくってやると。


 学校でのカーストはカイトの方が上でも、家庭内順位は私の方が上だ。主婦は強し。働かざるもの食うべからずのルールを徹底した結果、カイトも大分使えるようになってきた。風呂掃除とゴミ捨てはもう言わなくても自然にやるようになってきたので、これぞ教育の賜物だ。


 私は肉じゃがの味見をした。


「ん、美味しい」


 肉じゃがは砂糖3、みりん1、醤油4の割合で味付けをする、少し甘さ控えめのものが私の好みだった。どれ人参も、と菜箸さいばしで人参を掴んでふうふうしていると、カイトが近寄ってきた。


「お前さっきからつまみ食いばっかじゃね?」

「失敬な。これは味見ですから」

「何回味見してるんだよ」

「うるさいな」


 学校では目が合えば睨みつけてくる癖に、家だと随分と馴れ馴れしい。こういうのを人間の二面性というのだろうか。


 カイトは急に私の菜箸を持つ方の手をギュッと握ると、菜箸に挟まっていた人参をパクリとかっさらっていった。


「ああ! 私の人参!」

「ざまあ」


 カイトの口の端が意地悪そうに上がった。こいつ、親がいないと途端にこうだ。私が睨みつけると、滅多に見せない楽しそうな笑顔になった。やっている事は性格が悪い。つまりいい笑顔は意地悪い事をすると出てくるという事だ。とんでもない奴だった。


「もう出来たんだろ? 皿出しとくから」


 そう言うと、鼻歌を歌いながら食器を取り出して並べ出した。やけに機嫌がいいのが気持ち悪い。私の警戒心はマックスになった。


 私はカイトを観察しながら料理を大皿によそってダイニングテーブルに並べた。


「あすみ、米どれ位にする?」

「あ、自分で入れるからいい」


 普段外ではお前お前としか言わない奴に向かって急に名前を呼ばないでほしい。ドキッとするじゃないか。


 私とカイトは向かい合わせに座ると、手を合わせて「いただきます」と言った。カイトが肉じゃがを大量にとり皿に取っていると、カイトの横に置いてあるスマホがピロン、と鳴った。カイトがスマホを手に持つ。


「食事中は携帯やめようよ」

「あー、うん、今日の夕飯何か聞かれたからそれだけ返す」


 夕飯を聞いてくる? 随分と変わった質問をしてくる。


「彼女?」

「彼女なんていないし」

「そうなの?」


 てっきりあのカースト上位の中のどれかだと思っていたのだが。


「お前、俺にももう少し興味持てよ。いる素振りないだろ」


 私がスマホを覗き込もうと座ったまま背伸びをすると、カイトは画面を傾けて隠した。


「怪しいな。やっぱり彼女でしょ」

「違うって」

「余計怪しい。あの中のどれかだ絶対」

「違うって」


 私がパッと立ち上がると、カイトが打っていた文章が見えた。「肉じゃがだいいだろ。お前にゃやらん」と書いてあった。


「見るなって!」

「じゃあスマホしまいなさいよ。食事中なんだから」

「わかったようるせえなあ」

「食べたくないならいいけど」

「……しまう」


 実は見えたとは言いづらい。私は着席すると食事を再開する事にした。カイトも大人しくスマホを後ろのポケットにしまったのを確認した。よしよし。


 しかし、お前にゃやらん? まあ確かに彼女に言うような台詞ではなさそうだが、では一体誰に送ったのか。


 でもカイトの交友関係はキラキラしているので出来ればお近づきになりたくない。そう思った私は、この件にはもう触れないことにした。


 しばらく無言で食べていると、カイトがちらっと私を見た。


「……なに」

「いや、あすみさ、クリスマスイブって何か用事あるのか?」


 クリスマスイブ。そう、両親が外泊してカイトとふたりきりになってしまいそうでどうしようと思っていた日だ。


「特にない。なんで?」

「いや、実はさ……」


 いつもは偉そうなカイトが言い淀んでいる。彼女でも連れ込みたいのか。


「あいつら。今日一緒にいた奴ら、分かるよな?」


 カースト上位チームだ。私はもぐもぐしながら無言で頷いた。


「クリスマスパーティーやりたいって勝手に盛り上がっちゃってさ。うちの親がその日いないって聞いた途端、じゃあ会場はうちだって勝手に決めちゃって」

「……いや、勘弁して下さい」


 そもそもなんで親が不在な事をぺらぺらと話すのか。


「あすみも嫌がるだろうなって思って反対したんだけど、全く聞いてもらえなくて」


 陽キャの集まりだ。勢いは確かに凄そうだった。


「じゃあバイト入れる」

「悪いな」


 あからさまにほっとした表情になってカイトが言った。カイトは私とカースト上位チームが反りが合わない事は分かっているのだろう。


「バイト先、ちゃんと迎えに行くからさ」

「いいよ別に」

「駄目だよ。一応女だろ」

「一応ってなに」

「いや、その」


 少し前、この辺りで痴漢被害があった。それを義父がやたらと心配し、バイトは辞めたらどうかとかあまりにもうるさくなったので、仕方なく遅い日はカイトに迎えに来てもらうことにしたのだ。


「あんたのご飯作らないとかなって思ってバイト外してたけど、実はシフトに入れってお願いされてたんだよね」


 私のバイト先は町の小さなカフェだが、この日はバイトの子が軒並みシフトを入れたがらないので困っていた。


 これは時給引き上げ交渉だろう。私はどう話を持っていこうか作戦を練りだした。


 すると、カイトが言った。


「それでさ、お願いがあるんだけど」

「……なに」


 ほら来た。警戒度マックスに再度引き上げて私は構えた。


「悪いんだけど、何か作って。一応持ち寄りにはしたんだけど、うちもうちで出さないといけなくなっちゃって」

「はい?」


 カイトは両手を合わせた。こういう時だけ可愛らしくするのは卑怯以外の何ものでもない。


「自分が出席しないパーティーの為に?」

「うん」

「料理を作ってからバイト?」

「……うん」


 とんでもない依頼だった。人を何だと思っているのだろうか。


「ちゃんと謝礼は考えている」


 謝礼。その言葉に私の気持ちはぐらりと揺れ動いた。基本自分の金は自分で稼げな我が家では、謝礼は非常に大きな意味を持つ。


 カイトをじっと見つめる。


「その言葉、信じていいの?」


 カイトがクソ真面目な顔で頷いた。むかつく程格好いいなチクショー。


「男に二言はない」

「――分かった、その話、乗ろう」

「宜しく頼む」

「任せて。クリスマスっぽいのを揃えてみせる」

「頼もしいな」


 カイトが爽やかな笑顔を見せつつ、ご飯のおかわりをよそいに立った。本当によく食べる奴だ。


 にしても、これでクリスマスイブにこいつとふたりきりになる心配もなくなり、且つバイトでお金も稼げて更にこいつから謝礼も手に入れる事になる。先程まで気が重かったクリスマスイブだったが、今は少し楽しみになってきた。


 私はクリスマスメニューをあれこれと考え始めた。





 クリスマスイブ2日前の放課後。


 掃除当番の私は、校舎裏の焼却炉にゴミ箱をひとり運んでいた。


 掃除当番が一緒だった由美の奴は、カイトが体育館でバスケをしているのを聞きつけ、どうしても行きたいと私にいちごオレを渡してきた。私は素直に買収された。由美は私がカイトと一緒に暮らしているのは知っているが、私達の仲が特段よくない事も理解しているので誘われもしなくて助かった。


 さっさと帰ればいいものを、なんでバスケなんかやってるんだろうか。


 校舎裏に回ると、掃き掃除したばかりだろうに辺りは枯れ葉がガンガン舞っていた。これでは掃除のやる気もどこかに飛んでいってしまいそうだった。外担当の生徒は憐れだった。


 焼却炉にゴミ箱の中身をぶちまける。ふわ、と埃が舞って飛んでいってしまいそうだったので、私は咄嗟にそれを上履きでぎゅ、ぎゅ、と踏みしめた。よし。


 くるりと振り返ると、ゴミ箱を持ってにこにこしているたむしんがいた。


「うわっ」

「あ、ごめん、驚かせた?」


 にこにこにこにこ。この愛想の良さを半分位カイトに分けてやって欲しい、そう思う位愛想がいい。


「あすみちゃん、イブの日はよろしくね」


 初めて話す相手に下の名前でちゃん付けか。これぞカースト上位の余裕が為せる技か。


「あー、料理ね。えーと田村くん、だよね?」

「そう。田村シン。シンって呼んでよ」


 初対面の癖にぐいぐい来るな。私の顔は若干引き攣っているかもしれなかった。


「ははは、いきなり呼び捨てはちょっと」

「じゃあシンくんは?」


 ゴミ捨てはどうした。たむしんのゴミ箱にはまだゴミが沢山入っている。こんな風にただ突っ立って会話してていいのか。


「ほら、カイトと同じ苗字だと呼びにくいんだよね。だから俺も下の名前で呼びたいから、あすみちゃんも俺の下の名前で呼んでよ。じゃないと不公平じゃない?」

「いや、私元々山田なんだけど」


 そう。山田の義父と山田の母が結婚したのだ。結婚したから山田に変わった訳ではない。


「それでもさ。ね?」


 面倒くさい。だがまあ悪い人ではない様だ。私は頷いた。


「分かった。シンくんね」

「やった」


 たむしん改めシンが嬉しそうに笑った。親友の妹に媚を売ってどうするんだろう。ぼんやりとそんな事を考えた。


「まあ、変な物は作らないから安心して」


 私がそう言って立ち去ろうとすると、シンが焦った。


「待って待って。今ゴミ捨てるから」

「はあ」


 あんまりキラキラと一緒にいるところを他の人間に見られたくはないのだが。シンは急いでゴミを焼却炉に放り込むと、パタパタと走って私の隣に並んだ。


 私が教室に戻ろうと歩き始めると、シンも隣を歩き始めた。ゴミ箱を持つ互いの腕が触れる。近くないか。


「あすみちゃん、料理得意なんでしょ?」


 アイドルみたいな顔でにこにこ聞いてきた。


「得意というか、家庭内で調理担当が私だから」


 別に料理が好きな訳ではない。必要だから覚えただけだ。


「イブが楽しみだなあ。何作るの?」

「えーと、チキンに詰め物した香草焼き、シーフードマリネ、それとベイクドポテトに玉子サラダを挟んだ物を作ろうかと」

「え、なにそれ凄い」


 折角のクリスマスメニューだ。多少彩りもよくしたかったのでこういうメニューになった。それに余れば自分で食べる。


「俺さ、実はずっとあすみちゃんと話したかったんだけど、カイトのガードが固くて」

「はい?」


 キラキラが何かを言い始めた。


「あすみちゃんの肌、透き通るみたいに綺麗だなって思ってずっと近くで見てみたかったんだけど、カイトが怒るから」

「は、はは」


 肌は確かに白く透けて見える方だが、だからこそちょっとの刺激で荒れるからメンテせざるを得なく、普段どれだけ苦労しているかなどこのキラキラには分からないに違いなかった。


 まああえて教える必要も感じない。


 シンは私の顔を覗き込みながら続けた。相変わらず腕がちょいちょい当たる。やはり近い。


「だからさ、あすみちゃんがゴミ箱持って教室を出ていったから、俺も急いでゴミ箱奪って後をついてきちゃった」


 ふふ、と何が楽しいのか笑っている。


「ねえ、明日の放課後って何か用事あるの?」

「あー、明日はバイトが」


 イブのシフトを入れたらついでにイブ前夜のシフトまで入れられてしまった。なので今日のうちにパーティー用の食材を買わなければならなかった。


 やはりカイトを荷物持ちに捕まえておくか。


 学校で捕まえると面倒なので、教室に戻ったらメッセージでも送っておくか。私がそんな事を考えながら前を見ていると、また近くで話しかけられた。


「あすみちゃん、バイトってどこでしてるの?」


 キラキラがぐいぐいと個人情報を取りにくる。何なんだろうこの人は。

 私の目つきが不審者を見るそれになっていたのだろう、シンが慌てて首を横に振った。


「ごめん、ただちょっと知りたいなって思って。……ダメ?」

「いやまあ、別に支障はないけど」


 曲がりなりにもカイトの親友だ。あの気難しい奴と一緒に過ごせる懐の広い人間であれば、そこまで怪しい奴でもないだろう。とりあえず今までおかしな噂は聞いた事はなかった。


「じゃあ教えて」

「あー、商店街の喫茶店。『並木道』ってとこ」

「あ、あのちょっと高そうなところだ」

「まあ珈琲一杯800円だから高いは高いけど」


 でもその分美味しい。高いのであまり変な客も来ないので私は気に入っていた。


「じゃあ明日行ってみようかな」

「気は使わなくていいから」

「そうじゃないよ」


 にこにこにこにこ。よくここまでそう楽しくもない世間話で笑えるものだ。

 

 すると、渡り廊下の奥から女子がキャーキャー言う声が聞こえてきた。体育館の方からだ。私の愚兄が騒がれているのだろう。


 シンが体育館の方をちらっと見た後、また私を見てにこりとした。


「カイトがいない場所であすみちゃんと話したいんだ」

「……何故?」


 カースト上位の女子の様に垢抜けてもなければ、飛び抜けて綺麗でも、明るくて元気な人気者でもない。どちらかというとひとりを好み、連れションは避けまくり、金にうるさく主婦。


 つまり人種が違う。


「気になるけどカイトがいると邪魔されるから」

「はあ」


 これはあれか。珍種見たさか? カイトがシンを邪魔するのではなく、多分カイトは私を邪魔と思っているのだとは思うが。


「まあ、ちゃんとお金を落としてくれるのならお客さんだから来てもらって構わないけど」

「やった。じゃあ明日行くから、カイトには俺と話した事は内緒ね」


 まあ知ったらぐちぐちは言われるだろう。私は軽く頷いた。面倒は避けたかった。


 私達は階段を並んで登って行った。先に私の教室の前に到着する。


「じゃあ」


 シンに軽く挨拶すると、シンが私の耳元で囁いた。


「俺にもその内肉じゃが食べさせてよ」


 私は目を見張った。


 カイトがメッセージのやり取りをしていたのは、シンだったのだ。


 カイトのガードが固いと言っていた、シンの言葉。カイトの自慢する様な、マウントを取る様な文面。辿り着くのは、あり得ないひとつの可能性。


「じゃあね」


 シンが軽く手を振って挨拶をして隣の教室に入って行った。


「……いや、まさか、ねえ?」

「何がまさかなんだ?」

「うわあああっっ」


 汗で髪を湿らせたカイトが後ろから私の顔を覗いてきた。


「……なんだよそのリアクション」

「あ、いや何でもない」


 カイトの私を見る目が訝しげなものになった。


「何でそんな顔が赤いんだ」

「え、赤い?」


 頬を触って確認したいが、両手でゴミ箱を抱えている。 


「しかもゴミ箱抱きしめて突っ立って俺のクラスの方見て」

「あ、ゴミ箱はゴミを捨てに行ってきたからで」

「じゃあ何見てたんだよ」


 段々と尋問じみてきた。ふと後ろを振り返ると、女子達が遠巻きにしてこちらを見ている。連れ子同士な事は別に隠してもいないがあえて広めてもいなかった。どちらにしても面倒だったからだ。


 なので視線は兄妹が何か連絡事項でも話しているのかというあまり興味のないのが半分、残り半分は何でお前がカイトと仲良く話してるのよ、だ。


 だから学校で馴れ合いたくはなかったのに。というかこいつもいつも私を避けていたのにどういう事だろう。


「……別に、何も」

「怪しいな」


 随分としつこい。何がこいつをいつもとは違う行動を取るように促しているのか。


「あ、今日買い物付き合ってね。イブのご飯の買い出しを今日全部するから。お金は後で徴収する」

「はぐらかすな」


 顔が怖い。そして様子を伺っている女子の目線も怖かった。


「私、ゴミ箱戻してきたいんだけど」


 立ち去ろうとすると、カイトが私の腕を掴んできた。


「シンに会ったのか?」

「……なんで?」

「バスケやろうって人を誘っといていつの間にかいなくなってたから」

「あんたがそんな事言う位シンくんってやばい人なの?」


 どうもカイトとシンの間には何かあるらしい。シン、実はヤバい人説とか?


 私がそう言うと、カイトの顔がみるみると機嫌の悪いものになっていった。クールビューティーが怒るとまじで迫力があって怖い。今すぐ逃げよう。


「あの、ゴミ箱をそろそろね」

「シンくん? くん? 君付け?」


 しまった。こういうのを、やっちまった、というのだろう。


 カイトは、低い低い声を出した。


「……帰るぞ。さっさと支度しろ」

「……はい」


 これ以上怒らせたくはない。家の雰囲気が最悪になる。従って私は素直に従う事にした。


 カイトが仁王立ちして私が自分のクラスで支度をして戻るのを監視している後ろで、シンが頬を楽しそうに緩ませながらこっそりと反対の廊下に消えて行ったのを視界の片隅で確認した。


 何かに巻き込まれた。


 そういう事なのだろう。私は首根っこを捕まえられた様な気分でトボトボとカイトの後ろについて歩き出した。





 朝、カイトは私より一足早く家を出た。委員会の会議が朝あるとかなんとかボソボソと言っていた。


 昨日はカイトが不機嫌マックスだった。これ以上機嫌の悪い雰囲気はうんざりだったのでこれは助かった。元気に「いってらっしゃい!」と明るく送り出してあげた時のカイトの微妙な表情。ざまあみろだった。


 私は人の機嫌に右往左往される程やわな人間ではない。そういう事は、気を使ってくれる別の優しい人間の前でやればいいのだ。


 母と義父もバタバタと私が用意したお弁当を手に取り家を出る。


「さて」


 私もそろそろ行こう。


 そう思って自分のお弁当を取りにキッチンに行くと、もうひとつお弁当が残されていた。カイトのだ。


 思わず深い溜息が出た。


 あの機嫌の悪い奴にまた会わないといけないのか。


 しかも学校で弁当を渡すなど、少女漫画の他の女子が嫉妬ギャーなシチュエーションそのまんまではないか。


「面倒くさい……」


 だが、食事を粗末にする事は私の信条に反する。米の一粒一粒にはそれぞれ七人の神様が宿っているのだ。祖母が教えてくれたその教えは、当時の私の琴線に確かに触れたのだ。


 神様を粗末にする訳にはいかない。


 私はふたり分の弁当をトートバッグに入れ、学校に向かうことにした。





 学校に到着すると、まず私は自分の鞄と弁当を自分の机の上に置いた。次いでトートバッグに入れた状態のカイトの弁当箱を持って隣のクラスに向かった。


 カイトは委員会は終わっただろうか。


 そっと教室の中を伺ったが、見た感じカイトはいなかった。長引いているのだろう。ここで待つか。クラスの中に入って机の上に置いていく程の度胸は私にはなかった。女子の目が怖すぎる。


 どうしよう、早く戻ってこないか、そう思ってキョロキョロとしていると、後ろから柔らかい声が聞こえてきた。


「あすみちゃん、どうしたの?」

「あ」


 カイトの不機嫌の元凶、シンが丁度登校してきたところだった。だがシンは同じクラスだ、机の上に置いてくる位はやってくれるに違いない。


「あの、カイトがお弁当家に忘れちゃって、悪いんだけど机の上に置いてもらってもいい?」

「お安い御用ですよ」


 シンがふざけた様に言うと、私が持っていたトートバッグごと受け取った。


「助かる。流石に他のクラスには入れなくて」

「まあそうだよね。――これ、中身なに? 美味しそうな匂いする」


 シンが鼻をクンクンさせた。


「今日は普通。昨日揚げた唐揚げの残りに、オクラのおかか醤油でしょ、さばをソースカツ煮にしたのと卵焼きと」

「鯖のソースカツ煮ってすごい美味しそうだね」


 今日もキラキラはにこにこしている。朝からこれだけ輝ける人生とは何と恵まれている事だろうか。


 まあ、私は目立つのは嫌いだから今の自分でいいのだが。


「俺も食べたいなあ」


 シンが物欲しそうに弁当を見た。だがカイトの食欲は凄いものがある。もし間違ってシンが食べてしまったら、恐らく戦争が勃発するだろう。それは是非とも避けていただきたい案件だった。


「これはカイトのだから、ちゃんと渡してくれる?」

「はーい、分かりました」

「じゃあお願いね」

「うん」


 シンがひらひらと手を振った。だが目線が私の後ろにある。ん? おかしい。


 疑問に感じながら後ろを向くと、仏頂面のカイトがいた。まだ機嫌が悪いらしい。


 まあここは用事を済ませて立ち去ろう、私はそう思い事務的に要件を伝える事にした。


「あ、委員会終わった? お弁当、家に忘れていったから今シンくんに預け……」


 ぎろ、と無言で睨まれ、私は黙った。そしてシンが持っていたトートバッグを無言で奪うと、教室に消えていった。残された私とシンの目が合う。


 シンの目は実に楽しそうに笑っていた。





 放課後。


 つくづく今日ほどカイトとクラスが別でよかったと思った事はなかった。


 隣の教室の静かなことこの上なかった。カイトの不機嫌さがクラス全体の雰囲気を押し下げていたらしい、と由美が情報を仕入れてきていた。クラスを自分の雰囲気だけで黙らせるとはある意味物凄いカリスマ性ではあるが、マイナスな方に引っ張っていってどうするんだとは思った。


 そして普段は助け舟を出すシンは、今日に限って傍観。ふたりが喧嘩したのか? という噂も飛び交ったらしいが、時折会話はする。クラスメイトは戸惑ったに違いない。


 これは早々に消えよう。


 幸い隣のクラスの出来事だ。関係ない関係ない。


 授業終了のチャイムが鳴ると同時に、私は立ち上がって支度を済ませて教室からダッシュで出ていった。逃げ足、脱兎の如し。


 どうせバイト先に直行だ。夜ご飯は今朝のうちに仕込んであり、後はいる人間が温め直せばいい程度になっている。帰宅する頃にはカイトもきっと機嫌がよく……と思い、今日もカイトがバイト先に迎えに来る事になっていたのを思い出した。

 

 バイト終了は9時。流石にシンはもうその時間にはいないだろうが、バッティングしたらどうなるのか。


 ならいっその事シンに来ないでくれと連絡すべきか、と思ったが、連絡先など知らない事に今更気が付いた。


 ふたりの争いに巻き込まないで欲しかった。迷惑以外の何ものでもない。だってカイトは私の義兄だ。そしてシンはその義兄の親友だ。それ以上でも以下でもない。


 だから頼むから私の心を巻き込まないでくれ。


 そう、切に願った。





「こんにちは」


 カランカラン、と入り口の鐘を鳴らして、言っていた通りシンが店にやってきた。


 時刻は5時。流石にどんなに長居してもカイトとはバッティングしないだろう、そう思いほっとした。ホッとした後、いやいや何調子に乗ってんだ自分、と自分を戒めた。シンは珍種見たさに私の周りを彷徨いているだけだ。そしてカイトはきっと私がカイトの生存区域に侵入してくるのが嫌なのだ、きっとそうに違いない。


「あ、カウンターあるんだね」

「いらっしゃい、カウンターでもいいよ」


 この時間帯は大して客もいない。この後少しすると仕事終わりのサラリーマン達が増えるが、まあまだ大丈夫だろう。


「制服可愛いね」


 ウェイトレスというよりも事務員といった風の制服を見て、シンがそう言った。これのどこに褒めポイントがあるのかが分からないが、きっと人を褒めるのが趣味なのかもしれなかった。


「どうも」


 私服のシンはまた一層イケメン度を増していた。少し短めのパンツにクシュッとした靴下が覗き、上は色味控えめのモノトーンにジャケットを羽織っている。これだけ着るものがなんでも似合うと選択も楽なのだろう。少し羨ましく思った。


「オススメなに?」


 肩肘をついてシンがにこっと聞いてきた。私は水の入ったコップをシンの前に置く。


 すると、シンが私の手をいきなり握った。


「ちょっと」


 抗議しようとすると、シンが私の手をじっと眺めて言った。


「痛そう」


 私の指の節に出来た傷を指でそっと撫でながら呟いた。ああ、あかぎれの事を言っているのか。私は納得した。


 元々肌が弱い私は、冬場に食器洗いの時にお湯を使うとそれもまた響くのだ。ゴム手袋を着用してはいても、外した時もつい水に触れてしまう。結果冬の私の手はあかぎれだらけだ。保湿剤を塗っても塗っても追いつかない。そしてゴム手袋自体も触れると荒れる。困ったものだった。


「ちょっと肌弱くて、はは」


 私がそう言って手を引っ込めると、シンは素直に手を離した。


「代わってあげたいな」


 アイドルみたいな顔をしたキラキラ男子が囁き声でそんな事を言ってきたら、そいつを好きでもなんでもなくてもまあ顔は火照るだろう。


 そして私の肌はすぐに赤くなるのだ。


「あすみちゃん可愛い」


 シンがまた囁くように言った。





 シンはしばらくのんびり珈琲を飲んだ後、「明日ね」と言って去っていった。


 カイトとバッティングはしなかった。それにとりあえずはホッと一息つき、次いで明日シンに会う予定はない事を伝えるのを忘れていた事に気が付いた。


 私の役割は賄いおばちゃんだ。料理を作って次の仕事に向かう。


 あのカースト上位チームの中には入らない。入らないし、そもそも入れない。あの中に私の居場所はない。


 まあ家に来て私がいなければいないで、話題にも上がらずに済むだろう。そう考えれば会わないで済む方がいいと思えた。他のキラキラ女子を見ている内に、珍種への興味も段々と失せてくるに違いない。


 周りを見渡すと、客はもう全員はけてしまった。


 気弱な雰囲気が漂うマスターが私に言う。


「あすみちゃん、今日はもう終わりでもいいよー」

「お給料ちゃんと出ます?」

「……はい、ちゃんとするから」


 私は相当がめついと思われているのだろう、マスターが半ば呆れ顔で言った。だがその言葉が貰えれば問題はなかった。


 店の壁に掛かっている時計を見ると、8時半。急いで連絡すれば、カイトと入れ違いになる事もなさそうだった。


「では上がります!」

「はい、お疲れ様ー」


 私は更衣室に行くとさっさと着替えをし、それからカイトにメッセージを送った。『早く終わったからお迎え不要』と。


 すると、瞬時に電話がかかってきた。カイトだ。


「はい?」


 電話を取ると、怒鳴り声が聞こえてきた。


『はい、じゃねえ! いいから店から出るな!』

「いや、だってまだ8時半だし」

『駄目だ! いいから待て!』

「大丈夫だよ、まだ人通りも多いし」

『いいからいろ! 怒るぞ!』


 すでに怒っている声で怒るぞと言われた。


「……分かった、待たせてもらう」

『すぐ行くから。じゃあな』


 ブー、ブー、と通話が切れた音がした。更衣室の中にある小さな椅子に座り込んで頭を抱えた。


 参った。


 抑えていたものが吹っ飛びそうだった。これは卑怯だ、ずるかった。


 私はしばらく立ち上がれず、そのまま頭を抱え続けた。





 カイトは「すぐ行く」の言葉通り、あっという間に来た。息を切らせ、額に汗を浮かばせて。


 マスターの微妙な生ぬるい顔。このおじさんもちょいちょいむかつくが、まあ悪い人ではない。兄妹だと分かっていてこの表情だ、何か勝手に脳内で想像しているのかもしれなかった。


「帰るぞ」


 上がった息を抑えつつカイトが言った。


「マスター、じゃあまた明日」

「うん、あすみちゃんお休みー」


 マスターに見送られて私はカイトと共に店の外に出た。外の空気は肌が切れそうな程冷たかった。


「明日は何時までだ?」

「今日と同じ。9時まで」

「分かった、必ず迎えに行くから絶対先に帰るなよ。謝礼もその時渡すから」


 謝礼。いい響きだ。


 そしてその為ならば私は言いつけは守る。


「了解です!」


 ふざけて笑って返事をし、寒さにぶるっと震えると「ふえっくしゅっ」とクシャミが出た。気温差だ。


 カイトは無言で自分の首に巻いていた白いマフラーを外すと、急に立ち止まり私の首に巻き始めた。


 マフラーはカイトの体温を吸収してホカホカだった。


「カイト、風邪引くよ」


 汗をかいた後に急に冷やすと風邪を引いてしまわないか。私がそう言うと、カイトは笑みのひとつも浮かべずに言った。


「帰ったらあれ作ってくれよ。ジンジャーレモン。前に作ってくれたやつ」


 ホットレモンに生姜と蜂蜜を足したやつだ。前に寒い夜に作って飲んでいたら、カイトも興味を示してひと口飲んだ後気に入ったので作ってあげた事があった。


「分かった」

「だからそれは巻いとけ」

「……うん」


 私は返事をすると、先を進むカイトの背中を見つめた。


 カイトはあまり笑わない。いつも怒った様な仏頂面をしている。


 だが、それでもその優しさは伝わってくるのだ。


 不器用なんだな、そう思いつき、私はカイトのマフラーの中に埋もれる口を小さく笑わせた。


 カイトの匂いがした。





 クリスマスイブ当日。


 街は浮き足立ち、学校もまた浮き足立っている。


 だが私の頭の中は今日任された作業手順の再確認でいっぱいだった。学校の後、ある程度今朝の段階で仕込みの終わっている食材をどの順番でどう調理し並べ、バイトが始まる時間までに終わらせられるか。


 少し遅れるかもしれない、そうマスターには予め伝えてはあるが、雇われる側としてはなるべく時間はきっちりと守りたい。


 指を折りつつ考えてトイレからの帰り道に廊下を歩いていると、廊下の壁にキラキラが寄りかかっていた。


「あすみちゃん」


 にこにこにこにこ。今日もシンの愛想は底抜けにいい。


「あ、どうも」


 私は軽く会釈をした。どうも私がこいつと絡むとカイトの機嫌が悪くなるのが分かってきたので、なるべく関わり合いになりたくなかった。


「今日お邪魔するから宜しくね。あまり騒がない様にはするから」


 シンは首を傾げて微笑んだ。


「うん、最後に片付けをしてくれれば大丈夫だよ」


 帰って皿洗いもするとなると流石に勘弁してほしいが、恐らくその辺りはカイトがやるに違いない。今回頼まれた私の任務は料理だけだ。


「うん、ちゃんとするから」

「じゃあ宜しくね」


 周りの視線が痛かったので、私は早々に会話を切り上げてクラスへと戻って行った。


 背中にシンの視線を感じた。


 クラスに戻ると、由美が興味深々で尋ねてきた。


「あすみ、いつの間にたむしんと仲良くなったのよ」


 なんとなく周りも聞き耳を立てているのが分かった。ここは事実を述べてこれ以上の面倒は避けるべきだろう。私はそういう判断を下した。


「カイト達のグループが今日うちでクリスマスパーティーするから、私は調理担当。報酬あり。調理終わったら私はバイト。だからあまり家を汚すなって言っておいただけ」


 由美はそれで大体私の置かれている状況を把握したらしい。


「……家政婦、お疲れ」

「謝礼に釣られた」

「あすみらしいや」


 ふふ、と由美が笑った。こいつはミーハーだが気のいい奴だ。そして頭の回転もいい。私の貴重な大切な友人だった。


「そう、だから学校終わり次第急いで帰らないと」

「あんまり無理せずにね」

「ん、分かったありがと」


 チャイムが鳴り始めた。私は急いで席に着くと、即座に立てる様持ち物を整理し始めた。





 チキン、オッケー。マリネ、オッケー。ベイクドポテトは本当は焼きたてが美味しいのだが、こればかりは仕方ないので温め直せる様にだけしておき、横にバターと細かく刻んだ玉子サラダをセットしておいた。


 時間は5時半。バイトは6時から。もうそろそろ出ないとまずかった。


 私はエプロンをくるくると畳むと、お皿とコップを並べているカイトに声をかけた。


「じゃあいってくるから、冷めちゃったら少しずつ温め直して」

「分かった。ありがとう」


 珍しく素直に礼を言われた事に驚いた顔をしていると、カイトがまたむっとした表情になった。


「何だよその顔は」

「いや、別に。ただ珍しく素直だなと」

「お前俺の事どう思ってんだよ」


 ぶちぶちと言い始めたので、私は急いで支度を済ませる事にした。


 そしてひとつ伝え忘れた事に気付いた。


「カイト、あんたへのクリスマスプレゼントが冷蔵庫に入ってるから食べていいよ」

「冷蔵庫?」


 カイトが不思議そうな顔で冷蔵庫を覗いた。まあクリスマスプレゼントが冷蔵庫にあるなんて普通は思わないだろう。


「あ、これ」


 一応きちんとラッピングまでしたナッツ入りブラウニーだ。何もないのもな、と思って調理の合間に作っておいたものだ。


「そ。温めても美味しいから、お好みでどうぞ。じゃあ片付けはちゃんとやっておいてね」


 私はそう言うとバタバタと玄関に向かった。


「あすみ!」


 カイトが顔を覗かせた。


「ありがとう!」

「んー」


 私は軽く手を上げて返事とした。


 カイトの声が心なしか高揚している様に聞こえたのは、私の気のせいに違いなかった。





 カイトは駅前までいつものメンバーを迎えに行くと、家に招き入れた。シンの他は男子1名女子2名。同じクラスで同じ方向に家がある、ただそれだけの緩い関係だ。


「お邪魔します」


 シンは礼儀正しく玄関を上がる際挨拶をして、靴を並べ直した。他のメンバーもシンに倣う。


「こっち」


 カイトがリビングに招くと、シンはキョロキョロと見回した。テーブルの上のクリスマス仕様のセッティングと料理が並んでいるのを確認する。


「カイト、あすみちゃんは?」


 カイトの目が細まった。


「……あすみはバイトだ」


 すると他のメンバーがやいのやいの騒ぎ始めた。


「え、何カイト、妹ちゃんに作らせるだけ作らせて、参加させないってどんだけ鬼よ?」

「うわー美味しそうー! こんなの毎日食べてるの?」

「すっごーい! 鶏肉に詰まってるの何これ!」


 そして持ち寄った食べ物をテーブルに並べ始めた。


 カイトがそれらを皿に出していく。


「シン、どうした」


 シンはコートに手を突っ込んだままその場で立ち尽くしていた。


「あ、俺ちょっと忘れ物しちゃった」


 そう言うとにこりと笑った。皆が「なんだそれー」などと言い笑う。


「うち近いから、取ってくる。先始めてて」


 カイトの目線が、ポケットに突っ込まれたままの手に注がれた。シンはそれに気付くと手をすっと出した。


「……早めにな」

「うん、ちょっといってくる」


 訝しげなカイトの目線を避ける様に、シンは急ぎカイトの家から出た。


 スマホの地図アプリを開く。検索欄にぱばっと入力した。


『並木道』と。





 クリスマスイブ。わざわざシフトに入ったのに、店はガラガラだった。


「あすみちゃん、カフェモカ入れようかー」


 気弱マスターがあまりにも暇なのだろう、私に声をかけてきた。だがなかなかいい提案である。


「いいんですか? じゃあお願いします」

「へへ、じゃあクリスマス仕様にしちゃおう」


 マスターがいそいそと作り始めた。


 私は外をぼんやりと眺めた。商店街のけばけばしいクリスマスの飾り付けは、イルミネーションと呼ぶにはおこがましい。この辺りには綺麗なイルミネーションが見れる場所もないので、今年はイルミネーションも見ないで終わりそうだった。


 昨年までは母と表参道ヒルズのイルミネーションを見に行ったりしていたものだが、その母もようやく再婚。今頃海風に晒されて凍えているのかもしれなかった。


 カランカラン、と入り口のドアが音を立てて開いた。私は入り口を振り返った。


「いらっしゃいま……あれ?」

「こんばんは」


 ハアハアと息を切らして立っていたのは、シンだった。ふうー、と息を吐き、膝に手を当てた。アイドルのPVのワンシーンみたいだと思った。


「……水、いる?」


 私は逆さに重ねておいたグラスを表に返し水を注ぐと、まだハアハア言っているシンの元に持って行った。


「あ、ありがと……」


 シンが笑顔を見せてグラスを受け取ると、くいっと一気に飲み干した。


「あー美味しい。ありがとうあすみちゃん」


 私は空のグラスを受け取ると、マスターに渡した。マスターの目がニヤニヤしている。私はマスターを軽く睨み付けると、マスターが視線を逸らした。こうなる事は分かっているだろうに、この人も懲りない大人だ。


「で、どうしたの? クリスマスパーティーやってるんじゃなかったの?」

「うん、だから家に行ったらあすみちゃんいなくてびっくりしちゃった」


 そう、確かにシンには伝えていなかった。まあ家にいたところで、私は参加などしないで部屋に引きこもっていただろうが。


「元々参加予定はなかったし」

「だって料理するって聞いたらいるもんだと思うでしょ? 普通。なのに料理だけ作ってバイトに行ったってカイトが言うもんだから、忘れ物したって言って出てきちゃった」

「はあ」


 少し汗が滲んだ顔をにこにこさせて、シンがコートのポケットをがさごそと探り始めた。すると取り出したのは小さなクリスマス仕様の紙袋。それを私に差し出してきた。


「メリークリスマス。これ、クリスマスプレゼント」

「え? 私に? 何で?」


 まだ会話をする様になってたかが数日の相手にクリスマスプレゼントを用意するなんて、なんて気前のいい男なのだろうか。


「何でって、そんなの下心があるからに決まってるでしょ」


 にこにこにこにこしながらシンがとんでもない事を言い放った。思わず焦る。


「しっ下心っっ」

「うん、あすみちゃんのお弁当食べたいなって」


 ああ、そっちか。勘違いした。


「鯖カツすごく美味しそうだったけど、カイトの奴分けてくれなくてさ」

「あはは、今日鯖カツも作っておけばよかったかな」

「今度、俺にだけ作ってよ」

「え? いや、あはは」


 そしてやはりぐいぐい来る。流石上位カースト、遠慮というものが微塵も感じられない。私は話を逸らす事にした。


「あの、これ、開けてもいい?」


 私は貰える物は有り難く頂戴する主義だ。


「うん。合うといいんだけど」

「合う?」


 袋を開けて見ると、中には小さなハンドクリーム。これは。


「これ、欲しかったやつだ!」


 低刺激、パラベンフリー、無香料、且つ保湿性が高く、あかぎれにも染みないという代物。すぐに荒れてしまう私の手にも合いそうだと思ったが、如何せん小さい癖に高いので次の給料で買おうかと狙っていたやつだった。


「本当? よかった。手、痛そうだったから。そういうのよく分からなかったから、お店の人に色々教えてもらっちゃった」

「これは嬉しい! ありがとうシンくん」


 鯖カツよりも格段に高くつく物品だ。若干申し訳ない気もしたが、これは純粋に欲しかった。


「それでさ、あすみちゃん。連絡先交換してくれないかな」


 キラキラがぐいぐい来た。でもまあこんないいモノを気前よくくれる人だ。きっと悪い人ではないだろう。それにそもそもカイトの親友だ。


 私は頷いた。制服のポケットからスマホを取り出し、アプリを立ち上げる。お互いフリフリ振って登録完了。


 ピロン、とメッセージが届く音がした。目の前にいるシンからだった。


『これからよろしく』


 私はシンを見た。鯖カツの事だろう。私は魚の絵を選んで送った。ピロン、とシンのスマホが鳴り、次いでくすりと笑った。こういう笑い方もするらしい。


「ねえあすみちゃん。明日は……」


 シンが話しかけてきたその時、カランカラン、と入り口のドアが鳴った。お客さんだった。


「いらっしゃいませ!」


 私はシンに軽く手を上げた。


「戻らないとカイトが怒るよ」

「そうだね。戻るよ」


 シンは小さく頷いて手を上げた。私がお客さんをテーブルに誘導し水を用意していると、カランカラン、とシンが出ていく音がした。


 まさか本当にこれを渡す為だけに抜け出してきたのか。鯖カツの為に。


 やるな鯖カツ。私はそう心の中で思うと、笑顔を作って注文を取りに向かった。





 あれから何組かお客さんが入った。食事の後なのか、珈琲をさっと飲んで帰る人が多かった。ふと時計を見上げるともう9時まであとちょっとだった。


 マスターが声をかけてきた。


「あすみちゃん、今日は本当に助かったよー」

「いやまあ、時給上げてもらえるし」

「……本当君しっかりしてるよね」

「褒め言葉と受け取っておきます」

「ははは。今日はもう上がっていいよ、残りの片付けは僕がやるから」


 ありがたい。私は遠慮なくお言葉に甘えることにした。


「9時までの給料は」

「つくつく、つけるから」


 それだけ確認出来ればよかった。私がエプロンを外すと、マスターが尋ねてきた。


「にしてもあすみちゃん、カイトくんと昨日今日のイケメンくん、どっちが本命なの?」


 私はマスターを睨みつけた。まるでこちらに選択肢がある様な言い方をしないでほしかった。


「ごめんなさい」

「分かればいいんです」


 そもそもカイトは義兄、シンはその義兄の親友。私はただの妹と親友の妹、それだけの関係だ。


 どうこうなりたくとも、それ以上はなれない関係なのだから。


 私は更衣室に行くと、さっさと着替えだした。着替えていると、入り口からカランカランという音が聞こえてきた。慌てて着替えを終わらせる。


 急いで更衣室から出ると、思った通りカイトだった。時間は9時ぴったり、流石だ。


「片付けした?」

「大体な。シンが結構綺麗に片付けてくれた」


 確かにまめそうではあった。


「あすみちゃん、お疲れー」

「お疲れさまでした」

「どうも」


 マスターにぺこりとお辞儀をして店の外に出た。寒い。店の前に自転車が止めてあった。私の買い物用、電動ママチャリだ。


 ママチャリを颯爽と乗りこなすクールビューティーを想像し、私の頬が思わず緩んだ。


「カイトこれ乗ってきたの?」

「2ケツ出来るのはこれしかないからな」


 2ケツ。自転車の後ろに乗れという事か? 立派な道路交通法違反だ。


「それで、これ」


 カイトはそう言うと、自転車の前カゴに入れてあった袋から、見たことのない可愛い濃いめのピンク色のマフラーを取り出してきた。怒った様な顔のまま、私の首に巻いてきた。ふわりとしていて温かい。


 これはまさか。


「今日の謝礼兼クリスマスプレゼント。お前の肌弱いから、チクチクしないヤツを選んでみた」

「……え、いいの?」

「あげる為に買ったからな」

「あ、ありがとう」


 私があげたブラウニーとの差。かなり申し訳なく思った。私ももう少しまともなものを選ぶべきだったか。後悔先立たずとはこの事だ。


「じゃあ行くぞ」

「あ、うん」


 カイトが自転車に跨ると、私を見た。私は横座りで荷台に腰掛ける。


「ちゃんと掴まれよ」


 カイトが白い息を吐きながら私を振り返った。いや、でもねえ。


 私が迷っていると、カイトが私の両手首を掴んでカイトの腰に回した。相変わらずの馬鹿力だ。


「飛ばすから」

「……うん」


 カイトはいつも読めない。いつも怒っている様に見えても、こうやって不器用な優しさを見せたりもする。


 カイトが勢いよく自転車を漕ぎ始めた。流石電動自転車、あっという間にトップスピードに達する。確かにこれはちゃんと掴まっていないと振り落とされそうだった。


 私はそう思うと、遠慮なくカイトの腰にしがみついた。ついでに頬が寒かったので、頭をカイトの背中にくっつけて暖を取る。カイトの背中が若干固くなった気がしたが、まあ気のせいだろう。


 にしても、どうも進んでいる方向が家の方向ではないような。


「カイト、どこに向かってるの? 家こっちじゃないでしょ」

「着いてからのお楽しみ」


 カイトにしては随分とお茶目な事を言う。なんだろう? そう思ったが、まあお楽しみというのであれば着くまで待っていよう。カイトが寒空の中自転車をかっ飛ばしていくのを、私は後ろで寒さを堪えながらただ見守った。


 だけど、くっついている腕と頭と、ピンク色のマフラーが巻かれた首は暖かかった。





 カイトの漕ぐ自転車は坂道をぐんぐん上がり、道路脇にある小さな公園で止まった。


「こっち」


 カイトはこの町で生まれ育っている。私の知らない場所を沢山知っているに違いなかった。


 街灯が物悲しい雰囲気を醸し出す、ベンチと柵があるだけの寂れた公園だったが、柵の前に立つと、眼下にはこの町の夜景が広がっていた。


 空を見上げると、空気が冷たいからか、綺麗な星空。


「綺麗だねえ」


 私が素直な感想を口にすると、隣でカイトが笑う声がした。暗くてあまり表情が見えないが機嫌はよさそうだった。


「この辺、イルミネーションとかはないんだけど、ここから見る夜景はオススメだ」

「うん、確かにいいね」


 私は柵に腕をもたれかけると、カイトも同じ様に柵に腕を乗せた。


 しばし無言で夜景を眺める。


 わざわざ私にこれを見せる為だけに、自転車を漕いでここまで連れてきてくれたのだ。この無愛想なカイトが。


「なあ、あすみ」

「んー?」


 横に立つカイトの瞳には、キラキラと町の灯りが反射していた。


「あのさ」

「うん?」


 話が進まない。


「俺、その」


 すると、私のスマホが鳴り出した。電話だ。


「ちょっとごめん」


 ポケットからスマホを取り出すと、画面には『田村 心』と表示されている。


「あ」


 画面を思い切りカイトに見られた。どうしよう、あれだけ嫌がっていたのに、連絡先まで交換している事が分かったら更に嫌がるだろうか。


 私はこの状況で電話を出る訳にもいかず、上目遣いでカイトを見る。


 滅茶苦茶機嫌が悪い顔になっていた。


「よこせ」

「え」


 カイトが私の手からスマホを奪うと、電話に出た。


「お前なんであすみの連絡先知ってるんだよ」

『あれ、カイトが出た』


 小さいながら、周りが静かなのでシンの声もよく聞こえてきた。


『俺はあすみちゃんに用があってかけたんだけど』

「今取り込み中だ」

『人の電話に勝手に出ちゃいけないんじゃないの?』


 それはその通りだろう。私が小さく頷くと、カイトのこめかみがピクリと動いた。頷くのを止めた。


「あすみに近付くなって言っただろ」


 そんな事を言っていたのか。何でまた。


『別にあすみちゃんはカイトのものじゃないだろ』

「お前だって分かったって言ってただろ」

『あの時はそうだったけど、今は違うもん』

「どんな屁理屈だよそれ」


 カイトの声がどんどん低くなる。というかふたりとも、私を抜きになんの話をしているのか。


『俺、明日あすみちゃんを遊びに誘おうかと思ってるんだよね。あすみちゃん近くにいる? おーい』

「あすみに手を出すなよ!」


 とうとうカイトが怒った。私を蚊帳の外に置いたまま。


『カイトがたらたらしてるからだろ。情けないよね本当』

「たらたらってなんだよ! 俺はじっくりと俺を知ってもらおうと思って」

『じゃあ何、学校でのあの塩対応。あすみちゃん可哀想』

「あれは、お前が近付かないようにしてるんだよ!」


 成程、そうだったのか。私は成り行きを見守る事にした。


『自信がないんだ、へえー』

「うるせえな! お前の手の早さが原因だろうが!」


 そうか、シンは手が早いのか。


『カイトの妹にそんな適当な事すると思う?』

「あすみは俺の妹じゃない!」


 はい? 今、カイトは何と言った? 私はびっくりして目を見張ったが、カイトはシンとの会話に夢中で私の表情には気付いていない様だった。ひとつの事に集中すると他に気が回らない、いわゆる男性脳というものの持ち主なのだろう。


『何言ってんの、連れ子同士でしょ』

「養子縁組しないのが結婚を許可する条件だったんだよ!」


 養子縁組していない? 何だそれは。とりあえず私は聞いていない。


「だから戸籍上も俺達は他人なんだよ! だから周りにどうこう言われる筋合いはない!」

『じゃあ余計カイトが独り占めする根拠がないじゃない』

「うるせな! ずっといいなと思ってた子がいきなり同居するって言われた俺の気持ちがお前に分かるかよ!」


 ズットイイナトオモッテイタコ。


 私の口がぱかっと開いた。


『えー、いいじゃん、ラッキーって俺なら思うけど』

「いい訳ないだろ! 告白してふられでもしてみろよ! その後もずっと同じ家で暮らすんだぞ! どんな生き地獄だよそれ!」


 告白。告白だと? 


『はは、確かにふられると辛いね―』

「だろ? だからじっくり時間をかけて俺を好きになってもらおうと思ってたところにお前がちょっかい出し始めたから、だから俺は怒ってるんだよ!」


 私は両頬を触ってみた。両方とも熱くなっていた。


 そして何だ、この疎外感。何故目の前のクールビューティーはあのキラキラを介して告白しているのか。


 もしかしてこいつは、私の存在を忘れているのかもしれない。


『ちょっかいって酷いなあ。だってお前がいつまでもグジグジしてるから、じゃあいいのかなって思って』

「よくねえ!」

『ふーん。で、あすみちゃんにはまだばれてないの? カイトの気持ち』

「まだ言ってないからな!」


 いや、たった今、目の前で聞いた。


『あすみちゃん近くにいるんじゃないの? だってこれあすみちゃんの携帯でしょ』


 カイトがハッと息を呑んだ。次いで、そーっと私を振り返る。やはり私の存在を忘れていたらしい。


「や、あの、その」


 また怒った様なあの表情をしていると思ったが、状況から判断するにこの顔は怒っているのではなく照れている顔らしい。


『あすみちゃーん、返事はー?』


 電話の奥から呑気なシンの声が聞こえてきた。


「お前、まさか」


 カイトの声が震える。


『あはは、はっぱかけたって? 半分正解! で、お前がふられたらあわよくばって、ははは』

「シン……お前な……」


 つまりカイトは、いつまでもぐじぐじとしているのを見かねた親友のシンに見事に振り回された訳だ。


『あすみちゃーん?』

「あ、はい!」

『あ、やっぱりいた! ほらカイト、言うなら今だよー』

「もうお前は黙っとけ」

『えー聞きたい聞きたい』

「うっせえ、切るからな」


 そう言うとカイトは、人のスマホにかかってきた電話を本人に代わることなく、本人に許可なく勝手に通話を終了させた。なんてやつだ。


「あすみ、顔が赤いんだけど」

「あ……うん」


 自覚はある。


 カイトがスーハーと深呼吸した。


「あすみ」

「はい」

「実は俺はお前の事が前から好きだった」


 どストレートに来た。


「お前は俺の事をどう思ってるんだ?」


 瞳をキラキラさせて聞いてきた。


「どうって……。だって、兄になるって聞いてたから、そういうよこしまな気持ちは持っちゃいけないと思って」

「てことは少しは持ったのか?」


 またもやどストレートだ。思わず周りを見渡す。勿論助けはどこにもいなかった。


「ちょっといいな、位は元々、その、はい」

「ちょっとだけか?」


 私のスマホを握りしめたまま、カイトが一歩近付いてきた。


「え、その、いや、おうちのカイトはね、気にはなるけど」

「それは好きって事か?」


 一歩下がろうとして、柵に当たった。背水の陣。多分、お互いが。


「いや、だから気にはなるけど、一応兄だし」

「さっき聞いてただろ、俺達は赤の他人だ。戸籍上もしっかりな」


 カイトが私の手首を掴んだ。


「いや、でも、親の手前ですね、その」

「あの人達は元々俺の気持ちは知ってる」

「え?」

「さっき聞いてただろ、養子縁組をしないのが結婚を許可する条件だって。ていうか、なんで養子縁組してないの知らなかったんだよ」


 再婚同士だったら普通にするものだと思いこんでいた。


「え、じゃあお母さんも知ってる?」


 カイトは深く頷いた。


「いつになったらくっつくんだとよく聞かれる」


 全然そんな素振りは見受けられなかった。


「ええ……じゃあ、知らなかったの私だけ?」

「そう」


 では、この抑え込んでいた私のドキドキは無駄な努力だったという事か。


「だからあの人達、ちょいちょい外で食事済ましてきたりするだろ?」

「ああ、忙しいのかなとは思ってたけど……」

「嫁姑問題が勃発しないからいいんじゃないとこの間義母かあさんが言っていた」


 なんて母親だ。


「で、返事は?」

「いや、ていうかなんでカイトが私程度の女に」

「程度ってなんだ、程度って。俺に失礼だぞ」

「いや、でも」


 周りの女子の目も怖い。カイトが息を吐いた。


「俺はお前のそのサバサバしたところが好きだ! お前のその透けるような肌も好きだ! お前の作る飯は最高だ! 金にうるさいところだってしっかりしてるから好きだし、とにかく格好いいから好きだ! お前の飯を他のやつに食わせたくない!」


 飯が2回出てきた。


「俺が何やっててもキャーキャーいう奴らにお前は混じってなくて、始めはそれで気になって、他の奴らはベタベタしてくるのにお前はちっともしてこないから、ベタベタしてきてほしいなって思って」


 陰キャの私に積極性を求めないでほしい。


 しかし理由が如何にももてる人間のそれで少し可笑しくなった。


「つまり、好きだ」


 町の灯りをその瞳に反射させ、カイトが言った。


 私の頬はサンタの服の様に真っ赤になっているに違いなかった。


「返事は」


 3度目の催促。これはもう、きちんと答えねばならないだろう。


 私は覚悟を決めた。陰キャだって、カースト上位を好きになる事はあるのだ。それに、カイトはそんな事気にしていない。これだけどストレートに想いを伝えられて、こちらが立場とかばかり気にしていては失礼だろう。


 私がカイト個人をどう思っているのか。それがきちんと私個人を見てくれたカイトと向き合うという事なのだろう。


 であれば、返事はひとつ。


「これからも、私のご飯を美味しそうに食べてください。カイトの美味しそうに食べる姿が、好きです」

「す……!」


 カイトの顔が火照ったのが分かった。


 今はまだこれくらいで勘弁してもらおう。始めの一歩というやつだ。


 私はえへ、とカイトに笑いかけた。すると、カイトは私の手首をぐいっと引っ張り。



 小さな町の夜景が広がる寂れた公園で、私達は真っ赤になりながら初めてのキスをしたのだった。


「あ、そういえば何で私をパーティーに参加させたくなかったのに料理はお願いしてきたの?」


 照れを隠す為に聞くと、返ってきた答えは。


「他のヤツにお前は見せたくなかったけど、お前の自慢はしたかったから」


 我が家のクールビューティーはそう言うと、私をきつく抱き締めたのだった。





おしまい。

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