「碓井君とユウレイ彼女」

 碓井うすいくん。


 あなたの事が大好きです。心から愛してます。

 だから、今度こそ私と付き合って下さい!

 お願いします。



 ーー何度目だろう。彼女からの告白。


 こんな状況、普通は嬉しいはず。

 そのはず。

 彼女はどこから見ても可愛いし、僕の知る限り性格もいい。僕が求める理想の女性。

 まさしくその権化なのだから。


 だけど僕は断り続けている。

 彼女からの告白を。


 彼女を受け入れたいと思わない日はない。

 無いのだけど。


 彼女はこの世の人ではなかった。

 彼女はただの幽霊だった。



 親元を離れて6年が経つ。

 学生時代は面白おかしく過ぎて行ったが、花はなかった。


 社会にでて2年。仕事が面白く感じるようになり、少し自信も持てるようになってきた。


 この春、もう少しだけ仕事に集中できるようにと会社から一駅の新築アパートへと引越しした。

 全ては順調。未来もきっと明るいはず。


 そう思っていた。

 この部屋に彼女が現れるまでは。


 「男の人の部屋って初めてだわ」 

 初めて彼女と会ったとき、彼女は確かにそう呟いた。



 仕事から帰り、シャワーを浴びてビールでも飲むかと冷蔵庫に手を伸ばした。

 そのとき気付いた。自分以外の存在。

 彼女が部屋に居る事に。



 「えっと・・・」

 理解が追い付かず、言い淀んでしまう。


 「私の事、分かるんですか?」

 その彼女の不思議な問いかけに

 「わかるでしょ、普通」 

 と今思えば間抜けな返答をしてしまった。

 

 「嬉しい!!!」

 返事を聞いた時の彼女の笑顔があまりにキレイだったので、僕は言葉を失い見惚れてしまっていた。

 その事は誰にも言わない僕だけの秘密、僕だけの宝物だ。今もまだ僕の宝物だ。




 「何がダメなの?どこがいけないの?私の事が嫌いなの?ねえねえ」

 甘ったるい声で彼女は僕の右腕にぶら下がるフリをする。


 「君は綺麗で可愛くて性格もよく僕の理想の女性なんだけど、それでもやっぱり僕は君と付き合わない」

 毎日のように繰り返すお決まりのやり取り。

 ここだけ聞けば胸焼けするような青春ドラマの一場面だけど、現実はもっと残酷でなおかつ幻想的だった。


 彼女のキレイな髪、愛くるしい笑顔、控えめな胸、少し大きめのおしり。

 全てが愛おしくて今すぐ抱きしめたくて仕方がない。



 だけど僕から彼女に触れる事はない。



 カッコつけて言っているんじゃない。

 本当に触れられないのだ。

 物理的に触れられない。

 こんな残酷な仕打ちがあるだろうか。



 彼女の事を認識したその日。


 彼女は僕の返事を聞き「嬉しい!」と満面の笑みで叫び、直後泣き崩れた。



 玄関ドア近くで泣かれても困るからと、リビングへ通し、1人掛けのソファーを彼女にすすめる。

 ソファーに腰掛ける彼女はとても小さなうさぎのようだった。


 その夜、彼女が語ってくれた彼女の物語は今もしっかり覚えている。

 忘れるわけがない。彼女との繋がりは「確かにあった」と示す僕の心の拠り所なのだから。



 気付いた時、彼女は真っ白な闇に居た。

 上も下もなく奥行きも感じる事が出来ない白い闇。

 白い闇の中に居る事。それについて何も思う事はなかった。

 そう言っていた。


 彼女に一番衝撃を与えたのは、自分が誰なのかが判らないと言う事実。

 社会的な常識、習ってきた事柄、日常生活のあらゆる場面は思い出せるし理解もできる。

 ただ自分に関する事が思い出せない。欠落している。

 記憶喪失なのだと、最初はそう思ったらしい。


 どうやら自分は死んだようだと理解したのは、つい先程。

 突然目の前に僕の姿が現れ、同時に白い闇が晴れた。

 彼女は僕の頭上に浮いていた。


 声を掛けても肩を叩いても僕は反応しなかったそうだ。

 なんですぐに気付いてくれないかなぁと彼女は笑って言った。



 「で、これからどうするの?」

 と言う問いかけに彼女は

 「どうすればいいんだろう?」

 と言いながら僕の眼をのぞき込んでくる。



 女の子との接点が少ない僕は生まれて初めて女の子の上目遣いの破壊力を思い知った。




 次の日の朝、寝不足でフラフラしながら玄関に向かう。

 彼女と僕は夜通し話し合った。

 その結果。

 行くところのない彼女に居候の許可を出した。

 ずっと居てもいいよ。とは言わなかった。


 「ヤベェ。スゲェ眠い・・・」

 「ごめんね。私のせいで無理させちゃって」

 そんな言い方されたら返って僕がダメな男って気がした。


 「気にしなくていいよ。僕も考えが足りなかった。せめて土曜日だったらよかったのに。ハハッ・・・」

 「そっか、ありがとう。いってらしゃい。早く帰って来てね」

 女の子とほぼ無縁だった僕は思い知った。

 女の子の上目遣い。その破壊力を。

 この短時間で2回も。とても幸せな気分だった。



 「なんて呼べばいい?」

 あまりにも相手の事を気遣わない失礼な問いかけだった。

 今ならそう思う。

 彼女は彼女自身の事を何も知らない。

 なのに僕は彼女に名前を要求していたのだ。


 「ん~、どうしよう」

 そう言って彼女はキョロキョロと部屋の中を見回す。

 あっ!と言う表情を浮かべた。


 「クミにしよう。9月3日だし!」

 「ダジャレかよ」

 「別にいいじゃん、響き可愛いし」

 そう言ってクミは笑った。


 クミは笑顔も破壊力満点だった。



 クミはビールが大好きだった。

 グラスいっぱいにビールを注ぐ。

 「泡が溢れるぐらいまでじゃないとダメ!」

 オヤジ臭いこだわりが可笑しかった。



 クミに食事や飲み物をすすめると、何でもかんでも美味しそうな顔をして平らげた。

 俺の目にはそう見えた。

 クミの喉に流し込まれていくビール。ゴクゴクとCMのように豪快に飲み干す。

 変なところで男らしいクミ。

 そのクミが確かに飲み干したはずなのに・・・

 テーブル上のグラスの中身は減る事がなかった。



 10月に入ると僕は残業が増えた。

 夜の街は少し冷えるのでコンビニでおでんや肉まんを買って帰る。

 帰りが遅い事に不満を漏らしつつ、美味しいね!と言って肉まんを頬張る彼女はドングリを頬張るリスのように可愛かった。


 クミについてわかった事はほとんどない。

 見た感じ同年代、髪型、メイク、喋り方に違和感を感じないし年代も感じない。

 それ以外は笑顔が可愛い、オヤジ臭いこだわりがあるって事くらい。

 もしも僕以外の人にもクミの事が見えたなら、すごく可愛い女の子が冴えない僕と同棲しているように見えたかもしれない。

 いや、歳の近い仲良し兄妹かな。




 11月。朝晩がグッと冷え込む。


 「さむーい!!」

 「寒さとか感じるんだ」

 やらかした。僕はなかなか成長しない。

 デリカシーの無い発言。


 そんな僕の動揺を見て見ぬ振りなのか、変わらない調子でクミは喋る。


 「そりゃ感じるよぉ。こんなに寒いんだもん。人肌恋しくなったりしますって」 

 そこまで言って首を傾げるクミ。


 「今、ピーンと来た。私彼氏いない歴=年齢。独女だった!うはー、寂しい」 

 そんなドキッとする発言のあと、なんでもないかのように笑っていた。



 12月。街もテレビもクリスマス一色。


 「私って彼氏が欲しかったのかも」 

 唐突にそんな事を言い出した。


 「どう考えても私死んじゃってるし、幽霊だし、なにかこの世に未練があったとするならソレだと思う。バージンのまま死んじゃってるし」 

 女の子に慣れてない僕はどう答えていいかわからなかった。ただ照れ臭くて顔を背けながら返事を返す。


 「バージンいいじゃん!僕もバージンだし。僕も彼女欲しかったなぁ。バージンの」

 言ったのはいいけど、余計に照れてクミの顔を見れなくなっていた。クミの表情を見ていれば僕は答えを間違えなかったかもしれない。

 

 「ふぅ、そう来たか・・・。じゃあ仕切り直し。今度は真っ直ぐストレート」



 「碓井くん。私はあなたを好きになってしまいました。本当に大好きです。よかったら私と付き合ってください!」

 クミは幽霊なのに耳まで真っ赤になりながら言ってくれた。僕の事が大好きだって。



 僕もクミが大好きだ。

 クミの笑顔を見るだけで幸せな気持ちになる。

 それ以外はいらない、世界にこの笑顔だけでいいとまで思う。

 だけどクミはこの世の人じゃない。

 僕達は触れ合えない。


 だけど僕は触れたかった。

 クミの隅々まで触れてクミの全てを知りたかった。


 その日、僕はクミを振った。

 大好きだけどと泣きながらクミを振った。


 クミはくじけない強い女の子だ。

 朝から猛アタックが始まる。

 気まずい空気を覚悟していた僕は罪悪感と安心感の板挟みになってしまったけれど、クミの再度の告白を受け覚悟を決める。

 大好きだけど受け取れない。

 触れたいけど触れられない。

 だから笑顔だけ、破壊力満点なその笑顔だけ受け取る事に決めた。



 それからは告白が日課になった。

 毎日毎日繰り返す、楽しくて嬉しくて寂しい。そんな日々。

 触れ合えないけど、お互いが触れたい気持ちを認め合い、触れ合えない分だけコトバを投げ合い確かめ合う。

 寂しいけれど、それでもいいかと思えるくらいクミの事が大好きだった。



 クリスマスイブ。

 予約していたケーキを持って帰るとクミは飛び上がって喜んでくれた。

 一緒に見ていたテレビ番組。そこで紹介されていた紅く小さなケーキ。


 「凄く食べたかったんだぁ、なんでわかったの?」

 「愛です。愛」

 2人して照れて笑う。



 その夜、触れ合えない僕達は愛し合った。

 暗闇に浮かぶ白い身体はとてもキレイだった。


 「不思議ね、触れられないのに、こうしてハダカで並んでいると全身で碓井くんの体温を感じる。凄く幸せな気持ちになる」

 触れ合えない身体のラインをなぞる。

 その手に感触はないけれど、クミはくすぐったそうに体をよじる。

 クミの手が僕をなぞる。

 手の感覚は伝わらないけど、微かな温度を感じた。



 幸せな夜だった。

 幸せ過ぎて僕達は笑った。

 笑ってなぞって笑って泣いた。



 次の朝。ハダカのクミを眺めながら提案する。

 クリスマスツリーを見に行ってみようとクミを外へ誘ったのだった。

 クミは少しだけ戸惑った様子を見せたけど、すぐに笑顔でOKしてくれた。


 他の人にもクミが見えたなら、きっと僕達はウザいほどの馬鹿ップルだったに違いない。

 ショッピングモールに設置された大きなクリスマスツリーを見てクミは子供のようにはしゃぎまわる。



 それは突然だった。

 クミが不安そうな顔でキョロキョロしている。


 「碓井くん?碓井くん?どこ?碓井くん?」

 慌ててクミに駆け寄る。


 「クミ?どうした?クミ?」

 クミは返事をしてくれない。

 クミは顔を上げてくれない。


 「・・・碓井くん。ごめん。碓井くんの事が見えない。声もほとんど聞こえない。ごめん。ありがとう。ごめんね。本当にありがとう。ごめんね碓井くん。大好きだよ碓井くん」

 そのままクミの姿は街の空気に溶けてしまう。

 ーー消えてしまった。





 そこからの記憶は曖昧だ。

 年が明け仕事が始まる。

 僕の中身は空っぽだったけど、クミと過ごしたあの部屋を出て行く気にはなれなかった。

 その為には働いて稼ぐ必要もあった。



 クミを探したい。

 だけど幽霊なんてどうやって探せばいい?


 幽霊になる前のクミを探してみようとも思った。

 だけど僕はクミの事を知らない。


 僕が知っているクミの事と言えば、とにかく可愛くて、オヤジ臭いこだわりがあって、笑顔が素敵で、ビールが好きで、上目遣いで僕を惑わす小悪魔で、振っても振ってもめげずに告白してくれるこの世界で一番素敵な女の子で、白くて細くてなのに柔らかそうで、胸は控えめで、お尻は少し大きくて、大好きって言ってくれるのに触れ合うことの出来ない女の子。


 僕はクミの事を沢山知っている。

 だけど僕はクミの事を何も知らなかった。



 抜け殻の日々が続き、あれから2度目の春が来ていた。

 僕はとにかく仕事に打ち込み、それ以外は空っぽだ。ただクミと過ごしたあの時間、それを証明するあの部屋を守るためだけに生きている。



 4月。新しいプロジェクトのリーダーに抜擢された。

 仕事以外は空っぽの僕には最適なポジションだと思う。

 忙しくて忙しいそんな日々が続けば余計な事を考えなくて済む。


 プロジェクト立ち上げの日。

 新人を1人鍛えて欲しいと頼まれた。

 さらに忙しくなるだろうけど、それでいいと思い快諾していた。



 新人の菅原久美子です。

 よろしくお願いします。

 えっと・・・碓井センパイ?



 新人の女の子はイタズラっぽい顔をして笑った。

 上目遣いで僕の眼を覗き込むように。


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