第2話




 手際よく書籍の整理まで済ませて一階へ戻ってくると、店内の雰囲気がどこか違っていた。


 頬を染めてヒソヒソ話す女性客や、興味津々に棚の陰を覗き込んでいるお客様がちらほら。

 ということは、もしかして……?


 思ったとおり、高価なスーツをピシッと着こなした高身長で目つきの鋭い男性が、紙類の棚の陰から姿を現し、悠然と隣の通路へと入っていくのが見えた。


 檜垣ひがき柊一郎しゅういちろう

 半年ほど前から通ってくれているこの大物常連さん――檜垣HIGAKIグループの御曹司であり書道家でもある――が来店されていたのだ。


「ちょっと深見、値札貼りこれ続きやっといて! 私、接客してくる」

「はい」

「あ、ちょっ……ズルい! 今回は私が」


 浮き足立っているのはお客様ばかりではなかった。

 接客を競い合う先輩従業員たちはもちろん、気難しい大御所先生をお相手中の店長まで落ち着かない様子でチラチラと視線を向けている。


 無理もない。

 あちらの……上流社会での様子などは知るべくもないが、少なくともこの界隈――『書』の世界では檜垣先生はちょっとした有名人だったりする。


 精力的に広範囲の各書展、公募展に出品・受賞するだけでは飽き足らず、最近では自社ブランドのロゴや商品名なども手掛けたとして一気に世に知られることになったという御曹司。

 にもかかわらず、当の本人まるで表舞台には出てこず、半ば伝説化されていたのだという。

 活躍を妬むアンチの間では、本当は実在しないのでは?誰かが勝手に御曹司を名乗っているのでは?という噂もたつほど。


 そこへ。

 突然、高級車を乗りつけて全国に三つ支店を構えるだけのこの書画用品店にやってきたかと思えば、会員になりたいと宣ったのだ。あの御方――ご本人様が。

 青天の霹靂すぎて従業員一堂固まってしまい、初日はろくにお相手できなかったのを思い出す。

 いつも不機嫌そうなのはなぜだろう?と見る度思うが、もしかしたら元々そういうお顔立ちなのかもしれない。……触れないでおこう。 


 何にしても、それを差っ引いてもあれほど衆目を集めてしまう容姿端麗ぶりだ。

 こうしてが来る度に先輩従業員たち(うちは全員女性)は我先にと接客を競い、たまたま店舗に居合わせた営業の男性陣には苦笑いされている。

 生意気と怒られそうだが、先輩方皆さんなんか可愛いなと思ってしまった。

 少しでも覚えめでたくありたい、と頑張れる女の子は可愛らしい。自分にはそんなエネルギーがない分、心底そう思う。



 値札貼りを終えて商品の陳列に向かう、と。

 墨コーナーに、先ほど筆洗を危機から救ってくれた『やわらか丁寧さん』がいた。

 後ろであれほど黄色い声と雰囲気を醸し出されているのに、真剣な顔で墨を選んでいる。

 お買い物の邪魔をしてしまうようで少し迷ったが、悩んでいるようだったしお声がけしてみよう、とそっと歩み寄る。


「なんか惹かれますよね、その色。古松殿さんの新作だそうです」


 気付いて振り返り、ああやっぱり、見たことないなと思って。と、やわらか丁寧さんは笑ってくれた。


「君は行かなくていいの?」

「え」


 クスクスと笑いながら「ほら、あっち」と指差した先には、檜垣グループ御曹司、とそのファン(店員)、とさらに取り巻きの御一同様(女性客たち)。

 

「ああ……大先生のお相手とか、ぺーぺーの私なんかじゃまだまだ務まらないかと。それに元々ああいった華やかな地位の方々は私にはちょっと……。別世界、っていうか」


「珍しいね。嫌い?」

「いえ、嫌いなんてそんな」


 もちろんそんな考えはない。

 地味な自分を棚に上げてそれは……おこがましいにも程がある。


「ただお近付きになり――づらいというか、近付いたらむしろご迷惑に……というか。あ、分不相応、っていうんですかね」


 免疫がないだけ、ともいうが。

 要は慣れていないのだ。

 多くを望まず身の丈に合った生活さえできればそれでいいし。


「謙虚な人だねえ」

「謙……いえいえ! 地味でパッとしないだけです、いろいろと」


 中身も、外見も。


 何ですか、この方? 短所を長所に言い換えてくれる天才ですか。


「そうかな? 慎ましい美人さんだと思うけど、雪さんは。それに『地味』なんじゃなくて『奥ゆかしい』って言ってあげて?」

「や、やめてください……いったい何を――っていうか……あれ? え、今」


 雪さん、って呼ばれた?


「どうして名前を……。私、言いましたっけ?」


 ネームプレートに印字されているのは名字だけ。

 不思議に思って見つめていると、あ……と少しだけバツの悪そうな顔をされた。


「よく子どもたちに呼ばれてるでしょ? ごめんね、聞こえてた」


 ああ、あの子たちか、と納得。

 一度教えたら親しみを込めてそう呼んでくれるようになったのだ。

 別に謝られることじゃないけど、なんだか気恥ずかしい。


「あ、じゃあこっちも名乗らなきゃかな? 申し遅れました。えっと俺は――川口、っていいます。ふつつかな客ですが、よろしくね? 店員さん」

「いえ、あ……はいっ、こちらこそです。お客様」


 首を横に振り縦に振り、あわててぺこりとお辞儀をして、はたと動きが止まる。

 なんか変だね、と二人同時に笑ってしまった。


「じゃあこれください。雪さん」


 お話しできた記念に、と川口様は選んでいた新色の固形墨『紫紺青』をお買い求めになった。






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